第3話 魔物の肉を食べるということ。

 マズイ。赤い瞳は完全に私を捕らえている。

 黒い狼に似た魔物が二匹、三匹と上から落ちてきた。視線だけで上を見ると、屋根に数匹の魔物。空には真っ黒なカラスのような魔物が飛んでいる。


 ――ここで私は死ぬのか。

 できればエーミルの側で死にたい。ここでは死にたくない。そう考えた途端に『呼べ』と心に響いた。御神刀が私の中にいると感じる。何故と考える暇はない。抗わなければ死ぬしかない。

「おいで」

 私の中の御神刀に呼びかけると、抜き身の刀が私の手に現れた。金の光の粒を内包する刃が光ると、世界が色を塗り替える。モノクロの景色の中、私に見えるのは強烈な敵意の色。激しく燃える生命の色。


 歓喜に震えるこの心は、きっと刀の想い。

 自らが生きる為、己の正義を示せと刀が囁く。


 魔物たちは、生きる為に人を喰らう。ただ、それだけだ。

 私は、生きる為に魔物を斬る。ただ、それだけだ。


 どちらが正しいなんてわからない。だから、己が信じる道が正義だ。


 脇構えで少し沈み込む。兄弟たちに鍛えられた喧嘩殺法が、こんなところで役立つとは思わなかった。手にしているのは木刀ではなく、真剣だけれど。


「ここから退くのなら、斬りはしない」

 魔物が人の言葉を解するのかはわからなくても、私は刀を構えたまま語り掛ける。魔物が怯んだのがわかった。


 私を囲んでいた六匹のうち、三匹が逃げた。残りの三匹が一斉に飛び掛かってくる。

 おそらくは刀に不思議な力があるのだろう。魔物の動きがゆっくりとしたものに見える。この三年間、スクワットだけしかしていなくても体は軽い。


 重心を前に移動させ、その力を利用して刀に重みを乗せる。初めの一撃で一匹を斬り捨て、もう一匹の脚を斬る。どさりと音を立てて、魔物が地面に落ちる。

 返す刀で、もう一匹に斬り付けて、脚を失い、もがく魔物にとどめを刺す。


 刀を抜いた途端に、頬にぴしゃりと血が跳ねて我に返った。

「あ……」

 モノクロの景色が色を取り戻すと、私の周りには魔物がバラバラになっていた。着替えたばかりの白いシャツにも赤い血が飛び散っている。


 ――魔物とはいえ、動物を殺してしまった後悔が心に押し寄せる。

 高揚していた気持ちがすとんと落ちて、手にした刀が姿を消した。


「アズサ?」

 ルカの声に体がびくりと震えた。振り返ると、明るく笑うルカの姿。

「いやー、俺の為に魔物獲ってくれたのか? 悪りぃな」

「え? あの、その」

 ルカは楽しそうに魔物の足を掴んで、鞄から出した紐で縛る。初めて動物を殺した動揺と葛藤が、ルカの言葉でしぼんでいく。食べるのだと思えば、罪悪感が薄らいでいく。


 ぼんやりと見ていると、頬についた血が垂れる感触が不快に思えた。消えてしまえばいいのに。そう思った途端に、すっと感触がなくなった。

「?」

 頬に手をあてようとして、気が付いた。シャツに飛び散った血が綺麗に消えている。何が起こったのかわからない。

「厨房まで案内してくれ」

 魔物を担いだルカの明るい笑いに、私はただ、頷くことしかできなかった。


     ■


 アズサの手を引いて歩きながら、俺は何故かエーミルがうらやましいと感じていた。眠りながらもエーミルの死を悼んで、小さな子供のように泣くアズサの姿は護ってやりたいと思わせるものがある。

 どのみちアズサを独りにはできない。アズサは恐らく、御神刀に選ばれ〝契約者〟になっている。知られれば、利用しようと近づいてくる者たちが出てくるだろう。


 御神刀はこの銀神教の象徴的な物だった。教祖の力は偽物だったが、この刀は本物だ。詐欺に近い教団に、王家すら手を出せなかったのは、この刀に理由の一つがある。

 ――昔、この刀を持っていた旅人が村に宿を求めた。村の男たちは旅人が持っていた金に目がくらみ、毒を盛って殺してしまった。怒り狂った刀は死んだ旅人の体を操り、関わった村の男すべてを斬り殺しただけでは足らず、近隣の村へと向かって次々と男たちを殺して回った。

 ある時、ひとりの乙女が刀に語り掛ける。『私の命を捧げます。心を鎮めて下さい』そう言って、自ら刀の犠牲となり、刀は悲痛な叫びを上げ、旅人の体は砂になった。それ以来、刀は大事に祀られるようになった。という話が、王家に残っている。


 七十年前、教祖は祀られていた祠の周りを囲むように建物を作り続けて、教団施設を作り上げた。その間、近隣の若い女が何人も行方不明になった。恐らくは、刀の怒りを鎮める生贄として使われたのだろう。

