第29話 そして、旅は続いて行く。
カーテンの隙間から差し込む朝の光で目が覚めた。
体のあちこちが痛くて、思い出すと頬が熱くなる。
今朝もルカの抱き枕状態。これが最後だと思うと、抜け出すのが名残惜しい。
ルカはよく眠っている。そっとキスをして、腕を解く。
ベッドから出ようとして、足に何かが引っかかって顔から落ちた。咄嗟に手を付こうとしたのに床へは落ちていない。
「あれ? ……うわっ!?」
腰に掛けられた腕で、体ごと引き戻された。
「……どこ行くんだ?」
背中から抱きしめるルカの囁きに体が震える。
「え? 薬は?」
眠る前、ルカの飲み物に睡眠薬を混ぜた。医術師イヴァーノから、眠れない時にと渡されていた薬。
「王族舐めんなよ。大抵の薬に耐性は付けてある。人の倍量でも効かないな」
ルカが少し自慢げな声を出して鼻で笑う。
「で、どこ行こうとしてたんだ? ……体に聞くぞ?」
ルカが甘い声で囁く。それは困る。私はルカに顔を向けた。
「……ここから出て行こうかなって」
「何でだ?」
ルカが少し不満気な声を出す。
「私の我儘なのよ。ルカが王になって、誰か他の女がルカの隣にいるのを見るのは嫌なの」
そう。本当に私の我儘だ。ルカには私の気持ちを告げて、ルカの気持ちも聞けた。この思い出があれば、独りでなんとか生きていけると思う。
「俺がいつ、王になるって?」
ルカが意地悪な笑顔を見せた。
「だって、ベルとアルの母親が言ってたわ。この国の王はルカしかいないって、皆そう思ってるって」
宰相と辺境伯がこの国でどういった地位を占めているのかはよくわからない。ただ、国の重鎮であることはわかる。そんな人たちからルカは王になるように求められている。
「何度も言ってるだろ? 俺は王になんかならない。ま、俺を信じてくれ」
ルカは笑って、私の頬にキスをする。ルカの笑顔と言葉を信じたいとは思う。
「俺はアズサと一緒にいたい。アズサもそうだろ? 王の結界ぶっ壊す程の願いなんだろ?」
「そうなんだけど……」
ルカと一緒にいたいと今も思う。ルカもそう思ってくれているのはわかっている。それでも私の心は昨日一日体験した城での暮らしで委縮している。たった一日だけでも絶対に無理だと感じた。
「……怖いの。ここは、私が生きてきた世界と全く違う。王の愛妾の姿がね、私の将来なのかもって思うと、物凄く怖かったの」
私は自分が感じている恐怖をルカに正直に話すことにした。王になったルカの隣に堂々と立てなくなるかもしれないということが、怖くて仕方がない。私の訴えをルカは真剣に聞いてくれた。
「そうか。不安にさせて悪かった。気が付かなかった。もしも王になったとしても、王妃はアズサ一人だ。他の女はいらない」
ルカの声は優しい。髪を撫でられて抱きしめられて、ようやく恐怖が薄れていく。
「アズサ、俺は王にはならないが、王族として国民を護るつもりだ。それで話はつけてある」
「どういうこと?」
ルカは弟トゥーリオが将来王になる為に影で支えると約束していた。この国を外国に売ろうとした異母弟と有力貴族たちを一掃することが王子としての最後の大仕事だと笑う。
「国を救う代償に、魔物喰いの王子は消える。それでいいんだよ」
にやりと笑うルカは、いつものルカ。抱きしめられるとほっとする。
「ん? ……何これ?」
足首には、柔らかい赤い紐がゆるく結ばれていた。その先はルカの足に繋がれている。先程、足にひっかかったのはこの紐か。
「赤い糸より太くていいだろ? ま、運命だから諦めてくれ」
やけにさわやかに笑うルカの言葉の意味がわからない。この世界で運命の赤い糸なんて聞いたことはないけれど、もしかしてあるのだろうか。
「起きるには早いな。という訳で、もう一回……」
私は迷わずルカの顎に頭突きを食らわせた。
結局、私が寝室から出ることができたのは昼前だった。侍女たちに囲まれて、慌ただしく身支度が整えられる。
