23.交渉の裏でⅡ

 ♢

【中央大陸/ウォーティア王国/王都/平民街/12月25日(接触27日目)_早朝】


 昨夜から続く降雪が、日本列島の広い範囲を銀世界に変えたこの日。ウォーティア王国の全域でも、降雪が確認された。


 ウォーティア王国と交渉を始めて約二週間。両国の国交交渉は順調に進んでいる。この調子で行けば今年度中には条約締結に漕ぎ着けるだろう。


 特別使節団に対する、日本政府お偉方の評価も上々。黒沢や吉田は勿論、通訳として随行している相馬・瀬戸両名に対しても恩賞を……と、上機嫌だ。


 件の相馬三等陸尉はこの日、護衛役の山田一曹を連れ王都外縁部に広がる巨大な平民街に繰り出していた。


 王都で情報収集活動に従事している茂木陸曹長らと顔を合わせるためだ。彼ら三人は一度、東岸拠点に帰還した後、今度はスラ王国に潜入することが決まっている。


 王都の街は一面の銀世界。足取りも自然と遅くなる。


「田舎を思い出すなぁ」


 山田はそう言って、外套のポケットから片手を出した。山田のてのひらに落ちた純白の粉雪は、彼の体温に温められて水滴に変わる。


 二人は第一種礼装の上に、真っ黒な厚手の外套を羽織っており、肌寒さは感じない。外套にはフードが付いており、降りしきる雪で頭が濡れるのを防ぐこともできる。


「山田一曹は北陸のご出身でしたか」

「ええ。新潟の片田舎の出身です」


 相馬と山田は他愛もない話をしながら比較的大きな街路を進む。道端では、子供たちが雪にまみれて遊んでいた。子供は風の子とは良く言ったものだ。


 相馬が「寒くないかい?」と尋ねると、子供たちは「ぜんぜん」と首を横に振った。この国の言葉が分からない山田が何事かと尋ねてくる。相馬が説明すると、山田はさも当然と笑った。


「このくらいの雪、子供たちには何てことないですよ」


 と。さすが雪国出身なだけはある。相馬は変なところで、山田に感心した。


「それより、こっちでも雪合戦、やるんですねぇ」


 山田の視線の先では、数人の子供たちが雪玉を投げて遊んでいる。


 二人は、大きな街路を外れ、入り組んだ路地裏に曲がった。そのとき相馬は唐突に、今日が25日であることを思い出す。


 「あっ」という声にならない声が、虚を突いて漏れ出た。訝しむ山田。相馬は「いやね」と苦笑する。


「今日はクリスマス当日だなぁ……と思いまして」


 この歳にもなると、仏教徒かつ彼女のいない相馬にとっては何の関係もないイベントだが、本土にいたときは世間の声と街の空気が、否が応でもクリスマスを意識させた。


 しかし、ここには着飾られた木クリスマスツリーも無ければ、闇夜を照らす電飾イルミネーションも無い。少なくとも今は……。


 相馬の意外過ぎる言葉に、山田は一瞬呆然として、それから釣られて苦笑した。独身の山田にとってもクリスマスはあまり重要な行事じゃないらしい。


「ああ、言われてみれば。忙しすぎて忘れていました」

「この国難にあって、本土もクリスマスどころでは……」


 と、相馬は不自然なタイミングで言葉を止め、ちらりと背後を振り返った。灰色の外套を羽織った大きさの異なる二つの背中が遠ざかる。山田は不思議そうな目を相馬に向けた。


「……どうしました?」

「いえ。少し見覚えがあった気がして」


 相馬は遠ざかる人影を見ながら呟いた。フードを目深く被っていたために良くは見えなかったが、フードから覗いたくすんだ赤銅色の髪色が、相馬の脳裏に引っ掛かった。……気がした。


「気のせいじゃないですか?」


 山田の言葉に相馬も苦笑して視線を戻す。


「連日の仕事で疲れているのかもしれません」

「年末くらいはゆっくりしたいものです」







 ♢

【中央大陸/ウォーティア王国/王都/貧民街/同日】


 ポニーテール状に束ねたくすんだ赤銅色の長髪を左右に揺らしながら、ダラクは汚物とゴミが混ざった、狭い街路を進んでいた。足を踏み出すたびに、飛び跳ねた汚物まみれの泥水が、彼の衣服にこびり付く。


「しかしここはいつ来ても汚いな」


 ぶつくさと文句を言う上司。隣をちょこちょこと歩くラーシャは溜息を吐き、ダラクの顔を下から覗き込む。肩口で切り揃えられたラーシャの短い黒髪が、彼女の頭の動きに伴い微かに揺れた。


「仕方ありませんよ。ここは貧民街スラムなんですから」

「それは分かっているさ」

「分かっているなら文句を言わずに歩いてください」


 部下―――と言っても正式な部下では無く、傭兵ギルド公国から派遣された傭兵―――の辛辣な言葉に、ダラクは言い返す言葉も無い。


 二人が今いる場所は貧民街スラム。街路には汚物やゴミがあふれ、生ごみが腐敗したような酷い悪臭が冬の間も漂う。


 貧民街には数千の貧困層が居住しているが、その住環境はお世辞にも良いとは言えない。ここでは、盗みに暴行、殺人なんでもござれ。王都では〝犯罪見本市〟と揶揄されるほど、その評判はすこぶる悪かった。


