第8話 過去
ある深い森のなかに、赤いやねをしたおうちがありました。
そこには赤いかみの女の子がくらしていました。
女の子はいつもひとりぼっちでした。
たびたびおうちの庭を横ぎる黒猫に話しかけてはにげられてしまいます。
たずねてくる人もたずねるところもなく、ただ時間だけが過ぎさっていく毎日です。
ただぼーっとしているのはたいくつだったので、女の子はむかしのことを思いうかべて時間をつぶすことにしました。
これまでにいろいろなことがありました。
どれもたのしいものではありませんでしたが、はっきりと頭にのこっています。
いっぺんに思いだすとむねがいたくなるので、ゆっくりと思いだします。
いそぐことはありません。時間だけはたくさんあるのですから。
私の記憶に、家族と過ごした心温まる思い出は存在しない。
魔法を操る種族たちは、人里から遠く離れた山間にひっそりと暮らしていた。
町というには小さく、村というには大きい、中途半端な住処。人口もそれほど多くはなく、万を切るぐらい。だから人間社会のように確固たる階級制度は存在せず、あっても形だけの代表がいる程度のもの。
人間との接触禁止は暗黙の了解とされていたため文明の利器は発展していなかったが、なにも魔法使いたちの思考が人間よりも劣るというわけではなく、大体の事は魔法を使えば済んでいたから必要がなかっただけだ。
時たまに山を越えてくる人間もいたが、至るところに魔法の結界を張り巡らせているため視認できず、私たちの存在は知られていなかった。
私は裕福でも貧しくもない、ごく平凡な家に生まれた。両親と兄の四人家族。傍からみれば仲睦まじい家庭。
しかし実際は見掛けだけで、両親の性格は歪んでおり自尊心の塊のような奴らだった。
外では友好的で善良な夫婦で通っていたが、家の中では私と兄を虐げる悪魔だった。
生まれたばかりの私の世話も兄に任せっきりだったし(エリシアと名付けてくれたのも兄だ)彼が八つ当たりされている場面を何度と目にした。
そして私も、ある程度の事を一人で出来るようになったあたりから、兄と同等の扱いを受けるようになった。逆らおうものなら罵声を浴びせられたし、泣き喚こうものなら折檻された。
しかしまだ幼かった私はそれが普通だと思っていた。生まれた頃から素直に命令を聞く兄の姿を見ていたし、両親の暴力は日常茶飯事というわけではなく機嫌が良いときには優しい人達でいたから。きっと愛あるゆえの行動だと信じて疑わなかった。
そして五歳になった頃、私は捨てられた。
その日の事は未だに忘れられない。ある寒い冬の日だった。
私は父に連れられるまま山を越えていた。
「人間の住む町を見たくないか?」と前日に父から提案されていたのだ。
その時の私は胸を躍らせていたと思う。
仲間の誰も知らない世界を一番に見られることもそうだが、父との久しぶりのお出かけが嬉しかったのだ。母や兄が来れないのが残念に思ったほど。
先を行く父に遅れないように、歩きにくい雪道を頑張って乗り越えた。
初めてみる人間の住処は、本当に同じ世界にあるものかと思うほど壮大に見えた。
見上げる高さの巨大な建物が秩序よく軒を連ね、舗装された道をたくさんの人間が行き交う様相はまさに異空間だった。
未知の領域に胸が高鳴る反面、負けたような気持ちにさせられた。
自分たちの住んでいる場所はなんと色のない寂しいところなのだろう。統制の取れた景観や売買されている物、服装といった細かい点まで、こちらが劣っているのは明らかだった。
しかしここにいる全ての人間たちには魔法を使うことができないということを事前に父から聞かされていたので、劣等感に苛まれずに済んだ。
生活に必要な魔法程度なら兄に教えてもらって私にも使えた。
特に火系の魔法は得意だった。ボォーっと猛々しく燃える様が好きで何度も練習していたら大人の扱うものと大差ない段階に達し、周りの仲間たちから神童と称された。謙遜しながらもどこか誇らしげな両親をみると私も嬉しくなった。
家を出発するまえ、自分の許しなく魔法を使うなと父に釘を刺されていたので、人間たちにお披露目できないのが残念だった。
父の歩みには迷いがなく速足だったので、私は色々な場所を探検したい気持ちをぐっと我慢してひたすらあとをついていった。連れてきてもらっただけでも感謝しないといけないのに、我儘を言って迷惑を掛けちゃいけない。
やがて父が足を止めたのは一軒の洋館の前だった。
子供の目からみても一般的な家庭でないことが分かるほど、広大な敷地と巨大な豪邸が他を圧倒していた。
