第4話 すべては金の為
リオールが帰っていったあと、テーブルに座って朝食にする。芳ばしい香りを立たせるコーヒーに口をつけながら、対面に座った幼子を見る。
私が作ってやった目玉焼きパンをモチモチと咀嚼している。よほど腹が減っていたのか、私の視線に気づくことなく食べる事だけに意識を傾けている様子。
結局大金話を断ることはできなかった。転がってきた好機を棒に振るなどバカのやる事。
しかしなぁ。
先行きが不安でしょうがない。崇高な私とは無縁の感情に苛まれるこの状況に腹が立つ。
幼子の面倒をみる上で、リオールが課した事柄は三つ。
・健康的な日常生活を心掛ける。
・一般的な素養を身につけさせる。
・偏見的な主観を植えつけさせない。
最後の事に関しては相当に念を押された。どうも貴族どもは純真無垢な幼子を好むという。奴は私がいらぬ知識を押し付ける事態を憂慮したのだろう。
言われずとも深く関わるつもりはない。よってこの事は気にする必要もない。
健康体については面倒ではあるが、特別な事をせずとも普段の日々を送ればいいだけだ。ポジティブに考えればこれも大したことはない。
問題は素養だ。教師のように手取り足取り教えるなんて耐えられん。だがリオールはそれによっては大幅に価値が変動すると言った。無視するわけにはいかない。
楽に済ませる方法はないものか。誰かを雇うか。いやだが、他者を自分のテリトリーに入れたくないし。
そう考えていると、早くも完食した幼子が青い瞳をこちらに向けてくる。
「なんだ、物足りないのか?」
幼子はぶんぶんと首を振る。
「だったら、ごちそうさまぐらい言え。あと食器は自分で洗って拭いて戸棚に直せ」
幼子は素直に「ごちそさま」と言うと、皿を重ね、危なっかしい手つきでキッチンの流し台に持っていく。そしてまたテーブルに戻ってくると、せっせと椅子を運んでその上に乗り、やがてジャーという水音が聞こえてきた。
そんな幼子の様子をみて、思わず私は「ほう」と呟いた。
水の出し方から教えなければならないのかと億劫に思っていたが、手慣れたように幼子の行動には迷いがなかった。どうも私が朝食を作っている様子を観察していたらしい。そういえばやたら背後から視線を感じるなとは思っていた。
もしやこの幼子は地頭が良いのでは。昨日は散々だったが、あれは空腹に耐えながらで頭が働かなかっただけで、生活水準を満たしてやれば賢いのでは。そうだ、そうに違いない。
私の懸念は杞憂に終わった。こんな簡単な事であれば、あいつのつまらん依頼を手伝うより貧民街の孤児を攫って金を稼ぐほうがマシかもな。
そう考えれば従順な様も愛らしく見えてく――――
バリンッ!
水音に混じってそんな不吉な音が聞こえた。
キッチンのほうに顔を向けると、幼子がプルプルと体を震えさせながら青ざめた顔をこちらに向けていた。
「…………」
前言撤回。子供なんて大嫌いだ。
手のひらから流れる血を拭き取り、包帯を巻いてやる。
応急手当なんて久しぶりだ。自分が怪我したときはリオールに治させている。あいつの魔法は再生対象の魔力を使うため、そもそも魔力を持たない普通の人間には使えない。
終始、幼子は顔を歪めていた。それは痛みでというよりも、皿を割ってしまったことに対して罪悪感を抱いているようだった。
あの瞬間、私の中で沸騰したように怒りが湧き上がり蹴り殺そうとしたが、もっと大人になれよ~というバカ魔法使いの声が脳内で聞こえた気がして寸前のところで止めた。泣きわめきでもしたら確実に殺ってた。だから怒鳴ることはしなかった。次に怒りが募れば自制することは難しい。
「じきに治るまで我慢しろ」とだけ言っておいた。
幼子は表情を少しの驚きに変え、そのあと口をぱくぱくとさせる。何かを伝えたいようだが、その語彙力がないのだろう。仕方なしに教えてやった。
「何か人に迷惑をかけた時はごめんなさい。何かをしてもらったらありがとう、だ」
「ごめなさい。ありがと」
かなり言葉足らずだが、まぁいいだろう。べつに誠心誠意の謝罪が欲しいわけじゃないし、出来るとも思っていない。
「椅子に座って大人しくしていろ」そう言って、私はキッチンに行く。流し台に散らばった皿の欠片を回収しなければならない。非常に納得がいかないが、また手を切られても困る。
背後からの視線を感じて振り向くと、幼子は慌てて顔を逸らす。
言いたいことがあるのならはっきり言えばいいものを。だがわざわざこちらから訊ねてやるのは気遣っているようで癪だったので、無視した。
