第10話 面倒な依頼
カナリアと一緒に暮らしはじめて早二週間が経とうとしていた。
一般的な技能を身につけさせるという名目で家の雑用を押し付けていたら、大体の家事(料理だけは私の補佐程度)をこなせるようになっていた。カナリアに物事を教える仕事と日頃の仕事、両方の負担が減ったので一石二鳥だった。
一日の疲れを温かいお風呂で癒したあと、一杯のミルクを飲む。
寝る前の日課になった絵本読みをするため、寝室に向かおうとしたところで。
「夜分遅くにごめんっくっださ~い!」
そんな喧しい声が外から聞こえてきた。
ダイニングテーブルに座って同じくミルクを飲んでいたカナリアが瓶を置く。
「エリシアさま、リオルきた」
「みたいだな。追い払ってこい」
「わかた」
カナリアは頷き、椅子から降りて玄関に向かう。
すぐに「リオル、はいっちゃだめっ」と声が聞こえてきた。ここからは見えないが、廊下で両手を目一杯広げて通せんぼするカナリアの姿が想像できた。
絵本読みの効果だろうか。ここ数日でカナリアの語彙力はかなり向上した。仕草だけではなく、ちゃんと口で答えるようにと躾けたことも要因の一つだろう。相変わらず表情は乏しいが、前よりか感情の把握がしやすくなったので苛立つ回数が減った。
残念ながらバカは家の中に入ってきた。
カナリアは連行されるように両脇を持ち上げられている。ぶらぶらと揺れてされるがままだ。少しは抵抗しようという気はないのか。
リオールはカナリアを下ろすと、我が物顔でテーブルの椅子に座る。
「子供を使うなんて卑怯だよ。あまりの愛らしさに危うく帰るところだったじゃないか」
「カナリア、もう一度言ってやれ」
「リオル、でてけ」
「ぐはぁっ……そんな純粋な瞳を向けられたら俺のハートぅがぁぁ」
バカは胸を押さえて苦しそうな演技をする。……なんだこの茶番は。
「で。何の用だ? こんな時間に来るほどの事なんだろうな?」
こっちはカナリアの目の冴えているうちにさっさと今日の分の絵本を済ませたいのだ。もしどうでもいい事なら家から蹴り出してやる。
「まぁそんな邪険にしないでよ。君にとっても朗報だから」
つまり大金話に進展があったということか。なら無下に追い出せないな。
すぐ隣で絵本読みはまだかまだかと待っているカナリアに私は言った。
「カナリア。今日の絵本読みはお預けだ。寝室に行って先に寝てろ」
カナリアは日を追うごとに新しい言葉を覚えていっている。私達の話はまだ理解できないだろうが、用心に越したことはない。
カナリアは視線を落とし、残念そうに小さな声で「……うん」と頷く。ソファ脇の小棚に置いてあった私物を手にとり、背伸びで寝室のドアを開ける。
部屋に入るまえに私を振り返り、「おやすみなさい」と就寝前の挨拶をしてくる。
「……ああ、おやすみ」
リオールの手前、茶化されそうで嫌だったが、教えた本人が言わないわけにはいかない。
カナリアが寝室に消えたのを確認してから、私は椅子に座った。
案の定、リオールは口角を上げていた。
「へぇ。一緒に寝るようになったんだ」
「勘繰るな。絵本を読み終わるとすぐに寝るから移動させるのが面倒なだけだ」
「ふ~ん。さっき大事そうに持っていったものは何なの? 筆記帳っぽかったけど」
「日記帳だ」
「日記帳?」
私はリオールの背後にある戸棚を指差す。
「この前、そこの戸棚を整理していた時に見つけてな。文字を書く練習になると思ってやった」
その時に日記の意味も教えた。
説明しているとき、カナリアは頷くばかりでちゃんと理解したのか怪しかったが、あとで日記帳を見てみると早速その日の事が書かれており、しっかりと文章になっていたから驚いた。様子を見るに、毎日欠かさず書いているようだ。
その事にはリオールも驚いた様子だった。
「もう文字が書けるの? っていうか君が教えたの?」
「なわけないだろう。筆記具の持ち方を教えたぐらいで、あとは絵本に書いてある字を写させる自学自習だ。たった数日でまともな文章を書けるまで急成長するとは思わなかったがな」
カナリアの教育はもう十分だろう。これ以上私が手を焼く必要はない。
「私がここまで手厚く育てたんだ。商売相手が見つかったのなら早く売る段取りを組め」
「いやまだ見つかってないけど」
「は? 大金話に進展があったんじゃないのか?」
「いやいや。誰もそんなこと一言も言ってないでしょ」
なに、べつの用件だと……?
