第23話 日記帳
少し早い昼食のあと、一眠りでもしよう思ってベッドに寝転がろうとした時だった。
ベッド下の隙間から本の角のようなものがはみ出しているのに気がついた。手にとってみる。
「これは……」
それはカナリアの日記帳だった。色々とあってすっかり忘れていたが、そういえば整理する時になかったか。
まさかこんな場所に落ちていたとは。偶然か、それともカナリアが隠したのか。
これを見ると、一日の終わりにカナリアがこれに書き込んでいる姿が浮かんできて懐かしさを覚えた。
ベッドに腰かけ、ページを捲ろうとして。
そこで手を止めた。
瞬間、恐れに似た何かを感じた。この中身を見ることによって今の生活がより生きづらいものにならないだろうか。見ることを躊躇っている自分がいた。
「……バカバカしい。ただの暇つぶしに何を恐れているんだ私は」
自身に悪態をつき、頭の中から余念を振り払う。今度は躊躇わずに日記帳を開いた。
一ページ毎にその日の出来事と感想を書いているようで、余白がないほど大きくて筆圧の強い不格好な字が並んでいる。
日記帳を渡した日から、数日の日記にもう一度目を通した。
口では何も言わないのに文章にすると素直に書かれているので、普段カナリアが何を思っているのか見て取れて面白い。左下にちょこっと描かれた絵も下手ながらどことなく味があって良い。
読み始めたら止まらず、自然と手がページを捲っていく。まだ見ていない日記に差し掛かっていた。
『きょうはエリシアさまとおべんきょうをしにおっきないえにいきました。へやのなかにいっぱいのひとがいてこわかったです。エリシアさまのうたがきれいですごかったです。みんなもびっくりしてました。えをかきました。エリシアさまをがんばってかきました。エリシアさまがカナリアのえをほめてくれました。うれしかったです。ぱんけーきとくっきーをつくりました。むずかしかったけど、エリシアさまがおしえてくれてうまくできました。おいしかったです。エリシアさまはなんでもできてすごいとおもいました。カナリアもエリシアさまみたいになりたいです。』
これは体験教室の時だな。服屋が突っかかってきたせいで無駄な労力を使った一日だと思っていたが、カナリアに私の偉大さが伝わっていたようでなによりだ。
次のページはより汚ない字で書かれていた。
『かぜをひきました。エリシアさまがかんびょうしてくれました。あたまがあつくてぼーとします。おふとんにもどります。』
いつの間に書いていたのか。どおりで一日中熱が下がらなかったわけだ。こんな日ぐらい休めばいいものを。カナリアの中では日課というよりも使命になっているのかもしれないな。
読み進めていき、二ページに渡って書かれている日を見つけた。
『きょうはエリシアさまとあさはやくにいえをでてまちのくらいところにあるきれいなおうちでろーるけーきをたべました。おいしかったです。そとにでたらひとがいっぱいいました。まつりです。いっぱいのみせをみてほしいものをエリシアさまにかってもらいました。くろにゃーのえがかいてあるじぐそーぱずるをかってもらいました。エリシアさまといっしょにしたいです。まちのひろいところがゆうえんちになっていました。ぐるぐるまわるのりものにひとりでのれました。カナリアがんばりました。おばあさんのおてつだいをしました。にもつがおもくてさいごまでもてませんでした。エリシアさまごめんなさい。おばあさんからおれいにえほんをもらいました。よるがたのしみです。すいーとあれすのおてつだいをしました。いっぱいのひとにこえをかけられて』
これはロールケーキ(祭り)の日か。中途半端に途切れているのは私が花火の観覧に誘って会話をしている途中で眠ってしまったからだろう。たしかに長文になるのも頷けるほど、朝から夜まで目まぐるしい一日だったな。
それから先の二日分を読んで、ふと思う。
どの日にも必ず私の名が出ていた。もっと他の登場人物もいるだろうに、私との出来事ばかりだ。特にイベントがない普通の日なんて私の言動が密に書かれており、まるで私の観察日記みたいになっている。そして決まって、すごいだのきれいだの自分もそうなりたいだの、称賛の言葉が付き足されていた。
カナリアにとって私は一体どういう存在だったのだろう。
とても気になったが、今となっては知る由もない。
「…………」
またページを捲る手が止まる。おそらく次が最後の日記だ。父親に会う前の日の日記。
記憶によればこの日は絵本読みやパズルをして過ごした他愛もない一日だったはず。きっと特別な事は書かれていない。
なのに、そうとは思っていても手が動かなかった。消え去ったはずの恐怖がよみがえり、私を束縛する。日記帳を持ったまま時が過ぎていこうとしたとき。
突然チャイムが鳴り響いた。それも耳障りなほど連続的に。
「なんだ……?」と不可解に思って腰を上げたところで、寝室のドアが勢いよく開いた。
「大変だよエリシア!」
リオールが珍しく慌てた様子で駆けこんでくる。予定では夕方頃に来るはずだったが、依頼者との相談は終わったのだろうか。
なんにせよ、さっきまで思い悩んでいたところに急に現れて水を差された気分だ。激しくムカムカしてくる。
「人が真剣に考えているときに喧しい声を出しおって。そんなに死にたいのか?」
睨み据えるが、リオールは意に介した様子もなく。
「お仕置きは後でいくらでも食らうよ、いや食らわせてください! ……じゃなくて大変なんだって!」
「一体何なん……」
「アクラムの街に里の魔法使いたちが来てるんだよ!」
その言葉に私は怒りも忘れて唖然としてしまった。
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