第8話 優雅な世界を覗き見る。

 何かに押さえつけられる苦しさで目が覚めた。

 目の前には血赤色の髪の美形――ルカが私にのしかかっている。普通なら、ここで悲鳴の一つでもあげれば可愛い女とでも言われるのかもしれないけれど、相手は完全に眠っているとわかるから、重いとしか感じない。


「……これだから、可愛げがないって言われるのよね」

 悲鳴を上げる暇があったら、その状況を分析する。それが兄弟5人に揉まれて育った私の信条のようなものだった。


 エーミルと過ごした三年間は、虫を見ただけで悲鳴を上げるような女になっていた。最初は、ちょっとしたことで顔色を変えて心配してくれる過保護なエーミルの姿に驚いて、演技で悲鳴を上げては面白がっていた。


 エーミルに優しく護られることが心地よかった。演技が、いつの間にか体に馴染んだ。ルカが魔物を食べているのを目撃した時に倒れたのも、そんな女だったからかもしれない。すっかり昔に戻ってしまった今の私なら、あの場面を見ても倒れることはないだろう。


 ルカの下から抜け出すと、自分がルカのシャツを着ていることに気が付いた。シャツの下は全裸だ。思い返してみても、脱いだ覚えはない。内心焦りつつ確認しても、体に異常はなくてほっとする。


 ベッドの側に置かれた椅子の上には服が無造作に置かれている。下着も隠すことなくそのままだ。エーミルなら、顔を真っ赤にして下着の上にタオルか何かを掛けて隠すだろう。そんな光景を想像しながら、着替えを終えた所でルカが目を覚ました。


「ん?」

「おはよ。今日の予定は?」

「あー、えー、あ。あいつらに飯食わしてやらないと。全然食ってないだろ?」

 あいつらというのは貴族の少年と少女のことだ。ルカがララと出かけた後で目を覚ました二人に、二人が持っていたパンとチーズと果物を食べさせたことを報告しておく。

 二人はまだ眠っていた。よほど疲れているに違いない。昨日も、食事をしながら半分眠っていた。


「悪りぃけどな、外に出るからこの服着てくれ」

 ルカが手渡してくれた包みの中に入っていたのは、アンティークローズ色のひざ下二十センチのワンピース。七分袖で、あちこちに控えめだけれど可愛いフリル。いわゆるクラッシックロリータ風。元の世界でも着たことの無い可愛らしい服に怯む。


「うわ。こんなの着るの? 似合わないわよ」

「ライモンドの見立てだ。絶対似合うと力説してたぞ」


 シャワーを浴びて袖を通すと、確かに似合っていた。腕も上げられるし、裾周りもたっぷりとしていて歩くのを邪魔しない。共布で作られたリボンをポニーテールに結ぶ。


「お。いい感じじゃねーか」

 ルカの笑顔に、何故かどきりとした。空色の瞳がエーミルと重なる。元の世界ではありえない綺麗な色は、この異世界ならありふれた色なのかもしれない。ルカとエーミル、どちらも美形でも全く方向の違う造形だ。同じなのは瞳の色だけで、似てはいない。


「どうした?」

「あ、うん。ありがと」

 動揺した私は、きちんとお礼を言う事もできなかった。



 少女が目を覚まし、続いて少年が目を覚ました。

「アズサ、彼女を浴室へ案内して使い方を教えてやってくれ。着替えはその袋にある」

「ありがとうございます。使い方は存じております」

 ルカの言葉に、少女は微笑んで答えた。昨日は動揺して震えていた少女も落ち着いたのか、しっかりとした受け答えで安心した。


 少女が浴室へ入った後、青色がかった銀髪で紺色の瞳の少年が口を開いた。

「昨日はありがとうございました。あの、僕はアルミロ・セ……」

 最後まで名乗ろうとした少年の言葉をルカが遮る。


「見知らぬ者に、家名は名乗るなと教えられなかったのか?」

 ルカの声は冷ややかだ。

「ですが、貴方は命の恩人です」

 少年が反論をすると、ルカがさらに冷ややかに言い放つ。


「今の自分の状況を考えろ。その家名が自分と彼女を護る盾になるか? 家を知られれば、お前と彼女を人質にして、家に身代金を要求する可能性もある。今は一人の男として行動しろ。ここではアルと呼ぶ。いいな?」

 ルカの言葉に納得できないのか、アルは不満気な表情で黙り込んでしまった。


 浴室から出てきた少女は、私と色違いの落ち着いた緑色のワンピースを着ていた。金髪に緑の瞳。育ちの良さが所作に現れている。

「そっちの方は教育が行き届いているらしいな」

 ルカが冷たい声で言い放つ。教育とは、自分で浴室を使い着替えるということだろう。

「俺もシャワーを浴びるぞ。お前もついでに来い」

 うろたえるアルの腕を掴んで、ルカは浴室へと入って行った。


「……厳しい方ですのね」

「優しいわよ。わかりにくいかもしれないけれど」

 少女の呟きに、私はルカを擁護する。昨日からの言動では、確かにそう見えるだろう。でも、随分と気を使っている。

「ええ。それは感じておりますわ」

 少女は自らをベルと名乗った。アルと同じ十歳と聞いて、大人びた言動に内心怯む。自分が同じ歳の頃は、何をしていただろうか。


 ベルは自らが誘拐された場合の教育を受けていた。いざという時に何もできないのでは生き延びることはできない。自分で服を着ること、浴室の使い方、買い物の仕方も学んでいた。


