第4話 これはきっと気の迷い。

 ルカとの奇妙な共同生活が始まった。

 魔物たちは建物の周りで、礼拝堂から人々の遺体を引きずり出しては食べている。ルカは毎日、何匹かを狩って捌いて食べる。私は魔物を干し肉にし、使っている部屋を掃除して洗濯をする。


 中庭には魔物が寄り付かなくなっていた。仲間が殺された場所と学習したようだ。

 夜にはルカと同じ部屋で寝る。広いベッドだから端と端で掛け布を別にすれば気にならない。


 私は毎日、朝と夕にエーミルが眠る私の部屋へと通って、中庭に咲く花を手向けていた。赤い石のペンダントを持たされていることもあって、魔物とは遭遇しない。


「エーミル。今の私を見たら、きっと驚いてたわね。でもね。これが本当の私なの」

 がさつで、大雑把。友人や同級生からは、姐御や姐さんと呼ばれることもあったのに、エーミルの前では、まるで夢見る乙女のようだった。


 私がドレスを着て、花を見ながら散歩をするなんて元の世界では想像もできなかった。エーミルと過ごした三年間は、本当に優しい夢のような時間だった。


 眠っているようなエーミルも、五日が過ぎると肌の色が少しずつ黒くなり始めて、死臭が漂うようになってきた。

 八日が過ぎると、部屋に死臭が充満した。魔物避けの護符は貼ってあってあっても、魔物を呼んでしまいそうなので窓を開けることはできない。エーミルが食べられてしまう光景は絶対に見たくない。


