第20話 嫉妬
「実の父親……お前がカナリアの…………証拠はあるのか?」
信じられずに求めると、レイチェルは上着の内ポケットから一枚の写真を取り出してテーブルに置いた。
見ると、レイチェルと女性(親しげに寄り添っているあたり病死した妻だろう)の間に、二人の手を握っている幼女が写っていた。
今よりも少し幼いがどこからどうみてもカナリアだった。
「レイチェルさんは自分の娘さんを探しにアクラムの町までやって来たんだ。三日前は祭りだったでしょ。大勢の人に協力を仰いで捜索するつもり……」
リオールが経緯を説明しはじめたが、頭に入ってこなかった。
こいつがカナリアを捨てた親。こいつがカナリアに最低な人生を突きつけた張本人。
そう確信した時には、私は椅子から立ち上がりレイチェルの胸ぐらを掴んでいた。
自分でも不思議なほど怒りに満ちていた。この感情の出所が判然としなかったが、今すぐにでも目の前のこいつを殺してやりたいほど怒気を感じていた。
レイチェルは眉根一つ動かさず、私を直視していた。
余計に腸が煮え繰り返る。まるでこの状況を予期していたかのような冷静な態度もだが、何よりもその目が気に入らなかった。カナリアと同じ青く透き通った瞳が、こいつとカナリアが血縁関係にある事を肯定しているようで。
しかし、増幅されていく憤りが爆発することはなかった。
その前にリオールが私の腕を掴んできたから。
「エリシア。落ち着いて。ここで君が感情を昂ぶらせても何の意味もないよ」
「…………ちっ」
私は手を離して、乱暴に椅子に腰を下ろした。
激昂した気持ちを鎮静させるためにカップに口をつける。苦い。だがその味覚に集中できたおかげで、幾ばくかは心を静められた。
レイチェルは服装を正した。
「あなたが怒りを表すのも無理はない。私がアレナに酷い事をしてしまったのは事実なのだから」
アレナというのはカナリアの事だろう。本人は名前はないと言っていたが、おそらく長い浮浪生活の中で次第に忘れてしまっていったのだろう。過去を思い出したくなくて自分でも気づかないうちに忘却したのかもしれない。
「自覚はあるんだな。何もかも遅いが」
「返す言葉もありません。あの頃の私は精神的に弱く、なによりも家族を養うだけの経済力がなかった。床に臥せった妻を医者に診せる余裕もなく、次第に弱りきって最後に事切れる姿をただ見ていることしかできなかった。……あまつさえ、妻を失ったことによる一時の気の迷いで街中に娘を置き去りにしてしまった」
自身の犯した過ちを懺悔するように、その顔は苦悶に満ちていた。
「すぐに探しましたが、もう娘の姿はありませんでした。しかしその時、私の心中にあったのは恐怖よりも安堵でした。もう守るものが無くなったことへの解放感。当時の私は目も当てられないほど弱い男だったのです」
その後もレイチェルは滔々と語った。
娘を置き去りにしてから年月が経ち、運良く経営が軌道に乗り出した。何不自由ない資金を手にしたとき、レイチェルの娘への思いは一層強くなった。
娘は今どこでなにをしているのか。どこかの誰かに拾われて平穏に暮らしているのか、当てどもなく彷徨っているのか。生きているのか死んでいるのか。
気がかりになったレイチェルはすぐに行動に出た。捜索の旨と懸賞金が書かれたビラを方々に配って帝都中を探し回った。が、結局は見つけられなかった。他の国や町にいる可能性も視野に入れて捜索範囲を広げた。
そして三日前の祭りの最中、屋台で働く娘の姿を偶然発見した。
「娘の元気な姿を見たとき、胸が張り裂けそうな思いでした。勿論見つけるまで捜索は続行するつもりでしたが、また元気な姿で会えるとは思ってもいなかったですから」
思い出した。カナリアに熱い視線を送っていた幼女好きはこいつだったのか。どおりで商品に目がいかないわけだ。
「娘が私の事を覚えているか自信がなかったもので、その場では声を掛けず、あとでスイートアレスのほうにお邪魔させていただきました」
リオールたちの祝杯に参加していれば、こいつと鉢合わせしていたわけか。早めに帰って正解だったな。疲弊した状況で重い話を聞かされては敵わん。
