第28話 本音

 カナリアが何か言葉を発するまえに。


「何のご用ですか?」


 前方の二階へと続く階段からレイチェルが降りてきた。傍らに守衛二人を伴っている。

 相変わらず固い表情だが、そこには嫌悪が混じっているようにも見えた。


 レイチェルは私の前までくると、もう一度同じ問いを発した。


「何のご用ですか? あなたとの取引は終わったはずです」


 私の謝罪にカナリアがどう答えを出すかは分からないが、伝えるべきことは伝えた。あとは私の好きにやらせてもらう。


「だらだらと話すのは性分じゃない。結論から言う。カナリアを返せ」


 私はカナリアを自分のほうに引き寄せてそう言った。


 レイチェルは肩を竦める。


「何を言うかと思えば……取引はお互い合意の上で成立したはずです。それを今更撤回しようなどと許されると思っているのですか?」

「知らんな。あの時はあの時、今は今。私は気分屋なんだ」

「そんな子供じみた理由がまかり通るとでも?」

「勘違いしているようだが、主導権を握っているのは私だ。お前の了承なんて意味もない。街でもあれだけ騒ぎになっているんだ。私が魔法使いだというのは知っているんだろう?」


 凄むと、すぐに両脇に待機していた守衛二人が銃を構えた。

 が、レイチェルは軽く手を上げてそれを制した。


「なるほど。言う事を聞かねば力づくで事を片付けると。ですがその体では動くのもやっとでしょう」

「お前らと心中する元気はまだあるさ」

「強がりを」

「事実だ」


 少しの気後れも見せない私に、レイチェルは眉間に深いしわを刻む。真正面に私を睨みつけ怨嗟のこもった声を出した。


「……他人のあなたにアレナを幸せにすることができると、本気で思っているのか?」

「逆に問うが、お前になら可能だと?」

「私には財力がある。今までのように苦労させる事も我慢させる事もない。本物の自由を実現させてやれる。悪事に手を染めるまで金に困ったあなたには到底できないことだ」

「口を開けば金が金が……もうその言葉は聞き飽きた。金と幸せは繋がらない。ここまできても自身の過ちに気づけないとは、やはり愚かな男だよお前は」

「アレナとは他人の、ましてや子供を持った事のないあなたに何が分かる!?」

「分かるさ。カナリアから目を背け続けているお前よりかずっとな」


 自分本位でしか物事を考えられないバカ親が。こいつと言葉を交わしていると苛々する。


「私が目を背けているだと……見当違いも甚だしい! 私ほどアレナの事を見、心から想っている者はいない! たかだかひと月ともに生活をしたからと、アレナの全てを分かった気になるな……!」


 レイチェルは平静の仮面を剥ぎ捨て激昂する。


「私はアレナの父親だ! アレナを幸せにする義務がある。その為なら自分を犠牲に――」


 気づいた時には、私は自然と足を踏み出していた。


 その瞬間、二つの発砲音がホールに響いた。

 避けるだけの体力はなく、放たれた鉄の塊が両足の肉に食い込んだ。

 熱い痛みに呻き、よろめいたが、倒れはしなかった。倒れるわけにはいかなかった。

 震える足を踏ん張り、歩みを止めなかった。


 カナリアに銃弾が当たる事を危惧して発砲を止めるよう命令を出しているレイチェルの元まで行き、両手で襟元を掴んだ。


「何を……」

「だったら」


私は叫ぶ。



「――だったら捨てるなよ! 自分たちの身勝手な感情で見捨てるなよ……!」



 腹の底に溜まっていた激情が抑制を失い、体を纏う炎へと変換された魔力とともに溢れ出た。


「何が幸せにする義務だ、ふざけるな! カナリアを不幸のどん底に押しやったのは誰だ! カナリアの笑顔を奪ったのは誰だ! 簡単に幸せの上書きができると思うな!」


 過去をやり直せる気でいるのは、いつも過ちを犯した者だけ。被害を受けた者の心に刻まれた傷は一生消えることはない。


「カナリアが一度でも〝幸せ〟だと口にしたか? 一度でも笑ったか? この一週間、お前はカナリアの何を見てきたんだ!?」


 こいつは何も分かっていない、何一つも。


 祭りの日の夜、花火を見ながらカナリアが語った悲惨な過去。


 しかしカナリアは一度として辛かったとも苦しかったとも言わなかった。

 ただ、私と今一緒にいること、自分が独りではないと言ったとき、それまでは淡々とした口調だったのが、どこか弾んだものに変わったんだ。


「裕福でなくてもいいんだ……帰る家がボロ屋でもいい、着る服が汚くてもいい、好物を食べれなくてもいい……ただ一緒にいてくれさえいればそれで良かったんだ……! ただ隣にいてくれればそれで……」


