生き残りの巫女と魔物喰いの王子

ヴィルヘルミナ

第1話 別れと出会いと。

「銀の神の世界で待っています」

 私が恋した神官は、銀の髪に空色の瞳。

 透き通るような美しい笑顔で、毒杯をあおった。


 ゆらりと銀髪が地面に落ちて、私を拘束していた神力の術の効果が消える。

「エーミル!」

 倒れた神官に駆け寄って仰向かせても、心臓も呼吸も完全に止まっている。美しい顔は、微笑んだまま。


「エーミル……お願い、目を開けて」

 共に銀の神の世界に行こうと誘われたのに、私は毒を飲むことを拒んだ。一緒に生きて欲しいという私の願いは聞き届けられなかった。止めようとした私を術で拘束して、エーミルは私の分の毒も飲み干した。


「エーミル! 私を置いて逝かないで! 私を独りにしないで!」

 私の叫びが通じたのか、エーミルは薄っすらと空色の瞳を開いて震える手を伸ばす。

「アズサ……は……独りじゃ……ありま……」

 私の頬を撫でる白い手を握りしめ、微かな言葉を聞く。


「……どう、か……幸せに……」

 唇が微笑みの形になり、空色の瞳が閉じて手の力が消えていく。

「エーミル!」


 私が恋した神官は、もう二度とその空色の瞳を見せてはくれなかった。


     ■


 私は六花見ろっかみあずさ、二十二歳。三年前、この異世界に召喚された日本人。

 この異世界は、中世か近世かよくわからない西欧風、奇跡と魔法が入り交じる不可思議な世界。私がいるのは〝銀神教〟という宗教団体の神殿で、私は豪華な一室を与えられ、御神刀の巫女として過ごして来た。


 勝手に召喚されたことに、最初は泣いて抵抗した。教祖に命令されて私を召喚したエーミルが、毎日謝罪してくれて、私の世話係として側にいてくれたから耐えてこられた。


 私は純粋で美しいエーミルに恋していた。私よりも四つ年上の神官は子供の頃からこの神殿にいて、恋というものを知らなかった。神官には恋愛も結婚も許されない。手が触れ合うだけで顔を赤くしてしまうエーミルには、愛を告げることもキスをすることもできなかった。


 微笑むエーミルの側にいるだけでいい。元の世界を想って寂しく泣く夜に、子供のように抱きしめられるだけでいい。そんな平穏な日々は、一昨日の教祖の死によって破られた。


 教祖と共に銀の神の世界へ行けば、願いがすべて叶って幸せに暮らせる。そんな教えを心の底から信じる純粋な人々は、教祖の葬儀と自らの死の準備を始めた。


 エーミルも例外ではなかった。生き残ることは自らの信仰を、心を捨てることだからできない。共に銀の神の世界に行こうと何度も優しく誘われた。私は必死に言葉を重ねて止めたのに、私の言葉はエーミルの心には届かなかった。


 何故か涙が出てこない。苦労しながらエーミルをベッドに横たえて、服を整える。白を基調とした詰襟の長い上着、銀糸で教団の紋章が刺繍された襟飾り。エーミルの銀の髪と相まって清らかに見える。


 胸のあたりに何か紙のような感触があると気が付いても、どこにもポケット口らしきものはない。私への手紙かと一瞬期待して引き出しに入っていたナイフを手にした瞬間、私は気が付いた。エーミルは清らかで信心深い神官だ。私を含めて、女性に手紙を遺すはずがない。もし手紙だったとしても、決して私への物ではない。私はナイフを引き出しに戻して、ベッドに戻った。


「エーミル、起きて。起きないと悪戯するわよ」

 微笑んで眠っているようなエーミルにキスをしようとしてやめた。異性と口づけをすると神官としての資格がなくなるのだと何度も繰り返し言っていた。綺麗なまま、穢れの無い神官として見送るべきだろう。


     ■


 部屋から出ると、厳格で清らかな空間が一変していた。部屋や図書室の中で人が倒れ、窓の外から見える中庭では、飼われていた犬と犬たちを一番可愛がっていた神官が倒れている。映画の一場面のようで、現実味は薄い。


「誰か! 生きている人はいない!?」

 私は長い時間を掛けて倒れている全員の息を確かめた。鶏や馬に至るまで、すべてが死に絶えていた。

 神官も奉仕者たちも全員が微笑んで死んでいることだけが、私にとっては救いだった。神の教えを信じたまま死んでいったのだろう。死の先に幸せな未来があると信じて。


 私や教祖、神官たちが暮らす建物と少し離れた礼拝堂の中には目を覆いたくなるような光景が広がっていた。


 祭壇の前には花と宝石で飾られた銀髪の教祖の棺が置かれ、棺の周りには神官長や側近たちが倒れている。さらにそれを囲むように儀式で見覚えのある信者たちが命を落としている。数百名はいるだろう。


