第9話 風の精霊石と甲冑服と。

 四人で一般国民の店を見て回る。周囲には素朴な服装の人々が日々の買い物を楽しんでいる。場違いとも思える上質な服装の私たちは奇異な目で見られていたけれど、観光客と思われたのか、しばらくすると誰も気に留めなくなった。


「買い物をしてみるか?」

 ルカの提案にベルが飛びついた。銅貨を渡されて果物屋でオレンジ色のリンゴを買う。

「初めて自分の手で買い物をしましたわ!」

 これまで年齢に不似合いな落ち着きを見せていたベルが、リンゴの入った紙袋を受け取って、初めて興奮した表情を見せた。アルも見よう見まねで買い物をして、二人で笑い合っている。


 商店街を抜けると広場にたどり着いた。様々な屋台が立ち並び、あちこちにテーブルが置かれている。

「一般国民はその屋台で買って食べる。食べてみるか?」

 ルカの提案にベルとアルが目を輝かせた。


 屋台で売っている果物や、パンに焼いた肉やチーズを乗せた物、それぞれが選んで買って、テーブルに座る。パンは普通の味でも肉やチーズは私にとっては塩辛い。ベルとアルが美味しいと食べている前で不味いとはいえないので、必死で食べては果物と水替わりの発泡酒で口直しをする。

 ルカはお酒を飲みながら笑っている。固い雰囲気は崩れて、いつものルカだ。


 食べ終わった後も、ベルは積極的に街を歩きたがった。アルと手を繋いで様々な店を覗き、声を掛けられれば笑いながら答える。ルカと私は周囲に気を配りながらも、後ろを歩きながら見守るだけだ。

 夕食を食べた後に宿屋に戻ると、ベルが自分はまだまだ何も知らないと言い、ルカが当たり前だと答えた。


 毎日、町や公園を歩き、高い壁に囲まれた町のほとんどを歩いた。ルカは暗い路地裏も少しだけ見せた。明るい場所だけでなく、暗い場所もあるのだとルカは教えたかったようだ。ベルとアルは、普通の一般国民の生活を知ったと目を輝かせている。


 八日間があっという間に過ぎ去った。

「明日、迎えの馬車が来る」

 宿屋の受付から封筒を受け取って中身を確認したルカが、アルとベルに告げた。二人は残念だという表情をみせて肩を落とす。一緒に過ごした八日間で、子供らしい表情を見せるようになっていた。


「珍しい体験だっただろうが、決して楽な生活ではないとわかっただろう? 彼らが国の為に働いて税金を納めているから、貴族が暮らすことができることを忘れるな。国を護り、国民の生活を護るのが貴族の仕事だ」

 ルカの言葉で二人の表情が引き締まる。私は内心、もう少し子供でいてもいいのではないかと思うけれど、知らない世界に口出しはできない。貴族に戻る時間だとルカが言う。


 寝支度をしているとベルが話しかけてきた。最初の日以外は寝室のベッドを私とベルが使い、ルカとアルは居間のカウチと持ち込んだ簡易ベッドで眠っている。

「アズサ様、この精霊石を受け取ってくださいませ」

 ベルが私の手に透明な青い石を押し付けてきた。親指の爪くらいの大きさ。


「これは?」

「風の精霊を呼びだす為の石です。困ったときに精霊を呼ぶことができます。私の祖母から、この精霊石を使う前に誰かに命を助けられた時には、助けてくれた方に渡せと言われている物なのです。ルカ様は受け取って頂けないでしょうから、替わりに受け取って下さい」

「受け取れないわ。大事な物でしょう?」


「私の祖母は風の精霊と契約しておりますから、いつでもこの精霊石を作ってくれますわ。それよりも、祖母の言いつけを守らなければ、お説教が倍に増えてしまいます」

 私は精霊石を受け取ることにした。ベルから風の精霊を呼びだす方法を教えてもらい、ベルが静かに話す八日間の思い出を聞いてから、眠りについた。


 翌朝、立派な馬車が迎えに来た。二人が乗っていた馬車とは違って、立派で頑丈そうな作り。迎えに来たのは、ルカと同じ年頃の金髪に緑の瞳のベルの兄だった。ルカと知り合いなのか、少し離れた場所で会話を交わしている。


 二人が姿勢を正してお礼を述べる姿は、子供らしい表情は消えてしまって少し寂しい。

「ありがとうございました」

「二人とも、元気でね」

 別れの言葉はあっさりと返した。これから、貴族である二人にはどんな道が待っているのかはわからない。ルカは、一緒になることは簡単にはいかないだろうと言っていた。それでもアルには昨夜、何か策を授けたようだ。アルの顔つきが違っている。


