第6話 失踪

 小説の一章だけを読み、買うに値しない内容だと悟る。ちゃんと選んだのか甚だ怪しい絵本三冊だけを購入し、図書屋を出た。


「疲れた……」


 紆余曲折はあったものの、目的は達成した。あとは帰路につくだけだ。


 大通りの混み具合は依然として変わらない。いやむしろ多くなっているような。

 どうやら気のせいではないみたいだ。一際喧騒のするほうを向くと、幾人かの行商人が露店を開いており、通行人が足を止めて眺めている。


 月に数回、帝都に向かう連中がああして小遣い稼ぎをする。大体は取るに足らないガラクタばかり(本命は帝都用に残しているのだろう)なのだが、この地域では見ない珍しいものゆえ新しい物好きのバカ達がこぞって飛びつくのだ。


 この人混みの間を縫って帰らなければならないと思うと気が滅入るが、路地裏に入って前回のように絡まれるのも面倒だ。返り血でも浴びれば今日の苦労が水泡に帰す。


 観念して私は歩きはじめた。

 大通りに響き渡る客引き声が喧しい。服屋の女店員もそうだが、商売人というのはどうしてこう耳をつんざくような高い声質なのか。まるでけたたましく鳴く夏の虫のようだ。捻り潰したくなってくる。

 中には私に向けられるものもあったが無視を貫き通す。これだけの人間がいながらわざわざ私に声を掛けるとは。美しすぎるというのも大変だ。

 気にし始めると余計に音量が助長されていく。頭の中から除外するためにも、今後の事について思考する。


 手に提げた買い物袋から覗くカラフルな色調。家に帰ってから絵本これを朗読しなければならないわけか。幼子を膝に乗せ、抑揚をつけて感情豊かにゆっくりと読み聞かせる私。想像したら吐き気がしてきた。なぜこの私がそんな羞恥に満ちた真似をしなければならない。そもそも絵本を読み聞かせただけで、本当に能力が向上して商品価値が上がるのだろうか。甚だ疑問だ。こればかりは幼子の才能が非凡であることを願うしかない。


 言葉は通じるようだから、あとの事は買い手が教えてやればいいではないか。どいつもこいつも楽しおって……貴族どもめ……。

 私が心の中で不服を募らせていたときだった。


「そこの可愛いお嬢ちゃん。ちょっと見ていかんか? 安くしとくよ」


 そんな声が真横から聞こえてきた。見やると、禿頭の行商人が汚らしい黄色い歯を覗かせていた。年端も行かぬ者を標的にするとは卑しい奴め。


「いいか、構うんじゃな……」


 忠告しようとしたが途中で口を閉じた。


 振り返った先に幼子はいなかった。

 すぐに、どこの誰かも知らない髪を二つ結びにした女児が禿頭の術中に掛かり、わぁーいと親の手を引いて商品の置かれた絨毯に向かっていく。

 そこでようやく幼子に向けられた言葉でなかったことに気づく。

 

 私は急いで辺りを見回した。しかし幼子の姿は見当たらない。

 幼子はどこへ?


「おい、――――……」


 呼ぼうとして私は言葉を詰まらせた。

 そういえば幼子には名前がない。これまで不自由に感じなかったので眼中になかったが、こういう事態になるとその重要性が浮き彫りになる。


 私は舌打ちをした。

 厄介な事になった。この人混みの中、小さい幼子を見つけるのは困難だ。


 しかし探さないという選択肢は私の中にない。今の状況は言わば、バックの中に入った大金がスリにあったに等しい。草の根を分けてでも探し出す。

 私は来た道を戻りはじめた。


「くそ、いつはぐれたんだ……?」


 図書屋を出た時までは一緒だった。ずっと後ろをついてきているものだと思っていた。

 街に入ったばかりのうちに何度も振り返って確かめた様子だと、他には目もくれずに引っ付いてきていた。だから露店に目を奪われてはぐれたということはない。

 まさか悪人に攫われた? だがそれならばいくら無口な幼子といっても声を出すだろう。それにこの人の多さだ。そんな暴挙に出ればかなり目立つ。誘拐の線は限りなく薄い。


 あれこれと要因を考えるうちに、図書屋まで戻ってきた。だが幼子の姿はない。


 このまま自力で探し回っても埒が明かない。聞き込みをして目撃情報を集めよう。通行人は往来しているので当てにならない。その場に留まっている行商人に訊くのが良いだろう。

