35 兄からの便り(後)

 その晩、父が帰宅し食事が済むと、居間でくつろぎながら兄からの手紙を開封することにした。

 トレイに載ったままだった封筒を手に取って、ジョシュアは意外そうな顔をする。

「うん? 普段より厚いな」

「あら本当ね」

 ハロルドからの手紙は、便箋が二枚以上になったことがない。覗き込んだイサベルも不思議そうに見守る中ペーパーナイフで封が切られると、折りたたんだ地図が出てきた。

「あの子ってば、手紙と地図を入れ間違えたのかしら」

「いや、ハロルドのことだ。きっと場所を説明するのが面倒で、便箋代わりに使ったのだろう」

 ジョシュアは苦笑いをしながら、その地図をティーテーブルの上に広げた。薄い紙だが開くと案外大きさがあって、小ぶりなテーブルを覆うほど。

 父の予想通り、そこにはハロルドの字で何か所か書き込みがある。

 とはいえ、全体的に文字はメモ書き程度。日付と矢印などの記号、それに決して上手くはないイラストが描いてあり、さながら小学生の絵日記のようだ。

「お兄ちゃん……なんなの、この解読が必要な絵手紙は。文章を書きなさいよ、文章を」

 二カ月近くも音沙汰なしで、ようやく届いた便りがこれだ。

 両親は呆れつつも納得顔だが、筆まめなエドワードとの文通ですっかり手紙慣れをしているエイミには、どうにも手抜きに見えてしまう。

「相変わらずだわねえ。あ、このコモドオオトカゲみたいなのは、何とかという魔獣でしょ。ここで倒したっていうことかしら」

「一応、最近の旅路をさらっているようだな」

 矢印で繋いだ場所には過去だけではなく未来の日付もあるから、どうやら旅程を知らせてきたようだ。

 そんななか、アンダーラインが引かれた目立つ書き込みが、地図の上の余白にあった。

 雑というよりも興奮して書いたような流れ文字で、ちょうど逆さまに眺める場所に座ったエイミからは、呪文のように見えてしまうほどの乱筆ぶりだ。

「んんー、お父さん、そこはなんて書いてあるの?」

「これは……ああ、分かった。『ヤスミをみつけた!』だな。なんだ、ヤスミって。新しい魔獣の名前か?」

「ヤスミ? ヤスミねえ……あ! そういえば、ハルが一緒にゲームしていたお友達が、たしかそんな名前じゃなかったかしら」

「え、奇跡のサポートメンバーのあの人?」

「『ヤスミ』か『ヤガミ』だったはずよ。ねえ、お父さん」

「俺は知らんぞ」

こめかみに指をあてて、エイミは記憶の底を探る。

「ヤスミ……ヤガミ……あー、そういえば『やすみん』とか呼んでいた気も、しないでもない」

 前世の兄が嵌りにハマっていたハンティングアクションゲームで運命の出会いをした、超絶サポートスキル持ちのプレイヤー。

 その人と同じような、腕のある冒険者を仲間にしたいと兄達は各国をウロウロしていたが、ようやく今世でのいい出会いがあったようだ。 

「要は仲間が増えたっていうことだな」

「あらお父さん。見つけた、としか書いていないから、ハル達の仲間になったかどうかは分からないわよ」

 そんな腕前の人物が現実にいるとしたら、絶対にどこか別のパーティに入っているだろう。

 でもきっと、あの兄ならどうにかして自分のもとに引き込むだろうという妙な確信がある。

「お兄ちゃんならまた前みたいに、土下座でも何でもして口説き落とすんじゃないかなあ」

「違いないわね……あら、」

 笑いながら地図に目を戻すともう一つ、東南のとある国の上にも目を引くものがあった。

 ぐるぐるとペンで囲んで「ここで一狩り~」と、ふざけた調子で書いてあるそこを、イサベルが指さす。

「ここって『特区』よね」

「……本当だ。お兄ちゃん達、大丈夫なの?」

 お気楽に「一狩り」する、と告げてきた場所は有数の魔獣出没地だった。

 亜種や希少種と呼ばれる特別変異の個体が確認されている、非常に討伐難易度の高い魔獣が生息するエリアである。

 難易度――つまり危険度と、討伐達成時に得られる報酬は基本的に比例する。

 そのため、腕に自信のある冒険者や賞金稼ぎを生業とする者たちが挑むところになっていた。

 当然、実力の伴わない冒険者が足を踏み入れた場合、命の保証はない。

 ブラコン・シスコンの気はお互いに全くこれっぽっちもないが、普通に兄妹として心配はする。

 兄の身を案じるエイミに、ジョシュアはふむ、と手を顎に当てた。

「ギルドで確認できているハロルド達のランクであれば、十分に挑めるレベルだろう。だが、何事にも絶対ということはない。どんな魔獣と遭遇するかによって状況はかなり変わるからな」

