第14話 体験教室③
胸のうちに迫り上がってきたどす黒いものを休憩時間中に何とか押しとどめた。
ここで感情を爆発させてしまったらこれまでの苦労が無駄になる。せっかくリオールの言質を取ったのだ。この好機を逃してはならない。がまんがまん。
次は調理実習。三時の茶会で食べるおやつ(クッキーとパンケーキ)を作るらしい。
調理に必要な設備の整った隣の部屋に移動する。
中は清潔な印象の白い調理台(子供用の踏み台が用意されてある)が並んでおり、その上にはクッキーとパンケーキの材料、食器、調理器具、他には大人用と子供用それぞれの三角巾とエプロンが畳まれて置かれていた。
「調理台は大きいので、一台を二組で使うことにしましょう。お好きな場所にどうぞ。台を決めましたら、こちらのほうでご用意させていただきました三角巾とエプロンをご着用ください」
なんとなく窓際の隅の台に行く。
するとすぐに服屋が対面にやってきた。私は顔を顰めた。
「……なぜ私の所に来る? あっちいけ」
「まぁまぁ、いいじゃない」
「よくない」
「あら、また負けるのが怖いの?」
まだ勝利の余韻に浸っているのか上機嫌な様子。あの程度の事でおめでたいやつだ。
しかしこれまでの服屋を見るかぎり何を言っても無駄だと分かっていたので、「勝手にしろ」とだけ言って私は準備に取り掛かる。これ以上こいつとの事で情緒を乱すのは馬鹿げている。無視だ無視。
準備に手間取っていたカナリアを手伝ってやった。
どことなくエプロン姿の似合うカルベーラがパンっと手を叩いた。
「皆さんご用意が整ったみたいなので、今から調理に取り掛かっていきたいと思います。まずは材料が揃っているかをご確認ください」
小麦粉、卵、バター、砂糖、塩などがレシピ別にそれぞれ透明の器に分けて入れられている。
随分と親切なものだ。調理の勉強というよりかは親子で楽しむ事を目的としている感じか。
「大丈夫でしょうか。――では調理を始めていきましょう」
前でカルベーラが作り方の説明を始めるが、こんな初心者向けの事をわざわざ聞く必要はないし、周りに合わせる気もない。
私のある作戦の為にも手早く終わらせる。
カナリアを促し、一緒に備え付けの流し台で手を洗う。部屋の壁際にある業務用オーブンが稼働中かを確認したあと、ボウルを手に取って中にバターを入れ、ボウルと泡立て器をカナリアに渡した。
「カナリア。まずはこれをクリーム状になるまで練ろ。終わったら砂糖を入れてしっかりと混ぜて塩を加え、次に卵を加えてまた混ぜる。出来るな?」
「わかた」
しっかりと返事をしてから両手でボウルを受け取り、作業をはじめる。普段から調理の手伝いをさせているので理解が早い。カナリアがクッキーの生地を作っている間に、私はパンケーキ作りに取り掛かる。
テキパキと調理を始める私達に、(服屋も含め)他の参加者たちは驚きや感心を向けてきた。貴族というものはまともに料理もしたことがないらしいな。
カルベーラが困ったような苦笑いを浮かべていたが、気持ちを汲み取ってやるつもりはない。料理は速さが大事だ。素人共に合わせていたら美味しさが損なわれる。
それから十五分ほど。ようやく説明が終わったようで、参加者たちは作業に入った。その頃には私達の作業は中程に差し掛かっていた。
カナリアの混ぜたクッキー生地を麺棒で伸ばし、打ち粉をしてハートやら星やらの型抜きで抜いていく。オーブンの受け皿にクッキングシートを乗せて型抜きした生地を均等に並べ、熱されたオーブンに入れる。
その間にパンケーキ作りを進めるわけだが、私が作ったらクッキーが焼き上がる前に終わってしまう。どうせ食べるなら出来たてのパンケーキが良いので、ここからの工程はカナリアにやらせてみることにした。
火を扱うことは一度もさせていないので、コンロのスイッチを押すところから教える。火がボォと点くとカナリアは肩をビクつかせた。
