第12話 体験教室①
体験教室では、音楽、美術、調理実習の三項目を行うらしい。調理実習で作ったお菓子で茶会を開いて終了という流れだった。予定では三時すぎぐらいには終わるようだ。その事はパンフレットに記載されていたようだが、読むまえに燃やしてしまった。
具体的な内容が分かっていなかったこともあり、そう聞かされたときは萎えた。想像するだけで頭を抱えたくなるほど私には似つかわしくない光景。
テキトーに流せればいいが、はたしてどうなることやら。
音楽の時間。
教室の隅に置いてあったアップライトピアノをカルベーラが弾き、その伴奏に合わせて歌を歌う。
親と子それぞれに歌詞つきの楽譜が配られる。見るからに児童向けの歌だ。真面目に歌ってやる必要はない。これだけ人数がいるのだ。声は出さずに口だけを動かしていれば良いだろう。
カナリアが私のスカートをくいくいと引っ張ってきた。
「なんだ?」
「エリシアさま、うた、ってなに?」
そうか。カナリアは歌を知らないのか。
だがいちいち説明してやるのも面倒だったので、いつものように「他を真似しろ」と言った。こういう場合は手始めにカルベーラが手本を見せるだろうし。
予期したとおり、まずはカルベーラがピアノを弾きながら歌って見せた。
さすが一流講師という名は伊達じゃない。頼りない様子から一転、ひとたび歌に集中すると顔つきが変わった。
スーっと耳に入る淀みのない滑らかな歌声が、子供はおろか親までも釘づけにする。まぁ、だからなんだという話だが。
私はカナリアに確認する。
「分かったか?」
「わかた」
呑み込みが早くて結構だ。
しかし理解はしても実践となると緊張するらしい。楽譜にシワがつくほど両手に力を入れている。このままでは初っ端から大声を出しかねない。
注目されるのは居心地が悪いし、忠告しておくか。
「こういうのは何度も繰り返すものだ。まずは周りの者を見てから歌え」
カナリアは素直に頷いた。
「では一度、皆さんで歌ってみましょう」
カルベーラが序奏を弾いていく。
そして歌の出だしに差し掛かったところで。
参加者全員の声を掻き消すほどの大声が隣から上がった。
全員(思わず私も)の視線が一箇所に集中する。
もちろん服屋だった。ミュージカルの俳優ばりに、腹から声を絞り出している。しかも下手。音程がバラバラで聞くに堪えない。
それに自分だけの世界に入っているのか、皆に視線を向けられても動じる気配がなく堂々と歌い続けている。これにはカルベーラも苦笑いを浮かべていた。
ほとんど服屋の独壇場で歌が終了した。
服屋は満足げな表情で息をつくと、自分の子に「アイトくん、もっと大きな声で歌おう! そのほうが面白いぜ!」とか言っている。
アホだ。ここにアホがいる。
恥ずかしげもなく嬉々として音痴を晒すとは。脳の神経回路がおかしいのではないか。
私は早くも前半部分で耳を塞いでいた両手を離して、これみよがしに溜息をついた。
「まったく……煩くて敵わん。親が音痴ではその子も不憫だな」
服屋がキッと睨んでくる。
「なにか文句でも? こういうのは発声することに意義があるのであって、べつに上手に歌う必要はないのよ」
「協調性も含まれていることに気づかないのか、この愚か者め」
「端から人を見下したあなたが言っても説得力がないわよ。というか、あなたは他人の目を気にしないんじゃなかったの? 全然声が聞こえてこなかったけど」
「お前の声がバカでかいからだ」
「そう言って本当は目立つのが恥ずかしいんでしょ。強がっちゃってまぁ」
「……あ?」
これは喧嘩を売ってきたと認識していいよな。返り討ちにしてもいいよなぁ!
