25.交渉の裏でⅣ

【中央大陸/ウォーティア王国/王都ウォレム/平民街/安酒場/2月中旬・某日】


 王都は平民街。王都ではごく一般的な安酒場で数人の男たちが酒を飲み交わしていた。筋骨隆々の風貌は荒くれ者のそれのように見えるが、その実、彼らはこの町の治安を維持する兵士たちであった。


 仕事終わりの一杯が、彼らの激務を陰ながら支えていると言っても過言では無い。彼らは所属の部隊こそ違うものの、訓令兵時代からの同期であり、週に三度はこの行きつけの安酒場に集まっていた。


 彼らが口にする酒は大概、ビールの一種、エールと呼ばれる酒である。日本で主流のビール(ラガー)のような喉越しや爽快感は無いものの、麦芽から来る甘味と香ばしさが楽しめる。


 今日何度目か分からない乾杯を交わしたところで、兵士の一人が「そう言えば」と、巷で流れている噂を持ち出した。


「お前らはあの話、もう聞いてるか?」


 男の言葉に、体面に腰を下ろしている兵士は、手にしていた木製の酒器をテーブルに置いた。そこになみなみと注がれていたはずのエールは既に消えている。


「あ?二ホン軍の話か?」

「その話なら俺も知ってるぜ。何でも東部の村が襲われたんだってな」

「らしいな。上もとんだ奴らを招いてくれたもんだ。まるで敵国じゃねぇか」


 口々に話す同僚に、話を持ち出した兵士は肩を透かした。今日聞いたばかりの話だったのだが、どうやら既に聞き見知っていたらしい。


「何だ。お前らも知ってたのか」

「そりゃあ、うちの隊でも昨日から話題になってる」

「俺のところも同じだ」


 二ホン軍の噂……とは、例の村の襲撃に関する噂だ。その後も連続して複数の村や小さな町が襲われたこともあり、その噂はどうやら確からしいと市囲の間では囁かれている。


「それじゃあ、我が国を虎視眈々と狙っているスラ王国と何ら変わりない覇権主義国じゃないか。二ホンって国はよ」

「違いない。さらに悪いことに友好を語って近づいて、この凶行だ。その分、スラ王国よりもたちが悪い。まるで悪魔だよ」

「スラ王国と敵対しているとは言え、そんな悪魔にすら魂を売らねばならないことが腹立たしい」


 口々に流れ出る憎悪ヘイト

 

「二ホンって国は糞みてぇな国だな」


 怒気を孕んだ声で一人が叫ぶと、酒場に集っていた他の客の一人が、酒器を片手にこちらに近寄って来る。


「なんだ。あんちゃんたち兵士もそう思ってるのか?」

「あん?当たり前だろ?」


 兵士の男がそう言って首を声のした方に向けると、無精髭を生やした大工の男が忌々しそうな顔を浮かべて立っていた。兵士の男が「何かあったのか?」と尋ねると、大工の男は酒器に残っていたエールを一気に煽った。


「俺の親戚の村も襲われたんだよ。二ホン人にな」

「な……それは気の毒だ」

「王はあんな奴らと本気で友好を築けると、そう思っているんだろうか。もしそう思ってるのならその目は節穴……いや、王も貴族も平民の死なんか気にしてないんだろうな。あいつらはそういう奴らだ。自分たちの地位と金さえ守れれば俺たち平民の命なんて売り払う」

「よせよせ。今回は聞かなかったことにするが王侯貴族の批判はご法度だぞ」


 そう忠告しつつも、ここにいる兵士たちも皆、同じ思いを抱えていた。政治は平民たる自分たちとは関係のないところで行われているが、そうであっても、決して意見が無いわけじゃない。その意見を公にする機会も、保証も無いだけだ。


「すまんな。しかし俺の身内が奴らに痛ぶられ、殺された事実に変わりは無い」


 大工の男はそう言って金を店の給仕に渡すと、フラフラと店を出て行った。それを見送った兵士の男たち。その目には哀れみの表情が浮かんでいた。


「本当に気の毒だよ。あのおっさん」

「ああ。こうなりゃスラとの戦争より二ホンとの戦争の方が近いかもしれんな」

「そうなったら遂に王国も終わりだよ」








 ♢

【同国/王都ウォレム/白磁宮/2月中旬・某日】


 日本から一月ほど遅れ、この世界でも新年を迎える。王都ウォレムには王国中の地方貴族―――所謂、領主―――が集い、王城では連日、祝賀行事が催された。


 こうなると交渉事も小休止。日本国使節団も面々も、連日、王城の祝賀行事への参列を余儀なくされた。この新年に係る催し事は約一週間にも渡って続いた。


 そしてそのほとぼりもようやく冷めた頃。とある噂が王都に広まっていた。


 ウォーティア王国により、日本国使節団に宛がわれた白磁宮。その一室で、全権大使である黒沢が、積み上げられた書類と睨めっこをしていると、重厚感のある部屋の扉が外側から叩かれた。