私の指示通り、カナリアは覚束ない手つきでフライパンに油を引き、パンケーキの生地を四分の一流し込んでいく。丸を作ってから蓋をし、焼き色がついて表面が少し乾くまで焼く。
ちらっと対面の服屋を見ると、「要は全部混ぜて焼けばいいわけね。楽勝楽勝」と絶対に料理経験者でない発言をしている。見て見ぬふりをした。関わったらロクな事にならない。
焼けたパンケーキを皿に移させ、次は一人で同じ工程をさせてみる。
何事も覚えの早いカナリアは順調にこなしていった。
やがて出来上がったものは若干焼きすぎだったが、初めてなので仕方ない。
カナリアと場所を交代し、自分の分を作っていく。
何も言わずとも使い終わった調理器具を洗うカナリア。私の教育の賜物だ。
同時に二つ焼き、パンケーキはすぐに出来上がった。
こんがりと焼けたクッキーを、シロップを垂らしたパンケーキの横に添えて完成。
周りを見回すと、私達以外はまだ作業を続けていた。予期したとおり。
隣の調理台にいたカルベーラを呼び、完成品を見せると。
「……わ、わぁ! とても美味しそうですね。良い香りが食欲をそそりますし、見た目も本職並みの出来栄えで……」
称賛しながらも戸惑いを隠し切れていない。こいつの中では茶会が始まる三時ぐらいに参加者全員の調理が済み、皆で楽しく語り合いながら茶会を過ごす予定だったのだろう。
だが、基本食事は静かに行いたい私が付き合うわけがない。一足先に食してさっさと帰る。ちゃんと目的は達したのだから文句を言われる筋合いはない。完璧な作戦だ。
「私とカナリアは先に食べるぞ」
「え……で、ですがその……お飲み物もないですし……」
「茶会の時のために用意してあるのだろう? それを今すぐ持ってこい」
「い、今すぐはちょっと……」
「ではなにか? あとで私達に冷めたものを食えと言うのか?」
「そ、そういうわけでは……」
「話にならんな。――少し食べて帰るぞ、かなり……」
困惑するカルベーラを無視し、洗い物を終えたカナリアを促そうとしたとき。
「うっま!」
私のふわとろパンケーキにフォークを突き刺して口に運ぶ不躾な者がそんな声を上げた。
今日一番の苛立ちに、私は服屋の胸ぐらを掴んだ。
「おい……なに勝手に人のものを食べているんだお前は……?」
「味見ぐらい良いじゃない。それよりもこんなに美味しいものどうしたら作れるの? 教えて教えて」
「ふざけるな! そんなの嫌に決まって……」
パンっ。
その時、カルベーラが手を叩いた。絶望の淵から舞い戻ったように表情が輝きに満ちている。
嫌な予感がした。
「エイミさんそれは良い提案です! 私一人で全ての調理台を見て回るには厳しいですから、エリシアさんが教えて下さればとても助かります!」
「は? なぜそんな話になるんだ!?」
講師としての矜持を持てよ!
カルベーラは縋るような目で懇願してくる。童顔も相俟り、まるで駄々をこねる子供のようで非常に鬱陶しい。服屋め、余計な事を言いおって……。
気がつけば、いつの間にか他の参加者たちが集まって来ており、私の作ったものを服屋が勧めて……っておい、勝手に試食会するな!
そして徐々にカルベーラに賛同する声が増えていき……。
結局のところ、私は講師の真似事をする羽目になった。
耳元でわんわん鳴かれては堪えられない。かといってキレて帰ればこの事がリオールの耳に伝わり、約束を反故にされる恐れもある。それだけは避けたかった。
参加者に教えるのは一苦労だった。
どいつもこいつも火を取り扱ったことがない者ばかりで、しかも不器用。カナリアに教えるほうがよっぽど楽だった。服屋は論外だ。生地は溢すわパンケーキは焦がすわ、あまりの手際の悪さに焦れてカルベーラに丸投げした。
カナリアはカナリアで、人見知りながら頑張って子供たちに教えていた。
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