24 学園というところ

 ルドゥシア国には王立の学園がある。主に通うのは、初等教育を終えた貴族の子ども達。

 平民に門戸を閉ざしているわけではない。ただ、学費や通学の問題から、平民であればそれなりに財力のある者か、奨学金を与えられるほどの成績優秀者のみが入学できるというのが現状だ。


 入学は十四歳から。在学年数やカリキュラムなどは決められておらず、各々必要な学位なり技術なりを身につけて、教授陣から卒業が認められれば学園を去る、というシステムだ。その為、入学や卒業の時期も各自の裁量となっている。

 実際に入学が義務付けられているのは、貴族の嫡男だけ。

 しかし、学園で得られるのは勉学の機会だけではない。

 国内外の貴族子女が集まり、留学生も多く通うこの場で知己を増やし社交を学ぶのは、次世代を担う貴族としてもはや必須とも言えた。

 領地が離れていても王都に別宅を持つのが普通なので、そこから通学することもできる。だが、王族や高位貴族の子息が「集団生活の体験を通して、見聞を広める」との計らいのもと寮生活を送る習いに従い、結局は全員、入寮するのが慣例になっていた。

 とはいえ、女子寮はなく、女生徒は王都の自宅や学園の近くにある親戚宅などから通学をしている。

 学園に女児が通うようになったのはごく最近のこと。エイミ達の親世代の頃は、令嬢は家庭教師による教育のみで嫁いでいくもので、外で学ぶといえば、個人のマナー教室などに通う程度だった。

 近隣諸国との諍いも鎮まった近年、国内が落ち着いてようやく教育へと目が向けられ、女児も入学するように変わってきたのだ。

 三年以上は学園に通う男子生徒に比べ、女子生徒の在学期間は短く、一、二年といったところ。

 婚約者が既にいて、婚姻が整うまでの短期間だけ学園に通うような女生徒も多くいる。

 前世を思い出したエイミからすると、義務教育もなく、身分以外に男女で差があることに正直、違和感を感じた。しかし、よく考えれば日本だって教育制度が整ったのはここ数十年のこと。

 女性の参政権が認められるようになったのだって戦後になってからだし、大学の進学率だって、三十年前までは男女合わせてもせいぜい三割ちょっと。地方と都市ではまた差があるだろう。

 十五で姐やが嫁に行ったあの童謡。あの歌からエイミの生きた平成の時代まで、百年経っていない。数えで十五歳の実年齢は十四歳、誕生日前なら十三かもしれない……だとすると、今のここと大差ないじゃないか、と気が付いたのだ。

 とはいえやっぱり、結婚には早い年齢だとは思うけど。


 エイミが覚えている「前世の常識」は、長い歴史、広い世界の中の、現代日本のほんの僅かな時間に限ったことだけ。それを、転生してからつくづく実感した。

 授業で学んだうろ覚えの歴史や政経を確認する術すらない現在、ただのと言ってしまえるそれを基準に「今」を判断することは、非常に危うい。

 比べてしまうのは仕方がないが、優劣を付ける必要はない。あちらにはあちらの、こちらにはこちらの歴史や秩序が存在する。それに手を出すのなら、相応の覚悟と見識が必要だろう。

 そんなわけで、前世の有識者なら男女差別がとか、人権がとか、論説を掲げそうなところもある今世。それこそ異世界転生の小説ならば、いそいそと改革に励むのが常套かもしれないが、エイミにとっては「これも普通」の今だった。


 ……ぶっちゃけ、内政メンドクサイ。元女子高生の本音である。



 青空から降る木漏れ日が、回廊の床にきれいな影を作る午後。中庭を見渡せる談話室のテラス席で、エイミは語学の授業の後、友人とお茶を楽しんでいた。

 周囲は同じような年頃の令嬢達ばかり。授業はともかく、学園の施設は男女で共用だ。しかし、常に令嬢たちでいっぱいのこの談話室に入ってくる子息は滅多におらず、同性だけがまったりくつろぐ部屋になっていた。

 今日もほとんどのテーブルに、学生らしく楚々としたドレスの令嬢達が三々五々掛けている。カップ片手に囁き笑い合っている様子は非常に目に麗しい。

 テーブルにはハリのあるクロスがかけられ、お茶や菓子をサーブする専門の使用人も常駐している。落ち着いた色彩ながら軽やかさもある内装の空間は、たくさんの生花がいつも趣味よく飾られていた。