「そこでリオールさんがなんでも屋を営んでいる事を知り、エリシアさんがアレナの買い手を探している事を伺いました。それから幾度の相談を重ねて今日に至ります」
「娘が商品として扱われていることに腹を立てないんだな。お前のような頭の固い人間は話を聞いた時点で役人に通報しそうなものだが」
「正直、最初は商売の道具にされた事を憎みました。ですが元を辿れば私の弱さが招いた事です。あなた方を咎める権利は私にはない。それがたとえ法に背く行いだとしても、アレナに対しての贖罪となるならば構わない」
レイチェルの声には意志が漲っていた。
「今の私は昔の私のように弱くはない。次こそはアレナを幸せにしてみせる」
固い信念を抱いた言葉は、私にはただの戯言にしか聞こえなかった。
どれだけ心を入れ替えようと、捨てた事実は変わらない。
なのにこいつは平気で〝次こそ〟などという言葉を口にする。過去を変えられる気でいる。
その傲慢さが気に入らなかった。
寝室のドアが開いた。どうやらカナリアが起きてきたらしい。
カナリアは瞼を擦りながら私の所にきて「エリシアさま。おはよ」と朝の挨拶を掛けてくる。
レイチェルを見ると、呆然とカナリアを見続けていた。化けの皮が剥がれたように固い表情は消え失せ、今はただ娘を想う父親の顔だった。
「カナリア。お前にお客さんだ」
目で示すと、カナリアはレイチェルのほうを向く。
レイチェルは椅子から離れ、膝を折り曲げてカナリアに接した。
「アレナ。私の事を覚えているかな?」
「………………ぱぱ?」
はじめは自信なさげな口調のカナリアだったが、やがて記憶と合致したようで、「ぱぱだっ」と両手を上げながら元気よく言った。
「アレナ……!」感極まったようにレイチェルは我が娘を抱きしめた。
感動の再会。なのに、私の胸にはもやもやとした蟠りだけが渦巻いていた。
その感情を誰にも気取られないように、努めて明るい声を出す。
「喜べカナリア。父親が迎えに来てくれたぞ。お前の為に多額の金を費やしてな」
「エリシアさん。子供の前でそういう事はお控え頂きたい」
「事実だろう。一生懸命さが伝わって何よりじゃない……」
「カナリア、どこにもいかないよ?」
その言葉に私達はカナリアを振り向いた。
カナリアは小首を傾げたあと、「カナリアのおうち、ここ」とはっきり言う。
レイチェルは少し困惑した様子で語りかける。
「アレナ。ここはアレナのお家ではないよ。私達のお家は他のところにあるんだ。お父さんはアレナを迎えに来たんだよ」
「ちがう。カナリアのおうち、ここ。ぱぱはカナリアとあそびにきた。カナリア、エリシアさまとずっといっしょ」
一向にカナリアが理解する気配はない。父親の記憶がある時点で帰りたがると思っていたが、どうもカナリアの中では私の家が自身の住処と認識しまっているらしい。
実の父親よりも私のほうが良いと言っているようで、じつに気分が良かった。レイチェルの顔から血の気が引いている。物事を簡単に考えているからこういう事になるのだ。ざまあみろ。…………だが。
私はカナリアに向かって言った。
「父親の言うとおりだ。お前の家はここじゃない。意味の分からない事を言って父親を困らせるな」
無表情だったカナリアの顔に動揺が広がる。
「カナリアのおうち、こ……」
「だから違うと言っているだろう。……聞き分けのないやつだな」
私は椅子から立ち上がり、カナリアを冷めた目で見下げた。他人の感情の変化に敏感なカナリアは、それだけで私が怒りを感じていることを察し、顔を悲しみに歪めた。
「そもそも私とお前は赤の他人だ。新しい親が見つかるまでと面倒を見てきてやったが、本当の父親が現れた以上、それも必要ない。分かるか?」
「わかないっ、カナリアここにいるっ」
「ダメだ。お前は元の居場所に帰れ」
「…………か、かなりぁ……やっ……ここに……ここ……に……いるぅ……」
カナリアは肩を小刻みに震えさせながらも、潤んだ瞳で私をみて必死に訴えてくる。泣くのを堪えているのは一目瞭然だった。
分からなかった。
なぜそんなに私といる事を選択するのか。望むのか。
お前には想ってくれる親が目の前にいるじゃないか。どうしてそちらに歩もうとしないんだ。
