エピローグ
「――その後、少女は魔女と楽しく暮らしました。おしまい」
私はそっと絵本を閉じた。
前を見ると、聞いていた子供たちはポカーンとしていたが、我に戻ったようで拍手する。没頭してくれていたようで何よりだ。
その時、拍手に混じって「おい」と声が掛かった。
声のほうを向くと、部屋の隅の机で編み物をしていたエリシアさまが棒針で絵本を指し示してくる。
「何なんだその話は。脚色しすぎだろ。実際、少女はもっと手の掛かる子供だった」
私はわざとらしく首を捻った。
「んー、そんな事はなかったと思うけどなぁ。魔女さんはもっと厳しかったけどね」
「抜かせ。魔女の苦労は魔女にしか分からないんだ」
私たちの会話を聞いたティア(全員の中で一番幼い女の子)が訊ねてくる。
「カナリアせんせたちは、まじょとおんなのこにあったことがあるの?」
私たちは顔を見合わせ、
「そうかもね」
「そうかもな」
と、二人して言葉を濁した。
追及されることを避けるように、エリシアさまは出来上がった編み物を持ち上げて子供たちを手招きする。
「それよりもほら、出来たぞ。来いチビども」
わーっと集まった子供たちに一人一つずつマフラーを手渡す。
受け取った子供たちは首に巻いたり、手で感触を感じたりしていた。
「ほかほかするっ、エリシアさまありがと」
年長者のリクトがお礼を言い、それに続いて他の子たちもお礼を口にする。
「なに、私に掛かればこんなものいとも容易い」
エリシアさまやっぱすげぇとお調子者のレストが声を上げた。
その光景を微笑ましく思いながら、私は手に持った絵本に視線を落とした。
過去を振り返ったせいか、感慨を覚えた。
あれから長い年月が経った。
エリシアさまに育てられた私は成人し、自分と同じ境遇の子供たちを助けるために孤児院を開いた。
その事をエリシアさまに提案したときはきっと反対されるだろうなと思っていたが、エリシアさまは特に反論することなく、意外にも了承してくれた。
「お前が決めたことだ。好きにやれ。言っておくが私は一切手伝わないからな」
とは言いつつ、結局は今のように子供たちの面倒を見てくれている。素直じゃないのは昔から変わらない。
エリシアさまは魔力で姿を保っているので年を取ることはなく、あの頃とまったく変わらない若々しい姿だ。しかしそれも魔力があるうちの話で、時期に尽き、人間と同じように相応の年を取っていくらしい。
幼い私を連れ戻しに来たあの日、銃弾により負傷した足の怪我が思ったよりも重症で、それ以降歩行が困難になった。しばらくは杖をついて歩けていたが、今では車椅子生活を余儀なくされている。
当の本人はさして気にしている様子はなく、むしろ歩かなくて済むから楽だと言っているが、きっと私を気遣っての言葉だと思う。あの日を思い出すたびに申し訳ない気持ちが募るが、それを口に出すとエリシアさまの機嫌が大変よろしくなくなる。なので生活で不自由しないよう、出来るかぎり私が足の代わりになろうと密かに決意している。
エリシアさまが近づいてきて私の手から絵本を取り、まじまじと見る。
「これはお前が描いたのか?」
「ううん、違うよ。このまえ貰ったんだ」
「誰から?」とエリシアさまが聞いてきたところで、不意に部屋のドアが開いた。
姿を見ずとも誰かは分かった。無断で入ってくる癖がある人は一人しかいない。
「やぁみんな、暇したリオルお兄ちゃんが遊びに来たよぉ!」
突然のリオル登場に「リオルだっ、リオルがきたぁ」と子供たちがはしゃぎ出す。
度々遊びにくるリオルは、その明朗な性格からか子供たちの人気者だ。名前については私が馴染んで呼びやすいリオルを使っていたら、子供たちに移ってしまった結果である。
「待てと言ってるだろう。勝手に入ったら迷惑だと何回言えば貴様は分かるのだ!」
リオルのあとに続いてもう一人入ってくる。
「こんにちは、アーシャさん」
アーシャさんはリオルの腰に蹴りを見舞ったあと、返事をした。
「ああ、こんにちはカナリア。すまない、呼び鈴を鳴らすまえにこの馬鹿者が勝手に……」
「もう慣れてるから大丈夫ですよ。今日はお仕事じゃないんですか?」
アーシャさんはエリシアさまたちと同じ里の出身の魔法使いで、子供たちのためによく人形劇を披露しに来てくれる。
