第26話 決意

 目を開けて最初に映ったのは、白い天井だった。


 徐々にぼやけた思考が鮮明になっていき、自分がベッドに横たわっている事に気づいた。

 胸元まで掛かった毛布を剥いで上半身を起こそうとしたら、ズキッとした痛みが体のあちらこちらから伝わってきた。顔をしかめる。


「まだ安静にしてたほうがいいよ」


 その声に横を見ると、リオールが椅子に座ってこちらを見ていた。


「ここは?」


 辺りに視線を向けながら訊ねる。調度品などあまり置かれていない、白を基調としたシンプルな造りの部屋。


「俺の依頼所。アーシャを見送ったあと、急に倒れた君を抱き抱えてここまで運んだんだよ」


 その言葉で、ようやく経緯を思い出す。

 腕や肩、腹部と傷を受けた箇所には包帯がしてあった。こいつに助けられるなんて屈辱だ。


「余計なことを」

「君は素直にありがとうも言えないのかよ……ここまで運ぶのに息を切らせながら頑張った俺を褒めてほしいよ」

「おい、その言い方だと私が重いみたいじゃないか。取り消せ」

「いや実際に重かっ……なんでもない」


 睨みを利かせると、リオールは一度咳払いをして話を変えた。


「それで。今の状態は?」


 傷の具合を訊いているわけではないだろう。

 自身の中にある魔力はほんの僅かしか残っていなかった。魔力は増殖する。元々ある魔力が時間を掛けて分裂、再生し、新たな魔力が作り出される。だから普通であれば時間とともに数量が増えていくが、私の中に残された魔力の量では期待できないだろう。そして完全にゼロになれば二度と復活しない。


 私が無言でいると、リオールは息をついた。


「かなり無茶したね。他人の為に自分を犠牲にするなんて、君らしくもない」

「……うるさい」


 言われずとも自分が一番驚いている。だが不思議と後悔はなかった。


「まぁそのおかげでアクラムは救われたわけだけど。……それとそうそう、今日の混乱でレイチェルさん達の帝都行きは明日に延期になったそうだよ」

「……だからなんだ?」

「このままでいいの?」


 リオールは相変わらず飄々とした態度だが、その声は真面目だった。


「もう気づいてるんでしょ、自分の気持ちに。今、素直にならないと一生後悔するかもよ」


 私はリオールを恨んだ。人が苦心してやっと諦めた思いを刺激して掻き乱す。人を気遣えない奴だとは分かっていたが、ここまで空気を読めない最低男だとは思わなかった。


「嫉妬したんだ」


 しかし私の口は胸の内を吐き出していた。

 一週間前の日を思い出す。カナリアと別れたあの日を。


「あいつは自分の事を想ってくれる親がいるのに、赤の他人である私と一緒にいることを望んだ。親から想われることがどんなに恵まれていることなのか気づかずに」


 過去に私が欲して得られなかったものを、カナリアは捨てようとした。


「あいつは分かっていないんだ。餌を貰って懐くノラ猫のように、今はただ物事の表面しか見ていない。だがきっといつか親を恋しく思う日が来る。その時にはもう遅いんだ。失ったものを嘆くことしかできないんだ」


 私がそうだから。あんなクズな奴らでも、かけがえのない親である事に変わりはない。心の中でどれだけ否定しようとも、最後には後悔がやってくる。あの日、感情に任せるままに両親を焼き払った情景は今でも脳裏に張りついて離れない。カナリアには私と同じ道を辿ってほしくない。