カナリアの行動に納得がいかず、出所の分からない怒りに突き動かされるように怒鳴り声を上げようとしたところで。
途中から背景と化していたリオールが手を打ち鳴らした。
私は喉から出かけた言葉を飲み込む。
リオールはニコリと顔を緩めて頷いた。
「突然の訪問だから、カナリアちゃんが混乱するのも無理はないよ。今日のところは話をしに来ただけだから、そろそろお暇しようかな。レイチェルさん、それで良いですよね?」
「……はい。そうですね……」
来た時の堅固な表情とは打って変わってレイチェルの顔には疲弊の色が浮かんでおり、どこか年老いて見えた。必死に探してようやく見つけた愛娘に拒絶されたのだから当然だろう。
「エリシアも良いよね?」
「……ああ」
今のカナリアの様子ではいつまで経っても話が終結しない。
「じゃあ明日の正午にまた来るよ。その時までにカナリアちゃんを説得しておいてね」
私だけに聞こえるように言って、リオールはレイチェルを伴って帰っていった。
カナリアは俯きながら目元を腕で拭っていた。
簡単に言ってくれるものだ、とリオールを恨んだ。
二人きりになったあと、すぐに朝食の準備をした。すっかり食欲も失せていたが、他にやる事がなかった。
カナリアはいつものように、いやいつもよりも手伝いをしてきた。私が指示を出すまえに、「カナリア、する」と自ら進んで作業に当たった。どうも役に立つことでこの家に留まることを認めてもらおうとしているようだった。
私は肯定も否定もせず、好きなようにやらせた。
テーブルに座って朝食をとっている時、カナリアはお預けされている犬のように料理に手をつけず、言ってきた。
「エリシアさま。カナリアここにいたい」
「カナリア、おてつだいがんばる」
「わがままいわない、エリシアさまのいうこときく」
私の顔色を窺うようにおずおずとした感じだった。
私はそれに返答することなく、「食事のときは静かに食べろ」と一蹴した。
重たい空気の中での朝食時間が終わり、これからどうしようかと考える。
今日の予定は特になかった。本当であれば暇つぶしにカナリアの勉強に付き合おうかと思っていたが、それももう意味を為さなくなった。
今、私が取るべき行動は……。
「私はやる事がある。お前は寝室で勉強でもなんでも好きな事をしておけ」
「カナリアもす……」
「ダメだ。寝室に行け」
構えば小さな希望を見出すことになる。言葉で説得できないのなら態度で示すまで。
カナリアは俯き、やがてとぼとぼとした足取りで寝室に消えていった。ドアが閉まったことを確認してから、私はソファに座る。
やることなんてない。時計の音がやけに煩く感じた。
こんな時に多忙で無いことを嘆くが、よく考えてみればここ数週間で忙しい事といえばすべてカナリアに関する事であることを思い出した。
カナリアと出会うまで、私は日々を一人でどう過ごしてきたのか。過去を振り返ってみたが今となってはどれも味気ないものに感じてしまい、暇つぶしに活かすことはできなかった。
結局、時計の針に耳を傾けるだけの苦痛な時を過ごした。
昼食をとってからは家事をこなした。
当然のようにカナリアは手伝ってきて、またしても同じ類いの言葉を掛けてきた。
私は否定するか、もしくは無視をした。
次第に諦めたのか、カナリアは無口になった。
それから夕食の時も風呂の時も、私達の間で言葉が交わされることはなかった。
就寝の時間になり寝室へ行くと、カナリアが絵本を胸に抱きしめて待っていた。
私を見上げる瞳には期待と不安が入り交じっているような気がした。
しかしここで心を許すわけにはいかなかった。
「明日は色々と大変だ。今日はもう早く寝ろ」
きっぱりそう言うと、カナリアは絵本をぎゅっと握り、俯いた。
やがて絵本を元の位置に直してベッドに入った。毛布を頭まで被り、眠りにつく。
私は置きライトの灯りを消し、カナリアに背を向けてベッドに横になった。
背後から出た小さな嗚咽が聞こえてきて、耳を塞いだ。
眠れない夜のはじまりだった。
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