第10話 狩りの獲物と夜空の告白。

 深い森の中で魔物を呼ぶのは簡単だ。小動物を獲って、血を地面に振りまいておけば、しばらくすると集まってくる。逆に小動物を獲る方が難しい。警戒心の強い野兎や鶏に似た鳥は、なかなか姿を見せない。今日は特に時間が掛かっている。


「あー。めんどくせぇな。……仕方ねぇ。ちょっとデカい獲物になるが、大丈夫か?」

 ルカが確認するのは、血を見るのが平気かどうかだ。私が最初に血を見て倒れたことが忘れられないらしい。必ず確認してくる。


「大丈夫って言ってるでしょ。私だって捌いてるじゃない」

 もうウサギも鶏もどきも、ためらいなく捌くことができるようになっている。私が答えた後、ルカが低い音の変わった口笛を吹き始めた。


 がさがさと音がして茂みから姿を見せたのは鹿。きょろきょろと周囲を見回している。

「怖ければ目を瞑ってろ」

「怖くないわよ」

 ルカには笑って答えてみたけれど、本当は少し怖い。今までの獲物のサイズより遥かに大きい。


 ルカはナイフを投げて、茂みから飛び出す。剣で鹿の喉元をざっくりと斬り付けると、鹿はどさりと倒れた。一瞬のことで驚く。

「凄い!」

 一撃必殺。手慣れている以上の動きは、これまでに培ってきた経験なのかと考えると苦しい。


「すぐに魔物が来る。脚だけ斬るぞ」

 ルカは後ろ脚を掴んで、大きなナイフを出した。かなり大きな鹿なので、脚もそれなりの太さがある。


「ちっ。来たか」

 ルカの呟きで、魔物が近くに来たことを知った。ナイフを渡されてルカが剣を構えた。

 茂みから姿を見せたのは、すっかり見慣れた黒い狼のような魔物。よだれを垂らすのは初めて見た。


「よっぽど腹が減ってるようだな。……俺と同じか」

 ルカが苦笑する。私はナイフで脚を切るけれど、なかなか進まない。自分の手際の悪さにいらいらとした時、『呼べ』と刀が囁いた。何故と思ったけれど、素直に刀を呼び出す。


「は? お前、それで斬るのか?」

 刀を持った私をちらりと見たルカが呆れた声を出した。


「だって、刀が呼べって言うんだもの。ほら、前向いて! 来るわよ!」

 すっぱりと脚が骨ごと斬れた。巨大な骨付きのもも肉だ。焼いたら美味しそうと思ってしまうのは、野宿に慣れてきたからなのかもしれない。


 私が脚を斬っている間に、ルカは魔物を二匹倒していた。

「よし、移動して飯にするか」

 ルカの楽し気な声に、私も同意した。


 ルカが吹いた音の低い口笛は、この世界の鹿が異性を呼ぶ声と同じらしい。雌しか呼べないと苦笑する。

 鹿の脚と魔物を捌いて焼いて食べた後、ルカはナイフで魔物の爪を切り始めた。爪や牙は魔術や薬の材料になるので高く売れるというので、私も魔物の爪を斬る作業を手伝おうと脚を手にした。


「ん?」

 爪を掴んで、一定の方向に曲げると、ぽきんと音がして動きが軽くなる。そのまま引き抜くとするりと根元から爪が出てきた。


「は?」

 根元から抜けた爪を見て、ルカが間抜けな声を上げる。ルカも同じように曲げてみても、ぽきんという音はしない。私が曲げるとぽきんと音がして、するりと爪が抜ける。ルカに言われて牙にも試すと、同じように音がしてするりと根元から抜けた。

 結構面白い。結局、残っていたすべての爪と牙を私が抜いてしまった。


 この異世界では、人間の遺体だけではなく、動物の死体も消えてしまうらしい。

「だったら、爪とか牙も消えるんじゃないの?」

「加工すると消えないからな。だから殺してすぐにばらす。……当たり前すぎて考えたことなかったな」

 骨を保存したい時も、すぐに肉を削ぐか、塩か酒に漬けてから乾燥させる。店に並んでいる肉や魚は、一旦塩漬けにされるから消えることはない。


「あー。だから何でも塩辛い訳ね」

 この世界の人々は、塩辛いのが当たり前になっているのだろう。私の舌がおかしい訳じゃないとわかった。元の常識とは違うことが多くても、その違いが面白いと思えば楽しいことばかりだ。