詳しい経緯は知らないが、薬物で苦しむアーシャさんのお父さんを助けるために二人が貴重な薬をあげたそうで、恩義を感じているからという理由らしい。残念な事にお父さんは助からなかったそうだが、うわ言を呟くばかりだった父様の意思ある最期の言葉を聞けたから心残りはないとアーシャさんは言っていた。
今はアクラムに移り住み、リオルとともに何でも屋を営んでいる。
アーシャさんは自分に近寄ってきた子供たちの頭を撫でながら答えた。
「あるにはあるのだが、リオールが子供たちに癒されたいと急に言い出したのだ。まったく、もう少し店の長としての自覚を持ってもらいたいものだ」
重たい息を吐くアーシャさんに私は苦笑いを浮かべた。やっぱり自由人のリオルに苦労を掛けられているみたいだ。
リオルは蹴られた腰を擦りながら立ち上がる。
「アーシャは真面目だねぇ。そんなことじゃ俺の助手は務まらないよ……と、その絵本は俺の傑作じゃないか。早速読み聞かせしてくれたの?」
エリシアさまの手にある絵本を見て訊ねる。子供たちの「おもしろかったよ!」「むちゅうになった!」という反応にリオルは満面の笑みだ。
「これはお前が描いたのか……いつの間に絵本作家になったんだ?」
「ん? 結構前からだよ。君がカナリアちゃんに読んであげてきた絵本の中にも俺の作品があるはず」
「ふーん……」
「なになに? もしかして柄にもなく感傷に浸った?」
「いや。どおりで下手くそな絵だと思っただけだ」
「ひどっ」
「どれどれ。……なんだ、普通に上手いではないか」
アーシャさんが横から覗いてそう言う。私も温かみのある絵本調の素敵な絵だと思ったけど。
「全体的に見ればそう思えるが、こことか、こことか、手を抜いてるのがバレバレだ」
「確かに言われてみればそうも見えるな。よくそんな細かいところまで見ているものだ」
「絵を習っていた者としては見過ごせない過ちだからな」
「エリシアさま、えもかけるの?」「なんでもできてすごーいっ」「エリシアさまのえ、みたいみたいっ」と、エリシアさまの周りに子供たちが集まる。
ダメ出しされるのを恐れたのか、こっそりとみんなの中から抜け出してきたリオルが私の隣に来た。
「やれやれ、エリシアは厳しいなぁ」
「だよね~。私もエリシアさまみたいになりたくて色々と習ったことがあったけど、軽い気持ちで頼んだことを後悔したよ」
裏を返せばそれだけ真剣に応えてくれていたわけだけど。
私の言葉に同情するように笑ったリオルは、子供たちに囲まれて絵の知識を得意気に語るエリシアさまを見ながら、少し真面目な声で言った。
「カナリアちゃん、いつもエリシアを支えてくれてありがとね」
「急にどうしたの?」
「俺も昔を思い出してね。あの時は色々と裏で走り回ったなぁと思って。でもきっと俺だけの力じゃこの光景は望めなかった」
そう言ったときのリオルの顔は、妹を想う優しいお兄さんの顔だった。
「ううん、私のほうこそエリシアさまやみんなにはお世話になってるからお互い様だよ」
今までだって、これからだって私たちは支え合って生きていくだろう。それは出来るようで簡単にはできない素敵な事だと私は思う。
リオルは「そうだね。お互い様だ」と微笑み返した。
「おい、二人してコソコソと何を話してるんだ?」
エリシアさまが目を細めてくる。
その時にはすでにリオルの顔はいつもの飄々としたものに戻っていた。にやりとした意地悪な笑みを浮かべる。
「いやぁ、エリシアが立ち直ってよかったなぁと思って」
「……私はいつもどおりだが?」
「そう? 一週間前にレアトくんが孤児院を去ってから見るからに元気がなかったじゃん」
たしかに三日前ぐらいまでエリシアさまの表情は暗かった。新しい家庭に貰われていったレアトと離れるのが寂しかったのだろう。
私たちは(リオルたちにも協力を仰いで)子供たちの里親になってくれる人を探している。もちろん誰彼受け入れているわけではなく、子供を託しても大丈夫だと思った人にだけお願いしているし、子供との相性も考慮している。その事に関してエリシアさまは特に厳しく、なかなか条件に見合う人が見つからないのが現状だ。
それは引き取られていく子供たちの将来を心配していることもあるが、離れたくないという子供心もどこかにあるような気がした。