玄関から姿を現した男の人間も通りを歩いていた人間たちとは違って高級そうな衣服に身を包んでおり、上品な細い指には綺麗な宝石が装飾された指輪がいくつも嵌められていた。
父との会話を盗み聞いた感じ、どうやらこの人間が洋館の主人らしい。
男は私をみるとにっこりとした。いつもは嬉しくなる表情なのにその人間の笑みはどうにも好きになれず、私は父の背に隠れた。
父は一体何の用でこんな場所に来たのだろう。この人間とはどういう関係なのだろう。
頭が疑問に埋め尽くされる中、招かれるまま家の中に入った。
煌びやかな内装。ぐるりと見回すかぎり黄金色で整えられていて軽く眩暈がした。
私は別室にいるよう言われた。大事な話があるらしい。
私は待機部屋にあった絵本というものを読んで過ごした。
一冊二冊……と読んでいくうちに時間が過ぎ去っていった。
やがて部屋のドアを開いて現れたのは父ではなく、館の主だった。
男はあの嫌な笑みを私に向けながら言った。
「ようこそタンドレス家へ、エリシア。今日から君は私の子だ」
女の子はあたらしいおうちがきらいでした。
まえのおうちよりぴかぴかできれいでしたが、どこかつめたいような気がしました。
はじめてみるものやはじめてすることがいっぱいあって、たいへんな毎日です。なれるには時間がかかりそうでした。
あたらしいお父さんはやさしい人ではありましたが、ちょっとかわっているところもあって女の子はにがてでした。
はたして、ここを自分のおうちだと思える日がくるのでしょうか。
捨てられた事実を悟った、いや受け入れたのは、タンドレス家の養女になってひと月が過ぎてからだった。
いつも心のどこかでは家族が迎えにくると信じていた。けれど以降、父や母はおろか兄さえやってくることはなかった。
タンドレス家での生活は平穏といえば平穏だった。
義父レデルは昨年の冬、妊娠中の妻を事故で亡くしており、お腹の子も無事ではなかった。再婚も検討してみたものの、レデルはひどく妻を愛しており縁談の話が持ち上がってもすべて断った。
結果、心の穴埋めに私を引き取ったということだった。
そんなこともあり私は大層可愛がられた。
しかし、それは常軌を逸した愛だった。
まず全ての物事の決定権は義父にあった。食べる物から着る服、趣味までもすべて義父が独自に用意し、私の意見なんて聞いてはくれなかった。
程なくして私専用の部屋が与えられたが、その中に私物と言えるものは何一つなかった。
引き取られて間もない頃、現状についていけずに洋館を抜け出したことがあった。
どうにかして元の家に帰ろうと闇雲に街中を走ったところ、路地裏に迷い込んでしまった。厳つい顔をした人間たちから向けられる視線に恐怖を感じながらも足を進めたすえ、体力が底を尽き、地面に膝を抱えて座って途方に暮れた。着の身着のままだったのでひどく寒かった。
日が沈み、より一層底冷えが強まったときに義父が駆けつけてくれた。
とても心配した様子で、私の姿をみると間髪入れずに抱きしめてきた。
その行動を不思議に思った。こういう場合、今までの経験では父に叩かれた記憶しかなかったからだ。
義父は私に怪我がないか丁寧に確認したあと、「帰ろう」と笑顔で手を差し出してきた。
私はその手を握り、義父と横並びになって洋館まで帰った。
次の日から私の首には枷が嵌められた。
外出は禁止され、食事やトイレなど移動する際は枷から伸びた鎖を義父が掴み、必ず同伴した。義父が仕事や用事で忙しいときには自室に鍵をされ、閉じ込められた。
義父が私に注ぐ愛情は見掛けのものだった。すべては自分の胸に穿った空白を埋めるための行為でしかなかった。
結局私は死んだ子供の代わりでしかない。操り人形も同然だった。
反発はしなかった。もう何もかもどうでもよかった。家族から見放された時点で自分は幸せになれないと悟っていたから。
しかしそうは思っていても、馴染んだ家を一旦思い出したら胸を締めつけられた。
あそこは暴力が絶えなかったが、今の自由のない生活よりもマシに思えた。
ここでの私は籠の中のカナリアも同然。
家族の事を想っては夜ひとり静かに泣いていた。
そんなときは決まって手のひらに小さな炎を創り、それを眺めた。
ゆらゆらと優しく揺らめく様をみると心が落ち着いた。これは私があの場所で生まれたことを示す唯一の証だから。
義父は私が魔法を使えることを知らない。
気取られないように、使うのは自室だけと決めていた。魔法という人間からしてみれば未知の力を知った義父が、どのような行動に出るのか想像がつかなくて恐ろしかったから。
