第17話 秋の想いとミートパイ。

 静かで人口の少ないアヴルは、新しく町に入ってくる人間の情報が広がるのも早い。工事の為に何人入ってきた、荷を運ぶのに何人入って出て行った、旅人が来た、そう言った情報がイヴァーノの診察を受ける患者から、雑談という形でもたらされる。


 患者たちは雑談のネタ程度にしか思っていないのだろうけれど、聞いているこちらとしては、そこまで詳細に見ているのかと、内心びくびくする程だ。

 識字率の低いこの国には娯楽が少ない。新しく入ってくる人間を詳細に観察し、人に話すことが娯楽の一つとなっているのだろう。


 ルカは何度も訪れているからか、特に話題に上らない。イヴァーノの友達として認識されている。私は最初はルカの子供と思われていて、今は妻だと思われているらしい。私としては否定したいけれど、下手に説明して誤解を受けるのも面倒だとルカが言うので黙って聞いている。


 私たちは、しばらく自分の家で滞在してはどうかとイヴァーノに提案されて、お世話になっている。お金は要らないというので、私は訪れる患者にお茶を出したり、包帯や手術着の洗濯、器具の洗浄、食事の支度をしている。ルカは出かけていくことが多い。


 あの白金髪の男は追跡者だったらしい。私を連れ去って、ルカを王都に呼び戻そうとしていたと聞いて、私は背筋が寒くなった。惚れ薬が効かなくて良かったと思う。


 洗った包帯を裏庭で干していると、瓶が入った籠を抱えたイヴァーノが現れた。

「それも洗いましょうか?」 

「ありがとうございます。これは洗いましたので、日光に干すだけです」

 イヴァーノが微笑む。これは非常に強い薬が入っていた瓶なので、洗っては乾燥させるという作業を三度繰り返すらしい。


「強すぎる薬は毒にもなりますからね。たとえ薄めたとしても危ないのですよ」

 透明な瓶には何にも残っていないと思うけれど、あと一回洗うとイヴァーノは笑う。

 飲んだ後に半日はキスが禁止になる程の強い飲み薬や、塗った後に二日間は隔離される塗り薬もあると言う。


「瓶に名札はつけていますが、やはりわかっている者が作業しないと事故に繋がりますからね」

 感染性のある場合は、包帯や手術着は焼いてしまう。病気によっては、高価な器具も使い捨てることも多い。替わりが用意できない器具は何度も洗い、浄化の魔法を掛けてから使う。イヴァーノが几帳面に引き出しにもラベルを付けて片付けているのは意味があってのことだ。


 イヴァーノも少し魔力を持っていて風と水の属性で、浄化の魔法しか習得していないと笑う。この国の人は魔力を持つ人が大多数で神力を持つ人は少ない。


 薬は王都から仕入れることが多いけれど、自分でも作るらしい。今日は裏庭で凄まじい匂いの薬草を刻んで煮込んでいる。

「凄い匂いですね」

 大鍋に入った焦げ茶色の液体を混ぜるのを手伝いながらも、鼻が曲がりそうだ。マスク替わりの布を鼻と口に巻いても気休めにもならない。


「もう少し煮込むと匂いも和らぎますよ」

 これは民間薬だとイヴァーノは笑う。本当は、あまり効かない薬だけれど、この匂いだけで治ったと思う人が多いらしい。成程、この世界にもプラシーボ効果というものが活用されているのか。


 煮詰めて煮詰めて、最終的には溶けた飴のようになった。漏斗のような器具に薬を入れて、油が入った瓶の上にセットする。漏斗の先を塞いでいた金具を取り去ると、ぽたりぽたりと薬が1滴ずつ油の中に落ちて丸く固まる。


「へー。丸くなるんだー」

 油の瓶の底に、どんどん焦げ茶色の丸薬が溜まっていく。半分程溜まると、丸薬を網ですくって、ざるに広げて乾かす。一度油に浸かったからか、酷い匂いはほぼ消えた。乾くと油が消えていく。


「時間が経つと表についた油を吸って、べたつきはなくなります」

 つやつやとしていた丸薬は、マットな表面に変化した。乾いた薬は梅酒を漬けるくらいの大きなガラス瓶にいっぱい。


 出来上がった丸薬を一粒、手のひらに載せてみて気が付いた。そうだ。元の世界にも似た薬があった。昔からある薬で、祖父や祖母には万能薬と思われていたっけ。懐かしさに頬が緩む。


 こうして元の世界を懐かしいと思うことはあっても帰りたいとは思わない。エーミルが私の思いを全て聞いてくれて、ルカがこの異世界の素晴らしさを見せてくれているからだ。


 エーミルも好き。ルカも好き。不誠実だと思っても、私の想いはどうしても変わらなかった。だからこの想いはルカに告げることは出来ない。私の心の中にしまい込んで鍵を掛けておきたい。 