エリシアさまにとっては痛いところを突かれたようで、そっぽを向く。
「あのときは風邪を引いていただけだ」
「照れちゃって~」
「黙れ、殺すぞ」
「昔の君ならいざ知らず、普通の人と変わらない非力な今の君に俺が倒せるかな?」
「……チビども、リオル兄ちゃんが戦いを挑んできたぞ。相手をしてやれ。見事に倒した暁には夕食にデザートを付けてやろう」
エリシアさまの言葉にみんなは顔を見合わせると、
「エリシアさまのごめいれいだぁ」「リオルしょうぶだぁー」「でざぁーとぉー」などなど雄叫びを上げながら、次々にリオルに突進していく。子供たちからパンチや蹴りを受けたリオルはわざとらしい叫び声を出して悪者役に徹する。さすがは子供たちの人気者だ。
「まったく、バカの相手は疲れる。……おい、アーシャ」
「ん、なんだ?」
「私は今からカナリアと町へ買い物に行ってくる。その間チビどもの面倒を見てろ」
心の中で私は首をかしげた。今日町に行く予定はなかったはずだけど。
「頼むわりには随分上からだな……まぁいい承知した。我が責任を持って見ておいてやろう」
「よし、じゃあ行くぞカナリア。支度を済ませろ」
「う、うん。アーシャさん、急に頼んでしまってごめんなさい。少しの間だけ子供たちの事をお願いします」
「ああ。少しばかりだが休息を楽しむといい」
私はアーシャさんに頭を下げて、さっさと玄関に向かっていったエリシアさまを追った。
車椅子を押しながら進む。この方角からしてスイートアレスに寄るようだ。
子供たちの事があるからなかなか足を運ぶことができず、しばらくぶりだ。
今では高齢のご両親(店主のマーサさんは現役ばりばりだけど)を気遣った息子さん夫婦が主だって経営をしている。その際に、目立たない裏路地から表通りに店を移し、盛況を博している。大好物を独り占めしたいエリシアさまはぶーぶーと文句を垂れていたけど。
ほどなくしてスイートアレスに着く。
外観は昔と変わらない、クリーム色のレンガの壁に赤茶色の屋根。いつもは店前に待機列が連なっているのだが、今日は運良くお客さんが少ない時間帯に来れたようだ。
「いらっしゃいま……あら、あんたたち久しぶりだねぇ。元気だったかい?」
ちょうど店先を掃除していたマーサさんが、朗らかな笑みを浮かべて声を掛けてくる。
「お久しぶりです、マーサさん。私たちは元気ですよー。マーサさんもお元気そうで何よりです」
「腰のひん曲がった老いぼれに心配されるほど私はやわじゃない」
「こら、エリシアさまっ」
「あはは! どうやら相変わらずのようだねぇ」
マーサさんは気を悪くした様子もなく、受け流してくれる。
マーサさんはエリシアさまが人間ではないことを知っている。打ち明けたときには当然驚いた様子だったが、マーサさん曰く、「商売に貢献してくれるなら、魔女だろうが悪魔だろうが、なんだってかまやしないよ」との事。昔と変わらず優しく接し続けてくれるのはとてもありがたいことだ。だからこそ、もうちょっと言葉遣いを正せないものか。まぁ誰に対してもそうなのでもう諦めてるけど。
「あんたの大好物はいくつか余ってたはずだから好きなだけ買っていきな」
「ああ。息子の腕がどれだけ上がったか確かめてやろう」
店のドアを開けると、玲瓏な鈴の音が響き渡った。「いらっしゃいませ」とカウンターにいる娘さんの挨拶に会釈を返しながら入店すると、思いがけない人と会う。
「あら。お二人とも奇遇ですね」
ちょうど注文品を受け取るところだったようで、カルベーラ先生はいつものように上品な笑みを浮かべて挨拶をしてくる。
カルベーラ先生は子供たちの正しい教育法を広く伝えるため、講演や講習など精力的に活動している。月に一度行われる保護者向けの講習会には私も足を運んでいる。私の中では昔も今も立派な先生なのだ。
この前会ったときも感じたが、年齢を感じさせないほど若々しい。あと、お胸も豊満で。自分の貧相なものをみると劣等感を抱いてしまう。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ……こんにちは、カルベーラ先生。今日はお仕事帰りですか?」
「ええ。以前カナリアさんから教えていただいたここのスイーツがとても美味しくて、よく買いにくるんです」
