第2話 刃の煌めきと元の世界の自分。

 目が覚めると、柔らかなベッドに寝かされていた。驚いて半身を起こすと隣には血赤色の髪の男が眠っている。慌ててベッドから出ようとして顔から落ちた。

「あいたたたたた」

 情けないことに手を付くことすらできなかった。あごが痛い。ふかふかとした敷物があったから助かったものの、部屋の床は石。直接落ちたら間違いなく怪我をしていただろう。


「何してんだ?」

 男の声に振り返ると、片手で頭を支えてこちらを見ながらにやにやと笑っている。男の上半身が裸なのを見て、慌てて自分の体を確認する。私は綿のキャミソールとドロワーズ姿で特に異常はない。

「ここは……」

 どこかと聞こうとして、気が付いた。花々の彫刻が施された飴色の重厚な家具。あちこちに高価な織物が使われた豪華な設えは、高額寄付をした信者が泊まる為の部屋。


「よく眠ってたから起こさなかった。ま、子供はよく寝るっていうからな!」

 掛け布を勢いよく蹴り上げて、男が起き上がった。一応ズボンを穿いていて、ほっとする。

「子供じゃないわよ。大人よ。お・と・な」

 私は悪い夢を見ていたのかもしれない。そう思える程、男の言動は明るい。ついつい、元の世界での言葉遣いで返してしまう。

「ほー。じゃ、お嬢ちゃん、幾つだ?」

「二十二歳よ。貴方は?」

 私の返答で、男の目が丸くなった。

「二十六歳。……成人してる? 嘘だろ? よくて十五じゃねーのか?」

「異世界人だもの。体格が違うから若く見えるんでしょ」

 肩をすくめると男が近づいてきて、私の体を確かめるように触り始めた。

「マジか。結構、胸あるな」

 男の言葉に一瞬で頭に血が上った私は、迷わず回し蹴りを決めた。


      ■


「あー、痛えぇぇぇぇ。……あー。俺はルカ。お前は?」

 私が服を着る間、床で悶絶していた男――ルカが復活した。

「六花見 梓。アズサでいい」

 この男の前で取り繕うのはやめた。久々に何も考えないで言葉が出せるのが清々しい。この異世界で御神刀の巫女と呼ばれるようになってから、常におしとやかな女を演じていた。


