第13話 体験教室②

 その後、音楽の時間は何事もなく進行し、終了した。


 十分間の休憩を挟み、次は美術の時間だった。

 廊下の看板に貼ってあるパンフレットを改めて確認したかぎり、親子同士でお互いを写生するらしい。今度は個人で行うものなので楽だろう。


 体験教室の関係者によってテーブルが退けられ、代わりに一人一つの画架に、木製パネルに張った画用紙、筆やパレット、絵の具などの画材用具が用意された。


 カナリアは筆とパレットを持った手を上げながら「エリシアさま、かく!」とやたら元気に意気込む。

 そういえば(絵本に触発されたのか)日記の隅にはいつも絵が添えてあった。頭の中で補完しなければその時の状況を描いていると判断できないほど子供らしい絵だが。


「美しく描けよ」

「わかたっ」


 大きく返事をして、カナリアはお絵かきを始めた。


 ちらちらと何度も見られるのは居心地が悪かった。

 少しでも気を紛らわせるために自身のほうに集中しようとしたが、真っ白の画用紙を見てやる気が削がれた。絵を描くのは得意だが、好きかと問われれば否だ。強制的に描かされることは幾度もあったが、自主的に描いたことは一度もない。


 しかし白紙のまま、あとで文句を言われるのはそれはそれで面倒。どうせ遊びなのだ。大雑把に描いて早く終わらせよう。

 私は筆を握った。


 無言で描き続けること数十分。

 休憩がてら、私はこっそりと服屋を窺った。


 音楽の時の楽観的な態度とは打って変わって、その顔は真剣味を帯びていた。画用紙とにらめっこし、ぶつぶつと何事かを呟いている。音楽で負かして以来、声を掛けてこなくなった。やっと自身の立場を弁えたか。


 清々とした気持ちで絵描きを再開する。

 絵とは不思議なもので、あれだけ億劫に思っていたのに描いていくうちにのめり込んでしまう。教壇でカルベーラがあれこれと教示していたっぽいが、私の耳には届かなかった。


 美術の時間も残り数分というところで絵が完成した。ふむ。さすが私。どこからどう見てもカナリアだ。

 個人指導に回っていたカルベーラがちょうどやってきた。私の絵をみて驚愕する。


「わあ! エリシアさんお上手ですね! もしかしてお習いになっていたんですか?」

「小さい頃に少々な。それ以来久しく描いていなかったが、やろうと思えば出来るものだな」

「それだけの期間が空いてこの出来は……先程の音楽も心を揺さぶられるほどの歌声でしたし、講師として面目ないです」

「そう気落ちするな。私相手では仕方のないことだ」

「できたっ」


 愉悦感に浸っていると、手を絵の具塗れにしたカナリアが声を上げた。

 すぐにカルベーラが歩み寄っていき、「わぁ、上手く描けたね~」と褒める。ちょっと気になったので私も見てみる。


 特別に凄いわけでもなく、まぁ子供だとこんなものだろうという出来。

 その感想を見透かされたわけでもないだろうが、カルベーラが小声で「褒めてあげてください」と言ってくる。甘やかして調子に乗られても困るのだが、物事に対する意欲を無くされるよりかはマシか。


「まぁ、初めてにしては上出来だ」


 そう言うと、カナリアは私から自分の絵のほうに顔を逸らして足をぶらぶらさせる。嬉しがっているのか照れているのか。未だに喜の感情だけが掴みにくい。


「よっしゃ完成じゃあああぁ!」


 突然、そんな叫び声が聞こえてきた。


 声のほうを見やると、服屋が椅子の上で思いっきり胴体を逸らして両腕を上げていた。大人しくなったと思えば……本当に喧しいやつだ。

 服屋はこちら(カルベーラ)を向くと、片手を上げて手招きする。


「先生! あたしの作品を見てくれませんか?」

「はい。ぜひとも」


 カルベーラに続き、暇潰しに私も見に行く。手はもちろん髪や顔にも絵の具を付けた服屋は私を邪険することなく、腕組みをして自信ありげだ。


「なんだこの絵は……?」


 どれほどの大作かと見てみたが、それは思わず眉を顰めてしまうものだった。

 両目の間が離れていたり鼻と口が捻れ曲がっていたりと、もはや人と呼べない化物が真ん中に描かれている。その周りは様々な色が混じり合ったぐちゃぐちゃの背景。


 どうすれば自分の息子を写生してこんな気味の悪い絵になるのか。まだカナリアの絵のほうが大分マシだ。

 しかしカルベーラは興味深そうに作品をまじまじと見つめ、感嘆の息をつく。


「はぁ……とても素晴らしいですね。さすがです」


 講師という立場上、金を払った参加者を無下にするにはいかないわけか。


「おいカルベーラ。正直に言ってやったほうがこいつの為だぞ」


 無用な気遣いは返って人間をダメにするのだ。


「いえいえ。正直な感想ですよ。私にはとても真似できない逸品です」


 皮肉か。純粋そうな外見をして腹黒いなと、最初はカルベーラの裏の顔を垣間見た気分だったが、周りの状況が私の考えを変化させていった。

 先程の煩い声を聞きつけた参加者たちが、服屋の絵の周りに集まっていく。親達の口から出るのは称賛の言葉。中には真剣な眼差しで考察している者もいた。


 バカな……なぜあんな絵にこんな評価が……。


「エイミさんのお父様は有名な画家さんなんですよ」


 唖然としているとカルベーラがそう教えてくる。エイミというのが服屋の事だと少し遅れて気づいた。


「エイミさんはお洋服店に勤めていらっしゃるでしょう。彼女自身で手掛けた独特な意匠のお洋服もあるんですよ」


 意外にも有名人だったらしい。だから音楽の時の奇行も許されたわけか。

 気づけば服屋は私の絵を観察していた。変な事をするのではないだろうな。


「ほほぅ。案外上手ね」

「案外は余計だ。私に掛かればこの程度の事たやす……」

「ただ創造性の欠片もない絵だね」


 さらっと皮肉を口にする。――なんだと……?


「べつに悪くはないんだけど、見たまんまってのが味気ないわね」

「それが主題だろ! 素直に写して何が悪いんだ!?」

「いやそうなんだけど。背景がなくて勿体ないし、もっとこう全面を使ってカナリアちゃんの魅力や可能性を表現しないと」


 たかが絵を描くだけにそんな事まで考えるか!


「それを言うならお前の絵だって子供の落書きみたいで……どこがいいのか……わからな……い……」


 服屋の背後にいる、服屋の絵の鑑賞に浸っている参加者たちの姿が見えて、だんだんと言葉の勢いが落ちていく。


「芸術に携わったことのない人だとそう思うのは当然よ。わからなくても仕方ないわ」


 服屋はこちらに顔を近づけてきて、


「だって、あなたは〝凡人〟なんだから」

 人を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。


「……っ」


 カチンときた。が、なにも言い返せなかった。先の勝負で敗北を受け入れたと思っていたがずっと根に持っていたのかこの女めぇ。


 服屋は気分良さげな足取りで自分の席に戻り、参加者たちに講釈を垂れはじめる。


 いつの間にか横にいたカナリアが、


「カナリア、エリシアさまのえ、すき」

「……本音でも今言うな……惨めになる」


 ああもう全部燃やそうかな……燃やしてしまおうかなぁ!

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