 部屋の端にあるピアノでは腕に覚えのある令嬢が友人たちにねだられて曲を披露することも多く、その調べは開放感あふれるテラス席を通って中庭へと優雅に流れ出る。

 そんな談話室と、そこを華やかに彩るドレスアップした若い女性達……一体どこの披露宴会場バンケットルームだろう、とここに来るたびにエイミはひそかに思ってしまう。


「ふふ、ぼんやりして。エイミは今日もティガーの心配?」

「そう言うロザリンドだって、早く帰ってポーシャに会いたいって顔してる」

「分かっちゃう?」

「だって私も同じだもの」

 エイミがほんわりと笑ってカップを傾け合う相手は、同じ歳の学友、ロザリンド・ノールズ伯爵令嬢。

 茶色の髪に茶色の瞳、不美人ではないが決して美人でもない、彫りの浅いあっさりした顔立ち。身長も体型もごく平均的で目立ったところは全くない「壁の花」の見本のような令嬢だ。

 しかし話してみると、しっかりしていて面倒見の良いお姉さん気質。実際に弟妹たちがいる長女の彼女と、末っ子のエイミは驚くほど気が合った。

 普段から細く、笑うと糸のようになる瞳も馴染み深く懐かしいものだったこともあり、人見知りのエイミが最初から警戒心を抱かずに親しくなれた相手の一人だ。

 そして、なんといっても仲介役は、猫。やはり猫。

 すっかり仲良しとして周囲にも認定されているこの二人の出会いは、実はこの学園ではなく、公爵夫人の「猫の会」がきっかけだ。


 ロザリンドはエイミより半年ほど早く学園へ通い始めており、王都にあるノールズ家のタウンハウスではなく、学園へ近い知人宅へと身を寄せている。

 そこの奥方と一緒に休日に外出した折に、怪我をした猫を見つけてしまった。

 ノールズ伯の領地は自然豊かな地方にあり、名産は牛と乳製品。

 そういった環境で動物に愛着を持って育ってきたロザリンドに、不遇な小動物を見捨てるという選択肢は存在しない。猫は飼料小屋に入り込むネズミを捕ってくれるし。

 そして駆け込んだ獣医師のもとに「猫の会」を通して助手として派遣され、治癒魔術の現場トレーニング中のエイミがいたのだった。

 ロザリンドが拾い獣医師のもとへと連れていった猫はエイミの魔術で治療され、数日の入院の後に一度カヴァデール公爵家へと引き取られた。というのも、その猫は人を警戒はするものの、世話をされたり家の中で暮らすことには慣れていて、誰かに飼われていた様子が窺えたからだ。

 迷い猫を探す飼い主が、カミラ夫人の元へ相談に訪れることはもはや王都では常識。元の家へと戻れるようにと願って公爵家へ預けたのだが、ひと月経っても一向に飼い主は現れず、似たような猫を探しているという話も聞かない。

 そして、一か月の間、何度も通いすっかり情が移っていたロザリンドが引き取ることになったのだった。


 明るいオレンジ色の毛、ヘーゼルの瞳。茶トラに近いが縞模様ははっきりせず、首元と手足の先、それにお腹の毛は白い。ロザリンドと同じくパッと目を引く派手さはないが、よく見ると愛嬌のある顔をしている。

 ポーシャと名付けられた猫は回復してからは悪戯好きな面も覗かせ、知人宅の奥方を悩ますこともある。しかし甘え上手なポーシャに絆され、結局全員で可愛がり、今では大事な家族の一員となっていた。


「そうそう、エイミ。この前貰った、羽根のついたオモチャの試作ね、あれ、よかったわ!」

「ティガーも好きだから気に入ると思ったの。あ、羽根の色に好みはあった?」

「はっきりとは……でも私が選ぶなら、ポーシャと同じオレンジ色にするわね、きっと」

「じゃあ、私は黒にしなきゃ」

「ティガー色ね」

 くすくすと楽し気に語り合う二人の令嬢の話題はもっぱら愛猫のこと。ほかのテーブルから聞こえてくるような、噂話や王都の流行や、縁談相手の目算などは、滅多なことでは俎上にあがらない。


 入学して約一か月。エイミはおおむね順調に学園生活を過ごしていた。

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