     ■


 外は雨だというのに、ルカとイヴァーノは朝から出掛けて行った。昼には帰ってくるというので、何か間食を作ろうと私は厨房に立つ。


「私も自分用のミートパイ作ろうかな」

 ふと口から出た呟きに、いい考えだと思った。魔物の肉は猛毒だってわかっていても、美味しそうだと思っていた。普通の肉で作れば一緒のメニューを食べられる。


 とはいえ、は丸い物しか持っていない。厨房を探すと四角い型が見つかった。おそらくは、この国でよく食べられている、肉や内臓を刻んでハーブと一緒に固めたテリーヌもどきに使われる型だろう。


「あれ、不味いのよねー」

 見た目は美味しそうなのに、食べた瞬間に口の中に強烈な塩味と内臓の生臭さが広がる。遅れてハーブの風味が鼻に抜けるという凄まじい代物だ。一度口にして以降は食べていない。結構手間のかかりそうな料理だけれどイヴァーノは自分で作っているのだろうか。……作ってそうな雰囲気あるある。急病以外の診療日は決まっているから、休みの日に凝った料理を作っていても不思議じゃない。


 魔物の肉専用の鍋と普通の鍋に材料を入れて火にかける。最初、私は全然気にしていなかったけれど、ルカが気にして、使った鍋や調理用具の代金を支払って処分するようにと指示していた。それからは小さめの鍋と調理ナイフ、調理板、型を荷物に入れて持ち歩いている。


 綺麗に洗って浄化の術を掛けていたからそんなに神経質になることないと思っていたけれど、イヴァーノが言っていた強い薬の空き瓶の扱い方を考えると、気にするのが普通なのかもしれない。


 普通のパイの肉は牛肉に似た肉を選んだ。猪肉でもいいかなと思ったけれど、かなり固い肉だから、煮込みに時間がかかりそうなのでパス。


 火を通してしまうと魔物の肉と見た目は変わらない。これでは料理に混ぜられてもわからないだろう。味見は普通の肉の方で調整する。

 四角い型には普通の肉。丸い型には魔物の肉。繰り返し作ってきたミートパイは、今日も上手くやけた。美味しそうな匂いが厨房に充満する。


「一切れいいかなー」

 焼きたてのパイの誘惑に負けて、四角い型のパイを切り分けて、端っこを口にする。

「美味しい! 何これ」

 肉がほろりと口の中で解ける。トマトの酸味と刻んだ玉ねぎの甘さが絡んで美味しい。

「こ、これは止められないのがわかるわ……」

 味見のはずが、三切れも食べてしまって反省する。魔女のレシピは優秀で、レシピ通りに作れば誰が作ってもきっと美味しい。


 型から外して皿に盛って、またパイを焼く。丸と四角、二ホールずつ出来上がった。余ったパイ皮は平たく伸ばして、薄切りにしたソーセージ、チーズとハーブを載せて焼く。きっと二人はお酒を買って帰ってくるから、おつまみに。


 他の料理も作って食卓に並べていると、二人が帰ってきた。イヴァーノが手を洗っているのに、ルカはそのまま食卓に近づいてきた。

「ただいま。お。ミートパイか」

「ちょ! 手を洗ってからよ!」

 私の注意と同時に、ルカは素早く丸い形のミートパイを一切れ摘まんでかじりつく。


「ん?」

 ルカが首を傾げた。

「どしたの?」

 もしかして、何か間違っただろうか。いつもルカに味見をしてもらっていたから、油断していたかもしれない。


「美味いが肉の味が違うぞ? どこで手に入れた?」

 ルカがミートパイを食べきって言った。いつもと同じ、狼に似た魔物の干し肉で作ったと言えば、ルカがまた一切れを摘まんで口にする。


「それって、つまみ食いの口実なんじゃないの?」

「いや。やっぱり、いつもと違うんだが。でも、美味いな」

 手を洗っていないのは気になるけれど、ルカの笑顔は嬉しい。


「もう! 手を洗ってからにして!」

 私は丸いミートパイをテーブルから取り上げた。あっと言う間に半分が消えている。ぶつぶつと文句を言いながら手を洗ったルカが、テーブルにあった四角いパイを摘まんでかじる。


「お。こっちはいつもの味だな」

 ルカの言葉に、私の血の気が引いて行く。魔物の肉は丸い型で焼いたパイのはずだ。


「え? 嘘。……さっき、四角い方、味見で食べちゃった」

 私の言葉で、ルカの顔が真っ青になった。

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