私に用意されていたのは、血赤色の豪華なドレス。ルカは黒に金色の装飾がされたロングコート。互いの髪色の衣装を着るのは、婚約を発表する時のこの国特有の伝統らしい。
「うーん。物凄く威圧感あるわよね」
鏡の前で並ぶと完全に悪役カップルのよう。高笑いの真似をしてみたくなる。
「似合ってるぞ、アズサ」
にやりと笑うルカは、どことなく吸血鬼みたいでカッコいい。
昼過ぎの王城の広間には、多くの貴族たちが揃っていた。昨日の晩餐会以上に人がいる。今日は晩餐会に出られなかった貴族たちに向けての、第一王子の帰還を祝う会らしい。
「行くぞ、アズサ。一緒にいる為だ。腹を決めろ」
「了解」
震える脚を叩いて背筋を伸ばす。やっぱり私はルカと一緒にいたい。ルカが信じろというなら、信じる。
王族の入場は広間の一段高い場所に専用の入り口が設けられている。入り口に立った途端に人々の注目を浴びた。
「第一王子ルクレツィオ・タティウス様、ご婚約者アズサ・ロッカミ様」
ルカの隣に立つ私の名前が呼ばれた途端、貴族からは驚きの声が上がっていた。あれは誰だという声が低く波のように聞こえる。
笑顔を作る余裕はない。ルカがさりげなく腰を支えてくれなければ、怖くてうずくまってしまいそう。
広間の奥、一番高い場所の王座に王と王妃が座る。少し低い場所に、ルカと私、濃い鮮やかな青のロングコートを着た第三王子トゥーリオが立つ。何故か王の愛妾の姿はない。
王を挟んで反対側、銀の髪の第二王子フルヴィオも濃い鮮やかな青のロングコートを着用して立っている。遠い場所なのと、長い前髪で顔は良く見えない。エーミルとよく似た髪の色だと何故か思う。
王の最初の挨拶は、昨夜と一転して第一王子の帰還祝いという言葉はなかった。今年一年の国内の話、明日からの新年の話が続き、第一王子からの国の将来に関する話を聞いて欲しいと締めくくられた。
王の指名を受けたルカは、私を伴って王座に近い場所に設置された演壇に立つ。長く姿を消していたことの謝罪から、ルカは話し始めた。貴族の中には、涙を流して喜んでいる人もいる。私は少し落ち着いて周囲を見る余裕が出来てきた。
「――ここで、皆に知って欲しいことがある。私は卑劣な計画によって、食事に魔物の肉を混ぜられ、魔物喰いと成り果てた。この髪色の意味を知っている者もいるだろう」
貴族たちが一斉にざわつく。この髪色の意味は確認するまでもなく、ほとんどの貴族は知っていることらしい。わざわざ口にしたことに驚いたのだろう。
「私に魔物の肉を食べさせたのは、フルヴィオだ。ここに証拠がある」
ルカはロングコートのポケットから出した誓約書を手に掲げた。銀の髪のフルヴィオが一斉に注目を浴びる。
本当は貴族たちの目の前で断罪することは避けたかったとルカは言っていた。静かに王位継承権を辞退してくれればいいと弟トゥーリオと宰相に証拠を渡していた。
「これは私を陥れる計画を実行した者たちが、互いを裏切らないようにと作られた誓約書だ。フルヴィオだけではなく、公爵家や侯爵家の当主の名前が書かれている」
ルカは次々と八名の名前を読み上げた。すべて本人の自筆であることは確認が取れているという。八名はフルヴィオの近くにいるようで、貴族の視線が一斉に集まっている。
「この者たちは銀神教の教祖から聖別されていない魔物の肉を買い、私と友人の食事に混ぜた。それだけではない。銀神教を利用して外国から金を受け取り、侵略の手引きをしていた。あれがその証拠が記録された帳簿だ」
ルカの言葉で帳簿を掲げたのは、控えていた宰相のトリエステ公爵だ。
「すべての書類は改ざんされないように、銀神教の神官エーミルの神力によって保護されている。疑うならば、神殿で調べてみればいい」
ルカの口からエーミルの名前が出てきて、私は驚いた。人々からもエーミルという囁きが聞こえる。エーミルは王都の貴族にまで知られる程の神力を持つ神官だったのか。
「この告発は神官エーミルのものでもある。これらの証拠は、彼が死んだ際に私へ残したものだ」
