46 エドワードの控室と、最後の攻略対象者
「エイミ様、あちらが殿下方の控室です」
振り返って到着を告げたスコットに、エイミは頷いた。
控室は出場グループごとになっている。配置が分からないエイミが「近いほうから」と頼んだので、エドワードのところが先になった次第だ。
試合は身分差なく公正に勝敗が下されるし、控室などの待遇もほかの出場者と同じ扱いだと聞いている。
だが、さすがに王子と公爵子息がいる部屋とあって扉の前には護衛が立っていた。
その彼に、エイミはにこりと笑いかける。
「ダリオス、今日はここなのね」
「これは、エイミ様。殿下方もお揃いになったところです、どうぞ」
ちょうどいいタイミングだったらしい。笑顔を返したダリオスが、厚い木の扉を音高くノックする。
開かれた扉の向こうには、直接室内が見えないように衝立が置かれている。
その前に、まるでエイミが来ることが分かっていたような態度で公爵家の執事がにこやかに控えていた。
「爺、久しぶり!」
「はい。お元気そうで何よりです、エイミ様」
「なんだ、エイミか」
「……坊ちゃま」
アレクサンダーが衝立からひょこりと顔を出して、爺に窘められる。
エイミではない別の誰かを待っていたようだが、そんな相手に心当たりは一人だけだ。
「ロザリンドは今日、来られないの?」
「いや、レティシアと一緒に……って、あー、そうか、ジャハルに掴まったんだな。ま、そのうち来るだろ」
さして気にする様子もなく答えるアレクサンダーは、全くいつもと変わりない。本番を前に緊張しているかと思ったが、そうでもないようだ。
人前でなにかする、というのが前世も今世も苦手なエイミは、その肝の太さが少し羨ましい。
道中、ここ以外には護衛が立っている部屋はなかったから、ジャハルの控室は別棟にあるのだろう。
この競技会に参加することを目的、というか口実の一つにして留学してきた異国の王子は、郷里の冒険者と剣士をメンバーに招いているという。
トーナメントの組み合わせを見る限り、勝ち進まないとエドワード達とは対戦しないが、二人の王子が出るとあって、どちらの組も観客達の注目を集めていた。
「エイミは会っていないのか?」
「うん。ロザリンドともレティとも、時間が合わなくて」
「実際エイミはずっと忙しくしていたからね」
「っ、エド様!」
するりと入り込んだ声と人に、必要以上に驚いてしまう。
ここにいて当然の人だから驚く方がどうかしているわけだが、しかし。
「来てくれて嬉しい。こっちにどうぞ」
「う、うん。お邪魔します……」
ごく自然に手を引かれて衝立の奥へと連れられる。
見えた家具はシンプルなソファーとローテーブル、それに武器や防具用の棚くらいだが、予想したより広い部屋だった。
「エイミは昨日も忙しかったのでしょう、体調は崩していない?」
「だ、大丈夫っ、元気!」
防具を着ける前なのだろう、エドワードは上着のないシャツ姿でいつもよりだいぶラフな恰好だ。
さらには襟元のボタンが数個開いている。
アレクサンダーだって似たような恰好だったのだが、エドワードのほうが普段のイメージとのギャップが大きい。
要するに、非常に見慣れなくてドギマギする。
「そう? 顔色は平気みたいだけど……」
――近い、近いちかいっ!!
屈み込むようにして覗き込まれ、あまりの近さに固まってしまう。しかも片手は頬に添えられて、まるであの時のようだ。
夕刻の馬車の中と違って今は明るい。
至近距離で見たエドワードのグレイの瞳がほとんど銀色にも見えて、息が止まりそうになる。
一気に顔が熱くなったエイミに、エドワードは別のことを思ったらしい。
「……赤い。やっぱり熱が」
「~~っ」
「エド、お前それわざと?」
「アレク、なにが?」
「なんだ無自覚か」
面白そうに肩をすくめるアレクサンダーに視線で助けを求めるが、涙目では通じなかったようだ。
それより、と気にもしない様子で話題を変えられてしまう。
「エイミはケヴィンとは初めてだったよな」
「あ、う、うん」
名前だけは以前から聞いていた。
高名なライリー将軍の孫で、エドワードとアレクサンダーの剣の先輩格。今日の試合に三人で一緒に出るのだとも。
頻繁に王城に行っても、馬場にばかり通うエイミは出会う人も限られている。軍属の人達とは護衛騎士以外に面識はなかった。
アレクサンダーの言葉で、エドワードもそのことを思いだしたらしい。
「そうだった、紹介するよ。ケヴィン」
「やれやれ、忘れられているのかと思いましたよ」
少し呆れたように、だが親しみを持った声が高い位置から聞こえる。
やっと頬から離れたエドワードの右手を追うようにして顔を向けると、背の高い男性がそこにいた。
年齢は兄のハロルドと同じくらいだろう。
濃い栗色の短髪にヘーゼル色の切れ長の瞳。
腕っぷしも強そうだが脳筋タイプではなく、かえって参謀とかが似合いそうな……
――「騎士」枠、出たあ!? このタイミングできたよ、コンプリートっ!
