第16話 馬上の人と緑の封蝋。
「アズサ、昨日のこと、覚えてるか?」
ベッドで目が覚めた私に向かって、隣で片手で頭を支えたルカが大きな溜息を吐いた。
「えーっと……」
うっすらと覚えている。お酒を飲んで、カードゲームに参加した。それだけだと言えば、ルカがさらに大きな溜息を吐く。
「アズサ、しばらく酒禁止な」
「ええっ!? それ酷い!」
この異世界のお酒があんなに美味しいと知った今、禁止されるのはツライ。
「お前、大勢の前でカードの細工をバラしたんだよ。下手すりゃ殺されてっぞ」
ルカがはぁあと大きな溜息を吐く。あー、何か気分がイイことした覚えがあるある。
「飯食って、この町から逃げる。いいな?」
ルカの宣言に、私は頷くしかなかった。
隣の食堂は、まだ営業前の仕込みの時間だった。
厨房の隅で魔女のレシピを見ながらバターとマヨネーズを作って、サンドイッチを作る。私が手を加えると、ルカには味がわかるようになるらしいと試してみてわかった。パンを切って、バターを塗るだけでもパンの味がすると喜んでいる。
「何が原因なのかなー」
呟いて自分の手を見るけど、何も変わっていない。ルカは今まで誰が作った物にも味は感じなかったと言っている。何が起きているのかさっぱりわからない。まぁ、自分一人だけじゃなく、ルカも同じメニューが食べられることは喜ばしいことだ。
食堂を出て町の外壁の近くまで歩いた所で、ルカが馬を借りると言って馬貸屋へと入った。馬貸屋は国中でネットワークを作っていて、どこの町で馬を返してもいいという便利なシステムが形成されている。
「あー、こいつもダメか」
問題は、ルカが乗ろうとすると馬が怯える。その場にいた十四頭全部がルカを拒否した。
「ルカって、悪いヤツじゃないのよ?」
近くにいた、黒毛の馬の顔を撫でる。ルカは、荷馬車にするかと溜息を吐いた。荷馬車なら馬に直接触れなくてもいいから怯えることは無い。
「馬車かー。いざという時に速度を出せないのが問題だな」
「いざという時って、何? 馬車なのに危険なの?」
「お前、盗賊に囲まれて危なくなった時、人を斬れるか?」
「……それは……」
魔物なら斬る自信はあっても、人を斬ることはできないと思う。
「だろ? 馬なら囲まれても逃げる方法はいくらでもある。……二人乗りにするか」
ルカが体を向けた先には、二人乗りの座席だけの屋根のない小さな馬車。人力車を思い出す。
私が撫でていた黒毛の馬が歩き出して、ルカの後頭部に頭突きをした。
「おわっ!? 何だよ?」
ルカが振り向くと、馬が顎をくいっと上げた。自分に乗れと言っているようだ。
「乗れってことか?」
ルカが確認すると、馬がいななく。会話しているようで面白い。
黒毛の馬はトビアという名前が付いていた。この世界の馬は大きくて背が高い。
「トビア、よろしくね」
挨拶をすると、頬に顔を寄せてきて可愛い。
旅行用の鞍を付け、荷物が入った鞄を下げる。重くないのか心配になったけれど、この世界の馬は大人五人を乗せても平気で歩くと聞いて、ちょっと安心した。
「ちょ! 早すぎない?」
ルカの前に乗せられて、町の門を出た途端にトビアが走り出した。
「あー、思いっきり走りたいようだな。好きなだけ走らせてやるか!」
私の抗議に口の端を上げただけの意地悪な笑顔を見せたルカは、さらに速度を上げる。初めて馬に乗った私は、色気のない悲鳴を上げるしかなかった。
かなりのスピードで走り続けて、途中休憩を挟んだものの、夜になる前にはターランドという町に到着した。王都に近いからか、石でできた大きな建物も多くてにぎやかだ。
トビアを馬貸屋に渡して、長期予約しようとすると、いっそ買い上げてはどうかと言われて買うことになった。滞在中は馬貸屋が世話をしてくれる。
「俺を乗せてくれる馬は貴重だからな」
魔物の肉を食べてから、ルカは馬に怖がられてしまうようになった。馬に乗るのが好きらしくて、八年ぶりに乗ったと笑う。