 ひざ下二十センチの白いワンピースは、あちこち汚れている。ほんの少し汚しただけで、エーミルが慌てた顔で着替えを用意してくれたことを思い出す。

 白の豪華なワンピースは、巫女の為に用意された装束。人前では白い修道女のようなベールを付けて黒髪を隠していたけれど、教団が消滅してしまった今は、もう必要ない。


「アズサ、魔法灯ランプを消してくれ」

「何するの?」

「外の様子を確かめる。光が漏れたらマズイからな」

 ルカの指示で魔法灯を消す。この異世界では、ろうそくや油ではなく、魔法石という魔力を帯びた石を電池替わりにした照明器具が普及している。

 カーテンの隙間から外を覗くと、もうすぐ夜明けだとわかった。空には赤と緑の月、白い三日月が輝く。

 礼拝堂の前の広場では、黒い獣の群れがあちこちで輪になって、何かを食べている。

「あれは……」

「餌を食ってる。礼拝堂の扉を開けておいたから、食い放題だな」

 にやりと笑うルカの顔を見ながら、餌というのは遺体だと理解した時、私の心から、すとんと感情が落ちたような気がした。

 深く考えてはいけない。考えたら、きっと私は動けなくなる。この感情の欠落は、私の心の防衛本能なのかもしれない。


「この建物の入り口には魔物避けの護符を貼ってある。扉や窓を開けない限りは入ってこないから安心しろ」

 ルカが乱暴に私の頭を撫でた。いつもの私なら、不快と感じて拒否する行為のはずなのに、何故か体が動かない。


 浴室で顔を洗って戻ると、ルカは身なりを整えていた。茶色の旅装マントも着用している。

「出て行くの?」

「いや。探し物。お前も来るか?」

 ルカの問いに迷う。……私の部屋にいるエーミルに会いたい。


 とりあえず一緒に出て、部屋の扉を閉めた途端、誰かに呼ばれているような気がして辺りを見回すと、ルカが訝しみながら問いかけてきた。

「どうした?」

「誰かが呼んでるの」

 声は聞こえない。それでも呼ばれているような気がする。


 私の足は、まるで操られているように神殿の奥深くに祀られている御神刀の前へと向かっていく。幾つもの扉が私を招き入れるように開く。

「これは……一体……? 何が呼んでるんだ?」

 隣りにいるのにルカの声は遠く、私の心は呼ぶ声へと惹かれながら体が動く。


 最後の扉が大きく開くと、石で出来た部屋の中央に御神刀が祀られた木の祭壇が現れた。

 御神刀の形状は日本刀と似ている。その刃は金属ではなく、金の光の粒を内包する透明な刃。鞘も柄も真っ白で鍔は金色。

 巫女として何度も儀式で抜刀した。御神刀は誰にも、教祖でさえ抜けなかったらしい。数十年の間、抜刀できた者は私以外に一人もいなかった。


「あれが御神刀か」

 ルカは存在を知っていたらしい。祭壇に近づくと、いきなり刀を掴んで抜こうと試す。

「抜けないな。飾りか?」

「刀が選んだ者にしか抜けないのよ」

 受け取った私が抜刀して渡すと、ルカが目を瞠る。


「片刃か。見たこともない剣だな」

 ルカの剣は両刃の西洋の剣。興味深々という顔で覗き込んでいるうちに、水色の微かな光が電流のように刃に走って吸収されるように消えた。

「何だ?」

 ルカが指で刃に触れようとすると白い光がばちりと音を立てて指先を弾く。


「……俺は拒否されてるってことか」

 ルカが苦笑して、私へと刀を戻してきた。受け取った刀を鞘に戻そうとして、何か硬い物に当たった感触が手に伝わる。

「ん? 入らない?」

 鞘の中を確認しようと、刀を持つ手を緩めた瞬間、切っ先が大きくぶれて、私の胸へと吸い込まれていく。

「おい!」

 慌てたルカが柄を掴もうとした手は遅く、刃は一瞬で私の胸を突き抜けて、白い光が周囲を塗りつぶす。

 

『黒い髪に黒い瞳。……ああ、懐かしいな』

 優しい男性の声が胸に響いて、光と共に消えた。


「あれ? 刀は?」

 痛みはなく、手にしていたはずの鞘が消えている。

「……お前の体に入って消えた。大丈夫なのか?」

 ルカの顔色が悪い。胸も痛くないし、念の為に服の中を覗いてみても、傷も一切ない。刀はどこに消えてしまったのか、何が起こったのか、本当にわからない。

「まあいい。ここから離れるぞ」

 ルカは固い声で宣言するように言って、私の手を引いた。


      ■


 ルカの目的地は教祖の部屋だった。迷うことなく寝室へと入り、念入りに壁を指で探り始める。

 教祖の部屋も寝室も、豪華な家具が揃っていた。寝具はおそらくシルク。見たこともない不思議な紋様の織物は、外国からの輸入品だろう。神官たちの部屋はとても質素だったのに、教祖の部屋は贅を尽くしている。


「……あった!」

 ルカの声と同時にがちゃりと金属音がして壁が開き、金色のまばゆい光が溢れ出す。中は六畳程もある隠し部屋になっていた。

 教祖が金品を溜め込んでいるというのは予想していた。あちこちに金や銀で出来た像や器が置かれ、きらびやかな彩色の壺には金貨が溢れて床に零れている。人や動物の形をした像の首や手には連なる宝石が掛けられ、金色の光を受けて輝く。

 怖いくらいの金色の山の中、中央に置かれているのは、すり切れたクッションが一つ。……もしかしたら、教祖はここに座って金銀財宝を眺めていたのかもしれない。それはとても寂しい光景だと感じる。