義父の過剰な愛は日を追うごとに異常さを増した。
私に対して幻想を抱くようになった。
義父の中での私は完璧超人のようで、勉強やピアノなどのお稽古、礼儀作法で失敗を犯すと鞭で身体を打たれた。腫れ上がった箇所からヒリヒリと痺れるような痛みがして夜中寝付けなかった。
逆に義父は愛の鞭とでも言わんばかりに嬉々としていた。
自由どころか平穏すらもなくなり、余計に実家が恋しくなった。
さすがに年を重ねてくると自分の実家がいかに異常かが認識できたが、それでもここよりかは遥かにまともだったと思う。
向こうの状況はどうなっているだろうか。変わらず兄は虐げられているだろうか。私を売って手に入ったお金で裕福に暮らしているだろうか。
疑問を想い浮かべれば浮かべるほど気になって仕方がなくなったが、自室にいる以外は常に義父の監視に晒されているため望みを叶えることはできなかった。
女の子は暮らしていく中で、たくさんのことを学んでいきました。
自分でものごとを考えるちからがついていき、しだいに自分の中でむかし住んでいたふるさとのことが大きくなっていきました。
帰りたいと思ったのです。
今、かぞくがどうしているのか知りたい。
会って話がしたい。
考えれば考えるほど、そのきもちはつよくなっていました。
タンドレス家の養女になって十年が過ぎた頃、私はある一大決心をした。
このままタンドレス家の娘として生きるのか、実家に帰って元の生活に戻るのか。悶々と悩み続けてきた問題にちゃんと向き直り、終止符を打つ。
だが後者は義父が許してくれるはずもない。外出だけでも渋い顔をするのだ。
前に一度だけ義父の事を間違えて父の名前で呼んでしまったときがあったが、暗示を掛けるように誰が父親であるのかを何度も言わされた挙げ句に、罰としてその日は食べ物を与えてもらえなかった。
それほどまでに私の父親であることに執着していたし、自分が携わってこなかった私の過去を毛嫌いしていた。
しかしだからと言って勝手に逃げ出すような中途半端な真似はしたくなかった。
性格の歪んだ人ではあったけど、少なくとも育ててもらった恩義はある。おかげで人並み以上の素養は身についたし、人間の生活を知ることが出来た。そう考えれば失ったものよりも得たもののほうが多いかもしれない。
だから義父の行動に委ねたいと思った。
本当に私を愛しているのかを確かめる。
もしその愛が本物ならば私は過去を捨てる気持ちでいた。
その日の朝、私は義父に思いの丈を伝えた。まだ胸のうちで燻ぶる過去への迷いを。
私の真剣な様子に、義父はそれ相応の真剣味を帯びて聞いてくれた。そしていかに私を愛しているのかを諭すように語った。
だけど私が欲しいのは言葉じゃなかった。
「愛しているのなら私を抱きしめてください」と、そうお願いをした。
魔法を行使し、体に炎を纏って。
初めて見せる本当の私。
義父は目を見開くほど大層驚いていた。
人間が触れれば火傷程度では済まないのは承知していたので、抱きしめようとする動作をしてくれるだけでよかった。そうすれば私は、義父の事を本当の親と認識することができた。
なのに。
義父は前進ではなく後退した。尻もちをついたのだ。驚愕の表情は次第に恐怖へと変わっていった。
体を震わせるほど怯える反応を心配して、私が歩み寄ろうとすると。
「く、来るな化物!」
義父はそう言い放った。
言葉どおり、その目は娘を見るものではなかった。
鋭利な刃物で身を切り裂かれた感覚だった。拒絶されるにしてもここまで酷い言葉を投げかけられるとは思っていなかった。
ここにいる理由がなくなった。ここにはいられなくなった。
私の中で選択肢が決定し、これまで育ててくれたことに対してのお礼だけを口にして、そのままタンドレス家を出た。持っていくようなものは何一つない。
玄関を出たところで立ち止まり、振り返った。
十年前と何も変わらない洋館の様相をみると、自然と目尻から涙が流れ落ちた。
最初はあんなにも嫌悪していた場所だったのに、離れる悲しみで胸を痛めるほど慣れてしまった自分が不思議でならなかった。同時に義父との別れもそうであってほしかったと思った。
ひとときその場で感傷に浸り、やがて私は歩きはじめた。
決別するように、もう振り返りはしなかった。
家を出たその足で山を越えた。
五歳の頃、父と一緒に歩いた道のりを正確に記憶しているはずもなく、大体の方角しか分からなかったため時間が掛かった。
なんとかたどり着いたときには日が沈む頃だった。
故郷は相変わらずだった。記憶の風景をそのまま体現したように時が止まった場所。様々な発展を遂げる人間の町に比べるとそう感じた。
