34 兄からの便り(前)

 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 日暮れ時、ノースランド家に別れを告げる友人二人を、エイミはイサベルとティガーとともにエントランスで見送った。

 去っていく馬車が見えなくなると、名残惜しそうにしながらもエイミは満足気な表情をイサベルに向ける。

「楽しかったぁ!」

「仲のいいお友達ができてよかったわね、エイミ。学園はどう?」

「うん、大丈夫だよ。いろいろ言ってくる子もいないわけじゃないけれど、最初だけだし。あとけっこうね、会誌で名前を見たことのある家の子も多くて」

「ああ、『猫の会』の」

 カヴァデール公爵夫人が主宰する「猫の会」は、貴族内での認知度は群を抜いている。

 夫人の依頼で王都内の獣医師を手伝うようになってから、『エイミ・ノースランド伯爵令嬢』の名前は会員貴族の間で広く知られるようになった。

 嫌がらせがエスカレートしないのは、エイミの治癒魔術に恩を感じている飼い主貴族が少なからずいることも、理由の一つなのである。 

 屋敷内へ戻ろうと、くるりと向きを変えるとティガーも一緒についてくる。

 エイミにぴったり寄り添ってエスコートするように歩く姿は、この家ではすっかりお馴染みだ。

 ティガー的には抱っこして歩いてほしいようなのだが、いくらエイミの身長が伸びたとはいえそこまでは難しい。

 大きさもそうだが、ティガーを抱きあげるとモフモフの毛で八割がた前が見えなくなるのだ。

「そういえば、久しぶりにハルから手紙が届いたのよ」

「お兄ちゃんから? 今、どこにいるの、元気だって?」

「お父さんが帰ってきてから開けようと思っていたから、まだ見ていないわ。どうする、先に読む?」

「うーん、気にはなるけど……緊急ならギルドの通信を使うはずだよね。手紙ってことは、何かあったわけじゃないだろうし」

 久しぶりの連絡にほっとするが、今までの経験からいって兄の手紙は正直、大した内容であったことはない。

 もともと筆まめなほうではなく、せいぜい二、三言殴り書きのように書いてあるくらいなのだ。

「お兄ちゃんのことだから、どうせ今回も『海キター! 海鮮めっちゃウマい!!』とかでしょ」

「ほんと、ただの生存報告よねえ。ま、元気でやっているなら、それでいいのだけれど。じゃあやっぱり、お父さんが戻ってから皆で読みましょうか」

 ころころと笑い合いながら、兄の話題が続く。

 時折、現地の珍しいコインや、討伐で手に入った魔獣のウロコなど、嵩張らないものを同封してくることもあった。

 が、どの場合も文面は簡素。時折ニコラスやギルバートが少し詳しい近況を書き込んでくれて、それでようやく様子が分かるといった具合だ。

「信じられないけれど、あれで学園では優秀生で通っていたんだよね。お兄ちゃんに『面白いから』って勧められて取った地理学の授業だって、レポート提出の課題がハンパないんだよ。よく単位もらえたよね」