 それに私とカナリアを結ぶものは何もない。私は親の代わりにはなれない。


 リオールは椅子から離れると、部屋の隅にあった小棚に向かう。


「それが君の答えなんだね。君の決めた事なら俺はもう何も言わないよ」

「だったら最初から言う……」

「はいこれ」


 リオールが唐突に渡してきたものは、カナリアの日記帳だった。

 受け取り、どこか破損していないか確認する。大丈夫だった。


「君はこれを全部読んだの?」

「いや。突然訪問してきたどこかのバカのせいで途中だ」

「それはそれは、間の悪い時に来たもんだ。まったくとんでもないバカだね」


 お前だよお前。死ね。


「じゃあこの際だから続きを読んでみれば?」

「この際ってどの際だ……ったく……」


 そう言葉を返しつつも気にはなっていたので、日記帳を開いた。

 一枚一枚ページを捲っていき、最後の日記の一ページ手前で手を止めた。リオールに促されるまま開いてしまったが、頭の片隅では読まないほうがいいと警告を発していた。


 しかしいつまでも立ち止まっていられない。この煩わしい思いも今日限りだ。これを読み切って完全に後腐れを無くしたほうがいい。

 私は思い切ってページを捲った。恐る恐る雑な文字に目を通す。


 最後の日の日記。


『きょうはおそとがあめだったのでおうちですごしました。じぐそーぱずるをしました。ぴーすをつなげていくとくろにゃーのみみがでてきました。ふしぎです。つぎはエリシアさまといっしょにやりたいです。おひるごはんをたべたあとエリシアさまがえほんをよんでくれました。おばあさんからもらったえほんです。おとこのこがきれいなまちでいっぱいのひととせいかつをするはなしでした。おとこのこはみんなとまちをあいしていてすてきとおもいました。』


 読み終わり、私は息をつく。

 ほらみろ、他愛のないことばかりではないか。心配は杞憂だったよう……だ…………。


 なんとなしにページを捲ったら二ページ目――続きがあった。


『カナリアがあいしたせかいはエリシアさまとごはんをたべてエリシアさまとおうちのしごとをしてエリシアさまとまちにおかいものにいってエリシアさまとずっとずっといっしょにいることです。エリシアさまはカナリアにとってあいするひとです。これからもいっぱいいっぱいエリシアさまといろんなことをできたらいいなとおもいます。エリシアさまだいすきです。』


 文字の横には私とカナリアが描かれた稚拙な絵があり、お互いに笑顔で手を繋いでいた。


 …………。


 時が止まったようだった。しばしの間、私はその二ページ目から瞳を離せなかった。

 何度も何度も読み返し、頭の中は様々な思いと記憶で溢れ返った。


 やがて私は日記帳をそっと閉じた。

 不思議と心は揺れず、穏やかだった。


「まだ間に合うかな」

「間に合うさ」


 独り呟いたつもりだったが、リオールが確かな声で言った。


 私は毛布を剥ぎ捨て、ベッドから床に足を下ろした。足裏が床に触れた瞬間、骨が軋むような鈍い痛みがした。我慢すればいいが、どこまで持つか。


 するとリオールが傍まで来て屈みこむ。


「なんだ?」

「歩くのきついでしょ? 俺がおぶっていくよ」

「いらん」

「片意地張らないで。どのみち俺が行かないとレイチェルさんの別荘の場所わからないでしょ。ここからだと結構距離があるよ~」

「そもそも人ひとりをおぶっていく体力がお前にないだろ」

「可愛い可愛い妹のためなら頑張れるよ」

「……今さら兄貴面するな」


 こいつは昔と何も変わっていない。偶然にアクラムで再会した時から、里で一緒に暮らしていた時から変わらず、お節介焼きだ。


「……肩を貸せ」


 観念してそう言うと、リオールはニコッとうざい笑みを見せた。

「はいよ」と言って私の右腕を自身の肩に回す。同時に立ち上がり、私たちはゆっくりとした歩調で部屋をあとにした。


 依頼所の玄関に近づくにつれて、ざわざわとした喧騒が聞こえてきた。


「あちゃー。まだ帰ってないんだ」

「帰ってない? 誰がだ?」

「ああ、君とアーシャの戦いを陰で見ていた人達がいたようでね。魔法使いをひと目見ようと集まってきたんだ。さらにどこからか情報を聞きつけた人達も合わさってこの騒ぎに」

「燃やすか」

「君にそんな魔力残ってないでしょ。裏口から出よう」


 あるならさっさとそっちに案内しろよ。

 玄関に背を向けたとき、玄関の向こう側から知っている声が聞こえた。


「――――こっちは怪我人がいるんだよ、集まってないで早く帰れって! お前ら全員あたしの店出禁にすんぞコラァ!」


 激しい口調を飛ばす女の声。


「この耳障りな高い声は服屋か? なぜあいつがここに……」

「エイミさんも情報を聞きつけて依頼所に来たんだ。彼女は知り合いだし、君の事をすごく心配していた様子だったから部屋に上げてね。率先して治療を手伝ってくれたよ。終わったあとはああやって野次馬たちを牽制してくれてる。ちょっとした有名人の彼女がいなかったら玄関を突破されていただろうね」


 あいつが私を心配して……。


「君も良い友達を持ったねぇ。お兄ちゃんは嬉しいよ」

「……ちっ、どいつもこいつも頼んでいないのに面倒な事をしおって」


 愚痴を募らせつつ、しかし不思議と悪い気はしなかった。


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