第27話 腹を決めるということ。
俺の腕の中でアズサが眠りについた。
この小さな体で、朝から晩まで大量の料理を作り続けているから疲れているのも無理はない。艶やかな髪を撫で、そっと抱きしめる。
アズサは不思議な女だ。
王の結界を華奢な拳で砕いて走って来た時、その光景が信じられずに動けなかった。〝王家の瞳〟の封印を解く際に自動発現する王の結界は、これまで誰も破ったことは無いと聞いている。
アズサの言葉は力強かった。俺が完全に諦めていた術の制御を主導し、術の精度を高めた。王家の男の体に宿る力は強大で、制御することは不可能だと思われてきた。実際、これまで〝王家の瞳〟の封印を解いて生き残った者はいない。
一緒にいたい。それがアズサの願いだった。
俺はアズサが生き残って、幸せになってくれればそれでいいと思っていた。独り善がりな俺は、アズサの願いを知ろうともしていなかった。
アズサに言われて、俺は自分の本当の心を自覚した。俺もアズサと一緒にいたい。愛しいと思う気持ちが止まらない。唇に口づけをしたいが、自分が暴走しそうで我慢するしかない。
今日も俺は、無理矢理目を閉じた。
■
バルディアの復興は早い。雪が降る前に最低限の修繕をしようと皆が思っていることと、豊富な建材が劇場の建設現場から放出されたことが大きく貢献している。
劇場建設の責任者は姿を完全に消した。外国の芸術家という触れ込みだったが、時折見せる所作が剣を扱う者特有のものだった。間諜だったと思うのが自然だろう。あの盗賊団も恐らくは仲間だ。国外逃亡されれば、再度捕まえるのは難しい。あの時、町長に捕縛を任せたのは失敗だった。
外国人間諜たちの痕跡を調べる中、俺は高台に作られた町長の屋敷にある鐘楼へと登った。眼下に広がる町が活発に動いているのがわかる。町自体が巨大な生き物のようだ。
王子だった頃、人の営みをこうして見るのが好きだった。どういった生活を送っているのか、想像するだけで胸が躍った。
今の俺は、人々の生活をこの身で知っている。綺麗なものも汚いものも、この身で知っている。王子でいた頃には知らなかった一般国民の暮らしは厳しく、そして楽しい。
普通の生活を営む国民を護ることが王族の務めだと長らく忘れていた。アズサに出会う前は考える余裕もなかった。
ふわりと風が動いた。
淡い緑の長い髪、白眼のない淡黄色の瞳。白いローブを着た風の精霊が宙に姿を見せる。
『結果が少し気になりました』
精霊が優雅に微笑む。人の姿に近い程、強い魔力を持つ高位の精霊だと言われている。白眼のない瞳以外は、完全に人だ。精霊の性格は高慢で身勝手だと聞いていたが、この精霊は優しさを心に持っているらしい。
精霊という異質な者に対して、不思議と恐怖や心理的障壁を感じることはなかった。俺は聞かれるままに町の状況を説明した。死者が出なかったと言えば、精霊は「それは本当によかったですね」と優しい笑顔を見せた。
アズサのことを聞かれて、炊き出しを行っているといえば、精霊は何故か興味を示した。
『異世界人の中には、この世界の食物に変わった力を与える者がいます。我々精霊は、通常、人の食物を口にすることはできませんが、その者が調理した物や、触れた物には力が宿り、味わうことが出来る場合があるのです』
精霊の言葉は意外なものだった。アズサの料理を食べてみたいと思っているのかもしれない。
俺は精霊に自分が魔物喰いであること、アズサの料理だけは食べることができることを告げて理由を知っているかと尋ねた。
『魔物喰いが魔物以外を食べられるようになったというのは聞いたことがありませんが、おそらくは、彼女は触れた食物に無意識に力を与えているのでしょう。私が知っている異世界人は『皆が美味しいと食べてくれたら嬉しい』といつも言っています。あるいは君に料理を食べて欲しいという彼女の願いが実現しているのかもしれません。異世界人というのは、本当に興味深い生き物です』
