第23話 赤い糸の繋がる先は。

「あと一杯だけな。今のお前は、普通の体じゃない」

「は? ちょ。誤解を招く発言はやめなさいよ! おかわりっ!」

 今日も俺は酒場で酒を飲むアズサの椅子になっている。もう周囲の人間も慣れたらしい。隣で飲むライモンドも、にやにやとからかうように笑うだけだ。


 冬が近くなり、俺たちはライモンドの工房があるバルディアに滞在している。これまでの冬は森の中で、一日中魔物を求めて彷徨っていた。思えば過酷な日々だったと笑えるのは、すべてアズサのおかげだ。


 酒を美味そうに飲むアズサを見ていると、皆、気分がいいと思うらしい。アズサの周囲にいると、不思議と誰もが笑顔になる。

 アズサは魔物の肉を食べたが、全く変わらない。それどころか、俺と同じ物を食べられると喜んで、魔物の肉の料理を作っている。


 これまで、ライモンドにもイヴァーノにも言えなかった後悔を、俺は初めてアズサに話した。アズサの言葉で俺の心の奥底にあった不安が落ち着いた。

 不安がすべて無くなった訳ではないが、ゆらゆらと深淵の縁で揺れるような、死に呼ばれるような不安ではなくなったことは大きい。


 あの時、御神刀――白雪という刀は、俺の心にも語り掛けてきた。曰く『どさくさ紛れに女に告白するな』と。

 確かにあの時の俺は、アズサに縋りたい一心だった。あのまま告白をして、もしもアズサが頷けば、何をしていたかはわかりきっている。

 ……ただ、あの状況では、アズサは俺への憐憫で拒否することはできなかっただろう。白雪の言葉は正しい。もう少し落ち着いて、アズサとの関係が対等になれたら告白しようと思っている。


「うー。染み渡るーぅ! もう一杯っ!」

「お前なー」

 苦笑しているとライモンドの隣の席に、この町の情報屋が座った。


「飲みっぷりの良い嬢ちゃんだなぁ。ルカ、魔物退治が入ったぞ。受けるか?」

 情報屋から示された紙を見ると、魔物退治の依頼ではなく、頼んでいた情報だった。

「ああ。受ける。ま、明日はこいつが無理だけどな」

「だな」

 ライモンドが俺に合わせて、にやりと笑う。


 このバルディアでは異母弟フルヴィオが主導して、大規模な劇場の建設が始まっている。異国の大劇場を再現するという触れ込みで、外国から芸術家を呼び外国人の作業員たちが工事を行っていた。

「ここでも外国人か。金はどこから出てるんだ?」

 ライモンドの呟きに、俺は情報が暗号文で書かれた紙を見せる。


 表向きの金の出処は、フルヴィオの母方の親戚筋、公爵家の一つを含む、貴族たちからの寄付だった。ただ、その金額が凄まじい。細々とした物をすべて合計すれば、国家予算の二割に近い額だ。

 銀神教が溜め込んでいた財宝は、あの隠し部屋以外にもあった。俺たちが出た直後に外国人の盗賊団が根こそぎ奪ったという話だが、おそらくは、それが今回の金に変わっている。


 教祖の隠し帳簿に書かれた家名と、今回の寄付をした貴族の家名は一致している。帳簿には、外国からの入金と貴族への出金の記録が残されていた。一部の貴族たちが銀神教を保護していたのは、外国からの金を受け取る為だ。信者を装って施設に出入りすれば、たとえ外国人と会おうとも、不自然にはならない。


 外国人の滞在施設や劇場が計画されているのは、町の壁の中だ。各町の高い壁は、魔物避けだけでなく、攻めてくる外国の兵を阻む壁でもある。その壁の中にすでに外国人が多数いる状況は、いざという時に内部蜂起される可能性が高い。


「建設が始まっているのは四つか。将来的にはすべての町に何らかの施設を作るつもりのようだな」

 ライモンドが目を通した紙を戻してきた。


 『外国人間諜スパイの施設』というアズサの何気ない一言がなければ、気が付かなかった。というよりも、今までは生きることに必死で、国に関わる余裕はなかった。落ち着いて周囲を見回せば、銀神教と有力貴族、フルヴィオと外国の関係が見えてきた。


 金の流れや外国人の出入りを見ると、我が国は隣国のテルシナから静かな侵略を受けている。テルシナ国は我が国の有力貴族たちに金を渡し、内部を腐敗させている。反対側にある隣国ヴァランデールとは軍事同盟を結んでいるが、内部から崩されたのでは、支援の受けようがない。

 ベルの父である宰相・トリエステ公爵と、アルの父、セルモンティ辺境伯に連絡を取る為、今は確実な証拠固めを行っている。


「……そろそろ、限界じゃないか?」

 ライモンドの苦笑する声で我に返る。アズサが膝の上で半分眠り掛けている。俺はアズサを抱えて、ライモンドの工房へと戻った。


「お風呂ー」

 部屋に戻るなり目を覚ましたアズサは、そう言って浴室へと入った。


 しばらくして浴室からふらりと出てきたアズサは艶めいている。酔った夜は、いつも俺のシャツ一枚を着て眠る。艶やかな黒髪がシャツの上でさらさらと音を立てて零れるのを目にしながら、歯を食いしばって耐えるしかない。


 俺が浴室から出てくると、アズサは上機嫌でベッドに座っていた。

「赤い糸よ。赤い糸」

 そう言って、服に付いていたという赤い糸の長い切れ端を、指で摘まんで眺めている。昼間にライモンドの工房を片付けていたというから、そこで付いたのだろう。


「へいへい。それがどーした?」

 完全に酔っているアズサは、きっとこの会話を覚えていない。俺だけが知っているアズサというのも面白い。


「私の世界にはね、運命の赤い糸っていうのがあるのよ」

 運命で結ばれた者の左手の小指は、赤い糸で繋がっている。アズサはそう説明してくれた。俺は思わず自分の指を見るが、そんなものはある訳がない。


「私の赤い糸はね。きっとエーミルに繋がってるの」

 アズサの言葉に、俺は暗い衝撃を受けた。アズサはまだエーミルを想っているのか。俺と過ごした半年ではエーミルを忘れさせることは出来なかったのか。


 アズサが自分の小指に赤い糸を結べと要求してきたので結んでやった。

「おいこら、酔っ払い。早く寝ろよ」

「んー」

 自分の指に結ばれた赤い糸を見て、アズサが満足気に笑う。その糸の先は、きっとエーミルに繋がっているのだろう。俺は心臓が掴まれたような息苦しさを感じて苦笑する。……これが嫉妬というものなのか。


「ルカ―。手を出して」

 要求されるままに左手を差し出すと、アズサは俺の小指に赤い糸の端を結ぶ。

「ほら。ルカにも赤い糸で繋がった」

 俺の小指に自らの小指を添えて、アズサが微笑む。俺は、その意味をどう解釈すればいいのか本気でわからない。


 アズサは俺の左手に手を合わせて、俺の胸に背中から寄りかかってきた。アズサの体温が、俺の心臓を痛い程刺激する。左手の指を絡ませて、右腕で抱きしめれば、ふわりとアズサの髪の良い匂いが鼻をくすぐる。


「アズサ? それは……って、寝てるじゃねーか!」

 その後、俺は別の意味での絶望を感じながら、朝まで欲望と戦うしかなかった。

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