19 VSクラーケン

 ウォーラムの海岸線は基本的になだらかな曲線を描く。その所々にある湾がそのまま船舶の停泊所として整備されていて、それぞれの岸には様々な手続きをする港湾事務所がある。

 異国からの商船の入国手続きや、漁で採れた魚の売買に関する仲介等、仕事は多岐にわたる。領主の館に近いこの湾の事務所はその中心。石造りの頑丈な事務所の前には広いスペースもあり、ここに集まる人々を相手に露店や屋台も並んで、活気ある港町の様を呈していた。


 沖にクラーケンが出た、との情報が入った翌日。まだ目撃情報だけで実際に被害が出ていないのが幸いだが、船を襲う習性のあるクラーケンをそのままにはできない。その為、監視艇を兼ねた討伐船が速やかに準備され、昨日着いたばかりの留学生ハンターもメンバーの一員に加わった。

「お兄ちゃん達、大丈夫かなあ」

「お祖父ちゃんも一緒に行ったし、平気よ。海ってことを除けばダンジョンのほうが討伐の難易度が高い魔獣が多いんだし」

「でも、お兄ちゃんの得意なのは空中戦でしょ、水の中は不利じゃない?」

「それくらい自分でどうにかできなきゃ、この先ハンターなんか続けられっこないわよ。ま、お手並み拝見しておきなさい」 

 前回ここに来た時には海獣の出現はなかったのでエイミはなんとなく心配なのだが、イサベルはたいして気にしていなさそうだ。

 港湾事務所近くにある飲食店のオープンテラスの一角が、今回の討伐隊の本陣になっている。事務所の職員や、学生も参加したため学園の引率教師などが集まって魔道具で船と交信していたりと忙しそうに動いていた。

 そのテーブルから少し離れたパラソルの下、エイミとイサベル、そしてティガーは兄達の船を沖に眺めていた。ここだけ見れば、猫を連れてリゾートにきてティータイムを楽しむ母子の図で気が引けるが、そばでうろちょろするのは彼らの邪魔でしかない、とはイサベルの談だ。

「それに昨日見たからって、今日出るとは限らないし。まあ、今日は『監視と警戒をしてますよ』ってアピールするような意味合いの出航だから心配しないの」

 昨日のクラーケン目撃情報の後からは、商船はここの湾ではなく少し離れた港を利用するように指示が出されており、大型船の姿はこの付近には見えない。だが、沖にはぽつぽつと小型漁船が浮かんでいた。海獣が出ようと出まいと、もともとここに住む民達にとってはあまり変わらないのだ。

「第一、クラーケンだって昨日見られたことで多少は警戒しているでしょうし、そんなホイホイ都合よく出てくるなんて――」

 イサベルが冷えた果実水に口を付けようと水滴の付いたグラスを手にしたちょうどその時、魔道具の通信機が緊急の合図の音を鳴らした。

「どうした!?」

『――クラーケン出現!!』

 一気に騒がしくなった向こう側の席から視線を沖に向けると、大分小さくなった兄達の船の傍に何か大きいものがうごめいているのが見えた。

 魔道具からの音声は数人の声が混じってよく分からないが、大きく左右に揺れる船上では乗組員達がわちゃわちゃと大騒ぎをしているのが陸のここからでも分かる。

 急に張り詰めた雰囲気に驚いたティガーはテーブルの下、エイミの足元にぴったりと張り付いてしまった。

「……お母さん」

「そういえば、ハルはやたら引きの強い子だったわねえ」

 ま、頑張りなさい、と沖に向かって手を振る母に力が抜ける。でも、考えてみればエイミが実際に見ていないだけで、今までだって祖父も何度も討伐に行っていた。彼らにとっては日々の仕事の一つで、たしかに色々と危険はあるが日常でもある。それこそ、ここで生まれ育ったイサベルには「よくあること」なのだろう。

 ぱちん、とハンドバッグの口を開けたイサベルから、小ぶりなオペラグラスを渡された。

「ほら、エイミ。小さいけれどよく見えるわよ」

 膝の上で抱いたティガーをなだめるように撫でていた手を一旦休めてオペラグラスを受け取る。目に当てて構えると、本当によく見えた――それこそ豆粒より小さかったはずの兄の表情まで。しかも、自分でピント合わせをしなくても、覗くと勝手に照準が合うのには驚いた。

「わあ、お母さん。これすっごいよく見える……ねえ、お兄ちゃんってばやたら生き生きしてるんだけど」

「ハルらしいわねえ。それね、お父さんが作ったの」

「え、そうなの?」

「そうよ。でも材料が揃わなくて作るのも大変って、それ一つしかないのよ」

 レンズは何で出来ていると思う? と楽し気に訊かれて、エイミは首を傾げる。しげしげと眺めても、前世でお馴染みのレンズと同じにしか見えない。

「ガラスじゃないの?」

 今世でもガラスはあるものの、こういった工業製品に使えるまでは完成していない。手作業になるため、透明度を保って均一の厚さに作るのが難しいらしい。でも手元のこれはどう見ても綺麗なガラスレンズだった。