微笑む精霊の言葉で、俺は妙に納得した。アズサの料理は、アズサの願いで出来ているのかもしれない。
少し話した後、精霊は何故か俺に透明な青い石――精霊石を手渡した。
「これは?」
『前回、あまり力を貸せませんでしたからね。何かあったら呼んでいいですよ』
「感謝します」
俺は精霊に深く頭を下げた。精霊と契約していない者が精霊石を手に入れることは、ほぼ不可能だ。精霊の厚意を俺は素直に受け取ることにした。
『本当に、人間というのは関われば関わる程、面白いですね』
満足気な声を出した精霊は、優雅に微笑んで姿を消した。精霊には寿命がないと言われている。人と関わることも、娯楽の一つとして捉えているのだろう。
俺はアズサと結婚するという夢を持つようになった。
一生を誰かと共に歩く。魔物喰いとなってから、そんなことは一度も考えたこともなかった。人に戻ることができたと日々実感しながら暮らしている。
■
年越しの為の買い物をするために町にでた。いつもなら雪が深く積もる頃だが、今年はまだこの町の周辺だけは降っていない。この国で昔から信仰されている女神の慈悲ではないかと、人々は噂している。
町は新年を迎える為の準備でにぎやかだ。表通りを外れれば、あちこちに片付けきれていない瓦礫が残った場所もあるが、更地に屋台を立てて商売をしている者もあり、全体的な雰囲気は明るい。
「アズサ、寒くないか?」
「大丈夫。マント着てるから、寒くないわよ」
アズサの顔が赤くなる。握った手は温かい。
「アズサ、結婚してくれないか?」
「え、あ、うん。いい……ちょ! 何その、どさくさ紛れ!」
アズサの目がつり上がる。子猫のような怒りを見せるアズサも可愛らしい。
「ちっ。気が付いたか」
あれから、俺は事ある毎にアズサに求婚している。気恥ずかしくて、冗談めいたものになるのはどうしようもない。一度も拒否はされたことがなく、むしろアズサも承諾しているようだが最後まで返事を聞けたことがない。
「ね。……その、もうちょっとロマンティックになれないの?」
アズサの頬は果実のように赤い。口を尖らせて文句を言うが、それが俺を誘っていることは気が付いていない。俺は今日も平静を装いながら、必死で我慢するしかない。
「その、ロマンなんとかっつーのの意味がわからん」
ライモンドとイヴァーノには呆れられている。奴らによると、どこか景色の良い場所で花か宝石でも贈って、甘い言葉を囁けという話だが、景色の良い場所に連れ出そうとすると、何かと理由を付けてアズサに抵抗されてしまう。女心はよくわからない。
俺は良い場所を思いついた。
「春になったら、海を見に行くか?」
「海? 近いの?」
アズサは海を知っているらしい。表情が輝いた。
「いや。遠いな。外国旅行になる。俺も一度しか見たことがないけどな」
我が国には湖はあるが海というものはない。王子として外遊した際に見たことがあるだけだ。煌めく青い海が広がる光景を初めて見た時は、衝撃を受けると同時に本では学べないものがあると強く感じたことを思い出す。
「夏がいいわ! 泳ぎたい!」
アズサが笑顔になった。これなら、抵抗されずに景色の良い場所に連れ出せるかもしれない。夏まで我慢するのかという軽い絶望を隠しながら、俺も笑う。
手を繋ぎ、魔道具屋へと向かった。俺は持っていた護符をすべて使い果たしていた。あの時、護符を破いたのは、護符に含まれる俺の血を使って正確な魔法陣を描く為だった。
「いらっしゃいませ。ああ、護符とご注文の品、出来ていますよ」
魔術師の言葉に、俺は天を仰ぐしかなかった。
「くそー。黙ってるつもりだったのにー」
「おや。それはすいません」