カルベーラ先生は購入したケーキの袋を胸のまえに掲げて喜ぶ。大きな袋だ。どれだけ買ったのだろう。その姿はどこか無邪気な子供を彷彿とさせた。
「それはそうとエリシアさんっ」カルベーラ先生は屈み込み、エリシアさまと目線を合わせる。
「じつは今度、帝都のほうで講演会を開くことになりまして。ぜひエリシアさんにもお話していただけないかなと!」
「断る。なぜ私がそんな面倒な事に付き合わないといけないんだ」
「この間カナリアさんに孤児院の子供さんたちの事を聞きましたよ! (カナリアさんを見ていれば分かりますが)皆さん思いやりのある良い子たちにお育ちのようで。ぜひぜひ、その教育方法を私含め皆さんにお話していただきたいです!」
余計な事を……とでも言いたそうに、こちらをぎろりと睨んでくるエリシアさま。私は苦笑いしながらも顔を逸らす。本当の事だし、好意的な感想なのだからいいじゃないか。
「嫌なものは嫌だ」
「そこを何とか!」
「私の得になるようなことが一切ないじゃないか。話にならん」
そう言うと、エリシアさまはカルベーラ先生を無視して、カウンターで待機していた娘さんに顔を向けた。「いつものをくれ。数はあるだけ」と注文をする。
しかし娘さんは笑顔に困ったような表情を足した。
「あの……申し訳ないんですが、売り切れてしまいまして……」
「ないだと? さっき外でババアが残ってると言っていたが?」
「えーと……たった今、売り切れまして……」
「今?」
店内を見回してみるが、カルベーラ先生以外に客はいない。ということは。
カルベーラ先生も気づいたようで、手元の袋の口を開けてこちらに見せてくる。
「もしかして購入するものが同じでしたか?」
中を見ると、ロールケーキの箱が三つ重なって入れられていた。
「カナリアさんが是非にと勧めてくれたものなので、(お知り合いの方の分も含めて)多めに購入しました」
「カナリアぁ!」
「だってだって、美味しいんだもん! 他の人にも広めたくなる美味しさだもん!」
まさかカルベーラ先生が同じ日に買いにくるなんて思ってもみなかったもん!
「大丈夫ですよ。自分の分は二箱買っているので一箱をお譲りし……」
そこでカルベーラ先生は言葉を止めた。何事か考える素振りをしてから、
「エリシアさん、交渉しませんか?」
「交渉だと?」
「はい。私の講演会にご参加していただければこの場で一箱お譲りします。ど、どうですか?」
カルベーラ先生はエリシアさまの顔色を窺うように、おずおずとした様子でそう言う。きっと、こういう駆け引き事に慣れていないのだろう。
今日はリオルとアーシャさんが子供たちを見てくれているので、安心してゆっくり店を回ることが出来るが、普段はそうもいかない。今日を逃せば次に来れる日はいつになるか。
私と同じことを考えているのだろう、エリシアさまはしばし葛藤している様子を見せ。やがて。
「……考えておく。だから一箱よこせ」
ため息をついてそう答えた。
カルベーラ先生は「はい!」と子供のような純粋な笑顔で言った。
カルベーラ先生からロールケーキを譲ってもらい、続いて向かった先は、エイミさんのお店だった。
道すがらエリシアさまに聞いたところ、「裁縫の材料が足りなくてな。エイミなら安くしてくれるだろ。いや安くさせる」と言っていた。
店内に入ると、中はお客さんで賑わっていた。
ここは大通りにある洋服店の二号店で、エイミさんが店長を務めている。店内にある洋服はエイミさんの手掛けたものが並んでおり、雑貨品や手芸用品も取り扱っている。
絵の才能があるからてっきりそっちの道に進むのかと思っていたが、本人曰く絵は趣味で描いたほうが楽しいらしく、洋服のデザインに活かすぐらいがちょうどいいとの事。マイペースなエイミさんらしいなと思った。
辺りを見回してエイミさんの姿を探したところ、すぐに女性服売り場のところで見つけはしたものの、ちょうどお客さんの対応をしていた。
エイミさんがこちらに気づき、ニコッと微笑む。
私は小さく手を振ってお客さんのほうを優先させるよう促し、エリシアさまとともに手芸コーナーに向かった。
編み物の道具が揃った場所に着き、陳列棚を見て回る。
「そういえば何を作るの?」