 一番近くにいたモジャモジャの顎髭を蓄えたいかにも不衛生な行商人に訊ねた。


「聞きたいことがある。長い金髪の女児を見ていないか?」


 雑菌をうつされそうで嫌だったが、この際かまっていられない。

 モジャモジャは髭を掻きながら首を捻る。


「ん~? 金髪の女の子ねぇ~……もしかしてどっかの買い物袋を胸に抱えてたか?」


 きっと幼子で間違いないだろう。聞き込み一回目で難なく情報を手に入れるとは、やはり私は運に恵まれている。……そもそも本当に運があれば幼子が消える事態にはならなかったという見解は却下だ。


「そうっ、それだ! それであいつは?」

「んーとたしか、すぐそこの地べたで寝ていた黒猫を撫でてたな。そんで黒猫が起き上がって歩きはじめて、そのあとを追いかけてった」


 黒猫を撫でていただと……なにをやっているんだあいつは……。


「どっちのほうに向かった?」

「…………」

「おい」

「お姉さんねぇ。人に何かを頼むときにはそれ相応の代価を支払うってのが筋ってもんだろ? うちの商品を買ってくれれば教えてや……ぎゃぁっ」


 私はモジャモジャに肉迫し顎髭を強引に掴む。その手に魔力を集中させ、炎を生成した。


「早く言え。この汚らわしい髭ごと灰にされたいか?」


 モジャモジャはチリチリと焼けていく自身の髭をみて恐怖に目を見開き。


「あ、あんたの子はそっちのほうに消えてった!」


 図書屋のすぐ横の小路を指差しながら早口で答えた。

 路地裏か。つまり図書屋を出た段階で、すでにはぐれていたわけか。私が露店や人混みを見て立ち止まっていたから安心でもしたのか。


「最初からそう言え。無駄な時間を取らせおって」


 私は髭を離し、足早に小路に入った。

 まだ猫と戯れているならば良いが、路地裏の迷路に迷い込んでいたら厄介だ。自然と地面を蹴る足に力が入る。


 しかし杞憂だった。少しして通路は行き止まりになっており、幼子の後ろ姿を見つけた。黒猫の姿はない。取り逃がしたのだろう。


 ただ、幼子は一人ではなく、厳つい男どもも一緒だったが。


 私は頭を掻いた。

 まーたこういう輩か。仲間と集るぐらいしかやることがないのか。まさしく蠅だな。


「おい」と声を掛ける。幼子は振り返ると、私の顔を見た瞬間安堵したように強張った表情を緩めた。そのままこちらにきて、私の背に隠れる。

 言いたいことはあるが、まずは邪魔者を排除してからだ。私は男どもに顔を向ける。


「なになに、お姉さんその子の親?」


 奇抜な色に染めた髪、肩に彫ったタトゥー、年寄りのように折れ曲がらせた猫背、と見るからに低能さを感じさせる小蠅が近づいてきた。


「いやぁやっぱ子供が可愛いと親も上玉だな」


 ねっとりとした舐めるような目つきで、私の肢体をじろじろと見てくる。たった今、私の中でこいつの処理法が確定した。


「お前達のような腐敗したゴミに付き合っている暇はない。今すぐここから立ち去れ」

「そういうわけにもいかないんだよねー。その子にこれやってるとこを見られちまったからさ」


 そう言って小蠅が見せたのは、小さな透明の瓶に入れられた緑色の液体だった。ただのジュースというわけではないだろう。

 たしか以前リオールが言っていたか。帝都から流れてきた薬物が街に横行していて流通経路の調査の依頼が来ていると。


 なるほど。経緯が分かった。

 蠅どもが路地裏で薬物を蜜に使用しているところを偶然にも幼子が目撃してしまい、今まで牽制されていたというわけか。こんな非力な子供の目にまで怯えるとは脆弱な神経だな。


