第26話 願いは実現するということ。

 透明なガラスのような結界は固い。

 私が殴りつけたからと言って、割れるものではない。


「ルカも! エーミルも! どうして言ってくれないのよ!」

 それでも私は何度も結界を殴りつける。手袋で痛みは緩和されているはずなのに、拳が痛い。


「おい、アズサ、やめろ。もう魔法は発動しちまってる」

 私の叫びにルカが苦笑する。優しい瞳は、金色の光を帯びている。

「一緒にいたいっていう、私の気持ちはどうなるの!? 勝手に置いてかないで!」


 この世界では願いが力になる。

 唐突に白雪の言葉を思い出す。

 私はルカと一緒にいたい。たとえ死ぬことになっても。


 力が欲しい。この、優しくて固い結界を壊す程の強い力が。

 白雪が『呼べ』と囁くけれど、私は私の力でこの結界を壊したい。


「私は一緒にいたいの!」

 願いを込めて殴った時、結界にひびが入った。

 ――いける。私は確信して、腰を落とす。この一撃で決める!


 ルカと一緒に。願うのはただそれだけ!

 願いを乗せた最後の拳を入れた途端に、結界が砕け散った。


 きらきらとした結界の破片が降り注ぐ中、ルカに向かって走り寄る。

「アズサ!?」

 驚く顔のルカの首に抱き着いて、噛みつくようにキスをする。初めての感触は、ただ熱い。


「ルカ! 独りじゃ魔力を制御できないって言ってたわよね!」

「……あ、ああ」

 金の瞳のルカは私の体を受け止めて、ただ驚いている。


「私が制御する!」

 地面に描かれた魔法陣の水色の光に、私の体からあふれた白い光が重なる。これが私の願いの力。絶対にルカを独りで死なせたりしない。すべての魔力は使わせない。


 両手の指を絡めて向かい合わせに立つ。ルカの力と私の力が混ざりあう感覚は、とても温かくてくすぐったい。私は、驚いた表情のままのルカに微笑む。


「大丈夫。絶対に制御できる。制御してみせる!」

 繰り返し唱えて、私の心を奮い立たせる。願いは必ず実現する。


 魔法陣の光が金色へと変化して、空へと光が解き放たれた。黒くて赤い雨雲に、金色の光が雷のように駆け抜ける。

 雨雲から水滴が落ちてきた。ぱらぱらという音が、ごうごうという音に変わる。豪雨は炎を覆いつくしていく。

 ルカも私も魔法陣も、金色に強く光り輝く。

 

 私が結界を壊してしまったからか、ルカも私もずぶ濡れ。甲冑服は水をはじいても、中に入った水は防げない。


 肌に張り付く布の感触。冷たい水が頬を流れる感触。

 ――私たちは生きている。


 雲を照らしていた赤い光が消え、私たちを包んでいた金色の光も消えていく。

 金色の瞳のルカに笑いかければ、優しい笑顔が返って来た。大丈夫。魔力はすべて使っていない。


 ルカの瞳が、徐々に空色を取り戻した。

 雨が降りやみ、黒い雨雲が急速に消え去っていく。もうすぐ夜明けが近いのだろう。空は紺色に染まっていて、赤と緑の月、そして星々が輝いている。


「夜が明けるわ」

「ああ。……ありがとう。助かった」

 ルカが恥ずかし気な笑顔を見せる。何故か可愛いと思う。心から、愛しいと思う。


「私を置いて行こうなんて思うからよ? 絶対ついていくんだから!」

 私はルカの首に抱き着いて、唇を合わせた。ルカが私を抱きしめて、キスを返してくる。


 ルカが生きていてくれて本当に嬉しい。優しい水色の瞳が微笑みの形になって、何度もキスして強く抱き合うと体温を感じる。生きているって、本当に素敵なことだと強く思う。


「あー、そろそろいいかー?」

 ララの声で自分たちの置かれている状況に思い至った。ルカも私もキスを止めて目を瞠る。

「え、えーっと……」

 恐る恐る見回すと、いつの間にか、私たちの周りに町の人々が集まっていた。皆、ずぶ濡れで笑っている。慌てて体を離しても、互いに握る手は離れない。


「よし。町長を殴りに行くか!」

「もちよ、もち! ついでに皆にお酒をおごらせるわ!」

 ルカと私の言葉に周囲の人が笑い出した。照れ隠しなのだとバレているのだろう。私たちも笑うしかなかった。


     ■


 怪我人は多数出たけれど、幸いにも死者はでなかった。

 町警団の施設内の牢獄から、捕らわれていた盗賊団の五名が消えていた。鍵が壊されていないことから、内部に協力者がいたのではないかと調べが進んでいる。

 

「森と町の火事もあいつらの仕業ということだろうな」

 ルカは苛ついた声でチーズバーガーにかぶりつく。パンにハンバーグとチーズと焼いた玉ねぎ、トマトソースを挟んだだけのもの。生野菜が手に入らないので、私は物足りないと思うけれど、ルカとララ、医療応援に駆け付けたイヴァーノには好評。片手で手軽に食べられることも気に入っているらしい。


 ララの工房の一帯は炎が及ばなかった。ルカとララは町のあちこちを走り回り、私は大量のカレーやシチューを作って、炊き出しをしている。イヴァーノは広場にテントを張って、近隣から来た医術師たちと交代で診療を行っている。


