第7話 人肌の温もりに迷う。
俺は宿屋にアズサを残して、夕闇の町に出た。馴染みの騒がしい酒場の隅でライモンドと酒を飲む。魔物の肉以外に味がわかるのは酒と水だけだ。
「彼女、何者だ? ヤバくないか?」
気持ちの悪い演技を止め、ライモンドは男に戻って甘い果実酒を口にする。
「何がだ」
ヤバイとは、何を意味するのか。ライモンドは何をアズサから感じ取ったのだろうか。
「精神的に不安定過ぎる。時々、表情が抜け落ちるだろ。深淵覗いてるみたいで怖いぞ」
『深淵を覗く』というのは、この国では死に掛けているという意味だ。おそらくは、多くの人の死を目撃したこととエーミルの自決を見たことが、心理的な衝撃として残っているのだろう。
人の死は感情を凍らせることがある。というよりも、感情を凍らせなければ生きていられないこともあると、俺は知っている。
「……御神刀の巫女だ。エーミルの最期を看取っている」
迷いつつも俺は白状した。この男とは、子供の頃からの長い付き合いだ。下手に隠しても良いことはない。
「エーミルの女って訳か」
「いや。口づけすらしていない清い仲だったそうだ」
アズサは泣きながらエーミルとの思い出を断片的に話してくれた。アズサの数々の思い出に出てくるエーミルは俺が知っているエーミルそのままで、その光景が容易に想像できた。
「そっちの方が厄介だぞ。女は精神的な恋愛を至高と思うことが多いからな。死者は神格化されてくから生者には届かない所にいっちまう。心を現実世界に引っ張り戻せるかどうかだな」
ライモンドがにやりと笑う。
「俺は、アズサのことを何とも思ってないぞ」
泣いていたアズサを護りたいと思ったのは事実だ。刀を振るうアズサが美しいと感じ、背中を任せて共に戦えることに奇妙な満足感を覚えているのも事実だ。
恋や愛かと問われれば、わからないとしか答えようがない。そもそも生きることに必死で、そんな感情を覚える余裕は無かった。生きる為に魔物を狩り、肉を喰う。この八年、本当にそれだけだった。
「お前が手を離すなら、俺がもらう。彼女なら俺の本当の作品を着こなせそうだ」
ライモンドはアズサを気に入ったようで、上機嫌な顔を見せる。
「間違っても、お前には渡さねーよ」
俺は苦笑して答える。今年二十八になるライモンドは本来、甲冑師だ。金属で作るのではなく布で作った服に魔法効果を加えて甲冑服と呼ばれる物を作る。
ライモンドは二年前まで王都に工房を持っていたが、貴族達の勢力争いに巻き込まれて辺境のこの町に逃げてきた。今は女装をして、仕立て屋として店を開いている。今でも王都から貴族や騎士が隠れて注文に来ると聞いている。
小腹が空いた俺は、ポケットから紙に包まれた干し肉を取り出して口にした。
「それは?」
「干し肉。アズサが作ってくれた。美味いんだ」
「はっ。そんな顔しながら、何とも思ってないとは恐れ入るぜ」
ライモンドが苦笑する。干し肉が魔物の肉だと説明しなくてもわかっているから手を出してはこない。ちょっとした時、固形物を口にできるというのは、心の底から嬉しい。これまでは、酒や水を飲んで腹を満たすしかなかった。
「何日滞在する?」
「少なくとも六日は掛かるな」
この町から早馬で出した手紙は、三日で王都に届く。特別な形式で出した手紙は最速で相手に届けられ、返事も最短で三日と考えると六日は確実に掛かる。
「じゃ、久々に思いっきり甲冑が作れるな」
「おい。頼むのは甲冑じゃないぞ。普通の女の服だ」
俺の抗議にライモンドは片方の口の端を上げ、にやりと笑い返して来た。これは、絶対に甲冑服が出来上がる。……甲冑服を着たアズサの戦う姿が一瞬脳裏をかすめると見たいと思う気持ちが沸き上がる。
「……仕方ないな。防御重視にしてくれ。女に怪我はさせたくない」
俺は本音を隠す為に溜息を吐いてはみたが、少々ワザとらしいかもしれない。ライモンドの笑みが増々深まる。
「まぁ、服は俺に任せてくれ。戦う彼女が最高に輝く物を作ってみせる」
ライモンドはそう言って、久々に見る甲冑師の顔で工房へと戻って行った。
宿屋に戻ると、アズサがカウチで眠り込んでいた。声を掛けてみたが目を覚まさない。仕方なく抱き上げると、妙に軽く思える。この世界の女に比べるとアズサは小柄で、子供と言っても通用するだろう。……体は成人女性の物だが。
寝室のベッドの一つには少年と少女が眠っている。そろそろアズサとは寝場所を分けるべきだと思いつつも、同じベッドで眠る理由があることに、少し喜ぶ自分の心を感じている。
ブーツを脱がせたアズサをベッドに横たえた所で、ジーンズとかいうズボンが窮屈なのではないかと気が付いた。ボタンを外した所で、妙な金具がついていることに手が止まる。そのまま引っ張ろうと手を掛けた途端に、アズサが目を覚まして起き上がった。
「んー?」
「お、おい、その、窮屈じゃねーかなーって思っただけだからな!」
何故か声が上ずってしまう。親切心だけで他意はないのだから、焦る必要はない。
「んー? そうねーそうかもー」
ゆらゆらと揺れながら答えたアズサは、金具を指で摘まんで開き、ジーンズを脱いで、足で蹴り捨てた。
「は?」
靴下を脱いで、シャツを脱いで、次々と放り投げていく。ついには胸当てまで取り去り、下穿きの紐に手を掛けた。
「おい。それはマズイ」
アズサは完全に寝惚けているとわかっていても、柔らかそうで美味そうなクリーム色の肌の誘惑に喉が鳴る。視線を逸らしながら慌てて俺のシャツを着せると、ぱたりと眠りについた。
「……ありえねぇ」
アズサが脱ぎ散らかした服や下着を拾い集めた俺は、盛大な溜息を吐いて、アズサが眠るベッドに潜り込んだ。
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