第5話 買い物

 慌ただしい一日の始まり。


 手短に朝食をとり、町へ出掛けるための身支度を素早く済ませる。


 これから向かうアクラムの町は(帝都ほどはないにせよ)面積が広く、人口密度の高い町だ。

 辺り一帯は広々とした草原に囲まれており、そこを進んだ先にある一山を越えれば帝都が現れる。(行商人の通過地点になっているため)物資の豊富な住みやすい環境が人工過多の主な要因だろう。


 昼ごろともなれば、街通りは様々な人間でごった返す。蟻のように群がる奴らを見ていると殺人衝動に駆られてしまうので、人通りの少ない時間帯である早朝過ぎぐらいが好ましい。

 開店と同時に入れれば最善なのだが。間に合うかどうか……。


 玄関からよたよたとした足取りで出てくる幼子をみて、私は重い溜息をつく。


 原因はぶかぶかの靴だ。

 街中を裸足で歩かせるのは避けたかった。裸足の子供を怪訝に思うお節介どもが通報でもしたら厄介だし、(家の庭先ぐらいなら裸足でもさして気にしなかったが)街路には何が落ちているか分からない。ガラスでも踏まれたら後々面倒な事になる。


 しかし当然ながら私の家に子供用サイズの靴はない。

 したがって私の靴を履く以外に方法はなく、ぶかぶかになる。


 中でも一番小さいものを選び、踵にタオルを入れて調節を測ったりして多少はマシになったものの、ぎこちない歩き方になるのは変わらなかった。

 靴ぐらい用意しろ役立たずめ、と心の中でリオールを罵る。服や靴の代金諸々あとで請求してやる。


 玄関の鍵を閉め、靴に視線を落としながら勝手悪そうに足踏みする幼子に声を掛ける。


「ほら、行くぞ。ちゃんと私のあとをついてこいよ」


 幼子が顔を上げて頷いたのを確認してから歩きはじめる。

 何歩か進んで振り返ると、不安定な足取りでこちらに向かってくる幼子の姿。


 店に着くのはいつになることやら。






 洋服屋の開店時間には大幅に遅れた。想定内ではあったが、すでに店内にいる客たちの多さに買う気どころか見る気も失せてくる。

 幼子はキョロキョロと辺りに視線を配らせていた。どうやら緊張しているらしい。私のスカートをつかむな。


 幼子の手を振り払い、子供服売り場に直行する。さっさと買ってさっさと次の目的に移る。

 ハンガーに下がった服をざっと見回していると。


「お子様のお洋服をお探しでしょうか?」


 棚の雑に直された洋服を綺麗に畳み直していた若い女の店員が声を掛けてきたが、私はいつものごとく素通りした。こういう手合いは余計な物まで押し付けてくるから無視するに限る。

 しかし今日は私一人ではない。


「これなんてすっごく似合ってるよ!」


 店員は手短にあった服を広げ、幼子の体に当てながら笑顔でそう言う。――なんとこのクソ女、大人がダメなら子供のほうを懐柔する気か。忌々しい金儲け主義者め。

 その笑顔の裏に隠れた欲望をこの場で引きずり出してやりたいが、騒ぎになれば買い物どころではなくなるのでぐっと堪えた。


 幼子は戸惑い、助けを求めるように私の顔を見てくる。

 そのまま立ち去ろうとも考えたが、自身の意見を主張できない幼子は全ての事を肯定してしまうだろう。店員の魔の手に絡め取られてへんな契約書にサインされても困る。


「いくらだ?」

「二百ゴルドになります」


 今までに子供服なんて見たこともなかったので相場が分からないが、こんな小ささで大人のものの倍とは。ぼったくりにもほどがある。

 なにも素材にこだわっているわけではないのだ。最低価格の物で十分。それに金銭の面で断れば店員もこれ以上強要してくることはないだろう。


「もっと安いのがいいから他のものにしておく」

「申し訳ないですが、子供用の衣服ではこの価格が最低なんですよね」

「は? これだけ種類があってか?」

「はい。ございません」

「……値段は妥協するにしても色が気に入らない。だから他のを……」

「それでしたら他に五種類ほどの色がございますよ」


 サッと同じ意匠の服を棚から取って示してくる。最初から用意していたかのように淀みのない動きだった。

 何がなんでもこの私から金を巻き上げようという腹か。そうかそうか……よし決めた。


 絶対に意地でもこいつが勧めたものは買わない。


 いつの間にか幼子はハンガーに掛かった服と服の隙間に隠れて成り行きを見守っていた。






「お買い上げありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 店員は店の入り口で私に頭を下げたあと、またね~と小さく手を振りながら幼子にスマイル。