 にっこり笑ったイサベルは、人差し指と親指で丸を作って自分の目に当てる。指の輪の中に、エイミと同じ金色の瞳がいたずらっぽくきらめいた。

「ふふ、シーサーペントの目」

「はっ!?」

 シーサーペントは龍に似た海獣で、エンカウント率が低く討伐の難易度も格段に高い。長年海に関わっている祖父のルドルフでもほとんど遭遇したことがないというほどの、レアモンスターの一種だ。

「同じ海獣だけれども、ほら、クラーケンって大きいダイオウイカみたいなものじゃない? 軟骨の部分はそれなりに価値があるけれど、目は柔らかくてレンズには向かないんですって。今、お父さんが何か代わるのはないかって探しているんだけど、なかなかね」

「へ、へえ……」

「だからお母さん的には本当は、クラーケンよりシーサーペントが出てくれたほうが嬉しいのよね」

 そうすればカメラも遠くないでしょ、と呑気に笑うイサベルに、ちょっとひきつった笑顔を返すエイミだった。




 討伐船の上は騒がしくはあるが、混乱は無かった。辺境軍の討伐パーティは手練れぞろいだし、なんといっても今日は領主のルドルフが乗船している。

 領主ではあるが、陸にいるより海の上の時間のほうが長く、海獣だろうが海賊だろうが自身の腕で退けてきたこの領主は、軍からも一目置かれていた。


「ぃよっしゃあぁー!! やったるでーーっ!」

「ハロルド、まあ、落ち着いて」

「ギルもそう言いながら前に出ない。僕ら一応、勉強に来ている身なんだから」

 指示を待ってそれに従うべきというニコラスの真っ当な提案はハロルドの耳には届いていないようで、双剣を構え船のヘリに片足をかけ、今にも飛び込みそうだ。

 船のすぐそばには、クラーケンの頭頂部と長い触手が波の間からうねうねと出入りしている。

「大丈夫! じゃあ、お先にレッツトラーーぅぐえっ?」

「待てこら」

 襟首をつかまれ引き戻されて咳き込むハロルドを、引いた本人のルドルフともう一人が見下ろしていた。

 一房だけ白髪が混じる長い黒髪、足首までのローブを身にまとう長身の初老の男性。やたら鋭い眼光と人を寄せ付けない雰囲気は、もしかしなくてもそこでうねっているクラーケンより怖いかもしれない。

「短慮だな。お前にそっくりだ、ルドルフ」

「へえ、そりゃあ光栄」

「サー・ディオン……っ!? なんで?」

 集合場所にはいなかったはずの、魔術指導の鬼教師が同船しているとは思いもしなかった学生三人は驚きに目を丸くする。

 相変わらず船のすぐ脇にクラーケンはいるし、船上も臨戦態勢だが、この一角だけは別の意味の緊張感が漂っていた。ディオン卿は氷のような青い瞳で若輩者を睨め付けるとバッサリと言い放つ。

「先に乗っていた。何か問題が?」

「「ございません!」」

 直立不動で揃った返事に横目で一つ頷くと、ディオン卿は手にした短い杖をす、とハロルドに向けた。無詠唱で杖先から出た白金色の粒子がハロルドの体を包み、消える。

「水中での制限時間は十五分。それ以内に済ませるのだな」

「っ、感謝します!!」

 言うが早いか、海面へと身を躍らすハロルド。既に海中に降りていた討伐隊の数名とすぐに合流し、剣を振るい始めた。ギルバードとニコラスはそれぞれ槍とクロスボウを構えて指示された場所に立って船上での援護にまわる。

「……丸くなったなあ」

「爺馬鹿には言われたくない。お前ルドルフは行かないのか?」

「んー、そうだな」

 わあわあと声が響く海面では、追い詰められてきたクラーケンが暴れだして波がますます荒れている。慣れているはずの船員も転がりそうになるほどの揺れだが、領主と魔術師は支えもなく平気な顔で立っていた。

 ビシャンッと粘着質な音を立てて、二人の目の前の船べりにクラーケンの触手の先が巻き付く。と、すぐさまガスッと吸盤に突き刺さるクロスボウの矢。飛んできた方向を見ると、少し離れたところから、ぺこり、と会釈を寄越しまた警戒を海上に戻すニコラスの姿があった。

 ルドルフは腰から抜いた剣で、張り付けにされた触手を切り落としながら口の端で笑う。

「要らんだろ。あ、おーい! そっちの漁船、避難させろよーー」

 結果として。制限時間を三分残して、討伐は終了したのだった。






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