第18話 花火

 私達が家に帰り着いた時には、辺りはもう暗闇に静まり返っていた。


 いつもより遅い夕食をとり、デザートにはもちろんロールケーキを食べた。またカナリアにめちゃくちゃにされないよう、最初のうちに半分に切り分けて。

 体が疲れていたためか、スイートアレスで食べた時よりもクリームの味が濃厚に感じてまた違う美味しさを堪能できた。これがまだあと五本もあると思うと気分は上々だ。


 入浴後、髪を乾かし、さぁ眠気がやってくるまでの間なにをして過ごそうかと考えていたところで、外のほうからどんっと大きな音が聞こえてきた。


 何の音だ? と訝しげに思いながら窓を開けて確かめると、町のほうで花火が打ち上がっていた。


 結構な距離があるにもかかわらず、鮮明に視界に映るほど眩い光の花。

 前の時に打ち上げられていた記憶はない。今回からなのか、私が早くに就寝して気づかなかっただけだろうか。後者だとなんだか私が間抜けな気がしたので、今回から始まった行事だという結論に決定した。


 なんにせよ、風呂に入って少し目が覚めていたところだ。今日は絵本を読んでやる気分ではないし、眠くなるまでの暇つぶしには丁度いい。

 テーブルから二人分の椅子を引っ張ってきたあと、日記を書くため一足先に寝室に行っていたカナリアを呼ぶ。


「カナリア、来い。面白いものが見れるぞ」


 すぐにカナリアは寝室から出てきて私の隣までやってきた。椅子によじ登り、遠くの空を指差して「はなびっ」と声を上げた。


「花火を知っているのか?」


 てっきり初めて目にすると思って騒ぐ姿を想像していたが。


「まえもみた」

「どこで?」

「おきないえがいっぱいあるところ」


 大きな家がたくさん存在する場所。さっきの街と言わないあたり、アクラムではないだろう。

 ここから一番近い場所と言えば帝都だ。たしかに帝都の街並みはアクラムが田舎町に見えるほど建物群で密集しているが、まさかカナリアの出身がそこだとは思わなかった。


「お前は私に会うまで何をしていたんだ?」


 カナリアがどのような経緯を経てこの家にたどり着いたのか私は知らない。

 これまで興味がなかったというのが正直なところだが、花火を観覧する片手間に聞くのも悪くない。


 夜空を煌めかせる花々を掴もうとするように、窓から身を乗り出して空中に手を伸ばしていたカナリアは椅子に座り直す。


「おなかすいてたから、たべものさがした」

「一人でか? ずっと?」

「うん。カナリアがおそとであそんでたらぱぱいなくなった」


 まだ正確に伝えるだけの語彙力がないから時系列あやふやな答えだが〝いなくなった〟というのが見捨てられたことなのはすぐに分かった。


 親に捨てられたカナリアは、食料を求めて街中を当てどもなく彷徨った。


 こんな幼子が親元の手を離れている時点でロクな生活を送ってきていないだろうことは予想していたが、私に会うまで独り身だったとは。金も持たない子供が自分の力で飢えを凌ぐのは相当な苦労だっただろう。逞しいというか、運がいいというか。普段の暴食にも納得がいった。


「カナリア、ひとりでいっぱいさがした。あっちこっちいった。でもいなかった。かえりみちわからなくてそのまま」


 おそらくまだカナリアは親から見捨てられたと認識できていない。カナリアの中では、単に親とはぐれて今もまだ帰り道で迷っている最中なのだろう。


 捨てられた時の私と同じ。人の持つ悪意なんて知らなかった未熟なあの頃の私と。


「エリシアさま、かおくらい?」

「……なんでもない」


 それからも私は様々な事を訊いた。それらの問いにカナリアはたどたどしい言葉遣いで淡々と答えていった。


 親とはぐれて泣き叫んでも誰も相手にしてくれなかったこと。薄着一枚で夜中すごく寒かったこと。何度も足裏に小石が刺さって痛かったこと。拾い食いをしたら腹を壊したこと。馬車の荷台に紛れて眠っていたら、いつの間にか知らない街中にいたこと。路地裏に迷い込んで顔の怖い大人たちが睨んできて怖かったこと。食べ物を探しに暗い森の中に入ったら、野生の猪に遭遇して逃げたこと。

 どれも幼子が経験するには過酷なものだった。今ここで息を吸って生きているのが不思議なくらいに。


「でもいまエリシアさま、いるっ。カナリアひとりちがうっ」


 カナリアは両手を上げて元気にそう言い、純真な瞳でこちらを見る。


 なぜかその目が私の事を咎めているように見えて、私は花火のほうを向いた。

 はじめは綺麗に目に映っていたはずの光の花は、今は一瞬だけ残像をおいて消えていく儚げなものに見えた。


 お互いに無言のまま、花火を見続けた。


 やがて一際大きな花を咲かせたあと、次に打ち上げられることはなく、ふたたび暗闇と静寂がよみがえった。

 隣のカナリアを見ると、目を閉じてすやすやと寝息を立てていた。


「仕方のないやつだ」


 私は肩を竦め、カナリアをゆっくりと抱きかかえた。

 そのまま寝室に行き、ベッドに寝かせる。一度寝室を出て、椅子を元の位置に戻して家の戸締りをしたあと、また寝室に戻って私もベッドに横たわった。


 しかし雑念が頭を駆け巡り、眠りに集中することができなかった。


「エリシアさま……ずっといっしょ……」

 カナリアの寝言が私の心をより掻き乱す。


 興味本位で聞かなければよかったとほんの少しだけ後悔した。

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