 しばらく汚物にまみれた道を無言のまま歩く。


「そう言えば」


 ラーシャはふと隣を歩くダラクを見上げた。沈黙に耐えられなくなったのか、はたまた疑問を解消したかったからか。それはラーシャにも分からないが、きっとどちらもだろう。


「先程の二人組。お知合いですか?」

「ああ、さっきの男たちか」

「はい。敵意は感じませんでしたが視線を感じたので」


 ラーシャはそう言ってダラクの言葉を待つ。二人から敵意は感じなかったものの、こちらを振り返っていたのには気付いていた。


「あれは例の二ホン人たちだ」

「え?街道で交戦した?」


 ラーシャはそのとき副官ジーンと共に、援護射撃の任のため森に潜んでいた。故に相馬たちを直接見てはいない。


「……気付かれましたかね」

「さあ。しかし追っては来ていないだろう?」

「ええ。気配は感じません」

「では大丈夫だろう。今は」


 死体が転がる角を曲がる。死体は寒い冬にも拘わらず、どうも腐敗が進行しているようで、異常な悪臭を放っていた。


 しかしそれを気にする住民はここには居ない。これはここでの日常の風景の一部に過ぎないのだから。


 ラーシャはその悪臭に顔をしかめつつ、しかし、自身が潜り抜けてきた戦場に比べればまだましな光景だと、冷めた心でその場を通り過ぎる。


「そろそろですか?」


 横を歩くラーシャの問いに、ダラクは記憶を思い起こす。これから向かうのは、イースの諜報員を名乗る男、ジャミルたちが隠れ家にしている建物だ。そこまでの道順は、ダラクの記憶だけが頼りとなる。


「多分そろそろだと思うね」

「多分って何ですか……多分って」

「多分は多分だよ。まあ、何とか今日中には着くさ」


 頼りないダラクの返答に、ラーシャは今日何度目か分からない溜息を吐いて項垂うなだれた。ダラクはその指揮統率力と魔法の才覚、武術の心得において他を抜きんでている。が、どんな時であっても緊張感が足りていない。それは良くもあり、悪くもあるとラーシャは思う。


「……指揮官たるもの冷静さは必要ですが」

「ん?」

「いえ、何でも」


 ラーシャはブンブンと頭を振った。ここで褒めてしまえば、ダラクはきっと調子に乗ってしまう。ラーシャは口をつぐんだ。


 他愛もない話を交わしながら貧民街の路地を歩いていた二人。しばらくして、ダラクはとある建物の前でその足を止めた。


 目の前に建つ建物は木造二階建ての低層建築。ぱっと見では、廃屋か何かだと勘違いしてしまいかねない外観に、ラーシャは閉口した。が、すぐに普段の冷静さを取り戻す。


「ここが目的地……ですか?」

「ああ。ここが仲間の隠れ家だ」







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【中央大陸/旧モルガニア王国/王都モルガン/王城/謁見の間/12月末日_夜】


 ウォーティ王国の南西部と国境を接する旧モルガニア王国。


 この国はかつて北東諸国の一角を占める独立国家であったが、五年前の戦争の結果、スラ王国の被占領国となり、現在は暫定的に東方遠征軍の軍政下に置かれている。


 大湖に面した王都モルガンに聳える王城には東方遠征軍の本営が設置され、城内ではスラ王国の人間が幅を利かせていた。かつてこの国の政治を担った王や高官は処刑、その他官僚は投獄されて久しい。


「表を上げよ」


 腹に響く力強い、されど、聞き取りやすい声が室内を支配した。声の主、デミル・ハイヤード候はこの国を支配する東方遠征軍の将軍である。


 引き締まった彼の体躯は、代々、国王のみが座ることを許された豪奢な玉座が支えている。彼がこの国の支配者であることは、だれの目にも明白であった。


 ハイヤード将軍の許しを得て、彼の前にひれ伏していた細身の男は顔を上げた。男がハイヤードに面通りするのはこれが初めてだ。冬にも拘わらず、緊張の汗が顔を伝った。


「お目通りくださりありがとうございます。将軍閣下」

「堅苦しい挨拶は不要だ。要件を告げろ」


 ハイヤードのにべもない態度に、男は恐縮して縮こまる。が、ここで言い淀む訳にもいかない。男には使者として、主人の意思を伝える義務があるのだから。男は覚悟を決め、片膝を突いたままハイヤードを視線で射抜いた。


「はっ。我が主、ピエール・オリヴァー様からの言伝です。南部辺境の六貴族はスラ王国とドランポルⅢ世陛下に忠誠を誓うとのこと。こちらがその書簡になります」


 使者が懐から差し出した書簡が、スラ王国騎士の手を介してハイヤードの手元に渡る。書簡をサッと読んだ後、ハイヤードは口角を釣り上げた。


「ほう?シードこれを―――」


 ハイヤードはそう言って横に立つ軍師シードに書簡を手渡した。シードは白髪の目立つ齢七〇を超える老兵だが、軍事の知己には長けた有能な知将だ。ほぼ閉じられた細い目で書簡をじっくりと読み上げると、軽く首を縦に振った。