     ■


 夜は変わらず、ルカのマントを敷物にして一緒に眠っている。私用のマントもララが作ってくれたけれど薄い。とても丈夫で、軽くて撥水性もある便利なマントでも、地面に敷いても厚みがないので折り畳んで枕にしていた。


 夜空には赤い月と緑の月が輝く。小さな白い月は三日月より細くなっていて、星の輝きが勝っている。黙って見ていると、星空が落ちて来そうで怖くなった。

「……ずっとこうやって暮らしてるの?」

「……ああ」

 ルカの答えには少し間があった。触れてはいけない、聞いてはいけないことだったかもしれない。

 気まずい沈黙の中、徐々に暗闇に目が慣れてきた。ルカの表情も見える。


「この八年、魔物を狩って、喰って生き延びる。ただ、それだけだった。獣と変わらない。バルディアでの生活は、久々に人間に戻った気がしたな」

 ルカが右手を揚げて指を広げた。剣を使う大きな手は、あちこちに傷がある。


「あいつらに偉そうな説教をしたが、俺も結局は家から逃げた人間だからな。言う資格はないんだ」

「ルカが家を出たのは、魔物の肉を食べちゃったからでしょ? 迷惑を掛けないようにっていうことなんだから、逃げた訳じゃないと思うわ」

 私は手探りでルカの左手を握りしめる。ルカは騙されて魔物の肉を食べたと言っていた。きっとルカのせいじゃない。


「弟がいるんだ。八つ年下で、ちょうどアルと同じ十歳の時に俺は家を出た。それから会ってない。今は十八になってるか。……俺は、アルに厳しすぎたか?」

 ルカの声が、初めて不安な音を帯びる。意外に思うと同時に、ずっと独りで生きてきた孤独を感じた。私はルカの左手を強く握りしめる。


「男同士なんだから、もっと厳しくても、大丈夫だと思うわ」

 笑いながら答えれば、ルカが小さく安堵の息を吐いた。

「私には三人の兄と二人の弟がいたわ。女扱いなんて一切なしで大変だったんだから」

 毎日、男のように扱われて喧嘩ばかりだった。しかも口より先に手が出る方で、生傷は絶えなかった。父母も祖父母も、決着がつくまで口出ししない。


 ――エーミルは、初めて私を女の子扱いしてくれた。独りになりたくて屋根に上ると、真っ青になって心配しながら追いかけてきた。女性らしい服を着れば可愛いと微笑まれ、そっと花を手渡してくれた。


 突然ルカが抱きしめてきて、思い出が途切れる。

「ちょ。何よ」

「寒くなってきた」

 ルカの声が耳に心地いい。私は抵抗することをやめて、ルカの腕の中で目を閉じた。


     ■


 ルカとの旅は気楽で楽しくても、長期になると過酷だと痛感するのはすぐだった。魔物を求めて歩き回る日々。狩りをしなければ、干し肉以外は何も食べられない。余った魔物の肉で干し肉を作るけれど、移動するので少しずつしか作れない。時折、小さな村に寄って魔物の情報を聞き、私用のパンやチーズ、野菜や果物を買う。小さな村には宿屋はない。


 頻繁に水浴びはしても、私の浄化の術で凌ぐこともある。少しして生理が始まっても、私はルカに何も言えずにいた。

「アズサ? 具合が悪いのか?」

「大丈夫」

 今まで生理痛なんて感じたことはなかったのに、お腹が重くて痛い。歩くのが精一杯だ。頻繁に様子を尋ねるルカに、言葉を返すことも億劫になってきた。


「……ごめん。ちょっと休ませて」

 限界がきた私は、木の下に座り込んで寄りかかった。

 目を閉じると、すとんと意識が落ちた。

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