「……お前は何をしに来たんだ?」
嫌な予感が沸々と込み上げてくる。
リオールは肩下げのバッグから一枚の印刷紙を取り出し、テーブルに置いて提示してきた。
一見しただけで何かのイベント事だと分かるカラフルなパンフレット。見出しには『お子様の能力を開花させてみませんか? 親子参加の体験教室!』と大きく書かれていた。
「なんだこれは?」
「見たまんまだよ。親子で楽しく、一流の講師から勉強を学ぶ体験が出来るんだ」
「で?」
「で、とは?」
「これを私に見せてどうしたいんだ?」
リオールはにっこり。
「君とカナリアちゃんで行ってきてほし……」
「帰れ」
バカの能力を買いかぶりすぎた。こいつは何をやってもダメダメな真性のバカだった。
「まぁそう言わずに、物は試しで」
「嫌に決まってるだろ! なぜ私がこんな下らない催しに行かないといけないんだ。そもそも私とカナリアは親子じゃない」
「ほぼ親子みたいなものじゃないか。それに教育の手間が省けるから君にとっては朗報でしょ」
「そんな朗報いらん! というか最初の時に読み書きが出来る程度で良いと言ったよな、あれは嘘か!?」
「嘘じゃないよ。でもそれはあくまで孤児の話。貴族のご令嬢たちと比べるとやっぱり能力的に劣るんだよね。できるだけその差を縮めてくれると、より商談しやすくなるんだけどねぇ」
あとからあとから注文の多いやつだ。なぜお前の無能さを私がフォローせねばならない。
「数時間の事だから頼むよぉ。参加費は俺が持つからさ」
私に金を払わせるつもりだったのか。ふざけるな。
初めから私の腹は決まっていたが、なおもリオールは手を合わせて懇願してくる。
いつもに増してしつこいな。何をそんなに必死になる必要があるのか。
押し付けた私が言うのもあれだが、こいつが嫌々私の計画に協力しているのは知っている。だからこそ、まるで神に祈るように手を擦り合わせてくる素振りに違和感を抱いた。この催事に行くだけでカナリアの能力が一気に向上して商談が楽になるとはどうにも思えないし。
こいつがここまで懸命になるのは本業以外で見たことがない……まさか。
「おい。私になにか隠してるだろ?」
そう言うと、バカの肩がビクッと震えた。ビンゴだ。というか少しは隠す努力をしろ。
私が冷徹な視線を向け続けていると、やがてリオールは降参というように本心を話した。
「いや実は……」
リオールの話を聞いたところによると、どうやら今回の件は本業の一環だったらしい。
主催者である一流講師とやらが、一昨日の昼に依頼所を訪ねてきて相談してきたそうだ。
主催したはいいものの、初めての試みで人数が集まるか不安に思っている。条件に見合った人に声掛けをして参加者を募ってほしい。
報酬は一組の参加が増えるごとに上がる仕組みらしい。つまりこいつは自身の利益のために私を利用しようとしたわけだ。とても許されることじゃない。
「私の依頼を後回しにしただけじゃ飽き足らず私を騙くらかすとは良い度胸だ。お前には少々痛い目に遭ってもらう必要がありそうだな。主に精神的な意味で。お前の大切なものを壊して」
私はパンフレットを握りつぶし、魔法で灰にする。
パンフレットを依頼所に見立てていることが伝わったらしく、リオールの顔は青ざめた。
「ち、違うんだ! カナリアちゃんの教育に良いと思ったのは本当だし、商談の件についても事実だよ。決して君を騙そうとしたわけじゃなくて……ただ………」
「ただぁ、なんだ!?」
「ただ……依頼主の講師が俺好みの巨乳ちゃんで断れなかったんだっ!」
「…………」
私は無言で椅子から立ち上がり、テーブルをぐるりと回ってリオールの元へと行く。
そして強引に胸ぐらを掴んで椅子から引っ張り出し。
「このクズがっ!」
力のかぎりその華奢な体を床に叩きつけた。手応えのあるバキッと背骨の砕ける音が聞こえた。間髪入れずに胸のあたりを足で踏みつけ、見下す。
本当に救えないやつだと思った。同時に、女の価値を体でしか判断できない変態に頼み事をしている自分が惨めに思えてきた。
リオールは涙やら涎やら汚いものを垂れ流しながら。
「頼みますよぉ……一生のお願いですよぉ……」
「まだ言うか」
そのお願いはもう何度目なんだ。
「この依頼を受けてくれれば君の頼み事を最優先で済ませるから……最優先で……」
最優先か。つまり今後は余所見をせずに私の依頼だけに取り掛かると。
本当ならばこんな下衆男に頼りたくないのだが、商談なんて気の遠くなるような面倒事を私が堪えられるわけがない。途中で商談相手を殺ってしまうのがオチ。
ただ数時間我慢するだけで大金話が前進すると思えば容易いことだ。こいつの頼み事を聞いてやるという点だけが釈然としないが。
「その言葉に嘘偽りはないんだな?」
「ないです……本当です……」
「絶対だな? 絶対の絶対だな!?」
「約束します……今回の件が終わったら依頼所は休業して君のほうを優先させます……」
しばしの間を空け、私は足を退けた。
「約束だからな。破ったらただじゃおかない」
「行ってくれるの……?」
「自分の為だ。お前の為じゃない」
「ありがとうエリシア!」
そう言ってリオールはゆっくりと立ち上がった。
その顔は何事もなかったように、けろっとしていた。
「で。開催場所なんだけど、大通り沿いを進んだ先にある青い屋根をした洋館ね。特徴ある外観だから見ればすぐに分かると思うよ。特に必要な物はなし。開催時間は明日の正午」
「明日だと!? 急すぎるだ……」
「連絡は俺からしておくから、よろしくぅ! ではでは」
「あ、おいちょっとま……」
私の制止声も聞かずに、リオールは軽快な足取りで颯爽と廊下を走り、家を出て行った。
寝室に行くと、カナリアはもう眠っていた。
暢気な寝顔が妙に腹立たしい。私が使っている枕を胸に抱いていることが余計に苛立ちを助長させた。
枕を奪い返し、カナリアとは反対のほうを向いて寝る。
明日の事を考えると、あまりの億劫さに軽く頭痛がしてきた。
私は一体何をしているのだろう。
自問自答するが、答えは出なかった。
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