 馬車がゆっくりと走り出すと、ルカは背を向けた。

「はー。マジで疲れた」

 ルカが盛大な溜息を吐いて、肩を回して首を左右に曲げる。


「ベルのお兄さんって、知り合い? あの手紙もあの人に出したの?」

 最初は和やかだった会話は、途中から厳しい表情になっていた。会話の内容は何故か聞こえなかった。

「知り合いだった。過去の話だな。手紙は別の知り合い宛てだ」

 だからアルとベルを一目見ただけで、どこの家の者なのか分かったらしい。


「……ルカも貴族だったの?」

 この数日、二人の前では聞けなかった質問をすると、ルカが苦笑する。

「昔の話だ。肉を喰っちまったから、家を出てきた。……そんな顔すんなよ。貴族なんて、堅苦しくて不自由だぞ。俺は今の自由な方が性に合ってる」

 いつものルカの笑顔が戻ってきて、私はほっとした。ルカが家を出てきたのは、迷惑を掛けない為だろう。何だかんだと言っても、ルカは他人に気を使う優しい人だ。


 宿屋の部屋で簡単な食事を済ませると、客が来たと従業員が扉を叩いた。

「お久しぶりー。元気ー?」

 お客は大きな箱を抱えたララだった。今日は全身黒のスリムなドレスに、控えめなフリルがあしらわれている。目の下の黒いクマは化粧でも隠せていない。どこかふらついている。


「大丈夫ですか? ちゃんと寝てますか?」

「寝る暇あったら、縫ってる方がいいわよー」

 私の心配も、ララは笑い飛ばす。着て頂戴と渡された箱は意外と軽い。浴室で着替えることにした。


 七分袖の生成色のブラウスにエンジ色のズボン。ベストとスカートは茶色の革のように見えても、軽くて丈夫な素材だ。あちこちにリボンやフリル、真鍮の金具で装飾が施されていて、いわゆるスチームパンク風のデザイン。胸を強調するようなデザインなのは少し恥ずかしいけれど、丁寧に作られている服は着心地がいい。こげ茶色の編上げのブーツと指ぬきの肘までの手袋、ポーチの付いたベルトを着ける。


 居間へと戻ると、ルカが口笛を吹いた。

「へぇ。いいじゃないか」

「スカートの右腰にある紅い石を捻ってみて」

 ララの言葉で紅い石を捻ると、スカートの左前の部分が左右に割れて、下に履いたズボンが見えた。

「普段はスカートで、刀を使う時はその状態にすればいいわよ」

 何か仕掛けがあるのか、スカートの裾が脚に纏わりつかない。戻す時は、紅い石を元に戻せばいい。捻る暇がない時は、短い呪文を唱えるだけで開く。


 この服は甲冑服という物だとララから説明を受ける。仕立てた服に魔法が掛けてあって、魔物の牙や爪にも耐えられる。茶色の布は魔物の革を加工した物だと聞いて少し怯むのは仕方ないと思う。


「アタシは火と土の属性だから、多少の炎の耐性もついてるわ」

 ララは魔術師の資格も持っていると笑う。この世界の魔力持ちは、火・木・土・水・風・光・闇の七つの中から、一~三種類の属性を持っていると説明を受けた。


 手渡された軽いゴーグルをつけていれば炎の中でも大丈夫と言われても、全くそんな状況が思い浮かばない。でもトータルでのデザインだと思うから、頭の上にヘアバンドのように乗せておく。


 手袋は手甲でもあって剣も受け止められる強度があるらしい。何故か戦うことが前提の服でも、動きやすくて気に入った。


「ありがとうございます。でも、あの……」

 私はお金を持ってない。口に出そうとした所で、ララがにっこりと笑う。

「久々に本気で作らせてもらったから、お代は結構よー。時々、工房に調整に来て頂戴」

 ララは本来、甲冑師という職業らしい。平和な世の中では普通の服しか注文はこない。腕が鈍るのを防げたと笑っている。


 翌朝、ルカと私はバルディアを出た。

 必要最低限の服以外はララに預けて身軽になった。行く所が無ければ工房で暮らしてもいいとララに誘われたけれど、私はルカと旅をすることを選んだ。


「いいのか?」

 町を出て、随分歩いた所でルカがぽつりと呟いた。

「いいんじゃない? 部屋でおとなしく縫物なんて、想像するだけで無理だもの」

 今の私には生き延びることの他に目的なんかない。


「そうか」

「次はどこに行くの?」

「少し先の森で魔物が目撃されたらしい。久々に思い切り喰えるな」

 ルカは聖別された魔物の肉は、食べた気がしないと笑う。ないよりはマシという程度らしい。


 聖別された魔物の肉は干物状になっていて、酒でふやかしてから調理をされる。価格を聞いて驚いた。町歩きでようやく理解しかけている物価から考えると法外だ。


「そういえば、かなり使ってたでしょ? 大丈夫?」

 あの高そうな宿屋の支払いもすべてルカだ。結局、ルカはベルとアルの迎えにも請求はしていない。

「たまにはいいだろ。ま、しばらくは野宿だな」

 ルカの笑顔に、私も笑顔で返した。

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