「……私もどうかしていました。駆け落ちなんて、物語の中でしか成功しないのですね。……御者の方のご家族に、どう謝罪すればいいのか……」

 ベルが目を伏せる。御者の遺体は回収することはできなかった。今頃は、魔物や獣に持ち去られているだろう。家族に知らされるのは、死んだという証言だけだ。


「心から謝罪するしかないわね」

「はい」

 ベルは深呼吸をして、毅然と顔を上げた。少女とはいえ、しっかりとした教育を受けていると感心するしかない。


 浴室から出てきたルカとアルは、黒のドレスシャツにタイ。黒のズボンという優雅ないで立ちで、ルカは赤茶色のベスト、アルは紺色のベスト。


「親子みたいね」

 ルカは百八十五センチ程、アルは百四十センチ程。並ぶとそんな感じ。

「そういう設定だ」

 ルカが苦笑して、旅行中の商人の親子という設定で滞在すると説明する。


「髪色が全員違うけど」

「それは珍しくはありません。子供三人の母親が全員違うという話はいくらでもありますわ」

 私の疑問にベルが涼し気に答えて、ルカが遠い目になった。何かぼそぼそと呟いている。


「まぁ、いい。飯食いにいくぞ」

「飯?」

 アルとベルが首を傾げる。食事のことだと教えれば、成程と目を輝かせる。ベルには、女性は絶対に使わない言葉だときちんと教えておいた。


 宿屋の受付で出かけると声を掛けて外にでる。宿屋でも食事ができるようだけれど、何故かルカは避けた。

 十分程歩いて上品な店構えの料理店へと向かう。個室に案内されて、それぞれが注文。私はよくわからなかったのでルカにお願いした。


 当たり障りのない天気や季節の話をしていると、料理が運ばれてきた。

 ルカの前に置かれたのは、焼かれた肉の塊。見た目はローストビーフの塊。

「聖別された魔物の肉だ。バルディアではこの店でしか食べられない」

「初めて見ましたわ」

 ルカの説明に、ベルが目を丸くする。聖別された魔物の肉は珍味で、貴族でもめったに食べないらしい。宿屋で食事をしない理由がわかった。


 私たちの前には、パンとスープ、焼かれた野菜とソーセージ、大きな目玉焼きと、この国で一般的な朝食のメニューが並ぶ。この世界にはスプーンやフォークが存在していないから手掴みで食べる。最初は馴染まなかった食事風景も、エーミルの優雅な手つきを見ているうちに違和感がなくなった。


 切り込みが入った肉を剥ぐように千切るルカの所作がいつもと違う事に気が付いた。いつもはもっと適当で粗野だ。お酒のグラスを持つ手もどこか優雅。アルもベルも同じ手つきだと気が付く。私はエーミルの手つきを思い出しながら真似をしてみるけれど、作法として合っているのか、さっぱりわからない。


 食事を終えた後は、服屋へと向かった。店内は私のイメージする服屋からは程遠い。白と紺で統一された店内には、ハンガー類が一切なくて、ゆったりとしたソファのセットが置かれているだけだ。

 私以外の三人は、当然のようにソファに座るので、私もソファに座る。すぐに香りの良いハーブティが出された。


「本日は、どのような物をご希望でしょうか」

 優し気な声の中年男性が微笑む。おそらくは店主だろう。

「旅の途中だ。妻と子供に町で動きやすい服を一式揃えたい」

 落ち着いたルカの声が良過ぎて、聞き流しそうになった言葉を耳が拾う。咄嗟にルカの顔を見ても、アルもベルも平静な顔でお茶を飲んでいる。異議を唱えたい。でも、この雰囲気では大声を出しにくい。そういう設定だからと、繰り返し心の中で唱えて自分を落ち着かせる。


「承知致しました」

 男性が手を叩くと、デザイン画と布見本が運ばれてきた。

 ルカとベルがデザインについて話をしていると、時折、若い女性のモデルが見本を着用して店内を歩く。私はお茶を飲みながら、初めて見る世界に驚くことしかできない。


「奥様とお嬢様はお色違いでよろしいでしょうか」

「ああ」

「私、いつも青や緑ばかりですから、ピンクや紫を着たいですわ」

 ルカが店員の言葉に頷き、ベルが口を挟んで微笑む。置いてけぼり感が半端ないけれど、口出しできる程の知識はない。サイズを測られ、肩にいろんな色の布をあてられて、ルカとベルがこの色は似合う、似合わないと判断していく。


 デザインや布は主にベルがやり取りをして注文が終わり、私とアルは終始お茶を飲むだけで終わった。夕方にはそれぞれ一着、明日には二着が宿屋の部屋に届けられるらしい。下着も靴もと聞いて驚くしかなかった。


 物価が全くわからない私は、ルカが結構な枚数の金貨で支払っているのを見ているだけ。お金は沢山持っているのは知ってはいても、それでも心配だ。


「あー。直払いはめんどくせぇな」

 店から出た所で、ルカが呟いた。旅の途中の商人という設定なので後払いは出来ない。お金を入れたポケットが重くて破れそうだとぼやく。


「申し訳ありません。お代は家に請求して下さいませ」

 ベルの言葉に、ルカが金は不要だと苦笑して、あの空気に疲れただけだと肩をすくめる。確かに堅苦しくて疲れた気がする。


 朝からルカの雰囲気が違っているように思えて、少し寂しい。店員に対するやり取りも、言葉も態度もすべて洗練されている。こういった高級店に慣れているとしか思えない。


「……あの、可能でしたら町を歩いてみたいのです」

 ベルが遠慮がちに希望を述べた。

「わかった。行くぞ」

 ルカが了承して、私たちは町の中央へ向かって歩き始めた。

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