「アズサ、尻は痛くないか?」
「え? 何で? 全然大丈夫よ」
「マジか。俺が初めて乗った時は、尻が痛くて寝られなかったぞ」
ルカがにやにやと笑いながらおしりを撫でたので、回し蹴りを入れておく。全くもって、最近気軽に触り過ぎだ。
そう言われれば、かなりの振動だったのに痛くない。
「あ。この甲冑服の効果じゃないの?」
試しに手で叩いてみても痛くない。触られる感触はわかるのに、叩いたりする衝撃は伝わってこないという不思議なスカート。物凄く便利だと思うけど、もしも普通に頼んだら、いくらかかるのか考えると恐ろしい。
ルカが選んだ宿屋は、値段の割には良い感じの内装だった。ルカは八年の間で、様々な宿を試したと笑う。場末の怪しい宿屋は浴室がないのと、寝具を取り替えないから駄目。木のベッドだけで、マットレスや布団が一切ない宿も多いらしい。
「そういうのって、どうやって寝るの?」
「自分で持ち込む。俺の場合はマントを敷いて寝る」
聞けば聞く程、場末の宿屋は悲惨だ。虫やネズミの話は途中でルカの口を塞いでしまった。
宿屋の店主は気の良い人で、厨房を貸してくれた。素泊まりの客ばかりで、食事は外で済ませることが多く、いつでも使っていいと言ってくれたので安心して使わせてもらう。
「何作るんだ?」
「今日はここにある材料で出来る物を作るわ。明日買い物に行きましょ」
魔女のレシピを見ながら食材を確認してみると、米が無かった。野菜入りのオムレツとポテトサラダ、から揚げ、野菜スープ。パンには手作りバターを塗る。すべて魔女のレシピが無ければ、私一人では作ることができない料理ばかり。
部屋の狭いテーブルに料理が盛沢山。皿に溢れそうなくらいに盛ってしまったので、笑ってしまう。家の食卓も、とにかく量が優先だったと懐かしく思い出す。
「いっただきまーっす」
手を合わせて、食堂でもらったフォークを手に取る。
「ん? どしたの?」
ルカもフォークを手に取ったけれど、食べようとしない。
「食事の感謝の祈りなんて、忘れてたな」
この世界では、神力を持つ人は女神に祈り、魔力を持つ人は精霊に祈りを捧げる。ルカはそう言って、水と光の精霊に祈りを捧げた。そう言われれば、アルとベルもそれぞれ何かに祈っていた。――エーミルは私に合わせて、いただきますと言っていた。
「美味いな」
ルカの笑顔に鼓動が跳ねた。唐突過ぎて意味が分からない。作ったご飯が美味しいと言われるのが嬉しいのだと思う。どきどきしているのを隠しながら、普通だと答える。
「ちょ。私のポテトサラダは?」
ルカから視線を外して野菜スープを食べる間にポテトサラダが綺麗に消えていた。から揚げも危うい。久々に料理の奪い合いをして、笑いながら夕食を終えた。
浴室でシャワーを浴びて出ると、ルカが固い表情をしていた。
「アズサ、仮眠して夜明け前に出発するぞ」
「どしたの?」
テーブルの上には、上質な封筒と透かしの入った手紙が置いてある。緑色の封蝋が厳めしい。
「ベルの親父に捕捉された。誰かにつけられてる」
ルカが溜息を吐いた。
「何て言ってるの?」
「戻ってこい、とさ」
ルカが肩をすくめて天井を見上げる。
「戻るの?」
ふとした疑問に心細くなる。……ルカが貴族に戻ったら、私はどうしたらいいんだろう。
「俺は戻りたくない。なぁ、アズサ、一緒に逃げてくれるか?」
ルカがにやりと笑って、私の腕を引いて抱きしめる。
「何それ、駆け落ちみたいじゃない」
一緒にという言葉が、嬉しいけれど恥ずかしい。自分の気持ちがよくわからなくて混乱する。
「……駆け落ちでいいんじゃねーのか?」
キスが出来そうな程に間近なルカの笑顔に、顔が赤くなっていくのがわかる。私はルカに頭突きを食らわせてから、ベッドに逃げ込んだ。
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