51 勝敗の行方
開始の合図とともに、それぞれが動きだす。攻撃の先手を打ったのはハロルド達だ。
「ヒロイン」ヤスミンが、背に負った筒から素早く取り出した矢を頭上に放ちつつ、リズムよく後退する。
高く上がった一本の矢は、放物線を描いて落下しながら複数に分かれた。
「えっ?」
陣形を取るために下がろうとしたエドワード達のすぐ後ろに、横一列にドドドッ、と音を立てて矢が等間隔で突き刺さり、後退を封じられてしまう。
放ったのは確かに一本だったのに、降ってきた矢は七、八本に増えている。
しかも長さや材質まで変わっており、背の高さほどに垂直に並んで立つ様はまるで頑強な鉄格子のようだ。
舌打ちをして横に飛ぼうとしたケヴィンの足元に、ニコラスの放ったクロスボウが刺さる。
畳みかけるようにヤスミンが次々と矢を放ち――出来上がったのは、細長い檻だった。
唯一の狭い開口部を槍を構えるギルバートが立ち塞いで、エドワード達は閉じ込められる形になった。離れた場所からの攻撃が可能なハロルド達に、圧倒的に有利な状況だ。
当然、頭上からはヤスミンとニコラスが放つ矢が降ってくる。
エドワード達の足元に散らばる当たり損ねた矢は増え、出口ではケヴィンが振り下ろされる槍先を剣で流し、と防戦一方だ。
「おっ、早速だな」
「今回も凄いわねえ」
開始早々の息もつかせぬ攻防に客席の興奮は続いたままで、一動作ごとに歓声や悲鳴が高い空に響く。
――ひゃあっ、こ、怖っ! ぎりぎりだしっ、やぁもう、危ない!
打ち合うごとにカン、とか、ガッ、とかいう耳慣れない音がして、エイミはティガーを抱きしめ身をすくめてしまう。
競技会自体は初めてではない。前回は兄が出場し観戦もした。
が、こんなに間近で見たわけではなかったし、身内の気安さからか、あまり心配するような気持ちにならなかったのだ。
息を呑むばかりで目を逸らしたくなるが、見ないという選択肢はない。
ティガーに半分顔を埋めて小さく震えながらも、エイミは必死に前を見つめ続ける。
……エドワード達の行動範囲を狭めている、あの鉄格子。
エイミは驚いたが、両親は感心しているだけだし、エドワード達も落ち着いて対処しているように見える。
きっと、矢を変化させるヤスミンの弓技は、これまでの試合でも使われてきたのだろう。
普通に見えた矢が、形状と数を変える。その現象の理由はただ一つ――魔術だ。
「や、ヤスミンさんは『幻影』を使うのね」
「しかも、見えている間は物質として存在するタイプの上級位の魔術だ。たいしたものだよ」
ジョシュアの解説に、エイミは頷いた。
魔術には、個人の持つ魔力特性によって発動が限定されるものがある。その最たるものの一つが、幻影だ。
魔術は基本的に、魔法素養さえあって訓練をすれば誰でもある程度は使えるようになる。エイミが得意とする治癒だって、ほかの魔術に比べて難易度はかなり高いが可能だ。
しかし幻影に関しては、どれだけ訓練しても適性がなければ全くできない。実際、ディオン卿とフィネアス以外の使い手を見たのは、エイミも初めてだ。
しかもヤスミンは幻影を見せるだけではなく、物質化までさせている。
この国で若手随一の魔術師であるフィネアスにも出来ない技だ。滅多に目にすることのない魔術に、観客達が興奮するのも当然だろう。
幻影を鮮やかに操るヤスミンは、これを武器に冒険者として名を上げたのだとエイミにも分かった。
魔獣討伐にも効果的なレアスキル持ちを、冒険者達がメンバーに入れたがるのはもっともだ。
エイミ達が一言二言話している間も、試合は止まらない。
エドワード達は、ケヴィンが前で、アレクサンダーとエドワードが後方という布陣を取って応戦している。
ヤスミンとニコラスが飛ばしてくる矢は、エドワード達にはまだ一本も当たっていない。
アレクサンダーが頭上でかなりの矢を払っていることもあるが、それだけが理由ではなかった。
剣先をすり抜けて落ちてきた一本がエドワードの肩を狙う。
息を呑むエイミの耳にカッと硬質な音が届き、射貫くはずだった肩に弾かれた矢が地面に落ちた。
「エ、ド様の防御膜……」
エドワードは鞘に入ったままの剣を地面に突き立て両手を柄に重ねて、注意深く周囲を見ている。
その剣を介して、水のように流れる魔力が前方のケヴィンとアレクサンダーにも届いていた。
薄い膜のように三人を包むその力が、物理攻撃から守っている。
「ああ、エイミにも見えるか」
「うん」
魔力には個人差がある。
貴族は概して魔法素養のある人が多いが、それを使えるかどうかはまた別の話だ。
同様に、エイミやイサベルは見ることができる魔力の流れも、残念ながらジョシュアは計測器具がなければ分からない。
夫のために実況を始めたイサベルと、それに頷くジョシュアの相槌を遠くに聞きながら、エイミは初めて見るエドワードの魔力操作に見入っていた。
――すごい。今までの試合で、怪我がなかったのも分かる。