 目じりに溜まった涙が頬を流れ伝った。


 脳裏を過るのは、捨てられた日の記憶。親に裏切られた事実を肯定したくなくて、必死に頭の中で言い訳を考えて、幻想を抱く毎日。豪華な洋館に衣装、食事、それらが心の安寧をもたらしてくれる事はなかった。金なんて両親の愛に比べれば、ただの光る石ころに過ぎない。


「なんで捨てるんだよ! 途中で投げ出すぐらいなら作るな! 作ったのなら責任を持てよ! 最後まで面倒をみろ! ずっと傍らで……寄り添ってくれよ……」


 口から次々に溢れてくる幼稚な思い。ずっとくだらないと心の奥底にしまって向き合おうとしなかった本音。自分のものではないような声が、でも確かに私の喉から出てきた叫びがホールに響き渡る。

 泣きじゃくる幼子のような醜態を晒していると分かっていながら、しかし止めることができなかった。遠い過去から蘇るように、悔しさや切なさが胸のうちで広がり締めつける。


 僅かに残った理性が心を静めてくれるまで時間が掛かった。


 私は呆然とした様子のレイチェルに強い眼差しを向けた。


「今はまだ理解できないからいい。だがこの先、カナリアが捨てられた事実を知る時が必ず来る。今が幸せだからと過去を忘れる事は決してない。必ず心のどこかに小さな傷が生まれ、やがてそれは憎しみに姿を変える」


 どれだけ今の生活が順風満帆だろうと、どれだけ言い訳や謝罪をされようと、捨てられた事実は変わらない。変えられない。親からの愛情を疑心し、小さな物事一つでそれまで築き上げてきたものは瓦解してしまうだろう。


「そして憎んだ先にあるのは悲しみだけなんだ……」


 両親を手に掛けたとき、私の心を満たしていたのは悲しみだけだった。歓喜も安堵も一つとして抱けず、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちだけしか残らなかった。