 当時の王も手をこまねいていたわけではない。何人もの手を使い、施設の建設を阻止しようとしたが、有力な貴族たちによって阻まれた。貴族たちは信仰からではなく、何か別の用途の為に教団を護っていたようだ。


 刀を振るうアズサは神々しいと思える程、美しい。まるで、舞っているかのような動作で魔物を斬り捨てる。戦う間は、その刃には迷いがない。

 ただ、我に返った途端に、アズサは戦神から一人の女に戻る。生き物を斬ってしまった後悔を背負う背中は、か弱い女だ。

 一部始終を見ていたからこそ、俺は明るく声を掛けた。アズサの後悔を消す為に、魔物は俺の喰い物だと強調した。食べるのだから、殺すことは悪いことではない。


 異世界人は不思議な力を持っていることが多いと聞くが、アズサも例外ではないようだ。自らにかかった血を消したのは、おそらくは浄化の術。御神刀の力とは、放つ光の色が違う。他にも何か力を持っているかもしれない。……自らの力を全く理解していないということは、これまでエーミルが護ってきたのだろう。


 そこでまた、俺はエーミルがうらやましいと思った。俺はこの八年、魔物を狩り、命を繋ぐことだけしかできなかった。誰かを護ることもできなかった。

 ――できなかったことを考えても仕方ない。俺はそこで思考を切った。


     ■


「この奥が厨房なの」

 久しぶりに入った厨房は誰もおらず、綺麗に整えられていた。大きな窓から明るい光が差す厨房の壁と床はすべて石でできていて、毎日水を流して床を洗っていた奉仕者たちの姿を思い出す。

 教祖や一部の神官は冷たい人でも、信心深い奉仕者は優しい人ばかりだった。


 大きな木の作業台へ魔物がどさりと置かれた。昨日は不意打ちだったので、魔物の死体を見て気を失った。今日は最初から何なのかわかっている、というよりも自分が殺した魔物だから、見届けなければという気持ちが強い。

 ルカは慣れた手つきで、大きなナイフで毛皮を剥ぐ。

「血抜きはしないの?」

「あー、めんどくせえからなー。でも、まぁ、した方がいいか」

 口を尖らせたルカは、天井から鎖でぶら下がっているフックに、毛皮を剥ぎ頭を落とした魔物を引っ掛ける。床に水を流せば、とろとろと落ちる赤い血が排水溝へ流れていく。


 バラバラになった魔物の体は、綺麗に水で洗われて、毛皮を削がれた。

「それ、どうするの?」

「焼いて食う。朝飯だな」

 ルカの言葉で、昨日から何も食べていないことに気が付いた。いろいろあっても、お腹は空くものなのかと、どこか他人事のように思う。


 血が滲む魔物の赤い肉は、見た目は牛肉のようで、とても美味しそうに見えて仕方がない。厚切りにスライスされた肉を指で摘まむ。


 ……凄く、いい、匂いが、する。


「食うな!」

 そのまま口にしようとした時、ルカが手にした肉を取り上げた。

「……魔物の肉は、聖別しないと食べられない。食べると他の物が食べられなくなる」

 静かなルカの言葉に目を瞠る。ルカは生で肉を食べていたはず。

「俺は……騙されて魔物の肉を食べた。それ以来、他の食い物の味を感じない。これしか食えないんだ。……腹が空いてるなら、何か獲ってきてやる。少し我慢してくれ」

「いいえ。食材はあると思う」

 魔物の肉の恐ろしさを知った今、美味しそうに見えたとは、口に出せない。


 聖別は強い神力を持つ神官でなければできないらしい。すでに聖別していない魔物の肉を食べてしまったルカは自分で魔物を狩って食べている。魔物が獲れなければ、数日間食べないこともよくあると笑う。


 私は目玉焼きとチーズとパンを食べ、ルカは魔物の肉を焜炉の火であぶって食べる。

 焜炉も魔法石が動力源。不思議な石ではあるけれど、この世界では電池のようなもので、安価に手に入る。


 私はルカの為に魔物の肉で干し肉を作ることにした。ルカが捌いた魔物の肉の塊を、あまり大きくないブロックに分けて大量の塩と胡椒をすり込む。食料貯蔵庫の中には温度が低い場所があり、そこへ二日程置いて熟成させる。その後、干して乾燥させれば出来上がる。

「干し肉なんて作れるんだな」

 塩と胡椒を肉にすり込んでいると、ルカが感心したような声を上げた。


「……ここで習ったのよ」

 この国は冬の雪が深い。たんぱく源として、干し肉は重要だった。チーズや卵は信奉者が運んできてくれるけれど、猟ができないから肉は貴重になる。

 秋になる頃に大量に干し肉を作って、冬の間に少しずつ食べる。そのまま食べることもでき、スープに入れて柔らかくして食べることもできる便利な食糧だった。


 この世界の料理は私にとって、とても塩辛くてハーブだらけの薬のようで美味しくない。食事量が減っていく私をみかねたエーミルが、特別に味付け前の料理を確保してくれた。これからは、自分で用意しないと。


 ……優しいエーミルは、もう私の隣にはいなかった。

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