「ありがと」とお礼を言う幼子の隣で、私は二度と来るかと心の中で罵った。


 結局あれから一時間ほど店員と攻防を繰り広げた。

 あれこれと難癖をつける私。だが店員はそのすべてを予期していたかのように次々と打開策を提示してきた。さすがに苦し紛れになってきたことを悟り、かといって諦めるのも癪だったので最終的には幼子に決めさせた。


 しかし自主性皆無の幼子では決断までに至らない。結果、かなり焦った様子の幼子は近場にあったものをテキトーに手に取り、それで決定となった。

 そしてそれが店一番の高級商品だったと分かったときの絶望感といったら。


 店員はお目当ての品を買わせることには失敗したが結果的にその数倍もの功績を上げ、私は店員の虚言に屈しなかったが、高級服数着に下着やら靴やらも買ったので多額の金を払わされた。まさに試合には勝ったが勝負に負けたという終幕。

 金についてはリオールに請求すればいい話だが、無駄な時間を費やされた事に腹が立つし、費やした自分が許せない。どうして人間ごときに意地になってしまったのか。


 すでに街の通りには沢山の人、人、人。嫌になる。殺したくなる。


「次は絵本か……」


 腕時計をみると正午前だった。

 昼までに終わらせるはずだったのに、なぜこんな日射しの強い中を窮屈な思いをしてまで歩かなければならないのか。日傘が欲しい。失せろ太陽。


 後ろを向くと、幼子が買い物袋を胸に抱いてトコトコと後をついてきていた。ピッタリサイズの靴になったので足取りは軽快だ。朝のようにゆっくりと歩いてやる必要はないだろう。


「落とすなよ。高かったんだからな」


 幼子は頷いてぎゅっと強く胸に抱いた。そのままじぃーっと上目遣いを向けてくる。


「なんだ?」

「……おなかすいた」


 私はそう減っていない。素直に言う事を聞いてやるのは癪だが、図書屋で腹の音を響かされても不愉快だ。

 どのみち家に帰ったら私が用意してやらないといけないわけだし、どこかの料理屋で食ったほうが楽か。金はバカに返してもらうし。


 私は辺りを見回し、目的の場所を探した。






 すぐ近場に料理屋を発見したのは良かったが、昼頃ともあって行列ができていた。

 待ち時間は三十分ほど。潔く待つか、新たな所を見つけるか。

 先に絵本を入手し、空いた頃合いを見計らって行こうとも考えたが、すでに幼子の腹が限界を迎え、汚らしい音を奏でていた。


 結果、待った。周りにバレないように一人ずつ消して順番を早めようとしたが、思ったよりも難易度が高く、失敗に終わった。


 ようやく順番が回ってきた頃には、私の腹も空いていた。

 テーブル席に案内され、私はパンとスープが付いた山菜パスタセット、幼子にはお子様ランチを注文する。

 これまた出来上がるまでに時間が掛かり、苛立ちが募った。


 程なくして料理が運ばれてくる。お互いに黙々と食べる。普段から料理屋を利用しない私にとって、がやがやと煩い中での食事は苦痛だった。料理についても私が作ったほうが遥かに美味い。散々だった。


 腹を満たしたところで、図書屋に向かう。何度か訪れているので場所は把握済みだ。


 絵本コーナーに行く途中で以前読んだ小説の続編が出ていることに気づき、私は足を止めた。

 せっかくここまで来たのだ。自分の趣味のものを見る時間ぐらい確保してもいいだろう。ガキがうじゃうじゃと群がっている中に入りたくないし。


 それに私がテキトーに選ぶよりも、幼子自身に選ばせた興味のあるもののほうが、あとで読み聞かせる時により集中するだろう。

 幼子から買い物袋を奪い取り、絵本コーナーを指して命じる。


「私はここにいるから、あそこから興味がありそうなものを三冊ほど取ってこい」


 そう言うと、幼子は絵本のほうを見たのち、ふたたび私を見る。

 不安げな表情だ。私がいなくなるとでも思っているのか。


「心配しないでもずっとここにいる。早く選んでこい」


 幼子はしばし逡巡したあと決心したように頷き、絵本コーナーに行った。


 私は肩の力を抜く。やれやれ、やっと一人になれる。幼子一人いるだけでこうも自由を奪われるとは。子供が欲しいなどと思う輩の気がしれんな。

 棚から小説を引き抜く。小説に没頭することで今を忘れることにした。


 しかし、プロローグを読み終えた辺りで、胸にきっちり三冊の本を抱いた幼子が戻ってきた。

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