エドワードが防御の魔術に秀でていることは聞いていたが、エイミが見たことがあるのは、授業の際の一般的なものくらいだ。
今、彼が使っている魔術は、自分だけでなく他人、しかも複数の動いている人物に作用し続けている。
その難易度、安定した発動の無駄のなさ。
派手さはないが、見る人が見れば圧倒されるに違いない。
そうしているうち、ヤスミンが矢に込めた魔力が尽きたのか、突き刺さっていた鉄格子がしゅう、と音を立てて本来の大きさの弓矢に戻った。
場所の制限が消えた瞬間、今度はエドワード達が攻戦に出る。
防御の魔力を纏ったまま、アレクサンダーとケヴィンの二人が勢いをつけて前に躍り出た。
間合いに入られ、どうにか槍の柄でケヴィンの剣を受けたギルバートに、短剣に持ち替えたニコラスが助勢に入る一方、ハロルドはアレクサンダーの相手を始めていた。
至近距離での剣の打ち合いとなると、アレクサンダー達がやや有利に見える。
しかしそこはさすがに冒険者。受け身ですら型に嵌らなくて、ケヴィンもアレクサンダーもやりにくそうだ。
初めは片手で相手をしていたハロルドも、深く切り込んでこられて二本目の剣に手をかける。
アレクサンダーの視界の外から繰り出した一撃は、ガン、と鈍い音を立てて防御膜に阻まれる。
不意打ちに失敗したハロルドが、それは面白そうに口角を上げるのが見えた。
「……うちの息子は余裕そうだな」
「あら、対するアレク君も楽しそうよ」
両親はまるで、野球やサッカーの観戦でもしているかのようだ。
どうしてそんなに落ち着いて見ていられるのか。
自分はさっきからハラハラし通しで、眼の前がチカチカするくらい緊張しているのに、とエイミは理不尽を感じてしまう。
――滅多なことはないって、頭では分かってはいるけれど、それとこれとは別だしっ!
競技会は真剣勝負。ただし、あくまで試合である。しかも、国王が臨席される御前試合だ。
出場者は騎士や冒険者など、軍力に直接影響のあるものばかり。
技量の全てを出して戦わねば不敬だが、万が一にも命を落としたり、今後戦えない身体になってしまうようなことは、国防の点からもあってはならないのだ。
そのために腕のある治癒魔術師を手配しているし、試合のルールも厳格に決められている。
特に武器に関しては私物も許可されているが、諸条件をクリアし、さらに不正の有無を鑑定したものでないと使用できない。魔術による攻撃に関しても、対人に使える範囲は狭い。
とはいえ、たとえスポーツで使うボールだって当たれば痛いし、怪我もする。
決して安全とは言えないのは、今まで救護室でたくさんの怪我人を診てきたエイミはよく分かっていた。
次第にハロルドの操る双剣に押され始めたアレクサンダーが、ついに片膝をついた。
僅かに上がった腕で剣を構えるが、対するは、魔力を乗せた跳躍の威力も加え、加速度をつけて落ちてくる刃だ。
見ていられないと、限界まで細めたエイミの瞳に、瞬時に加勢に走るエドワードが映る。
――エド様っ!!
防御の魔力を前面に集中させたエドワードが、鞘走るように剣を抜きながらアレクサンダーの前に滑り込む。
ハロルドの双剣が光を反射したのが見えて、エイミはぎゅっとティガーを抱きしめた。
エドワードの名を呼ぶエイミの声に重なり、キンッ、と金属特有の高い音が響く。
受けた威力は流したものの、支えの足は土埃を上げて後退し、肩まで痺れが伝わった。
音に反して受ける刃は重いのだな、などと、こんな時なのにエドワードは思う。
ライリー将軍とも、ケヴィンとも違う太刀筋と威力。優劣ではなく、別種のものだと実感する。
「お相手、願います」
「やるなあ。さっきのは決まったと思ったけど」
打ち合いながら、息を弾ませたままのアレクサンダーから離れた場所へと移る。
軽口をきくハロルドは、遠慮せずに次々と双剣の技を繰り出していく。
至近距離で戦っている二人のどちらにも当たる可能性があり、ヤスミンは矢を射ることができない。
助っ人に入ろうとしてもハロルドに目で制されてしまい、機を見計らいつつ少し離れた場所で足を止めていた。
エドワードの視界の端ではケヴィンが二人を相手に奮戦している。
剣を弾かれたケヴィンが槍の柄を両手で防いだところで、ニコラスの短剣が首元に置かれた。
「ようやくチェックメイトだね、ケヴィン」
「ニック……ギルも、お前ら相変わらずだな」
「お、ケヴィンに褒められた!」
「ったく、喜ぶなよ……はあ、疲れた」
同級生の顔に戻った三人が汗をぬぐいながら、まだ剣を合わせているエドワードとハロルドのほうに視線を向ける。
それとほぼ同じくして、とうとうハロルドにエドワードの剣が落とされた――これ以上は本当に心臓がもたない、とエイミが根を上げそうになった時、準決勝戦は終了したのだった。
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