祖父のライリー将軍はもちろん知っている。
たしかに髪も目も同じ色だが、豪放磊落な将軍とはかなり印象が違っていた。二人がもう少し似ていれば、予想くらいできたかもしれない。
でも、記憶の中のゲームの画面と瓜二つ……これで甲冑を着ていたらもう、そのままだ。
「お会いできて光栄です、レディ・エイミ・ノースランド。ケヴィン・ライリーです」
「は、はじめまして」
戸惑うエイミの前でケヴィンが踵を鳴らして軍式の礼を取るのも、ああ分かる、そういうことしそう、と脳内は騒がしい。
「いらしてくださってよかったです。殿下が首を長くしてお待ちでしたから」
「え」
「験担ぎとはいえ、試合前はわりと気にするのですよ」
「ケヴィン、」
思わず聞き返してしまったエイミに、ケヴィンは読めない表情で微笑んだ。それはまさに、あのオープニングスチルの「騎士」と重なる。
しかしエイミが気になったのは、そこではなかった。
――待ってた? 私が激励に来るのを? それって……
それはさすがに勘違いだろうと隣を見上げると、エドワードの赤く染まった耳が目に入ってしまったからいけない。
うろうろとさまよう視線をごまかすように、エイミは口を開いた。
「あ、あの、えっと、私、おにいちゃ……兄のところにも行かなきゃで、ス、スコットさんっ」
「はい。お時間のこともありますし、参りましょうか」
どう反応したらいいか分からないが、とりあえず顔も頭も熱い。
こんな時エイミが取れる行動は退散一択だ。
突然声を掛けられたスコットだが、微笑ましいものを見るようにして話を合わせてくれた。急な成りゆきに、エドワードはきょとりと目を大きくする。
「エイミ?」
「エド様、アレク様、ケヴィン様。あの、ご武運を」
「エイミ、待って」
『ご武運をお祈りします』そんな決まり文句さえ最後まで言えずに、くるりと背を向ける。
いっそ駆けだそうとしたところ、後ろ手を取られた。
びくりと立ち止まるエイミの正面に回ったエドワードに、握られた手が熱い。
「エ、ド様」
「試合が始まったら忙しいだろうけれど、できれば救護室から出て見にきてほしいな」
「う、うん。私も応援したい」
「そう、よかった」
やっぱり距離が近いから視界がエドワードでいっぱいで、ほかには誰も見えない。
だからだろうか。
少しだけ落ち着いて、さっきはちゃんと伝えられなかった言葉が今度は言えた。
「あの……『ご武運をお祈りします』。できれば、怪我をしないで」
「うん、ありがとう。なるべく心配かけないようにするよ。でも、エイミが治してくれるのでしょう?」
「それは、治すけど」
治療するのは当然だ。
だがそれよりも、エドワードが怪我をすることが嫌だと思ってしまったことにエイミは今、気が付いた。
前に談話室でもそんな話題になったことがあるが、その時よりも強く……小さい怪我のひとつだってしてほしくはないと思ってしまった。
大怪我をして勝つよりも、負けてもいいから無傷のほうがいい。
その考えは、今まで訓練を重ねてきたエドワードの努力を無視している。
――……なんて身勝手。酷い人間だ、私。
急に自覚した自分の気持ちに驚いて、自己嫌悪に陥った。顔色を失くしたエイミに気付いたエドワードが、心配そうに覗きこむ。
「エイミ、やっぱり具合悪いんじゃ」
「う、ううん、違う」
今日は、国王だけでなく王妃様も王太子殿下達もお見えになる。
「家族」の前で、エドワードは今までの自分の成果を披露するのだ。多分、初めて。
そんな大事な試合前なのに、こうやって
申し訳なくて切なくて、なのに……嬉しくて。
エイミの胸がぎゅうと痛んだ。まるで「心」がそこにあると分かるほどに。
――どうしよう……怖い。
自分の気持ちを認めるのが怖い。
攻略対象者全員と出会って、どうやらゲーム世界とは全く同じではないようだ、と気付いている。
それでも最後の一歩が踏み出せないのは、今もエイミが「ゲーム」に囚われている証拠かもしれない。
ぐるぐると回るだけで、答えの出ない思考の渦に飲み込まれてしまいそうになる。夜の海に足元から引き込まれていくような……その時ふと、握られた手が動かされた感覚に、物思いから引き上げられた。
なんだろう、とぼやけた頭でエドワードの動きをただ目に映していると、持ち上げられた指先に柔らかいものが触れた。
それが何なのか、理解するのに少しかかる。
――く、くち、っ、~~~~っ!?
ぼんっと顔から火が出た。
比喩でなく、絶対に発火したと思う。
全身をぴきんと固まらせたまま、エイミはあわあわとうろたえる。
そっと唇を離したエドワードは、すっかり戻った顔色を上目遣いで確かめると、満足そうに微笑んだ。
「頑張るね」
「~~っ、は、頑張っ……て……」
――だめ、心臓が持たない。
何をどうしたらいいか分からないが、とりあえず今は何も考えられない。
おぼつかない足取りをアレクサンダー達に生ぬるく見守られながら、エイミは控室を後にしたのだった。
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