 十二日が過ぎても、肌の黒さと死臭だけで他の変化は特に見られないのは、摂取した毒のせいなのかもしれない。

 エーミルの部屋に行った後、死臭を落とす為に必ずシャワーを浴びる私に、ルカは何か言いたげだったけれど、何も聞かれないし私も何も言わずに過ごしていた。


 十四日目になると、あちこちにある遺体が消え始めた。

「どういうこと? 消えていく……」

 光の粒になってはじけて消える者がいるかと思えば、光の砂になって溶けるように消えていく者もいる。

「どういうって、普通だろ?」

「これが普通なの?」

「死ぬと十日から十五日で消える。んでもって、女神の世界に行くと言われてるな」

 ルカの言葉に、私は居ても立っても居られなくなって、エーミルのもとへと走った。


 扉を開けると死臭が綺麗に消えていて焦ったけれど、ベッドにはエーミルが眠っていた。

「良かった。いてくれた」

 エーミルは私を置いて神の世界に行ったりしない。きっと、このままここで骨になる。私は、そう信じたかった。


 綺麗な銀色の髪に触れようと手を伸ばすと、エーミルは光の粒になってはじけて消えた。

「え?」

 光が消えると中身を失った神官服と私が今朝手向けた花だけが残っている。髪も骨も残っていない。


「……エーミル?」

 名前を呼ぶと涙が零れた。エーミルが逝ってしまった。私を置いて。

 崩れ落ちそうになった時、強く肩を抱かれた。視線だけを向けるとルカだった。


「私、振られちゃった」

 泣きながら、笑いがこみ上げてきた。エーミルは私を捨てて、銀の神を選んだ。そう思えて、仕方なかった。

 泣きながら笑い続ける私を、ルカは無言で抱きしめていた。


 私はルカの腕の中で泣き続け、朝日が昇る頃にようやく涙が止まった。

「アズサ、これからどうするんだ?」

「どうしようかな」

 泣きすぎて腫れた目を濡らした布で冷やしつつ、私はぼんやりと答えた。何も考えられない。ルカは遺体が消えて魔物が呼べなくなったから、他の場所へ移るらしい。


「しばらく一緒にいるか? ここにいても仕方ないだろ?」

 ルカの言葉をぼんやりと受け止める。女が一人でこんな所にいれば、襲われるだけだとルカが言っている。

「あー、アズサの決定権は今は無し。俺の勝手にさせてもらうぞ」

 何故か怒り出したルカが、私に荷物を纏めろと指示を出す。私は指示のままに、着替えや荷物を鞄に詰めた。


「……挨拶していくか?」

 ルカがベッドを親指で示した。

「うん」

 ベッドに残された神官服は、そのまま触れてもいない。私と言う生身の女が触ってしまうことで、エーミルという神聖な存在を穢してはいけないような気がしていた。


「エーミル。今まで、ありがとう」

 花を手向けて声を掛ける。これが最後の別れだ。そうは思っても心が付いて行けない。何故私は、別れを告げているのか、よくわからない。


 エーミルは聖人になった。私を置いて。とても好きだったけれど、追いかけて死ぬことは怖くてできなかった。ある意味、私もエーミルを捨てたことになるのだろう。


 散々泣いたからか、もう涙は出てこなかった。

 エーミル、私はこの世界で生きていく。頑張るから心配しないで。

 私は、心配性で過保護な神官の笑顔を思い出しながら、微笑んだ。


     ■


 教団施設が見下ろせる丘にたどり着くと、とうとうアズサが振り返った。無言のままの横顔は悲壮な雰囲気を湛えていて、見ているだけでも胸が苦しい。


「アズサ、行くぞ」

 声を掛ければ、黒い瞳が迷うように揺れる。たとえアズサが嫌がろうとも、ここに置いておくことはできない。無理にでも連れて行く。


 俺が教団の集団自決を知ったのは、逃げてきた信者の一人から聞いたからだ。集団自決から逃げた信者は少なくない。既に周辺の多くの人間に知られているだろう。

 

 遺体が消えて魔物が寄り付かなくなった頃、きっと略奪者が集団で現れる。女が見つかってしまえば、死ぬまで慰み者にされるのは目に見えている。アズサが強いとはいえ、魔物ではなく人を斬れるかどうかは疑問だ。


 手を掴んで引くと悲壮感は表情から消え、素直に前を向いて歩き始めてほっとした。 


 随分と重くなった鞄には魔物の干し肉が入っている。アズサが作った干し肉は美味い。日持ちもするようだから、魔物が獲れなくても腹が減る心配がなくなったのはありがたい。


 魔物の肉以外を食べることができない俺にとって、魔物が獲れないことは死ぬと同義だった。常に魔物を探すことで思考が埋め尽くされていた。獲れなくても干し肉があるということが、これほどまでに安心感をもたらすものだとは想像もしていなかった。


 誰かに対価を支払って、魔物の干し肉を作ってもらうことを考えてはいるが、聖別されていない魔物に触れるだけで穢れると信じている者たちが多いし、魔物の血は毒だと信じている者もいる。現状ではアズサに作ってもらうしかないか。


 アズサを外に連れだして、どうするのか、まだ考えてはいない。

 正直に言えば、一度知ってしまった人肌の温かさが、どうにも忘れがたい。最初は気を失って震えるアズサを温める為に同じベッドで眠ったが、その温かさが俺の心を癒してくれた。このまま隣にいてくれればと願う気持ちもある。


 そうは思いつつも、俺は魔物喰いだ。これからも魔物を狩り、喰わなければ餓死してしまう。間違っても隣に並ぶことはできないから、アズサを誰かに託すことになるのだろう。


 誰に。そう考えた途端に、俺の心が動揺した。アズサを誰にも渡したくないという気持ちと、アズサの幸せを願う気持ちとが揺れ動く。


「うわっ!」

 色気のない悲鳴と同時にアズサが石につまづいた。咄嗟に手を引き、抱き止める。

「あ、ありがと。……その手は何?」

 アズサの目が鋭くなった。マズイと思いながら、柔らかい胸の感触があまりにも心地良くて強く掴んでしまう。焦る思考を体が裏切り、結果的に胸を揉んでいるような状況に陥った。


 そして俺は、綺麗な回し蹴りを喰らった。

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