割れた食器の処理を済ませた私は、幼子に一通りの日常作業を覚えさせることに決めた。
と言っても、細かな指示は出さない。「私の真似をしろ」とだけ言った。
まずは洗顔や歯磨き、身嗜みを整えさせる。
今日街を出歩く日程はないが、他人の寝癖を見ていると心が乱れる。
それについては服装もだが、今は我慢するしかない。リオールに今すぐ買って持ってこいと言ってある。もちろんあいつの金で。昼ぐらいには届けにやってくるだろう。来なかったら次会うときは血祭りだ。
服装以外は綺麗になった幼子。孤児にしては血色や髪質(少し憎々しく思ってしまうほどなめらか)が良く、着飾るものを整えてやれば貴族の令嬢と言われても分からないほどだった。あいつが言うように売りものとしては上等なのかもしれない。
身嗜みを整えたところで、次は脱衣所に溜まった洗濯物を風呂場で一斉に手洗いする。私は自分の衣類、幼子はそれ以外のバスタオルやシーツなど。
機械もあるが、あれが出すガタガタという耳障りな音が私は苦手なのだ。
洗剤が傷口に沁みるのか幼子は顔を顰めていた。ちょうどいい罰だ。
洗い終わったものを洗濯かごに入れ、外の木と木の間に張ったワイヤーに干していく。幼子では背が届かないため、かご持ちをさせた。
干し終わったあとは家の掃除をする。
といっても私は綺麗好き。大体の部屋は元より清潔だ。テキトーに箒で掃くぐらいでいいだろう。
唯一、我が家で汚れている物置部屋の清掃を重点的に行うことにした。
ドアを開けると黴の匂いが漂ってくる。電気を点けると、床は霜が降ったように白い埃に塗れており、部屋の奥には箱の山。要らない物を溜めに溜め込んだ結果だ。
我ながら怠惰にも程があったとほんの少し反省。よくもまぁ幼子もこんな雑菌どもの巣で夜中を過ごしたものだ。浮浪生活で美的感覚が失われてしまったのだろう。
そんな幼子を先行させ、歩くスペースを床拭きさせたのち、箱を屋外に運び出す。中には重たい箱(中身は確認したくもない)もあり、終わり頃になってリオールのバカにやらせるべきだったと後悔した。
家屋と木々から離れた平地の一箇所に箱を集め、魔法で生成した炎で一気に焼却。思いの外火力が強すぎて辺り一面が焼け野原になってしまった。
突如現れた炎に恐れを為したのか、私の足にしがみついてくる幼子がとても邪魔だった。
物置部屋は殺風景になり、元物置部屋となった。
時刻は正午になろうとしていた。
タイミングよく幼子のお腹が鳴ったが、黴菌を浴びた体で食事なんて不潔すぎる。
幼子とともにシャワーを浴びている途中で、訪問を知らせるチャイムが聞こえた。おそらくリオールだろう。
無視していると、あいつは脱衣所までやってきた。
「お、もしかしてお風呂タイムですかぁ?」
「不法侵入するな。幼子の服を置いてすぐさま出ていけ」
「この扉を開ければ楽園が!」
「開けたら炎上させる」
「どんとこ……」
「お前の依頼所を」
「……失礼しました。ごゆっくりぃ」
風呂場から出ると、棚の上に綺麗に畳まれた新品の服一式が置いてあった。白の下着に無地のグレーワンピース。
あいつの感性を疑うが、あのぼろ切れを目に収めなくて済むのならなんでもいい。
幼子に着せると少しだぶっとしていた。
脱衣所から出ると、ダイニングテーブルに座っていたリオールが、にやにやとした顔を向けてくる。
「気色の悪い顔を向けるな」
「いやぁ、短時間の間にずいぶんと仲良くなってるなぁと思ってね」
「ふん。すべては金のためだ」
腹は減っていたがとても調理をする気にはなれず、リオールが土産として持ってきた果物をリオールにカットさせてそれを食した。
綺麗に食べ終わった幼子は、「ごちそさま」を言ってからずっと果物の入っていた透明な器を見つめていた。その目はとろんとしている。
「寝るならさっき掃除した部屋で寝ろ。片付けはいいから」
幼子はこくりと頷くと、椅子を降り、元物置部屋に消えていった。
目で追っていたリオールがこちらに向き直る。
「で、どうだい? あの子の育成は」
「まぁ思ったよりかはマシだった」
半日労働をさせてみたが、幼子は実に物分かりがよかった。それに一度として弱音を吐かなかった。
自身の立場を理解しているのか、貧困な生活に慣れてそれほど苦に思わなかったのか、それとも自分の意思を伝える方法を知らないだけなのか。まぁそのほうが私にとっては好都合だが。
だからといって面倒臭さは変わらない。出来ればこんな仕事とは早くおさらばしたい。
「お前のほうこそどうなんだ? 商売相手は見つかったのか?」