 〝銀神教〟の教祖は自らを銀の神の子だと言って、不思議な力で奇跡を見せて信者を集めた。

 この異世界では、誰もが無から有を生み出す奇跡の力である神力か、精霊や魔法を行使する力である魔力を持って生まれてくる。そうはいっても、一般国民のほとんどは奇跡も起こせないし魔法も使えない。力が強い者は王族や貴族に多く、一般国民であったはずの教祖は、何故か強い神力を持っていたらしい。


 百歳に近い教祖は親切な老人を装っていても、私はその裏にある冷酷さを感じていたから、あまり近づかないようにしていた。


 突然、礼拝堂の扉が乱暴に開かれた。

「お前は誰だ? 魔物か?」

 大声で問いかけてきたのは、背の高い美形の男。濃い血赤色の髪に空色の瞳。茶色の旅装マントを身に着け、腰には剣をいている。

「……違います」

 驚きながらも、かろうじて声が出た。

「……魔物じゃねーのか」

 舌打ちをする男は、うつ伏せに倒れた人を仰向けにする。

「ま、こんだけ死体があれば、もうすぐ魔物が集まってくるだろ」

 男は死体に剣を突き刺していく。死体からは、どろりと赤い血が流れる。……男の髪の色と同じ。


「っ……」

 私は血の匂いに耐え切れずに吐いた。

「ちっ。吐くなよ。これだから女ってヤツはめんどくせえ」

 男は大きな溜息を吐きながら、私の背中をさすってくれた。乱暴な口調でも、意外とその手つきは優しい。吐き終わると男は肩から下げていた鞄から水替わりの発泡酒を出して手渡してくれた。


「ありがとうございます」

 一口飲んでお礼を言って携帯用の酒瓶を返すと、男はそのまま一口含んでフタを戻した。ふと、これは間接キスだと気が付いても、恥ずかしいとも何とも思えない。エーミルとは、指が触れ合っただけでも恥ずかしくて嬉しかったのに。


 ぐきゅるるるるる。

 盛大にお腹が鳴る音が礼拝堂に響き渡った。陰惨な場にそぐわない音に、エーミルを思い出していた私の思考が止まる。

「え?」

 私ではない。あきらかに男のお腹から音がした。

「……そんな目で見るなよ……。もう三日も食ってないんだ」

 男は大きな溜息を吐いた。


「……厨房に、何かあると思います……」

 御神刀の巫女という立場で日々の料理をすることはなくても、どうしても人手が足りない時に手伝うこともあった。

「悪いな。普通の食い物は食えないんだ」

 男は苦笑して私の頭を撫でる。……子供扱い、なのかもしれない。この世界の人々はとても背が高く、日本人女性の平均身長の私ではずっと子供と思われていた。エーミルは私が成人していると知っていたから、頭を撫でることはめったにしなかった。


 沢山のカラスのような鳴き声が外から聞こえ始めた。この世界で初めて聞く声に恐怖を感じる。

「よし。斥候が来た! 群れが来るぞ。 ……お前、どこか頑丈な鍵がかかる部屋で隠れてろ」

 明るく笑う男の言葉の意味がわからない。

「隠れる?」

「確か、ここには願告がんこく部屋とかいうのがあっただろ。どこだ?」

 私は男の問いに視線で答えた。壁際に造られた小さな一畳程の部屋は、銀の神に願いを直接伝える為の場所。そこには多額の寄付をした者しか入ることができない。


 動けずに立ちつくす私を男は軽々と抱き上げ、抵抗する間もなく小部屋に放り込む。

「そこで動くなよ」

 男が扉を閉めて、鍵を掛ける音。狭い部屋の中には魔法灯もない。暗闇の中で座り込み、目を閉じて音に集中する。


 扉の外からは、獣の声と男の挑発と笑い声。そして、何かを斬る音。どさりと落ちる音。男が獣と戦っているのだろう。

 外に出た時、最初に何をするべきなのか考えても、思考が鈍って息苦しくなっていく。酸素が足りなくなっているのかもしれない。


 息苦しさが限界になった頃、男が扉を開いて覗き込んできた。血赤色の髪が光に透けて、炎のよう。

「おい、生きてるか?」

 外の世界の眩しさと緊張からの解放で、私は意識を失った。


     ■


 目が覚めた瞬間、生臭い血の匂いにめまいがした。

 私は礼拝堂ではなく、客間のカウチに寝かされていた。血赤色の髪の男は椅子に座って、口の周りを血だらけにしながら手づかみで骨の付いた生肉を食べている。


 テーブルには、大きな肉の塊。

 ぶちりと音を立てて、男が肉を食いちぎる。

 床に散らばる黒い毛皮と、骨。そして、狼に似た赤い目をした魔物の、頭。


 私は、もう一度、意識を手放した。

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