しかし感情が冷めることはなく、むしろ私の胸には熱いものが込み上げた。
やっと、帰ってこれた。十年かかった。でも耐えて耐えてやっと帰ってこれた。
自分の家に足を向ける。外に出ている人はいなかった。
道のりは体が覚えていたので難なく着いた。
家の外観はさすがに昔とまるっきり同じではなく、塗装が直されていたり部屋が増築されていたりと記憶よりも豪華なものになっていた。
玄関のまえで息を整える。心は期待と不安で入り混じれていた。
十年という歳月が流れているのだ。成長した容姿をみて私と気づいてくれるだろうか。
結論からいうと、両親は私のことを覚えていてくれた。
玄関をノックすると、すぐに母が出てきた。
少し顔は老けていたが、血色は良く健康であることが窺えた。
母は私の姿をみた途端、唖然とし、震える声で私の名前を問い掛けるように呼んだ。
私がぎこちない笑みで頷くと、母は戸惑った様子で一旦奥に行き、やがて父を伴って戻ってきた。
あの日と変わらない父を見ると、胸が早鐘を打った。
脳内で何度も想定してきたのに、いざ目の前にすると何を話せばいいか分からなくなった。
なので向こうの言葉を待つことにした。
父はまず何を話すだろうか。私の成長を褒めてくれるだろうか、経緯について訊ねてくるだろうか、それとも居た堪れない雰囲気を紛らわせるための雑談だろうか。
欲を言えば一言だけでもいいから詫びを口にしてほしかった。もしくは言い訳でもいい。私を捨てた出来事を否定する言葉がほしかった。
そして父が開口一番に放った言葉は。
――なぜ戻ってきたんだ!?
その言葉は驚きからくるものではなく、明らかな怒りと侮蔑が含まれていた。
「え……」と私は呆然とした。
最初は聞き間違いかと思った。私の消極的な心が作りだした幻覚だと。
しかし父の声は鳴り止むことはなく。
なぜ帰ってきた。人間と関わったお前がいれば自分達も周囲から怪しまれる。お前はもう家の者じゃないんだ。今すぐここから立ち去れ。二度と顔を見せるな。
出ていけ。出ていけ。出ていけ。
母は無言だったが、父の意見に同意のようだった。まるで私を汚物扱いするような睨まれた目がすべてを語っていた。
兄が出てくる気配はなかった。きっと私と同じように捨てられてしまったのだろう。
何も答えないままの私に激怒した父が手を上げた。
力任せに頬を叩かれ、私は床に崩れた。
顔を真っ赤にして怒る父を見上げた。私の心は諦観を越えて冷めきっていた。
なぜ私はまた一緒に暮らせるなどという幻想を抱いたのだろう。
この人達は私を捨てたのだ。自分たちの欲望を叶えるために幼い私を他人に売ったのだ。
あの頃の私では理解できない事情があって、やむを得ずに私を捨てたんだと今までずっと自分に言い聞かせてきた。でないと心を保っていられなかった。
しかし行動のすべてが答えだった。両親は金のために私を捨てた、純然たる事実だった。
私の中で何かが壊れた。
そうして気づけば、私は瓦礫の中心に立っていた。
所々に残り火のある炭と化した家屋。体に悪そうな灰色の煙が天に向かって昇っていく。
その間の記憶は欠けていた。何をどうしてこうなったのか分からなかった。
ただ自分の体が炎に包まれていることから原因は自分だということだけは分かった。
近くにあった焼け焦げた二つの死体を見下ろす。
それを目にした瞬間、私の胸に込み上がってきたものは――――だった。
その後、騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた同族たちは口々に私を非難した。
人間に心を売り払った愚か者、同族殺し、親殺し、魔女(ある魔法使いの女が自ら人間と関わった挙げ句の果てに処刑されてしまった古伝から、里では古来より蔑称とされてきた)と、いろいろだ。
同族たちの中には一緒に遊んでいた子(名前は確かアーシャだったか)もいたが、前と同じ瞳の色で私を見ることはなかった。
うるさい。
なにもかも耳障りだった。全てを燃やしてしまおうかと思った。
だが罵詈雑言は浴びせてくるものの、手出ししてくる者は皆無だった。
少し凄んで見せると罵声は止み、全員顔に恐怖を浮かべて身を引いた。
こんな臆病者どものために感情を抱く必要はない。自身の器が汚れるだけ。
だから報復をするのはこれが最後。これからは歯向かう者だけを相手にする。
そうして私は故郷を捨てた。
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