「だよねえ……」

「ただ、正規の手続きをしているなら、特区では慣れたギルドの担当者が補佐役で必ず一人はつく。それに、ハロルドはあれで自分の力を驕ったりはしない。退き時もわきまえているから、滅多なことにはならないだろう」

「そうよー。ハルは面倒くさがりだもの。変なプライドは無駄だっていうタイプだから、逃げ足は速いわよ」

「ああ、ほらエイミ。こっちもご覧」

 そう言って父が指先を置いたのは、いくつかの町を経由した矢印の最終到着地点。

 そこは、エイミ達が今いるルドゥシア国の王都だった。

 日付の上に、交差する剣の絵が簡単に描いてある。

「この日付って、競技会の……」

「聞いてはいないが、出場する、ということだろう。先の予定を決めているなら、まず無理はしないだろうな」

 競技会には事前に申請さえ出せば基本的に誰でも出場できる。その手続きはギルドが代行可能なので、本人が国外にいてもなんら問題はない。

 エイミ達は三人で顔を見合わせた。

「っていうことは、お兄ちゃん帰ってくるの?」

「少なくとも、競技会には出るつもりでしょうね。そうすると、もしかするとこの『特区』も、力試し程度に考えているのかもしれないわ」

「それはさすがにどうかなあ……でも、そっか。それならあんまり心配しなくていいのかも。あっ、ティガー」 

 と、それまでエイミのそばで静かにしていたティガーがひょい、とテーブルに――つまりは、兄が送ってきた地図に上がった。

 薄い紙が、ティガーの足下でシワになる。

「あらあら」

「ティガー、テーブルはダメよ」

 もとの家や公爵家で教えられていたのか、エイミに引き取られてからのティガーがテーブルに上がることはなかった。

 ところが今、初めて自分から上がっただけでなく、エイミに注意されて降りるどころか、ゆうゆうと前足を体の内側に折りたたんで座り込んでしまった。

「……香箱組んじゃった」

「満足そうな顔して。これじゃあ叱りづらいわねえ」

「紙に座りたいんじゃないか? 地図これでテーブルは隠れているだろう、ティガーにとってはここはテーブルじゃなくて、紙の上だな」

「あ、そういうこと?」

 三人が話している前でティガーは、ふあ、と大きな口を開けてあくびを一つ。エイミと同じ色のティガーの金の瞳は心なしかとろりと眠そうだ。

 人見知りだったティガーだが、エイミ以外の家族の前でもこうしてくつろいだ姿を見せるようになった。そのことにエイミの胸はふわんと温かくなる。

「テーブルに乗られるのは困るけれど、こうしているティガーは可愛いなあ……こっち、おいで?」

 しゃがんで呼びかけ両手を差し出せば、まるで返事のようにニア、と高い声で鳴いてゆっくりと動き出す。足下の薄い紙をクシャリといわせながら数歩進むと、そこはエイミの腕の中。

 抱きとめるとそのまま床に座り込んで、ふわふわな毛に手のひらを埋める。満足そうに目を細めるティガーにエイミもまんまるの笑顔を浮かべた。

「相変わらず仲良しねえ」

「うん、大好きだもの!」

 前世では動物を飼うことができなかったエイミは、今世でティガー達と一緒に暮らすために、魔術の勉強に力を入れた。

 動物も魔術も、今のエイミにとっては既に生活の一部であり、自分の一部。切り離すことなど、もはや考えられない。

「ふふっ、これはなかなかの難敵ね。ねえ、お父さん、ちょっと不憫になってこない?」

「なにがだ」

「高いハードルを越えたと思ったら、もっと高ーい壁がずーんとそびえ立っているわけじゃない」

「……試練だな」

 少しだけシワになった手紙地図をたたみながら肩をすくめたジョシュアに、イサベルは仕方ないわね、と笑顔を浮かべたのだった。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る