9 お茶会の裏側

 婚約者候補の令嬢達との顔合わせの日は、朝から青空が広がっていた。

 王宮の奥の庭園を利用しての茶会なので、荒天の場合はスケジュールの再調整が必要となる。取りまとめをする事務官を始め警備担当の騎士や侍女、それに会場の準備をする者達の負担を考えると仕事とはいえ延期や中止は手間だろう。

 てるてる坊主なるものをこっそりと逆さまに吊るしていた令嬢が約一名いたことなど知るよしもないエドワードは、侍女が引いたカーテンの向こうの明るさに安堵の息を吐いた。

 当事者である第三王子の頭にはそんな思いばかりで、肝心の未来の配偶者については今もうっすらとしか関心がない。十五歳の成人の誕生日を迎えた後に増えるであろう公務の先取りであり一環。そういうふうにしか考えていなかった。


「エドワード殿下。ほら、こちらにお出でなさいまし」

「いいよ、降りれば会えるから」

「そう言わず、さあ」

 候補者達はほぼ全員到着した頃合い。奥の中庭を見下ろす位置にある二階の部屋に控えていたエドワードは、子どもの頃からの自分付きの侍女に窓辺に寄るよう招かれた。

「皆様、華やかでございますね。フローレンス様も数年もすればあのように……」

「ハンナ、あまり近寄ると危ないよ」

 窓は大きく、手すりも安全のためというより装飾目的のごく華奢なものだ。それに、角度的に下からは気付かれないだろうが、見られているのが分かればいい気分はしないだろう。

 とはいえ、普段は奥向きの仕事で、しかも応対する相手は大人ばかり。末っ子王女にも心を配っている古参の侍女頭が、年齢の近い貴族の令嬢達に興味を持つのは当然といえば当然だった。

 再三招かれて苦笑いしながらエドワードが近寄ると、薄く開いた窓からは風に乗って人々の上品なざわめきも聞こえてくる。

「あちらのカナリアイエローのドレスなど、お似合いになると思いません?」

「フローなら向こうの薄桃色のほうが好きそうだけど」

「たしかに、今ならそう仰いますでしょうね」

 うんうん、と頷いてハンナは目尻のシワを深くする。

 先週会ったばかりの妹姫は、ヘッドドレスから靴までも全てピンク色で揃えていた。そういうのが好きな時期があるのだと聞いてはいたが、片時も離さないウサギのぬいぐるみまで同じピンク色だったのには、さすがに驚いたエドワードだった。

「あちらにいらっしゃるのはサンドール侯爵夫人とジュディスお嬢様。デビューもお済みですと、すっかり女性らしくていらっしゃいますね、殿下より三歳上におなりです。その向こうのカメリアのついたお帽子がレヴィト伯爵家のクリスティーナお嬢様で……」

「身上書なら読んだよ」

「殿下。ご自分の奥様になられるかもしれない方なのですから」

 この控室にまで持ち込まれた絵姿等書類一式には、既に目を通してある。テーブルの上に山と積まれた紙の束を指先で示すエドワードに、ハンナは小さく息を吐いた。

 世話役を兼ねたハンナの、もう少しくらい興味を持て、という気遣いはよく分かる。でも、とエドワードは内心で独りごちた。

 ――みんな、同じに見える。

 庭園に集う令嬢達は、文官達が選んだだけあって「整っている」……容姿も、身分も、礼儀作法も。きっと、考え方も。年齢や髪や目の色の違いはあれど、王子妃に求められる資質をクリアした、いわゆる完成品だ。

 この後庭に降りて直接交流しても、自分に向ける表情も会話も全て似通っているのだろうことは容易に想像がつく。直接会えば違うと言われたが、それは疑わしい。だって、色のほかは何も違ってこの目に映らないのだから。

「まあ……それは私もだろうな」

「王子妃」を求められて集まった令嬢達の目に、自分は「第三王子」としてだけ映るのだろう。実際、庭園は華やかに賑わっているが、誰もが水面下で何かを駆け引きしている。そんな雰囲気がありありと感じられた。

 ――本当は、こんな茶会よりも遠駆けに行きたい。このまま厩舎に向かい愛馬に跨り、この晴れた空の下を駆けたほうがよっぽど気分もいいだろうに。

 そんな本心をエドワードは長年仕えている侍女にも見せなかった。

「殿下、失礼。何とおっしゃいました?」

「うん、そろそろかなって」

「そうですね。確認しますので少々お待ちを」

 ハンナは懐中時計の形をした通信用の魔道具をポケットから取り出すと、階下の警備達と連絡を取る。漏れ聞こえる会話から、まだ全員が揃っていないと窺えた。

 エドワードの視線は既に窓の下から魔道具に移っており、侍女頭が通信を切るのを待って口を開く。

「その魔道具を作ったのは、ノースランド伯爵だったよね」

 最近の目新しい魔道具は、伯爵の斬新で奇抜なアイディアから生まれることが多い。ノースランド伯爵はその発想力と堅実な実力で魔術院での地位を築いており、機会があれば話を聞いてみたいとエドワードが思っている人物だった。

