第24話 盗賊団と風の精霊と。
壁の中に戻ると、あちこちで爆発音が聞こえた。空気が張り詰めている。
「何? 何が起きてるの?」
誰かの悲鳴は止まらない。数人のものではなく、子供の泣き声も聞こえる。赤と緑の月が輝く夜空に黒い煙がいくつも上がり、赤い炎で照らされている。
『……一瞬だけなら、空に昇れますよ』
再度姿を見せた風の精霊の提案に、私とルカは乗った。ゴーグルを外し、淡い水色の空気の球体に包まれて町の上空へと昇る。
「これは……」
ルカが絶句した。壁の中、いくつもの建物から火の手が上がっていた。爆発音は頻繁に発生している。この世界に火薬はないから、爆弾や銃はないし、花火もないはず。
「何の爆発?」
『最近、魔法石を使った発火装置が出来たと聞いています』
携帯用の焜炉を加工した物と魔法を組み合わせて、武器として使う者が出てきたと精霊が教えてくれた。時限爆弾と似たような物か。
轟音が響き渡り、建設中だった巨大な劇場が崩れ落ちた。劇場は内側へと崩落し、地下には巨大な穴が現れた。
「穴を掘っていたのか」
ルカが呟く。この巨大な穴が何を目的に作られたのか、私にはわからない。ただ、周囲の建物を巻き込まなかったことだけが不幸中の幸いだと思う。
劇場の反対側にある町の入り口の一つから、外へ逃げる人々の列が続いている。燃える森と反対側の草原には、避難した人々が町を見つめている。一方で、町の中央の広場にも多くの人々が集まっていた。
「最悪だ」
蒼白になったルカの呟きで、私も気が付いた。町の火事は、外側から内側へと範囲を広げている。広場にいる人々は町の外には出られない。百人、二百人ではない。一万人は軽くいるだろう。
『限界です』
精霊が苦し気な声を出し、急速に地上へと降りた。
「無理をさせてごめんなさい。ありがとうございました」
精霊も万能ではないと聞いている。おそらくは限界まで力を使ったのだろう。私がお礼を言って頭を下げると、苦い笑顔を見せて溶けるように消え去った。
私たちは中央の広場へ向かって走る。火を避け、道を変えて回り込む。ルカは燃えていた場所を上空から見た一瞬で覚えているようで、迷いがない。
焼けた瓦礫はレンガまで熱く、炭化した木も、かなりの熱を持っている。甲冑服を着ていなければ、きっと熱でやられていた。
「どうするの?」
「最短で道を通して、壁の外に避難させる。このままだと〝炎の蛇〟が出る」
ルカは固い表情のまま説明を続けた。
八年前、ルカが旅を始めた頃、山の上から見下ろした町から炎が上がっていた。周囲の森が燃えていることから、森林火災が町の中に飛び火した可能性が高い。
急いで山を下りたが距離があり、その間に炎の柱が何本も出現して、蛇のように町を舐めた。
ルカが町へ到着したのは二日後だった。まだ炎はくすぶっていて、町の外に避難していた人々は助かったけれど、中央の広場に逃げた人々は全員が焼死していた。
「その町の魔術師は、壁の中で大規模な火災が起きると〝炎の蛇〟が出現することを知っていた。外に逃げるようにと誘導したが、その言葉に従ったのは、町民の半分もいなかった」
その〝炎の蛇〟の話は国に広がり、特に町長には必ず伝えられるようになっているはずだったとルカは歯噛みする。
「〝炎の蛇〟……火災旋風ね」
「あれは風で起きるのか?」
「そう言われてる。火で熱せられた空気が上昇して風を作るの。あんまり詳しくないけど」
ルカは「そうか」と言って、黙ってしまった。走ることに集中する。
ララと大勢の男たちが、道を塞ぐ瓦礫を取り除いていた。ルカの目的地はここだったらしい。広場までは目と鼻の先。
「ライモンド!」
「ルカ! 悪い、町長が馬鹿だと知らなかった! あいつ、中央広場に避難誘導しやがった!」
ララが木を押しのけながら叫ぶ。