 今でも私は両親を憎しみ続け、自分の行いを悲しみ続けている。この思いは未来永劫消えることはないだろう。


「カナリアの思いに気づいていない今のお前では、その悲しみを背負わせることになる」


 許さない。カナリアには私と同じ過ちを犯させはしない。

 分からないと言うならば私がこの手でお前を……。


「――――」


 その時、足に何かがぶつかる感覚がした。


 みると、カナリアが私の足にしがみついていた。

 こちらを見上げる顔は悲しみに彩られており、瞳は濡れていた。


「エリシアさま、ぱぱ、けんか、やっ。カナリアがわるい、ごめなさいする、けんか、やっ!」

「…………」


 カナリアの必死に訴える姿を目にした瞬間、膨れ上がった感情が急速に萎んでいった。

 私はレイチェルの襟元からゆっくりと手を離した。


 レイチェルは腰が抜けたようにその場に尻もちをついた。両脇でまごついていた守衛たちが直ちに駆け寄って背を支える。


 まるで私の行動を止めるように、私の足を強い力で抱きしめるカナリア。

 こんなにも小さな子に気遣わせてしまうほど愚かな行為に出ようとした自分を恥じた。


 私はカナリアの頭に手をやった。


「謝るな。お前は何も悪くない。……ありがとう」


 醜い感情に流されるまま、私はまた取り返しのつかない事をしようとしていた。そんな事をしてもカナリアが喜ぶはずないのに。


 ……まったく、ダメダメだな私は。カナリアのほうがよっぽどしっかりしているじゃないか。


 目じりや頬を濡らす涙を拭き、気持ちを整理するため深く息をついた。


 そうして、ようやくいつもの私に戻る。


 どこか気の抜けたような様子のレイチェルを見下ろして言った。


「話が遠回りし過ぎたな。お前がどう思おうと関係ない。カナリアは返してもらう」

「そ、そんなこと許すわけが……」


 まだ反論の意志を示すレイチェルを無視し、私は「お前はどうしたい?」とカナリアに向けて訊ねた。


 カナリアは私とレイチェルを交互に見やったあと、俯く。


「カナリア……ぱぱといっしょにい……」

「何と答えようと私はお前を無理やりにでも家に連れ帰る。なら、正直に話したほうがいいぞ」


 そう言うと、カナリアは顔を上げて目をぱちくりさせた。

 やがて意味を理解したようで一度頷いたあと、レイチェルの元に歩み寄った。


「ぱぱ」

「アレナ……」


 レイチェルはどこか希望に縋るような眼差しで娘を見る。


 カナリアはその目を受け止め、


「カナリア、エリシアさまといっしょにいたい」


 そう、しっかりとした口調で言った。


「おきないえきれい。でもひとりぼっち。カナリアひとり、や。エリシアさまずっといっしょにいてくれる。いっしょにごはんたべて、おべんきょうして、えほんよんでくれる。カナリアひとりじゃない」


 そしてもう一度、思いを口にする。



 ――カナリア、エリシアさまといっしょにいたい。



「アレナ……」


 娘を呼ぶその声には覇気の欠片もなかった。それっきりレイチェルは口を閉ざした。


 私は背後からカナリアの両脇に手をやり、抱き上げた。そのまま胸に抱き、結論づけた。


「というわけだ。カナリアもこう言っていることだし、異論はないな」

「……っ」


 レイチェルは強く目を閉じた。娘の本心を聞いて痛感した様子だ。分からず屋が真実に打ちのめされている姿は滑稽だな。実に心がスカッとする。


 話は済んだ。もうこんなところに用はない。さっさと帰って日常に戻ろう。

 玄関に向かおうとしたところで、私は立ち止まった。振り返らずに、


「……胸を張って父親と公言したいのなら、もう少し娘の気持ちを察してやれ。それが分かるまでカナリアは返せない」


 そう言い残し、カナリアを抱きかかえたままアルフェード邸をあとにした。






 外の守衛たち(三人に増えていた)は地面に手足を投げ出して気を失っていた。


 リオールが上手いこと倒したのだろう。ちなみに当人は無傷で、むしろ別れた時よりも肌がつややかになっているような気がした。回復の効果だろうか。なんかムカついた。


 私の怪我の状態をみてリオールは心配してきた。


 あまりに喧しかったので気丈に振る舞った。実際に一時魔力を垂れ流したおかげか、痛みはするものの血は止まっていたし、とくに体に異常は感じられなかった。その代わり魔力はもうほとんどゼロに近く、自身の生命力を維持するだけしか残っていなかった。


 リオールと話している間も、レイチェルや守衛たちは追ってこなかった。

 アルフェード邸から離れる際、カナリアは一週間しか住まなかった洋館をじっと見ていた。


 お節介なリオールに町の入り口まで見送られたあと、カナリアとともに家を目指した。


 カナリアを抱きながら夕暮れに染まる道を歩いていたとき。


「エリシアさま。カナリアあるける」

「いい。今日は特別だ。それとも私に抱えられるのは嫌か?」


 すぐにカナリアは首を振り、私の胸にぴたりと顔をくっつけてきた。


 この足の具合では、カナリアを抱えながら歩くのも最初で最後になるだろう。今しか感じられないこの重さを知っておきたかった。外見からでは想像できない、どこか温かくて愛おしく感じるこの重さを。


「今日は疲れたな。帰ったらご飯にするか風呂にするか、お前はどっちがいい?」

「ごはんっ」

「即答か。食いしん坊なやつめ」


 あれだけ面倒に思っていた日常会話が今では心安らぐ。


 不意にカナリアが「エリシアさま」と私の名前を呼んだ。


「なんだ?」

「――――――」


 その言葉に私は驚いてカナリアを見た。

 相変わらず無表情で、つぶらな瞳をこちらに向けていた。


「どういたしまして、と言いたいところだが、それを言うならもっと嬉しそうな顔で言え」

「?」


 カナリアは首をかしげた。やはりまだ意味が分からないか。


 失ったものを取り戻すには時間が掛かるだろう。

 だが諦める気はない。カナリアの失った笑顔は必ず私が取り戻す。


 いつの日か、一緒に笑えるように。


 私はカナリアの体を少し強く抱いた。

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