エリシアさまは商品棚に並ぶ色とりどりの毛糸玉を選びながら「マフラー」と答えた。
「またマフラー? 誰に作るの?」
みんなの分はもう作ったし、エリシアさまの性格上リオルたちに作るとは思えない。
「誰ってお前に決まってるだろ」
「え、私?」
「なんだ、私が作るのは不満か?」
「そうじゃないけど、てっきり子供たちだけかと思ってたから……」
「私からみればお前も子供だ。それに仲間はずれは教育上よくないだろ」
どうやら、わざわざ私のために買いに来てくれたようだ。しっかりとみんなの事を考えてくれているその優しさが嬉しかった。
「じゃあエリシアさまの分は私が作ってあげるよ」
「いつになるか分からないからいい」
「ひどいっ。私だって頑張れば冬の終わり際ぐらいまでには完成するもんっ」
「ほぼ使えないじゃないか……」と呆れ顔のエリシアさまに異を唱えようとしたところで。
「二人とも待たせちゃってごめんね~」
お客さんの対応を終えたらしいエイミさんがやってきた。言葉とは裏腹に物凄い笑顔だ。
「とても謝る表情には見えないぞ。何か良い事でもあったのか?」
「ご名答。先程のお客様がお値打ちの高い商品をお買い上げです。やったねっ」
「守銭奴め」
にゃははっと笑うエイミさんをエリシアさまは冷めた目で見る。
エリシアさまとエイミさんの友人関係は今でも続いている。
エリシアさまが魔法使いである事はもちろん知っているが、その事は全く気にしていないらしい。いつも「瑞々しい肌で羨ましいわ。血を吸わせろ」と冗談を言うぐらいだ。普段から買い物に誘ってくれたり、最近では息子アイトくんの事(親離れか態度が素っ気ないらしい)で家に相談に来たりしている。エリシアさまも面倒だ迷惑だと口では言いつつも、まんざら嫌ではないみたい。
「こんにちは、エイミさん。いつもに増して繁盛してますね」
「こんにちはカナリアちゃん。今日も憎いほど可愛いねぇ。ーーでしょでしょ。朝方頑張ってお店の前で宣伝した甲斐があったかな。二人は何を買いに来たの? 手芸品?」
「はい。寒くなってきたのでお互いのマフラーを作ろうかなって」
「私は了承したつもりはないがな」
「むぅ」
「ははは、相変わらず仲良しだね~。嫉妬しちゃうよ……ははは……」
上機嫌な態度から一転、暗い顔になるエイミさん。どうやらアイトくんとの仲はまだ良好ではないらしい。
「エイミ。たくさん買ってやるから金額をまけろ」
直球に値下げを要求するエリシアさま。あの言葉は冗談じゃなかったのか。
「そうしてあげたいのは山々なんだけど贔屓は禁止にしてるの。だからその代わりにエイミ店長直々に選んであげよう。マフラーでしょ、マフラーなら……」
色分けされた毛糸玉に視線を落として考えること数分。
「うん。可愛くて明るいカナリアちゃんには淡い黄色が似合うね」
そう言って黄色の毛糸玉を私に手渡してくる。
するとエリシアさまが。
「いらん助言はやめろ。カナリアには赤色が似合うに決まってるだろう」
そう言って赤色の毛糸玉を私に手渡してくる。
「赤はあまりにも色合いが濃ゆすぎて洋服と合わせるのが難しい気がするなぁ」
「はっきりとしたほうがオシャレだろ。黄色はカナリアの髪色と同じで目立たない」
「いやでも」
「いやだが」
二人は自身の意見を譲らない。……真剣に選んでくれるのは嬉しいけど、もうちょっと平和的にいかないかなぁ。
議論は長らく続き、やがて二人は私を見て。
「黄色だよね?」
「赤色だよな?」
私は苦笑いを浮かべるしかなかった。
困ったなぁ。
エイミさんのお店をあとにした私たちは、帰路についた。辺りはすっかりオレンジ色に包まれている。あれから問答は続きに続き、結局は二つとも購入した形で終わった。
夕日を背に受けながら車椅子を押して歩く帰り道。
ふと、私はある事を思い出して言った。
「そういえばお父さんの手紙に、仕事でアクラムに来る予定があるからその時に家に寄らせてほしいって書いてあったよ」
「ふん。仕事のついでに娘の顔を見るなんてとんだ父親だな。ついでではなく、ちゃんと会いに来いというんだ。やはり何年経っても未熟者だなあいつは」
「ダメだよそんなこと言っちゃ。お父さんは忙しんだし、孤児院に必要なお金を出してくれてるんだから感謝しないと」