 視線を落とした時、見慣れた肩掛け鞄が視界に入った。

「私の鞄!」

 駆け寄って確認すると、私の物に間違いなかった。召喚された時に取り上げられて、処分されたと諦めていた。横に置かれていた袋の中には、私が着ていた服も靴も入っている。


 私が鞄の中を確認している間、ルカは今度は小部屋の壁を熱心に調べていた。

「何探してるの?」

「……裏帳簿とか。悪事の証拠ってヤツかな」

「ルカって、正義の味方だったの?」

「いや。興味があるだけだな」

 ルカがつぶやいた途端に、掛けられた絵が扉のように開く。ずっと笑っていたルカが、怖い顔をして沈黙してしまった。


「どうしたの?」

 壁に作られた六十センチ程の四角い空間には、帳簿が何冊かと、紐で縛られた手紙と書類の束。ルカはざっと目を通して、帳簿を二冊と一つの束を鞄に入れた。

「よし。行くぞ」

「え? それだけでいいの?」

 ルカは金や豪華な装飾品には触れようともしない。実は間諜とか、教団を調べている者なのかもしれない。

「金なんて食えないだろ。意味ねーよ」

 ルカは笑って、教祖の部屋の扉を閉めた。


      ■


 ルカが歩いていく方向とは反対側へ曲がると、ルカが追いかけてきた。

「どこに行くんだ?」

「ついてこないで。私の部屋で着替えてくるだけよ」

 せっかく見つけたのだから、自分の服を着ようと思う。

「それじゃあ、これ持っていけ」

 ルカが首に掛けていた皮紐をシャツから出すと、先には透き通った赤い色の石がぶら下がっていた。大きさは親指の先くらい。


「何これ」

「魔物避けだ。これを下げてれば、魔物から姿が見えなくなる」

「いらないわよ。外にでなければいいんでしょ?」

 肌身離さず付けているのだから、きっと大事なものだろう。簡単に借りることはためらわれる。

「じゃ、俺はさっきの部屋に戻るからな」

 もう一度赤い石を押し付けてきたのをかわして、私はルカと別れた。


      ■


 自分の部屋に戻ると、ベッドにはエーミルが変わらず横たわっていた。まるで眠っているような姿を見ると、起こしてはいけないような気がしてしまう。

「眠り姫じゃなくて、眠る王子様……かな。王子様にキスしたら、皆も目が覚めるかしら」

 そんな夢物語を眠るエーミルに語ってもむなしいだけ。エーミルの手を握ろうとした時、自分の手が汚れていると気が付いてシャワーを浴びることにした。


 この異世界では、文明レベルは中世から近世なのに、下水道が魔法で完備されている。動力は電気ではなく魔法石を燃料にしている。温水と冷水のシャワーを浴びて、少し気分がすっきりした。

 濡れたまま更衣場所の壁の紋様に触れると、一瞬で髪と体が乾く。これも魔法石を使ったシステム。体を拭くタオルはガーゼを何枚も重ねたような形状で、元の世界のふかふかしたタオルが懐かしい。いつも使っているハーブ水とクリームを顔と体に塗り込んで、元の世界の服を着る。

 服と下着はちゃんと洗濯されていた。それでも下着は教祖の部屋にあったと思うと、気分的に着けられない。この世界で作ってもらった下着を着用して、長袖の白いシャツにジーンズを穿く。安物のスニーカーはゴム底が劣化していたので、この世界の編み上げのブーツを選ぶ。


 紐でポニーテールにすれば、すっかり元の世界の私になった。何が違うといえば、髪が長くなっただけ。鏡に映る私の瞳は大きくて、少しつり上がっている。元の世界では生意気だと言われ続けた顔は自分では好きではなかった。エーミルが猫のようで可愛いといつも言ってくれたから、今では好きになることができた。


 浴室から出てベッドに眠るエーミルの側に座り込もうとした時に、花が欲しいと思いつく。中庭なら建物に囲まれているから、魔物も入ってこないだろう。私は、そう考えて部屋を出た。


     ■


 もうすっかり日は昇っていた。昼に近いかもしれない。

 青い空には赤と緑の月が輝いている。輝く太陽は小さくても、明るさも季節の温度も元の世界と変わらない。

 中庭にはエーミルが作った花壇がある。殺風景な中庭の隅で、春から秋まで花が絶えないようにと優しいエーミルが私の為に作ってくれた。今はタンポポに似た花が咲いている。

「少しもらっていくわね」

 花を折り取ろうと手を伸ばし掛けて、背中にぞくりと悪寒が走る。


 振り返ると、物陰から黒い狼に似た魔物がのそりと姿を現した。その紅い瞳は、確実に私を捉えていた。

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