第19話 自らの不実さに戸惑う。
腕から赤い雫がぽたりぽたりと落ちて行く。
魔物喰いとなり、人ではなくなった俺の血でも、変わらず赤い。
アズサと短時間でも離れたくはないが、俺が使っている護符の材料を見せたくはない。
通常の護符は、誰もが簡単に使える程の効果はない。複雑な魔術紋様が描かれた護符と充分な魔力、長い詠唱が必要だった。すべての過程をすっ飛ばして発動する護符は、少なくともこの国には八年前まで存在しなかった。
俺の血には多量の魔力が含まれている。俺自身が魔法を使うことはないが、各地の魔術師に血を提供し材料の一つとすることで、誰もが使えて即効性のある護符が作られている。
「そろそろ終わりにしましょう」
魔術師の言葉で俺は寝台から起き上がる。魔術師たちの血の採取方法は様々でガラスの漏斗の下、瓶の中に溜まった血液は、いつもよりも多い。
「……おい、多すぎだろ?」
「今は血の気が多いようですから、少し多めに頂きました」
魔術師が淡く微笑む。確かに血の気は多くなっているような気はする。アズサと宿に泊まり、アズサが作る食事を毎日欠かさず食べることで、体の調子がすこぶるいい。食事の心配をしなくていいという余裕が、別の意味での心配を生んでいる。……確かに少し血を抜かれた方がいいのかもしれない。
魔術師に治癒魔法を掛けられると腕の傷は綺麗に消えた。
「ご注文を頂いていた浄化の護符です。魔力を元にしていますので、血は消えません。ご注意下さい」
俺は魔術師から護符を受け取った。これでアズサの負担を減らせればいいのだが。
この世界に存在する神力と魔力は、同じ効果を発生させても、それぞれの特性がある。奇跡を起こす神力での浄化は血を消すが、魔力での浄化は血が消せない。おそらくアズサの浄化の術は神力によるものだろうと俺が知ったのは、ごく最近のことだ。
アズサの力は強大で、アズサはその力が御神刀によるものだと思っているが、術の効果が示される時に放つ光の色が違っている。その力のことを本人に教えるつもりはない。
アズサは誰とでも仲良くなる。その明るい笑顔が俺だけに向けられるものではないということに苛立つことがある。アズサが自分の力を知覚して、独りでも生きていけると気が付かないようにと黙っている俺は……卑怯だ。
俺はアズサが好きだ。共に日々を過ごす程、その想いが鮮明になっていく。身勝手な妄想がついつい行動ににじみ出して、冗談だと取り繕うことに必死な無様さを笑うしかない。
好きだと告げてアズサに拒否されることが怖いが、それ以上にアズサに無理強いになってしまった時が怖い。この世界で生きていく為に仕方なく俺に身を委ねることはあってはならないし、俺は望んでいない。
アズサは俺のことをどう思っているのか。酔っている時に聞いてみたいと思うことはあるが、勇気がない。アズサとの心地いい関係を壊したくないと強く思う。
待ち合わせの茶店へと向かうと、アズサの姿がなかった。店員に問うと、体調が悪くなり医術師に診せると今しがた連れだされたと言われ、俺は外へと飛び出した。
店を出て、横道を見ると豪華な馬車が見えた。アズサが二人の男に脇を抱えられて乗せられようとしている。
「アズサ!?」
問答無用で男たちを殴り倒して、アズサを奪い返す。
「……ル……カ?」
脂汗を額ににじませたアズサが、安堵の息を吐いて気を失った。
「お前、何をした!?」
アズサを抱き上げて、男に向かって叫ぶ。どこかで見た顔だ。アヴルの町の酒場で見た男だと思い出すと同時に、ドナトーニ侯爵家の次男だと気が付いた。
男が別の男に支えられて立ち上がった。服装から、恐らく従者だろう。
「……ルクレツィオ王子。どうかお戻り下さい」
男の言葉に俺は苛立つ。
「人違いだ」
髪の色が変わってから、俺はこの男と会ったことは無い。顔も姿もこの八年で随分変わっている。
「その瞳の色は隠せませんよ」
男は薄く笑う。……俺の目の色は、この国の王家の男にだけ現れる色で、〝王家の瞳〟と呼ばれている。
「俺は外国人だ。外国には、こんな色はどこにでもいる。それよりも、何をしたのか答えろ!」
アズサを片手で抱えて、男の喉元に剣を突き付ける。馬車から剣を持った従者が駆け寄ってきたが、男が手で制した。
「野蛮な行為は好みません。……彼女には、即効性のある惚れ薬を飲ませました」
剣を喉元に突き付けられながら、男は薄く笑って言った。
「惚れ薬? じゃあ、何故こんなに苦しんでるんだ?」
アズサは気を失っているというのに、苦し気な息遣いだ。
「わかりません。異世界人には効かないのか、それとも、薬の効果に抗っているのか」
男は余裕のある表情で答える。アズサが異世界人だと知られていることに、俺は内心動揺した。黒髪黒目は外国にもいる。黄色味を帯びた肌の人間もごく少数だが存在する。アズサが各地で異世界の料理を作っていることや、酒場での言動を見ていたのだろうか。……この男に、ずっと追跡されていたのかもしれない。
「解薬はあるのか?」
歯噛みしそうな感情を押し殺して、俺は静かに尋ねる。惚れ薬のような精神に影響を及ぼす薬には、必ず解薬が作られる。
「ええ。ここにあります。剣を納めて頂けませんか? このままでは薬を出せません」
静かな男の声に従い、俺は剣を納めた。男は上着のポケットから小瓶を取り出す。
解薬の存在に安堵した俺は受け取る為に手を伸ばしたが、微笑んだ男は手にした小瓶を石畳に叩きつけた。
「渡す訳がありません。僕はその少女を、結構気に入っていたのです」
割れた小瓶から漏れた液体が石畳に染み込んでいき、俺の血の気が引いて行くのがわかる。
「……いいですね。その絶望にまみれた表情。このような田舎で王族の絶望を見ることができると、は……!?」
男が突然、自分の喉をかきむしって、石畳に大量の血を吐いた。
「おい!?」
男は石畳でのたうちまわり、慌てた従者たちが救護を始めると、無関係な人々が集まり始めた。
解薬がないなら、ここにいても仕方ない。
俺はアズサを抱えて、その場を離れた。
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