人間の戯言と聞き流していたがもう我慢ならない。力づくでも床に這いつくばらせて泣かす。
腕に火傷を負わせる勢いで掴みかかろうとしたところ。
その前にカルベーラが走り寄ってきて私と服屋の間に割り込んできた。
「お二人ともお気を静めてください! 他の方々もいらっしゃいますし、何よりお子様の前ですので……」
「邪魔をするな。今からこいつにどちらが上か叩き込んでやる」
「上等よ。やれるもんならやってみなさい」
目障りにもカルベーラは退かずにおろおろとしたあと。
「――――ああもう分かりました! では歌唱力で勝負するというのはどうですか? それなら音楽の範囲内ですし」
誰がそんな子供騙しの案に乗るか。楽して場を沈静させたい気持ちが見え見えだ。
「あたしはいいわよそれで」
「エリシアさんは?」
「そんなまどろっこしい事せずとも今す……」
「なに? あれだけ啖呵を切っておいてあたしに負けるのが怖いの?」
「…………」
ふん。安い挑発だ。それにその自信はどこから湧いてくるのか。声だけでなく耳まで劣化しているらしい。
結果が見え透いていてバカらしいが、ここは敢えて挑発に乗り完膚なきまでに負かすという結末も悪くない。あくまで敢えてだ、敢えて。相手の言葉に乗せられたわけではない。断じて。
「いいだろう。その勝負に乗ってやる」
そう言うとカルベーラは安堵した様子で息をつき、振り返って他の参加者に頭を下げた。
「お二人が歌唱を披露したいと仰るので、お付き合い頂ければ幸いです」
小さい部屋の中で私達の会話は筒抜けになっていたため、反論する者はいなかった。
カルベーラはピアノの前に戻り、勝負の内容を説明する。
「審査員は参加者の皆さんにして頂きましょう。お二人の歌唱が終了したのち、お聞きしますので良かった思うほうのお名前に挙手してください。親子一組で一票とします」
全員が納得したのを確認してからピアノの椅子に座り、私と服屋に視線を向ける。
「では、どちらからしますか?」
「私はどちらでも構わん」
「じゃあ、あたしからやる」
服屋は「ママ頑張ってくるから良い子で待っててね~」と息子の頭をわしゃわしゃと撫でてから、意気揚々とした足取りで教壇の前に立った。
「ではいきます」とカルベーラが言ってピアノを奏ではじめる。
伴奏が始まっても服屋は余裕綽々とした態度だった。
私から歌声を非難されて自身の声に欠陥があることは理解したはずだが、まさか大声勝負と勘違いしているのだろうか。またあの不愉快な声を聞かなければならないと思うと辟易する。
私は耳に手をやる準備をした。
そして序奏が終わり、服屋が口を開く。
「――――!?」
私は思わず目を瞠ってしまった。
なぜなら服屋の歌声が澄んでいたからだ。
先程の雑音が嘘のように消え、自信に漲った明瞭な声音が部屋中に響き渡る。さすがにカルベーラほどではないが、一般で言えば確実に上手いほうに捉えられるだろう。
参加者たちは(私と同じように)耳元で待機させていた手を下ろして、聴き入っていた。
やがて服屋が歌い終わり、拍手が沸き起こった。
服屋は笑顔で一礼すると、行きと同じ足取りで自分の席に戻った。
そして私に得意げな顔を向けてくる。ムカつく。
「……わざと音痴に歌っていたのか」
「ええ、そうよ。歌は昔から好きで得意なの」
「だったらなぜあんな酷い声で……」
「だから言ったじゃない。今日の音楽の意義は発声することだって。たかが一時間の練習で歌声が上達するわけがない。なら人前で堂々と歌える精神力を養ってもらいたいと思ったわけよ」
よっこらせっと息子を膝の上に乗せる。
「だけどこの子はちょっと恥ずかしがり屋でね。いきなり歌えって言っても無理だから、まずはあたしが恥をかけばやりやすくなるかもって考えたの。まさかこんな勝負事になるとは思ってもみなかったけど」
「ちっ」
「次はエリシアさんお願いします」とカルベーラが促してくる。
「エリシアさま」
カナリアがどこか不安げに私を見てきた。
とても不快な表情だ。私はカナリアの両頬を手で挟んだ。
「そんな顔をするな。お前は私が負けると思っているのか?」
「ううん」
「だったら、もっとドシっと構えてろ」
そう言って頬から手を離し、私は席を立った。
ただ普通に歌うだけで簡単に勝てると踏んでいたが、どうもそうはいかないらしい。最初が酷かった分、服屋の評価は増していることだろう。生半可な歌唱では勝てない。
人間相手に本気を出すなんて馬鹿げているが、手を抜いた結果敗北して自身の尊厳を失うわけにはいかない。圧倒的な力の差を誇示する必要がある。
私は教壇ではなく、カルベーラの元に行った。
「どけ」
威圧的に言うと、首を傾げていたカルベーラはすぐさま場所を空けた。
椅子に座り、高さを調節する。
目の前には譜面板に置かれた楽譜と、白黒の鍵盤。
久しぶりに間近で見ると嫌な過去が思い出され、頭がチクリと痛んだ。
雑念を振り払い、今するべきことだけに意識を傾ける。
心の中でリズムを刻み、ピアノを弾きはじめる。
長年触れてこなかったが、体が覚えていた。考えるまでもなく譜面通りに自然と手が動く。
序奏が終わり間近になったところで、口を開いて空気を吸い込み、やがて声を出す。
遠くに飛ばすように、部屋全体を満たすように意識して歌った。
楽譜一枚程度の長さなので、あっという間に弾き語りを終える。最後まで間違えなかったし、事前の練習なしにしてはまぁまぁの出来だろう。
拍手は起きなかった。見ると全員が全員、アホ面を浮かべていた。
少しの間のあと、ハッと我に返った様子のカルベーラが「あ、ありがとうございました」と言って拍手をする。それに続くように参加者からも拍手が起こった。
別段なにも感じることなく席に戻ると、カナリアが羨望の眼差しを向けてくる。
「エリシアさま、すごい」
「このぐらい私にしてみれば普通の事だ」
すぐさまカルベーラが票を取る。
結果は満場一致で私の勝ちだった。当然の帰結。
口をぱかぁと開けた服屋に、
「どうだ? これが決して埋まることのない格差というやつだ。理解したか凡人」
私はしたり顔で言ってやった。
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