第15話 酒とカードと酔っ払い。

 アズサが酒場に行きたいというので、連れて行った。昼間に行った情報屋がいる酒場とは違う場所だが、俺の連れだと周囲の奴らに念を押す為にも都合がいい。

 ……と思った俺が馬鹿だった。


「おい、飲みすぎだろ」

 カウンターに並んで座るアズサに、俺は囁く。

「うるさいわね。好きなだけおごってやるって言ったでしょ? 男に二言は許さないわ!」

 最初は麦酒を数杯飲み干し、次はワインを飲み比べ。今は甘い果実酒を種類を変えて飲んでいる。


 この酒場は比較的紳士的な者たちが集う場所だ。店主が立つカウンター席と、広いホールにはテーブル席が並ぶ。カードで賭けをする者、ゲームを楽しむ者、人生相談を受ける者、ただ静かに飲んでいる者、それぞれが個々に楽しんでいる。


「本当、美味しいわー。何なの、ご飯は最悪なのに、お酒は最高ね!」

 頬を赤くしたアズサが何故か美味そうに見えて仕方がない。頬を舐めたい衝動を抑えながら、さりげなく隣に座るアズサの腰に腕を回す。

「何?」

「椅子から落ちそうだ」

 俺は無理矢理に理由を作った。アズサはふむふむと頷きながら、納得したようだ。


「了解! ルカは椅子!」

「は?」

 上機嫌で笑うアズサが、俺の膝の上に座った。周囲の奴らがおおっと目を丸くして笑い出す。マズイ。ここは酒場女がいない固い場所だ。


「おい、降りろ。ここはそういう場所じゃない」

 俺が焦ってアズサに言うと、周囲の奴らは増々笑う。

「椅子は黙って! おかわり!」

 アズサが酒を飲み干して、カップを掲げる。

「ぶふっ! ルカが椅子! いーひひひひっ!」

「おい、椅子は黙れってよ!」

 腹を抱えて笑っている奴までいる。カウンター内に立つ強面の店主まで口元を震わせている。


 これまで全く意識していなかったが、アズサの甲冑服は薄い。ライモンドの技術で作られているのだから防御力に問題は無いはずだが、膝の上に座られると柔らかな感触が腿に伝わってくる。片腕をアズサの腰に回し、静かに酒を飲むふりをするが、内心落ち着かない。


「美味しいー! 最っ高ー!」

 飲みっぷりの良いアズサに酒をおごる者まで出てきた。強すぎる酒は取り上げて替わりに飲み干す。俺はいくら飲んでも酔うことはないが、アズサはさらに陽気になっていく。

「お、おい。そのくらいで……」

「あー。椅子が何か言ってるー! 聞こえなーい!」

 両手で耳を塞ぐアズサの呑気な声に、周囲がまた笑い転げる。俺は天を仰ぐしかない。


「うー。お手洗いー」

 ゆらりと立ち上がったアズサを前にぶら下げるように抱えて、手洗いの個室へと放り込んで鍵を掛ける。酒場には手洗いの個室が複数ある。酔って暴れる者を隔離する目的で、内からも外からも鍵を掛けることができるようになっている。


 俺はのぼせた頭と体を落ち着かせる為に、隣の個室へ入った。

「あれー? 開かないー」

 隣から、扉をがちゃがちゃと揺らす音とアズサの声が聞こえる。……最悪だ。そう自嘲しながら、ベルトの金具を外す。


 アズサに欲情してしまうのは、今日に限ったことじゃない。それでも周囲の目がある中という状況は初めてで、自己処理する方法しか思いつかなかった。


 知識としてはあるが女を抱いた経験はない。アズサに会うまでは魔物を狩って生き延びることに精一杯で、精神的にも体力的にも余裕はなかった。


 自己処理後に残るのは虚しさと馬鹿馬鹿しさだけ。無防備な寝顔を見る度、歯を食いしばって耐える無様さにもやっと慣れてきたのに。自制できない欲望の深さを嘲笑う。


 勘のいいアズサに気付かれることのないよう念入りに後始末を済ませ、スッキリとした気分で手を洗って隣の個室を見ると鍵が外れていた。

「おい? アズサ?」

 思い切って手洗いの扉を開けるとアズサの姿はない。


 アズサはどこに? 焦った俺の背後で、歓声が起きた。


 ホールに戻ると、アズサがカウンターとは反対側にある、賭けのテーブルに座っていた。結構な量の銀貨がアズサの前に積まれていく。


 賭けに使われているのは、薔薇・星・剣・王冠の四種類がゼロから二十六までの二十七、百八枚で構成されるカードを使うゲームの一種だ。基本的に数字が大きいカードが勝ち、同じ数字を揃えることで強くなる。


「アズサ、何やってんだ?」

「あ、ルカ―。手は洗ったわよー」

 上機嫌のアズサとは、話が噛み合わない。賭けを見物している客から、アズサが物凄い速度で二連勝していると教えてもらった。


 またカードが配られた。百八枚のカードの内、参加者には四枚ずつが配られ、場に伏せて並べられたカードと順番に一枚ずつ交換することができる。

 テーブルに座る四人のうち、二人は二枚を交換、一人は三枚を替えた。アズサは四枚すべてを替えた。


「よし! 勝負!」

 二人は大したことのない組み合わせだったが、胴元と思われる緑の髪の男の組み合わせは非常に強いものだった。王冠の二十三、剣の二十四、星の二十五、薔薇の二十六。別の絵柄の組み合わせで同じ数字であれば引き分けだが、これより強い手は一つしか残されていない。


 アズサはまだカードを開示していない。

「ほら、嬢ちゃん、出せねーのか?」

 胴元の男が、嫌な笑みを見せた。

「んな訳ないでしょ! ばーかばーか!」

 アズサが舌を出して、カードを叩きつけるように開示した。


 薔薇・星・剣・王冠が全て〇。四枚のカードに、その場が凍り付いた。〇のカードは最弱だが、四枚揃うと最強に変わる。胴元の男よりも上位の、最上級の組み合わせだ。初めて見たと周囲の客たちが呟く。


「馬鹿な!」

「えー。だーって、このカード、裏に書いてあるじゃーん。ほらー、ここの模様が微妙に違うでしょ? で、こっちにある傷みたいなのが種類を示してるしー」

 酔ったアズサの呑気な指摘に、凍り付いていた空気が沸騰するような熱い空気に変化した。この男が通うようになってから、賭けで負け続けている男たちが多数いるらしい。


「どういうことだ?」

 胴元の男が他の客に詰め寄られていく。比較的紳士的な男たちが集う酒場ではあるが、皆、酒が入っている。


 一触即発の空気の中、俺はアズサを肩に抱えて逃げることを選択した。アズサを抱え上げた時、白金髪の男と目が合う。独特な髪色が記憶の端に引っかかるものがあるが、今は構っていられない。

「おい、嬢ちゃん! 金は?」

 諍いを楽しんで見ている他の客たちから、声が掛かった。


「イカサマなお金なんて、いっらなーい! ばいばーい!」

 手を振って笑うアズサを抱えて、俺は一目散に酒場から飛び出した。

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