11 トモダチ申請

 黒馬のウェントゥスに跨るエドワードと、並んでぽくぽくと歩く二人乗りの鹿毛の馬。明るい茶色のこの馬はフェンテという名の女の子だ。気性が穏やかで、最近はフローレンス王女の乗馬練習にも使われていると聞いてエイミが恐縮したのはついさっき。

 自分の重くなった体重が心配でマーヴィンに耳打ちをすると、全く平気だと微笑まれた。お嬢様なんて子猫を乗せているようなものですよ、との言葉には頷けないが幾分心軽く、それでも重くてごめん! と内心謝りながらエイミは馬上の人となったのだった。

 厩舎で待つという母達に手を振って、馬場から出て散歩コースを行く。整備された道の周囲には自然たっぷりな風景が広がり、鞍の上からの高い目線も相まって非常に気分が好い。

 金色の瞳を輝かせて案内されるあれこれに素直に驚き頷き、時折愛しそうにフェンテの背を撫でるエイミに、隣を行く王子も背後で手綱を握る厩舎長も自然と口角が上がった。

 エドワードとの間に当たり障りのない話題が続いて、道程の半分くらいまで来た頃。すっかり気を抜いた穏やかな一時をぶった切ったのは、彼がごく自然に口にした言葉だった。

「……婚約者候補の話ですが」

「っ!」

「ミス・エイミは、多分、そういった話自体がまだ早いと思っているのでは、と」

 避けたかった話題を急に振られて心臓がばくばくと音を立てる。フェンテに伝わったら暴れ出してしまいそうなくらいだったが、幸いなことに後ろで手綱を握るマーヴィンは二人の会話などまるで聞こえていないように動じない。

 そして、続けられたエドワードの言葉からは、婚約をどうこうしようという感じは受けない。少しだけ息が楽になったエイミは、慌てて何度も肯首した。

「そう、そうなんです……それに、今はティガーのことで頭がいっぱいで」

 本当の理由乙女ゲームは言えないが、実際に、今のエイミの心の大部分を占めているのはティガーだ。そして年齢的に早いと思っているのも確か。エイミの実年齢の十歳なんて前世でいったら小学生だし、思い出した記憶年齢に合わせても、まだ高校生。この世界での常識は理解しているが、やっぱり早いと思う。

 顔を見られなくなって下を向いて小さく答えるエイミには、その時エドワードがどんな表情をしていたのかは分からない。けれども、声だけはそれまでと変わらない――怒っても、失望しても、喜んでもいない――ことに幾分ほっとした。

「そうだと思いました。けれども、あの茶会で話していて楽しかったのは貴女だけなのです」

「ぇ、」

「ほかのご令嬢は、動物にはあまり興味がないようで」

「あぁ、そういう……」

 今度こそエイミはほうっと息を吐いて顔を上げた。あからさまに安堵の様子を見せたエイミに、背後のマーヴィンはそっと苦笑いをこぼす。

「なので、まずは友達になってもらえませんか?」

「ともだち?」

「はい。来年には私も学園に入学しますが、残念なことに近しい友人はアレクだけです。ミス・エイミとなら動物のことだけでなく、ハロルド殿から聞いてそういった話もできるのではないかと思うのですが」

 ――ゲームの不安を完璧に排除するなら、交流や接点など一つも持たない方がいい。それはエイミだって分かっている。

 分かってはいるけれど……。

「あの、お茶会では本当に誰も?」

「猫や犬を飼っていても、餌や世話の話題は退屈なようですね」

 眉を下げた笑顔で断言されて、エイミはぐっと口を噤んでしまう。

 エドワードは動物が好きだ。それは今までの会話からも、ウェントゥスへの態度からもよく分かる。そして、兄のセリフじゃないが、好きなものの話は楽しい。

 なのに、彼はそれを話す相手がいないと言うのだ。

 アレクサンダーは王子の友人だが、彼はそこまで動物に興味はなく、エイミとも猫の話はあまりしない。令嬢達だって、求められたらいくらでも話題にするだろうけれど、強制されて勉強した話などお互い楽しいだろうか。

 そう思うと、エイミはこの申し出を即座に断ることができなかった。

「……私などでは」

「ほかの誰にも頼めません」

 戸惑いを遮る速さで却下する王子の声にからかいの色は無く、本心からのようで――動物の話や、お兄ちゃんから聞いた学園の話をするだけ。それだけなら……大丈夫、かなあ。

 飼育員に任せっぱなしにせず、自ら馬の世話もする王子との会話は興味深い。態度も口調も柔らかいので怖く感じることもない……また目線を下げると、ぽちゃぽちゃした自分の手が目に入った。

 婚約者ではなく「ただの話し相手」なら、太っていようが痩せていようが関係ない。だからこその申し出だろう。来年、学園に入れば友達だってすぐにできるはず。ちゃんとした婚約者だって、その頃には決まっているに違いない。きっとそれまでの期間限定だ。

 そう考えると、胸のあたりがなんだか妙に落ち着かない。不安と不満をまぜこぜにしたような心地は今までに覚えがない。黙り込んでしまったエイミを、王子は急かさずに待っている。

 軽快な蹄の音だけがしばらく流れ、やっぱり断ろうと開いた口から出たのは反対の言葉だった。

「あの、お友達は……はい」

「そうですか! ありがとうございます。友達ですから、これからは名前でお呼びしても?」

「えっ、あ、は、はい」

 ――え、あれ、自分、何言ったっ!? ちょ、今のナシでっ!