「失礼します」


 黒沢が言葉を発するより先に、長身の男がズカズカと入ってくる。男は副使の吉田であった。吉田は柄にもなく、険しい表情で吉田の机の前に立つ。


「どうしたんだい?」

「少し想定外の話が」

「交渉は既にまとまる直前だよ?この時期に想定外って一体何だい?」


 黒沢は吉田の言葉に首を捻った。実際、日本とウォーティアの交渉は予想以上に順調に進んでおり、両国間の懸案は既に解消されている。来月の中旬にも首脳会談。国交樹立と、日本政府関係者は噂する。


 もっとも、ウォーティア王国との国交云々に対する国民の関心はお世辞にも高いとは言えない。


 勿論、報道各社マスコミを介して交渉の事実は公表されており、国民はウォーティア王国の存在を知っていた。


 だが、政府が長らくこの交渉状況を秘匿していたために、それ以上の情報が出回っておらず国民の関心は既に下火となって久しかったのである。このとき、国民の関心は専ら〝東岸地域の開発〟や〝国内の諸問題〟に注がれていた。


「別件ですが放置すれば両国関係にも影響が出かねないかと」

「……と、言うと?」


 黒沢は書類を隅に追いやり、吉田との間にスペースを作る。吉田は、依然険しい表情のまま、胸元から手帳を取り出した。


「どうやら我が国に関して悪い噂が巷で流れているようです」

「悪い噂?具体的には?」

「未確認情報ですが、自衛隊と思しき集団が王国東部の村々で殺人・強姦・略奪・放火といった犯罪行為を行い、生き残った村人を奴隷として連行した……と」


 吉田の報告に黒沢は絶句した。そのような報告が上がろうなどとは、ついぞ、考えてもいなかった。黒沢は混乱する頭を抱え、吉田の言葉を遮る。


「ありえない話だと思うが……自衛隊側に確認は?」

「既に確認済みですが、先方もそのような事実は確認していないと」

「それはそうだろうね。自衛隊に限ってそんな話があるはずがない」

「しかし、事実であろうと無かろうと、この話が王都で広く流布されていることに変わりはありません」


 吉田の言葉に黒沢は苦々しく頷いて見せる。


「それでどの程度まで影響が?」

「今しがた社交の場で小耳に挟みましたので、昨夜か今朝には王城にも話が広まったものと思われます。国王の耳にも既に……」


 新年ということで王都には今なお、多くの地方貴族が留まっている。社交の場での話題の中心は、もっぱら日本についてであった。故に、庶民の間で流れている噂が、社交界に流入するのにそう時間は掛からなかった。


 ここまで市井の噂話が黒沢の耳に入らなかったのは、ひとえに、多忙を極める仕事と、それによる庶民との触れ合いの不足によるものだ。


 悪いことに、昨年末まで王都に留まっていた特殊作戦群と茂木たち潜入班は情報収集を終え、既にこの国から退去した後だった。今年はスラ王国の情報収集に本腰を入れる予定であり、少ない人員を効率よく回さねばならないのだから仕方がない。


「貴族たちは何と?」

「詰め寄られ激しく詰問されました。噂は本当か?日本は我が国を属国と思っているのか?と」


 吉田の言葉を受け、黒沢はその労を労う。一言で済ますことはできないほどに、大変な状況であっただろう。しかし吉田は黒沢の言葉に、首を真横に振って見せた。


「私よりも大変だったのは通訳として同行した相馬さんです」

「そうだろうね。相馬くんは自衛官だから……」


 黒沢の言葉に吉田は頷き、言葉を続けた。


「我々もあり得ないと否定し、その場は収めました。……が、早々に、日本政府としての立場を王国側に伝えなければ問題が複雑化しかねません。あるいは友好関係そのものが瓦解しかねないかと」