「そんな早々見つかるわけないでしょ。最短でひと月は掛かる」
私は思わず身を乗り出した。
「ひと月ぃ!? なぜそんなに掛かるんだ!」
「一応は犯罪だからねぇ。手当たり次第に売り込みして町の役人に通報されたら厄介だし、相手様がどういう人間かを慎重に見極めなきゃならない。最悪、依頼所の信頼低下にも繋がるし」
「お前の都合なんて知るか! 最低でも一週間で見つけろ!」
「ムリムリぃ。それだって君の都合だろ」
あとひと月もあの幼子とともに生活をしなければならないだと。半日でも一苦労だというのにふざけている。
「まぁまぁ。ひと月、ふた月で数年分の大金が手に入ると思えば容易いものじゃないか」
「おい、何気なく月日を増やすな!」
「最短でもひと月だからね、いつになるかは分からないよ。俺も金は欲しいし、依頼も立て込んでるから努力はするつもりだよ。というか君の頑張り次第ではもっと縮められるけど」
「……どういうことだ?」
「君があの子に教養を身につけさせてやれば、俺は売り込むときにその説明ができるって事。読み書きが出来るって言っただけでも買い手は増える増える」
そんなもの嘘で固めてしまえばいいと言ってやりたいが、自己保身に過剰なこいつは絶対にしない。無理に急かして金の交渉をテキトーにされては元も子もないし。
詰まるところ、幼子との共同生活が延長することは避けられそうにない。
私は諦め、椅子に座りなおした。不機嫌を表すように腕組みして訊ねる。
「方法は?」
「ん?」
「だから幼子に短期間で教養を身につけさせる方法だ。教師の真似事などやってられん」
地頭が良いとはいったものの、赤ん坊のように自然に吸収するわけではない。必然的に教えるという行為が必要になる。
観念した私を嘲笑うように、リオールはニヤケ面だ。ムカつくぅ。
「手取り足取り教える君の姿も見てみたいけどねぇ」
「イライジョモヤス」
「冗談、冗談だってば! ……なんで君は何でもかんでも炎上させたがるのかなぁ……」
リオールはわざとらしく顎に手を当て、ちゃんと熟考してますよアピールをはじめる。
程なくして何かを思いついたようで、手を打ち鳴らした。
「絵本という手はどうかな?」
「絵本? 児童向けの図書か」
「そうそう。文字だけだと想像できなくて理解が難しいけど、絵と照らし合わせながらだったら分かりやすいんじゃないかな。興味を持てば覚えるのも早いと思うし」
たしかにただのつまらない勉強よりは楽しい読書のほうが積極的になれる。
しかしあれは字が読める前提で作られたものだ。幼子は字が読めない。何のために話し合いを始めたと思っているのかこのバカは。
それを言うと、リオールは当然だと言わんばかりに。
「君が朗読してあげればいいんじゃない?」
「はぁ!? なんで私がそんな事……」
「えー。それが一番手っ取り早いと思うけどなぁ。一日の三十分程度じゃない。そのぐらい我慢しなよ」
「むぅ」
一日中付きっきりで教えるよりかはマシだと思うべきか。しかし何か上手いこと言い包められている気がして釈然としない。
「明日、洋服を買うついでに見てくれば? 子供向けだけど中には大人でも興味を惹かれるものが混じって……」
「おい、ちょっと待て。洋服を買うついで? 服はお前が持ってきただろう。なぜわざわざ買いに行く必要がある?」
「いやいや、一着だけじゃ洗い替えがないでしょ」
そういえば肝心な衣服は脱衣所にあったものだけで、こいつの手には土産のフルーツしかなかった。
私は立ち上がりざま両手で勢いよくテーブルを叩き、声を大にして怒鳴った。
「なぁぜぇっ、一着しか買ってきてないんだ!?」
バカだバカだとは思っていたが、ここまで真性のバカだったとは。
リオールは顔を逸らす。
「いやぁ……ほらだって想像してごらんよ。子供服売り場(しかも女児用)に成人した男が一人うろうろしてたらヤバいでしょ。現に麗しい奥様方には陰口を叩かれたし、会計の可愛い娘は完全に引いてたし……」
キモい。確かにキモい。が、そこまでしたのなら複数買ってこい!
「やっぱりあの子と同性の君が買うべきだよ。本人が行かないとデザインの良し悪しも分からないし。ということで明日はガンバッ!」
「死ね」
「ぐはぁっ……!」
服すらまともに買えない能無しの額を爪で抉る。
床を転げ回るリオールを横目で睨みながら、明日は今日よりも面倒な日になりそうだと肩をすくめた。
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