 こいつらさえいなければ、幼子はすぐに大通りに戻ってきてはぐれずに済んだかもしれないし、最悪ここまで探す手間は掛からなかった。そう思うと腸が煮え繰り返る。蠅の存在でこの私を振り回すとは恐れ知らずもいいところだ。

 私の胸のうちで増大する怒りを察することのできない小蠅は、上機嫌にニタニタと笑いながら見せびらかせるように小瓶を振る。


「お姉さんもどうよ? 良い気分になれるぜぇ」


 そう言ったあと、ドスの利いた声に変わり、「拒否したら子供ともどもどうなるか分かってるなぁ?」と脅迫してくる。


「それは私に危害を加えるということで良いんだな?」

「乱暴はしないって。ただちょーっとだけ慰みものにしようってだけだから」

「そうか」


 私は顔だけを幼子に向け。


「私が良いというまで耳を塞いで向こうを向いていろ」


 言ったとおり、幼子は耳に手を当て大通りのほうを向く。

 それを確認してから小蠅の問いに答えた。


「そうだな。一つ貰うとしよう」

「お、話が分かるじゃんか。まさかお姉さんもそのクチ――――あがぁッ!?」


 私は手刀を作り、間髪入れずに小蠅の左目を突き刺した。

 指先に貫く感触が伝わってきて、眼球の意外な硬さに少し驚いた。もっとぷにぷにしていると思っていたが。


 勢いよく引き抜くと小蠅は反動で地面に四つん這いになり、左目を押さえながら激しく喘ぐ。ようやく本来の姿らしくなったじゃないか。

 指先に付いたヌメりに気づいて顔を顰めていると、残りの蠅どもが戦闘態勢に入っていた。


 二日前を繰り返しているようで辟易する。だが向かってくるのであれば容赦はしない。私は報復は嫌いだが、返り討ちは好きなのだ。


 その後、蠅の一匹を焼却させたところで、ようやく私が人間でないことを悟ったらしく、悲鳴を上げながら走り去っていった。

 どいつもこいつもがら空きの背中で殺ろうと思えば殺れたが、逃げる者を追う趣味はないし魔力も無限ではない。


 それに今は他にやることがある。


 逃げていく蠅どもを呆然と見やる幼子の頭をツンと突く。

 幼子は振り返り耳から手を離すと、顔を強張らせた。私の不機嫌な顔を見たからだろう。


「どうして付いてこなかった?」


 幼子は俯く。


「……にゃーがいて…………」

 焦っていて要領を得ない言葉。言い訳など聞きたくない。


 私は躊躇わず、幼子の頬を叩いた。

 パンっと乾いた音が路地裏に響き渡る。


「ちゃんと私の目を見て言え。まずはごめんなさいだろ」

「……ごめ……ごめな……さ…………い……」


 上げた幼子の顔が悲しみに歪み、目尻に大粒の涙が溜まっていく。次の瞬間には大声を上げて泣き出してしまいそうだ。


「泣くな。声を上げればここに置いて帰る」


 ことさら冷徹な声音で言うと、幼子は買い物袋を抱えた反対の腕でごしごしと涙を拭い、口を引き結んで泣くのを堪える。しっかり顔を上げたまま、私の次なる言葉をじっと待つ。

 下ろした右手がぎゅっと拳を握り、若干震えていた。


 十秒ほど経ってから私は息を吐き出した。


「それでいい。……帰るぞ」


 そう言って私は大通りに足を向けた。

 振り返ることはしなかった。これではぐれたらもう知るか。


 朝から予定が狂いっぱなしだ。早く家に帰り、湯船にでも浸かって疲れを取りたい。


 だが歩きすぎて足裏が痛いから、ゆっくり帰ろう。

 べつに他意はない。

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