 面食らっているうちに、何度かエイミの名前を小声で転がしたエドワードは嬉しそうな笑顔を向ける。

 本当に、嬉しそうで困ってしまう。

「じゃあ、エイミ。次の分かれ道は左に。そうすると小川があるから」

「っは、はいっ」

「エイミも普通に話してくれると嬉しいな」

 早速、口調も「友達用」!? 切り替え早いな、この王子様っ! 

 それでも初めて見る屈託のない王子の笑みに、エイミは取り消しの言葉も否定の言葉もやっぱり言えなくなってしまうのだった。


 王子とエイミの共通の話題といえば、猫のティガーを始めとする動物全般。公爵家のアレクサンダー、そして兄から聞きかじった学園の様子。

「お友達」を了承してしまったことはエイミにとって想定外だが、決してそれ以上に進むことのない会話は計算も警戒も必要とせず、心安い。

 改めて考えれば、申し出を拒否してしこりを残すのも心配だ。ほどほどにお付き合いをして王子が忙しくなった頃に自然とフェイドアウトできれば、綺麗な思い出を残して無関係になれるだろう。

 そんな相手になら、もし万が一将来何かトラブルが起きても極端に酷い仕打ちはしないのではないか……長くない時間のうちに、エイミはそう思い直していた。

 素直に「友達」に心を向けてくれるらしいエドワードに対して、こんな打算だらけの考えを持ってしまう自分に後ろめたさを感じる。とはいえ、どうしてもあのゲームの画面と、悪役令嬢の小説が頭から消えてくれないのだ。

 何気ない会話の途中でそういえば、とエドワードがエイミに問いかける。

「ティガーのほかに、別の猫も飼う予定はあるの?」

「いいえ……あ、ううん。まだティガーと暮らし始めたばかりです……だし。いつかは、とは思うけど」

 なかなか敬語は抜けきらない。っぽくない話し方になるたびに、エドワードが毎回律義にちょっと悲しそうにするものだから、エイミは大急ぎで矯正をしている最中だ。

 動物は、猫は、好きだ。だから大事にしたい。ティガーと出会ったようにして自然と増えるのなら歓迎だが、コレクションをしたいのではない。

 今日も留守番をしている愛猫を思い出してしまい、エイミはちょっと遠くを見る。母や父には慣れたが、家の使用人達にはまだ人見知りをする甘えっ子のティガー……帰宅したら、たくさん撫でてあげよう。

「今は、ティガーといっぱい一緒にいたいから」

「そういうの、分かる。エイミは本当にティガーが好きなんだね」

 動物好き同士、通じるものがあったらしい。肯定されて嬉しくなったエイミは、ぱあっと無邪気な笑顔をエドワードに向けた。初対面のお茶会の時から初めてといっていいほどの満面の笑みを、直接本人に。

「はい、っあ、ふふ、また言っちゃった。うん、大好き!」

「……っ!」

 公爵家にはほかにもたくさん猫がいて、みんなそれぞれ可愛かった。比べることなどできないのに、どうしてティガーにこんなに心惹かれたのか、エイミ本人にも分からない。離れていても思い出すだけで胸が温かくなるし、頬が緩む。

 まるで恋しているみたいね、と母からは言われている。相手は猫だが。

「最初っから特別で……すごく好き」

「そ、そうなんだ」

「エド様? 顔が赤いけど、暑い?」

「いやっ、だ、大丈夫! ちょっと、びっくりしたというか心臓に悪いというか……」

 後のほうはよく聞こえなかった。大丈夫と言われたが、木陰の側を進むエイミと歩く場所を換わったほうがいいかもしれない。そう進言したが再度平気だと言われるし、マーヴィンは楽し気に笑うばかり。

「いやはや、お嬢様は可愛らしいですねえ」

「可愛いのはフェンテよ。ほら見て、このまつ毛。とっても美人さん!」

「はは、殿下、これは参りましたな」

「マーヴィン……」

 なんとも言えない表情で視線を前に戻したエドワードは、耳の先に赤みが残るものの、少しは落ち着いたようだ。ならば言う通り大丈夫なのだろう。

 褒められたことが分かったのか、フェンテの足取りはさらに軽い。たてがみを三つ編みにしたら怒られるだろうなあ、と思いつつエイミが滑らかな首元を撫でていると、マーヴィンが突然手綱を引いた。

 静かに、だが急に止まったフェンテの足を不思議に思ってエイミが振り返って見上げれば、マーヴィンは打って変わって真剣な表情をして散歩道の奥の林を注視している。

 ただ事ではなさそうなその様子に、すぐにエドワードも気付いた。

「どうかした?」

「殿下、あちらから何か」

 しぃ、と人差し指を唇の前に出すマーヴィンにつられて耳を澄ます。すると、葉擦れの音と一緒に風に乗って、弱々しくも甲高い鳴き声がかすかに聞こえた。






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