「ええ、お陰様で仕事が捗ります。それこそ、そのノースランド伯爵のお嬢様がまだ……あ、ちょうど今、お越しになっ……っ? まあ!」

 窓枠の横に手をかけたハンナが、珍しく驚きの声を上げる。

「どうしたの?」

「あの、聞いていた話と随分、っい、いえ」

 普段から部下の侍女達に対しても声を荒らげることなく指導しているハンナだ。とっさのアクシデントにも強いはずの彼女が、何をそんなに驚いたのか。

 おかしい、先に渡された絵姿は違う、そう慌てて書類の積まれたテーブルに駆け寄るハンナを尻目に、エドワードは去りかけていた窓辺に戻った。

 そっと庭園を見下ろすと、今しがた到着した様子の母娘の……令嬢の姿が目に入る。

 柔らかなアイボリーのレースをふんだんに使ったドレス。黒髪に映えるヘッドドレスもお揃いで、ちょこんとついた黄バラのほかにアクセサリーらしきものは見当たらない。

 閉じたパラソルを侍女に預け案内を待つその令嬢は、明らかに――ぷくぷくしていた。二階から見て分かるほど、ほかの令嬢達とは一線を画した体型だった。

「え……」

 ノースランド伯爵家令嬢。彼女は文官達のイチオシだった。

 直接そうは言われないが、身上書も一番上に置かれたし、まだ早いと渋るノースランド伯爵をどうにか説き伏せたと意気揚々とされた報告で、エドワードはそう理解していた。

 魔術院の高官である伯爵は政治的には中立であるし、祖父の辺境伯も孫を可愛がっていると聞く。本人の魔法素養も高いと評判で、兄は冒険者としての腕もある……しがらみが少なく、メリットが大きい。これ以上ない相手なのは確かだ。

 絵姿のエイミ・ノースランド伯爵令嬢は冷たさすら感じられる整った容姿で、小柄で細身だったはず。それがどうだろう。

「な、なにか、あったのかしら。まるで子豚ちゃ……んんっ、いえ、あー、ご病気? とか」

「ここから見える限りでは顔色はいいよ。どこか怪我をしているわけでもなさそうだ」

 おろおろと手に持った絵姿と窓の下を見比べるハンナに、病気で痩せるならともかく逆はどうだろう、とエドワードは首をかしげる。

 案内の侍女と警備の騎士とに挟まれて、ゆっくりと会場の奥――つまりは、エドワードが今いる建物こちらのほう――へと進む足取りは軽い。周囲の視線を一身に集めているが、母親とともにそつなく挨拶を返していて気後れすることもないようだ。

 テーブルに着くと、各種スイーツが載った大きなプレートを見せられて嬉しそうに悩み始める。噴水や花を眺め、時折、母親と顔を寄せて何か話しては楽しそうに微笑んで……本当にただ、景色の良いティールームに遊びに来ただけような様子の二人は、明らかに周囲から浮いていた。

 そのあまりに気取らない雰囲気につられたのか、母娘についた侍女や騎士達の表情も柔らかい。

 ハンナが小さくこぼした言葉に、エドワードの独り言が重なる。

「イサベルってば、何を……」

「……違う人がいた」

 常に周りから「第三王子」がどう見られるかを第一に考えて、その通りに生きてきた自分とは全く違う。令嬢はこうあるべき、という姿から離れ、それでも自然体で笑みを浮かべているエイミの有り様が、エドワードの目には強烈に眩しく見えた。

 誰もが同じに見える中、ただ一人。

 ――色々と規格外だよ、ミス・エイミ・ノースランドは。

 幼馴染の言葉が頭の中に響いた。

「殿下?」

「……話をしてみたいな。彼女と」

 窓の向こうに置いた視線を外さないまま小さく呟いた王子の表情を見たハンナは、動揺を鎮めるとそっと部屋の奥へ下がる。手の中の魔道具をもう一度起動させ、庭園にいる警備責任者の騎士に小声で繋いだ。

「……ノースランド伯爵令嬢のテーブルについているのはアリッサと……? そう、ダリオスね。いいえ、そのままお世話差し上げるように。後で話を聞きます」

 窓から入ってくる、王妃が来られなくなったとの説明に大仰に反応する招待客の声は、エドワードには一つも聞こえていなかった。






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