 ララの提案で、朝、昼、夜と三度の食事は情報交換を兼ねて集まって食事をすることにした。ルカもララも私も甲冑服。イヴァーノまで甲冑服の機能がある白衣を着ている。物凄く不謹慎だけれど、三人がカッコ良すぎて、どきりとすることがある。


「あの劇場の穴って何だったの? 演出用の装置とか?」

 元の世界の古代の劇場にも、床下から現れる為の装置やプールがあったと私は思い出していた。


「想像でしかないが、地下施設を作って、上は普通に劇場として営業するつもりだったんじゃないか? 働いていた外国人は全員姿を消してる」

 ララもチーズバーガーにかぶりついている。片手は紐で綴じられた書類をチェックしていて、汚さないか心配しても、そもそも書類が煤だらけだ。


 ドレスを着ていないララは完全に男なのに、私がライモンドと呼ぶと「いやーん。酷ぉーい」と叫ばれるので、そのままララと呼んでいる。


 壁の修繕にも外国人が関わっていたらしい。わざと崩れやすく作っていたのではないかとララは推測している。あちこちに仕掛けられていた発火装置も解析されていて、製作者は巧妙に隠されていた。


 町の復興はかなりの速度で進んでいる。皆、雪が降る前に少しでもという気持ちが強い。幸いにも今年の雪は遅れていて、まだ降っていない。劇場建設に使われていた大量の資材はすべて復興に回された。


 町長はさまざまな責任を取ることになったけれど、復興の指揮を執り、多額の資金を私財から出すことで町長を続けることに決まった。ルカもララも「悪い奴ではない。馬鹿なだけだ」と口を揃える。悪い奴は使えないが、馬鹿は使えると言うのだから酷い話だと思う。


     ■


 その日は珍しく、私が寝る前にルカが帰ってきた。火事の日から私は疲れ果てて倒れるように眠っているので、二人きりでゆっくり話す機会は無かった。


「……ルカって、王なの?」

 浴室から出てきたルカに、私はずっと聞きたかった質問を投げかける。

「いや。……元、王子だな」

 ルカは水替わりの軽い発泡酒をカップに注いで飲み干して、私の腕を引いて膝の上に横座りに乗せた。恥ずかしいと思っても、何故か居心地がいい。


「……どうして教えてくれなかったの?」

 貴族のベルとアルの前で見せていた優雅な所作は、王子の姿だったのか。私の声が少し拗ねたように聞こえるのは、仕方がないと思う。この半年間一緒にいたのに、全然知らなかった。


「どうしてだろうな……王子っていう立場を捨ててきたのを知られたくなかった……っていうのもあるな。カッコ悪りぃだろ? ……惚れた女に知られたくなかった」

 ルカはそう言って、膝の上に乗せたまま私を抱きしめる。ルカの言葉が甘すぎて、心臓に悪い。


「王子の方がいいか?」

「嫌よ。今の自由なルカがいいわ」

 優雅な所作のルカよりも、いつものルカの方がいい。隣にいても緊張しないというのは重要なことだと思う。肩肘張るのは苦手だ。


「……俺たちに魔物の肉を喰わせたのは、異母弟フルヴィオだ。今は証拠を押さえてある」

 ルカの表情が少し固くなった。私は思わずルカの頬に手を添える。

「復讐するの?」

 ルカには恨みはあるだろう。友人たちの恨みもあるだろう。


「いや。復讐するつもりはない。ただ、王にはなれないように手を回す。……これもある意味、復讐か」

 異母弟や一部の貴族は、外国から資金を受け取り、この国を売ろうとしている。それを止めるのだとルカは言う。私はルカの復讐が血生臭いものではないことに安堵していた。憎いと思っていても、その手は汚さないでほしいと思ってしまう私は、どうしようもなく独善的なのかもしれない。


「俺はアズサに会うまでは、そこいらの獣と変わらなかった。生きる為に魔物を狩って喰うことしか考えられなかった。アズサに会って人間に戻れたし、命も救われた。この国も滅亡から逃れられる。アズサも救世主だな」

 ルカが耳元で囁くのでくすぐったい。そんなに持ち上げないでほしい。


「ちょ。大袈裟よ。……この世界では、願いが強い程、実現に近づくって白雪に聞いたわ。きっとルカの願いの力でもあるのよ」

 ルカの願いと私の願いが交差した。そうして、今の瞬間がある。私はそう信じたい。


「……そろそろ寝るか。明日も朝早いぞ」

 ルカの言葉に、私は動揺する。今日もルカは同じベッドで寝るつもりだ。ここしばらく、私が眠っているベッドにルカが潜り込んできて朝を迎えていた。今更ながらに同衾という言葉が頭をよぎる。


「ル、ル、ル、ルカ……」

 恥ずかしくて顔が赤くなるのが止められない。ルカとキスをしたいと思うけれど、あの日から唇でのキスはしていない。よくよく考えれば、あれは私のファーストキスだった。


「……何かしらんが無理すんな」

「む、む、む、無理なんかしてない!」

 ルカは顔色一つ変えずに、私を抱き込むようにしてベッドに潜り込む。


「この半年、我慢してきたんだ。お前の覚悟が出来るまで気長に待つさ」

 ルカが笑って、私の頬にキスをした。

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