「ハルはほら、あっちの岩場はこういう魔獣が出る、とかそういうのを覚えるのが前世まえから得意だったから。自分でいろいろやってたし、下地があったんじゃない?」

「あー、そういえば、無駄に詳しい攻略ノートを自力で作る人だった……テスト勉強はしないくせに……」

「その意気を他に分けてもいいのだけれどねえ、一応伯爵家わがやの跡取りなんだから」

 困ったものだと口では言うイサベルだが、大して困っているようには見えない。

 この国の貴族位と領地は、血族による継承が基本。

 直系の実子がハロルドとエイミ二人のノースランド家の場合、エイミは第三王子の婚約者候補であるから、実質後継者はハロルドのみ。

 当主が冒険者という前例はなくはない。しかし、どうしても領地内の対応が後手になりがちで、あまり良いといえないのは確かだ。

 しかし、父ジョシュアにこれといった病気もなく健在の今、急ぐ話でもない。

 仮にハロルドが継がなくても、その子どもか、いざとなれば遠縁から適任者を迎えることもできると両親は考えていた。

「ただね、ハルが結婚できるか、お母さんは最近そっちのほうが心配で」

「結婚したとしても新婚早々、長期間留守にして愛想つかされそうだよね」

 ほう、と片手を頬に当ててため息を吐く母に、エイミも深く頷く。

 何せ魔獣の討伐に没頭しすぎる兄は、それが原因で何度も恋人との破局を迎えた実績があるのだから。

 十八歳までは婚約者を無理に置かない方針のノースランド家だが、そうしてきてよかったというのが家族の総意だ。

 婚約しても結婚しても放っておかれるなんて、いくら愛情と理解がある相手だったとしても堪ったものではない。

「政略結婚で仮面夫婦なら、夫が留守がちのほうがかえって上手くいくとか聞くけれどねえ」

「そんな面倒なことするなら独身でいいって、お兄ちゃんなら言いそう」

「そうよね、お母さんもそう思うわ」

 実のところ、ハロルドにも縁談の話はある。現在は本人不在を理由にお引き取り願っているが、どうしてもと粘る相手もいなくもない。

 ハロルドが討伐ばかりで家に帰らないのは、釣り書きや姿絵を見せられる機会を避けてのことではないだろうか、とエイミは穿っていた。

 今の世界では二十歳の兄はちょうど結婚適齢期だが、前世でいえばまだ大学生。しかも、念願の専業冒険者として立ったばかり。本人的には、まだまだそちらで頑張りたいだろう。

 それに何より、あの兄は自分の興味以外のものには極度の面倒くさがりなのだ。

 居間へと戻りソファーに掛けると、すかさずティガーがエイミの膝に乗ってくる。嬉しそうに愛猫を可愛がるエイミを見ながら、イサベルが呟いた。

「お兄ちゃんは今、付き合っているお嬢さんもいないみたいだし。エイミのほうが先に結婚するかもね」

「えっ」

「あら、違うかしら?」

「だって、私はただの『候補』で、なんとなく残ってるだけで、」

 突然矛先を向けられたエイミは、うろたえながらも頬を染めた。そんな娘に、イサベルはこくりと首を傾げて尋ねる。

「もしかして、今も『乙女ゲーム』が心配?」

「……ううん、前ほどでは。でも、なんていうか、モヤっとした感じはある。だってジャハル王子もだったし。ああ、やっぱりって」

 ティガーの長い毛に指を埋めながら、エイミは考え考え答える。

 前世と乙女ゲームの画面を思い出してからの、今までの生活、魔術の練習。

 日々を精いっぱい過ごし、実体験を積むことによって「ここがゲームの世界で、自分達はただの作られたキャラクターに過ぎないのではないか」といった疑念は、表立っては感じなくなった。

 それでもやはり、心配は残る。

 ゲームの登場人物にそっくりな人物が複数いるなんて、偶然ではありえない確率だ。無関係と言い切れるだけの根拠もない。

 ――ウォーラムで見たあの子が「ヒロイン」だと、決まったわけじゃないけれど……

 近い将来、「ヒロイン」が現れゲームの強制力が働き始めるのでは、という恐れは砂のように心の底に溜まり続けている。

 そして、沈めた不安を揺り動かすのが、皮肉にもエドワードやアレクサンダーといった「攻略対象者」達。

 彼らの容姿は年々、記憶の中のオープニングスチルそっくりになっていき、今ではまったく同じといって差し支えない。現実の彼らを受け入れようと親しくすればするほど、あのゲーム画面を思い出す――そういった相反する存在だった。

「そうね、そういう意味では難しいわね」

「ただ、ここが今の私にとっての現実だっていうことは、ちゃんと分かっているよ」

 転生者である家族も、攻略対象者と思しき彼らも。それぞれが自分の意思を持って考え、行動し、生きている。

 だから――エイミは膝の上に乗っていたティガーの前足の付け根に手を入れて、うんしょ、と持ち上げた。

 こちらを向かせて自分の肩に前足を置かせて抱っこすると、嬉しそうに甘える声がすぐ耳元で響く。ふわんとした温もりが頬に当たれば、どうしたって笑顔になる。

 エイミが無条件で信じられる一番身近な現実は、このティガーだ。

 ここが誰かが作った創作物の中だと信じることは、ティガーを否定することに他ならない。

「だからね、もしヒロインが現れてゲームの強制力が働きそうになったら」

「なったら?」

「ティガーと一緒に、どこかに行く!」

「……全力で逃走するのね。あなたって子は、前向きなのだか後ろ向きなのだか」

 ゲームを構成するピースが欠ければ、多少なりとも未来は変わるだろう。

 特に、「悪役令嬢」であるだろうエイミが不在であれば、ヒロインを虐めるどころか関わることも不可能だ。

 何度も考えて、これが一家離散にならず、誰も傷つかずにゲーム期間が終了する唯一の道にエイミには思えた。

 ――そうしたら、きっとエド様とは……もう、会えないだろうけれど。

 くすぶった胸がキリ、と痛む。

 なぜか出そうになった涙を誤魔化すようにティガーを膝に下ろすと、胸元でペンダントが揺れた。

「まあ、そうねえ。仮定の未来に怖気づいて縮こまるよりずっといいんじゃない?」

「だよね。……頑張る」

「ふふ、ほどほどにね」

 無意識にペンダントを握りしめるエイミに、イサベルは微笑んで見せたのだった。






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