ルカの静かな言葉で、貴族がさらにざわめいた。エーミルへの称賛の言葉が聞こえる。
……やっぱりエーミルは私には手が届かない聖人だった。腐敗した教団にいたけれど、正義感があって、とても優しい神官だった。一緒に過ごした三年間は忘れたくないと強く思う。
王から、フルヴィオ王子と貴族たちの捕縛の命令が下された。
すぐに甲冑服を着た騎士たちが王子と貴族を囲み、広間から連れ出していく。一カ所に集められていたのは、一挙に捕縛する為だったのかもしれない。
ルカは王に堅苦しい言葉で礼を告げて、また貴族たちに向き直った。
「私に期待をかけている皆に、私は謝罪しなければならない。私は王座に就くことはできない。魔物喰いとなった以上、王家の血を穢すことは許されない」
ルカは貴族たちに静かに語り掛ける。長い歴史を重ねてきた王家の血の重要性を語り、魔物喰いに変容してしまった自分はふさわしくないと言葉を重ねる。
「――私の替わりに弟トゥーリオを頼む。未熟者ではあるが、皆で支えてやってくれ」
ルカの最後の言葉に貴族たちが熱狂した。未来の王トゥーリオに忠誠を誓うという声が口々に聞こえる。
ルカは私を伴って演壇から降り、トゥーリオに近づいて、軽く抱き合ってから肩を抱く。トゥーリオを頼むという仕草だけで、さらに熱狂が加わった。
言葉と仕草だけで、これ程までに人を引き付ける。ルカは本当に王の資質を持っている。
私が黙って見ていると、ルカが戻ってきた。演壇に上って挨拶するトゥーリオに対する貴族の熱狂はまだ収まってはいないけれど、私たちは静かに広間から外に出た。
ルカの部屋に戻ると、ララが大きな箱を持って待っていた。今日もララは深緑色の甲冑服。着替えとして渡されたのは、新品の甲冑服だった。エンジ色をベースに、新しいデザインが加えられている。侍女たちにドレスを脱がせてもらった後、自分で着替えた。ポニーテールにしてリボンを結び、ゴーグルを頭に乗せれば、気が引き締まる。耳の赤いピアスを指で揺らす。
扉を開くと、ルカも新しい紺色の甲冑服を纏っていた。さらさらとしていた髪はぼさぼさに戻っていて、ルカには似合っている。
「アズサ、行くぞ」
ルカが私の手を強く握る。
「どこへ?」
私はルカと一緒ならどこでもいい。
「魔物退治に決まってるだろ? 世の中、困ってる国民がいっぱいいるからな!」
ルカの言葉はどこまでも明るい。ララが横で苦笑している。
「本当に、王にならなくていいの?」
身勝手な話だけれど、王座ではなく、私を選んでくれたことが嬉しい。ルカの答えはわかっていても、私はもう一度確認する。
「ならねーよ。あんなめんどくさくて窮屈な生活に戻れるわけねーだろ。嫌でもさらっていくからな!」
ルカは意地悪な笑顔で答える。
「ま、そうね。私もドレスなんて着てられないわ!」
私も笑って答える。白鳥のような生活は、私には耐えられない。
正面の広場には、白馬に乗ったイヴァーノが黒毛と葦毛の馬を連れていた。黒毛はトビアだ。ルカが私の手を引いて走り出す。
「トビア! 久しぶり!」
火災の日、トビアは厩の扉を蹴り壊して、すべての馬を逃がしたと聞いている。とても賢い馬だと思う。
私はトビアの上、ルカの前に乗せられて、ララは葦毛の馬に乗る。
「よし! 行くか!」
ルカの掛け声で、三頭の馬が競うように駆けだす。落ちないようにルカに寄りかかると、ルカが腰に回した腕の力を強めた。ルカの腕の中は温かくて安心できる。
見上げる空はどこまでも青くて、赤と緑の二つの月が輝いている。太陽は小さく遠い。まだまだ、私はこの異世界のことを何にも知らない。ルカと一緒に、いろんな場所を見てみたい。
エーミル、私は貴方に護られた命を大事にするわ。
この異世界で、私はルカと一緒に生きていく。
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