「娘に掛かる資金を出すのは当然だ。それに頼んだ覚えはない」
いつもエリシアさまはお父さんを目の敵にする。まぁ来るなとは言わないあたり、本心から憎んでいるわけじゃないと思うけど。
現在お父さんは帝都に住んでおり、仕事であちらこちらの国を行き来している。週に一度やり取りをしている手紙にはいつも他の国や町で撮った写真が入っており、アクラム以外の地域を知らない私を楽しませてくれる。……そう、思える事ができるようになって本当に良かった。
身の回りの事を一人で出来るぐらいの年になって、私は自分が捨てられた過去を理解した。それは、ずっと迷子になっただけだと思っていた私の心を揺さぶるには十分な事だった。
お父さんは言い訳をせずに、真実だけを語った。
そのときは深く頭を下げて謝るお父さんに、苦笑いを浮かべて曖昧に言葉を返した記憶がある。嘘の仮面を顔に張りつけて、心に芽生えた黒い靄のようなものを隠した記憶が。
これまで優しく接してきてくれたお父さんと、小さい子供の私を捨てたお父さん。どちらが本当のお父さんなのか判断がつかずに、どう接していいか分からなくなった。お父さんと会うたびにぎこちない表情になり、本心で笑えなくなった。
黒い靄は私の心を蝕み、お父さんを悪者扱いするような嫌な憶測ばかりを浮かばせた。そしてその事を肯定しようとする自分が嫌になった。
だけど、それ以上黒い靄が大きくなることはなかった。
私のそばにはエリシアさまがいたから。
エリシアさまは寄り添いながら気持ちが不安定な私を支え続けてくれた。
時には「お前は悪くない。そう思うことが普通なんだ。自分を嫌うな」と励まし、時には「過去は変えられないが、今はいくらでも変えられる。お前が望めば今の憂鬱な現状をきっと変えられる。だから悲観するな。自分の未来を信じろ」と諭してくれた。
ある眠れない夜、エリシアさまが自身の過去を話してくれた。
思いもしなかった悲惨な体験を初めて知り、私は驚いた。
きっと話すには勇気がいったと思うし、何より辛かっただろう。過ちを懺悔するように、その顔は悲しみに溢れていた。
自然と頭の中に情景が浮かぶほどの告白は、エリシアさまの心の痛みが伝わると同時に、そこには私へ対しての切望があるような気がした。お前は幸せな道を進め、と。
そのあと私もそれまで溜め込んでいた感情を吐露し、気持ちが安らいだのを覚えている。
それから日が経つにつれて私の心は正常に戻っていき、やがてお父さんの事を、お父さんとふたたび心から呼べるようになった。独りだったら、きっと今のように明るく物事を考えられなかったと思う。
エリシアさまと出会わなければお父さんに対する疑心を解消することはできなかっただろうし、そのまえに何の力もない幼い私は野垂れ死んでいただろう。
私にとってエリシアさまは、命の恩人であり、お父さんとの絆を繋ぎとめてくれた救済者であり、これまで、そして今も私を育ててくれるお母さんのような存在だ。
私は数えきれないほどの大切なものをエリシアさまに貰った。感謝してもしきれない。
私はエリシアさまを見る。買い物袋に入った毛糸玉をどこか楽しそうに眺めていた。
今日あの絵本を読んだからだろうか。それとも、あの日もこんな夕焼け空だったからだろうか。エリシアさまに抱きかかえられたまま家に帰った日の光景が脳裏によみがえった。
今は私が支えてあげられている事に嬉しさを感じながら。
「エリシアさま」
私は立ち止まって名前を呼んだ。
「なんだ?」
エリシアさまはこちらを見ずに訊ねてくる。
少しこそばゆいけど。
あの日浮かべられなかった笑顔を浮かべて、私はあの時の言葉を繰り返す。
「私が――カナリアが愛した世界を守ってくれてありがとう」
一瞬の間のあと、エリシアさまは驚いた顔で振り返り、私の顔をじっと見つめてきた。
まるで幼い頃の私を見るように、慈愛の眼差しで。
やがて前を向くと、
「どういたしまして」
呟くようにそう言った。その声は少しだけ潤んでいた。
「……早く帰るぞ。チビどもが待ってる」
「うんっ」
私は車椅子を押して歩き出した。
魔女と少女の愛した世界 浅白深也 @asasiro
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