長い付き合いの魔術師が静かに笑う。アズサは何のことかわからずに目を瞬かせるだけだ。俺は受け取った小箱をアズサに渡す。本当は新年の祝いに渡すつもりだった。
「もらってくれ」
「え? あ、ありがとう。うわっ、可愛いー。ピアスね」
箱を開けたアズサが指で耳飾りを摘まむ。金の金具に下がる赤い雫型の石は、俺の血を魔法で固めた物だ。自分の血をアズサに身に着けさせることに密かな興奮を覚えるというのは、自分でもヤバイ思考だとは思うが、万が一離れた時に追跡できるという実用性もある。
「ああ。着けてくれるか?」
俺の言葉にアズサが笑顔で頷く。鏡はないかというが、あいにく店内には鏡はなかった。
「ルカが着けてあげればいいのですよ」
魔術師はそう言って、何故か店の奥へと引っ込んだ。アズサと二人きりにしようと気を利かせたつもりなのだろうが、俺は酷く落ち着かない。
「ピアスなんて久しぶりだわ。穴は塞がってないと思うけど」
元の世界で着けていた耳飾りは、召喚の際に失くしてしまったと聞いて、俺はこの耳飾りを注文していた。
女の耳飾りを着けることは初めてで、上手くはいかない。
「痛くないか?」
「大丈夫」
俺の着け方が下手なのか、アズサが時折眉をひそめる。痛みをこらえる表情が俺に劣情を抱かせる。
ようやく着け終えて、口づけしようとした際に、魔術師が戻って来てしまった。
「お前、絶対見てただろ」
俺は魔術師の首を抱え込み、店の端で小声で詰め寄る。
「見ていませんよ。……口づけしようとしていたなんて」
魔術師が笑みを含んだ声で答える。最近、周囲の人間が含みを持った笑みを浮かべることが多くなった気がする。俺とアズサが人前でいちゃいちゃし過ぎているからだとイヴァーノが指摘しているが、俺は節度を持ってアズサに接しているつもりだ。
魔術師に笑顔で見送られて、俺たちは店の外へ出た。商店街へ向かう大通りを目指して歩く。
「ありがとー! 物凄く嬉しい」
アズサは耳飾りを揺らして笑っている。さらりと零れる黒髪が、光を受けて煌めく。
「新年の祝いに渡すつもりだったんだ。カッコ悪りぃな」
照れ隠しに頭を掻けば、アズサが笑う。俺は、どうしようもなくアズサが愛しくなっていることを隠しきれているかわからない。
二人で一緒に過ごすことが、これ程までに幸せなことだと、本当に知らなかった。
大通りに出た所で、華美な馬車が見えた。長距離用で珍しく魔法効果が付与されている。一体誰がと思いながらも、高位の貴族か要職にいる者が復興の視察に来たのだろうと解釈して、足早に遠ざかる。
「凄い豪華な馬車よねー。四頭立てなんて初めて見た。しかも二台って、道が広くても邪魔よね」
アズサが何度も振り返って笑う。馬車が二台ということに、俺は嫌な予感がした。
「ルクレツィオ様、お迎えに参りました」
その声の先に立っていたのは、宰相のトリエステ公爵――ベルの父親だった。ベルと同じ金色の髪に緑の瞳。王と同じ五十代のはずだが、俺が城を出た頃と全く変わっておらず、妙に若々しい。
「人違いだ。行こう」
俺はアズサの肩を抱いて、足を進める。
「このままでは国が滅びます。どうかお助け下さい」
宰相の言葉で、アズサの体が強張ったのがわかった。俺はアズサの肩を強く抱く。俺は絶対にアズサから離れない。
「……証拠は渡した筈だ。弟では、どうにもならないのか?」
異母弟フルヴィオや、有力貴族たちが言い逃れできない程の証拠は渡してある。弟トゥーリオは、あの証拠を活用できない程、愚かではない筈だ。
「人心をまとめる者が必要です。ルクレツィオ様」
トリエステ公爵は静かに微笑む。
アズサは不安げな表情で俺を見上げている。
「大丈夫だ。心配すんな」
俺はアズサに笑い掛けて肩を抱く手を強める。
――俺は、腹を決めるしかなかった。
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