「分かっているさ。私は今から国王に謁見してくるよ。吉田くんは上に指示を仰いでくれ」







 ♢

【同国/王城/国王執務室/同日】


 黒沢の急な来訪と謁見の申し出。しかし、国王は黒沢の来訪を予期していたようで、すぐさま黒沢に接見した。黒沢への接見が終わると、国王は執務室にしては広すぎる部屋に戻り、玉座に腰を沈めた。


「思ったよりも使節殿の行動は迅速でしたな」


 老宰相プレジールの嗄れ声が国王の耳に届く。国王も黒沢の来訪は予期していたものの、これほど早く登城するとは思っていなかった。


「それほど我が国との関係を重視しているということだろう」

「左様ですなぁ」


 国王はプレジールの声を聴きながら、先ほどの接見の席を思い起こす。黒沢はいの一番に、王都に流れる噂を否定した。「自衛隊はそのようなことをしないし、王国内に部隊は展開していない」「我が国は王国との友好関係を希求している」と。


 既に日本国とウォーティア王国間の国交交渉は大詰めを迎え、来月には調印式が港町ポーティアで行われる……というところまで段取りは進んでいたのだ。ここに来てのつまづき。


 国王はプレジールの目を見据えた。


「使節殿の言が正しいとすれば、此度の一件、どう考えるべきであろうか?」


 俯き考え込むそぶりを見せるプレジールだが、それも一瞬。すぐに顔を上げ、「例えばですが」と前置きをして話を始めた。


「これは、我が国と二ホン国の接近を快く思わない、何某なにがしかの国の策謀やもしれませんぞ?」


 プレジールの頭と、国王の頭に同時に浮かんだ〝その国〟は同じ国であった。国王は忌々し気に口を開く。


「スラ王国……か」


 五年程前に一度矛を交えたその国は、東方世界で初めて聖教を取り入れ、二〇年程前から拡大を始めた覇権主義の国。隣国モルガニアを攻め滅ぼした彼の国の、次の標的の一つは、十中八九ここウォーティア王国であると言われている。


「この噂は既に市井はおろか、王城や貴族社会にも広まっております。特に襲撃された村や町を管轄する地方貴族の反発は大きい」

「……地方貴族か。それも当然であろうな」


 今回の騒動において特に悩ましいのが、襲撃された村や町を実際に治める地方貴族の存在だった。彼らは先の新年祝賀行事のためにまだその多くが王都に留まっていたのだ。


「有力諸侯であるポーティア爵領に被害は無かった。それだけでも不幸中の幸いですぞ」

「あそこは自前の軍が居る。例え、スラ王国の精鋭であろうとそのリスクは負えまい」

「それが理由でしょうな。……しかし、此度の一件、どう決着を付けられますか?陛下」


 プレジールの問いかけに、国王はしばし思案すると、すぐに顔を持ち上げた。老いて尚、輝きを放つプレジールの瞳を覗き込む。


暗部・・に襲われたという村々を調査させろ。市井の民には噂は真実ではないと喧伝するのだ。それと、噂を流している者を捕らえて朕の前に召し出せ」

「畏まりました。至急、取り掛かりましょう」


 プレジールが退室すると、国王は深く溜息を吐いた。よもやスラ王国側がこのような姑息な手に出ようとは。


 そもそも、突如現れた未知の国に対する恐怖が、完全に払拭されている訳ではなかった。勿論、条約を結び、国交が開かれ、人やモノの往来が始まれば、自然とその恐怖も払拭されていたであろう。


 それを考えるとスラ王国側の動きは彼らにとっては丁度良いタイミングであった。だが、ウォーティア王国にとってはたまったものでは無いし、日本にとってもそれは同様である。


 無論、王制国家であるウォーティア王国において、大多数の平民の世論など何ら政治的決定権を持たないし、地方貴族の批判であっても国政には響かない。国王が一言、「日本との友好関係は継続される」と言えば、良くも悪くもそれが全てだ。


 しかし、一方で世論は間接的な政治因子ファクター足りえる。国王と言えども圧倒的な世論を無視すれば、世論を盾に貴族たちの離反を招きかねないし、最悪、要らぬ内乱を招くことにもなりえる。王国軍の兵士は、そんな大多数の平民で構成されているのだから。


「スラの糞どもめ!どこまでも我が国を滅ぼしたいようだな」


 国王は誰もいない部屋の中で、普段は見せない怒りをぶちまけた。和平の期限も終わりが近いのだから、ここで立ち止まっている暇は無い。にも拘らず、問題はさらに増えたのだ。これではまるで……。


「スラの手の平の上で踊っているようではないか」


 国王は自嘲気味に呟いた。

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