この通りが一番町の門に近い。私の力では大したことは出来なくても、やるしかない。少しずつ瓦礫が取り除かれていく。
唐突に熱い風が巻き上がった。周囲の空気が急激に昇っていく感触を皮膚で感じる。ぞわりと背筋に悪寒が走る。
……おそらく、ここに炎の柱が作られようとしている。
「ル、ルカ!」
ダメだ。逃げよう。逃げなきゃダメだ。ここから離れなければ、きっと死ぬ。私は恐怖でルカに助けを求めた。
「……アズサ、少し下がってくれ」
ルカの静かな声に、私は驚いた。何故、この状況で落ち着いていられるのか。
「何?」
「冷やせばいいんだろう?」
私の問いにルカは微笑んだ。訳がわからないまま、ララに腕を引かれて距離を取る。ララは周囲の男たちにも声を掛けて下がらせた。
ルカはポケットから何枚もの護符を取り出して、破き始めた。紙片は風に乗って円を描き、複雑な紋様を形作る。紙片が水色の炎に包まれて、地面を黒く焼いた。
出来上がった魔法陣の中央には、ルカが私に背を向けて立っている。
手袋を脱ぎ捨てたルカは、剣で左手の手首を切った。血が地面に滴り、黒い魔法陣が水色に光る。
ルカが呪文のようなものを唱え始めると、周囲の熱い空気が急速に冷えていく。
突然現れた黒い雲が夜空を覆い始めた。雲には赤い炎が反射して、黒と赤の不気味なコントラストが広がっていく。
「ララ! あれ、何? ルカは何をしようとしてるの? ルカは独りで魔法を使えないって言ってたのに!」
ルカは呪文を詠唱し続けていて、魔法陣は光り続けている。
「……魔法で雨を降らせるつもりだろう。最期まで、見ててやってくれ。あいつは〝王家の瞳〟を使うつもりだ」
「何、それ……」
初めて聞く単語だ。意味がわからない。王家?
「〝王家の瞳〟は、あいつの家の男だけが持つ、強大な魔力の封印だ。……ルカは魔法が使えないんじゃない。強大な魔力は、一度解放すれば制御不能になる。その身に宿るすべての魔力を消費してしまうまで、魔法が止まらない。だから使わなかったんだ」
ララはルカを睨むように見つめながら言った。
「すべての魔力を使ったら、どうなるの?」
「…………命を失う」
ララの言葉に私は衝撃を受けた。ルカに近づこうとして、透明なガラスのような何か不思議な壁に遮られた。
「王の結界だ。もう、誰も入ることはできない」
ララが呻くような声を出して、私の腕を掴んで結界から引き離す。王の結界? ルカが王? 意味がわからない。
呪文の詠唱が終わった。
「ルカ!」
結界の中で、ルカが振り返る。
「悪りぃな。アズサ、幸せになれよ」
ルカが綺麗な笑顔を見せた。それはエーミルの最期の笑顔と重なって。
私は唐突に理解した。エーミルが絶対に、私にキスをしなかった理由を。
強すぎる薬はキスを半日禁止されることもあるとイヴァーノは言っていた。
エーミルは私に配られた毒杯も飲み干した。もしも私があの後にキスをしていたら、毒で死んでいたかもしれない。
おそらくエーミルは集団自決が近いことを予想して、私がキスをしないようにと、拒む理由を何度も繰り返し語っていた。嘘だったのかはわからないけれど、異性とキスをすると神官の資格が無くなると私に刷り込むように繰り返した。
だから私は死んだエーミルにキスをしなかった。……私が生き残るようにと死んだ後も護ってくれていた。
ルカも私が生き残るように、その命を使って護ろうとしてくれている。
微笑むルカの水色の瞳が、金色に光り始める。
徐々にルカの髪も体も光を放つ。その姿は神々しい程、清らかで。
私の全身の血が沸騰したような気がした。
頭に血が上った。そんな生易しい言葉では表せない。
ララの腕を振り払って、結界に駆け寄る。
「ふっざけんなああああああっ!」
私は、全身全霊を込めて、結界に拳を叩き込んだ。
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