第20話 白雪の記憶と騒がしい荷馬車。
夢を見ていた。――おそらくは御神刀の記憶。
御神刀の前の持ち主は、黒髪に黒い瞳の日本人男性。三十代半ばだろうか。この国では見たことのない、直衣と洋服を掛け合わせたような服は、海の向こうの島国のものらしい。
異世界中を旅して、いろんなものを見たい。それが男の夢だった。御神刀を相棒と呼び、旅を続けていた。
ある日、男は村人に呼び止められる。その立派な剣で魔物を退治して欲しいと。魔物退治は男の得意とすることの一つだった。二つ返事で引き受けて、魔物を倒す。
その夜、村では宴会が開かれた。美味い酒だと男は笑い、杯を重ねた。
酒には毒が仕込まれていた。男はもがき苦しみながら死に、村人たちは男の持っていた金を奪い、御神刀を取り上げようとする。
御神刀は怒りに染まった。怒りのままに男の体を操り、村人たちを斬り殺した。それだけでは足りずに、近隣の村々でも男たちを斬り殺し続けた。
ある日、青い髪の女性が御神刀の前に現れた。男を追いかけてきたと笑い、自らの命と血で御神刀の怒りを鎮めた――。
思い出は唐突に終わり、私は真っ白な世界で御神刀と向き合っていた。私の黒髪と黒い瞳が気に入ったと御神刀は言う。異世界人だった相棒を思い出したと言って笑う。
『――毒は嫌いだ。あの時のことを思い出すから』
御神刀の声には、寂しさと悲しさが感じられた。
「何? 私、毒を盛られたの?」
『――毒に近い。惚れ薬だ』
「え? 私、あの人を好きになっちゃうの?」
私はどきりとした。見ず知らずの男を好きになりたくない。
『――いや。異世界人には効かないようだ。ただ、解薬を捨てたので、呪いを倍にして返した』
「あー、もしかして、あの魔術師が言ってた、即効性があるけど下手すると死ぬっていう惚れ薬?」
私はほっとした。惚れ薬なんて、効かない方がいいに決まってる。
『――ああ』
「あの人、死ぬの?」
『――わからない。本人の願い次第だ。……この世界では、願いは力だ。願う力が強ければ実現に近づく』
御神刀が私の手元に近づいた。触れた途端に、私は理解した。
その刀身は、前の持ち主の祈りと願いで出来ていた。
生きたいという祈り。元の世界に帰りたいという祈り。
そして、誰かと共に生きたいという願い。
透明な刀身は祈りだった。煌めく金の光の粒は願いだった。
「……貴方を作った人は、私と同じことを思っていたのね」
『――ああ。そうだ』
御神刀から、不思議な温かい何かが波のように打ち寄せて馴染んでいく。それは決して不快なものではなく、心地いい。
私の心に宿ったのは、元の持ち主の願い。誰かと共に生きたいという、私の願いと重なって強くなる。
「貴方のこと、何て呼んだらいい?」
『――白雪、と』
「可愛い名前ね」
『――私に性別はない』
御神刀――白雪の声に、少し恥ずかし気な音を拾う。
「白雪、これからもよろしくね」
『――ああ。こちらこそ、よろしく頼む』
白雪が笑ったような気がして、私も微笑み返した。
■
目を開くと、空色の瞳。血赤色の髪のルカの笑顔が見えた。
私は見覚えのあるベッドに寝かされていて、ルカは枕元の椅子に座って、私の手を握りしめている。窓の外から見える景色は朝。……ここは、医術師イヴァーノの診療室。
「あれ? ルカ?」
白雪の姿はない。私の中に戻ったようだ。
「気分はどうだ? 体調は?」
ルカがあちこちを触るので、私は迷わず拳を叩き込んだ。
あれだけ苦しかったのに、けろりと直った。薬の効果が切れたのだろう。イヴァーノの家の厨房を借りて、二人には簡単なサンドイッチ。私にはお粥を作る。
イヴァーノは独身で自炊をしているらしい。几帳面に片づけられた綺麗な厨房は、借りて使うのも緊張する。
テーブルにサンドイッチとお粥を並べた途端に、ルカが私の手を引いて、膝の上に乗せた。
「ほら、口開けろ」
ご丁寧にスプーンにお粥をすくって、ルカが笑う。
「え、ちょ。待ってよ。自分で食べるわよ!」
自分で作ったお粥をルカに食べさせてもらうなんて、どんな罰ゲームなのか。しかも、膝の上に乗せられている。暴れる私をルカが片腕だけで抑え込む。
「アズサ、自分の立場が分かってないようだな?」
スプーンを持ったルカがにやりと笑う。とにもかくにも恥ずかしい。
「……貴方もですよ」
音もなくルカの背後に近づいた医術師イヴァーノが、ルカの頭を本の背で叩く。無造作に束ねた淡い茶色の髪、紺色の瞳。白衣に似た上着を着た銀縁眼鏡の美形は、容赦がない。
「いちゃいちゃしたいだけなら、宿へ行って下さい」
「いっ……違う! 俺は看病をだな!」
ルカが反論する。
「ほう。それが看病とでも?」
イヴァーノから冷たい風が吹いてくるような気がして、ルカも私も青ざめる。
私はおとなしく静かに、ルカの膝の上でお粥を食べさせてもらうことになった。
■
「異常はないようですね」
診察を終えたイヴァーノがほっと安堵の息を吐く。私が気を失っている間に検査したけれど、念の為と言って、もう一度検査が行われた。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、イヴァーノは淡く微笑む。
三人でお茶を飲んでいると、外が常に騒がしい。窓から見ると木材を積んだ荷馬車が何台も連なって走っていく。
「フルヴィオ王子が、外国人観光客の為の滞在施設を作るそうですよ。何もこんな寂れた町に作らなくてもいいと思うのですが」
イヴァーノが溜息を吐いた。静かな場所というのが良かったのに、と呟く。
「ふーん。近くに何か観光資源ってあるの? 綺麗な景色とか温泉とか」
「何もないですね。だから不思議なのです」
イヴァーノが少し考えたけれど、何も思いつかなかったらしい。
「変な話だな」
ルカも窓から外の荷馬車を見る。
「外国人スパイの施設だったりして」
私は高校生の時に見た映画の話を思い出していた。観光地でも何でもない山奥に外国人向けのリゾートホテルが建てられて、そこを拠点にした外国人スパイたちが世界で活躍するというアクション映画だ。自然豊かな敷地内には訓練施設があり、武器や車、飛行機が揃っていた。スパイ役の俳優の格闘シーンがカッコよくて、何度も劇場に通ったことが懐かしい。
「ん? どうしたの? 冗談よ?」
黙ってしまった二人に視線を向ければ、ルカもイヴァーノも、固い表情で考え込んでいる。単に昔みた映画の話の中の虚構で、実際にはそんな馬鹿げた話はないと思う。
「ああ。そうだな」
ルカが苦笑して、イヴァーノも笑顔になった。
「アズサさん、カレーライスというものを食べてみたいのですが、作っていただけませんか?」
イヴァーノが少し耳を赤くしながら、微笑んだ。
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