「確かに。この書簡は本物ですな」

「……で、あるか」


 それだけ呟くと、ハイヤードは視線を使者に戻した。使者は黙したまま、ハイヤードの言葉が再びかかるのを待っている。


「そちら側の忠誠は国王陛下のお耳にも届くであろう」

「ははっ。ありがたき幸せ」

「ふむ。しかしその忠義が本物か否か。見極めねばなるまい?」


 ハイヤードはそう言ってニヤリと笑った。これは一種の意趣返しのつもりであったが、しかし、使者は「そら来た!」内心でほくそ笑んだ。


「その件に関しまして、オリバー様より将軍閣下宛にもう二通、書簡を預かっております」

「何?見せてみろ」


 ハイヤードの下に、再び書簡が手渡される。ハイヤードの許しを得てシードもその書簡を覗き込んだ。一通はウォーティア王国政府発行の書簡であり、もう一通はオリバー家発行の書簡であった。二人は書簡を何度か読み直し、互いに顔を見合わせる。


「これは……報告にあった件と同じですな」

「うむ。王国は例の国との同盟を視野に入れているのやも……」


 そこまで呟いて、ハイヤードは使者の前であることを思い出し、咳払いをして見せた。これ以上先は軍機に抵触する恐れもある。使者には早々に退出願おう。


「此度は遥々はるばる大儀であった。宿を用意した故、今晩はこの街に泊っていくが良かろう」

「はっ。閣下のご配慮、痛み入ります」


 使者は書簡の内容を知らされていない。が、ハイヤードとシードが書簡の内容を既に聞き知っていたかのような意味深長な口ぶりに、意表を突かれる格好となった。


 しかし、おいそれと機密に首を突っ込み、自殺する気は毛頭無い。さっさと、この場を後にしよう。使者は一目散に謁見の間を後にした。扉が閉まる音が止み、室内には再び静寂が戻る。


「南部辺境はあっさりと寝返りおったな」


 使者が立ち去ったのを確認し、ハイヤードはシードを見上げた。シードは腰を屈めて、ニヤリと口角を吊り上げる。


「左様ですな。蝙蝠こうもりは信用できませんが何かしら役には立つでしょう」

「ふむ。これも全てシードの思い描いた脚本シナリオ通りなのだろう?」

「それは買い被りが過ぎますな。私はただ交易路を遮断され、窮する領主に手を差し伸べたまでのこと。もし彼の王国が彼らの救済に本腰を入れれば彼らも寝返らなかったでしょう」

「食えないやつだ。先の戦争で彼の王国の財政は芳しくないと知ってのことだろう」


 そこで、ハイヤードは「まあ良い」と再びほくそ笑む。しかし、当のシードは苦虫を噛み潰したかのような顔で、口を開いた。


「ですが二ホンという国の存在が気がかりですな」

「辺境貴族曰く蛮族の国。別動隊の報告では未知の大国……か」


 話は使者が謁見する少し前に遡る。


 ここ東方遠征軍の本営に、ウォーティア王国内に潜入していた第11別動隊の副官ジーンが帰還した。ジーン曰く、王国は二ホンと言う国家と接触したらしい。


 その二ホンという国の使節団は、詠唱不要・連続使用可能という〝特殊な魔法〟を使用する兵士に守られた〝黒塗りの自走する箱〟に乗って王都を目指していたという。


 行商人の話によれば彼らは、島ほどの大きさのある〝巨大な軍船〟に乗ってやって来たらしく、おまけに数ケ月前から目撃情報のあった〝新種の竜〟も彼の国が使役しているのだとか。ちなみに、前者は第11別動隊が直接目にしたことであり、後者は伝聞によるものだ。


「しかし竜の話は別にしても、それ程の軍船を目の当たりにしたのであれば……」

「王国政府の異例の厚遇ぶりも理解できる……か?」

「左様にございます」


 使者の持ち込んだ書簡によれば、王国政府は二ホンという国を異界の大国だと公言しているようだ。政府が公言するとなれば、何らかの物証というものが存在しているはずである。


「私だけであったなら、馬鹿馬鹿しいと一蹴していただろう。しかし―――」


 ハイヤードは言葉を区切り、シードの瞳を見据えた。その瞳は老いてなお、輝きに満ちている。


「幸運なことに私の下には知謀に長けた軍師がいる。貴官の意見は?」

「恐れながら。この老兵めは、彼の国を異界の大国と仮定・・するのが良いかと考えます」

「ほう?仮定・・か。面白い。……とすれば、これまでの策も練り直しか?」

「そうなりましょうな。今すぐ取り掛かっても?」

「無論だ。即刻、策を練り直して欲しい」

「畏まりました」


 シードはそう言うや否や、嬉々としてこの場を立ち去った。その足取りはとても老兵のそれとは思えない程に軽やかで、どこか楽しそうでもある。


 一人になった室内で、ハイヤードはすっかり座りなれた玉座に腰を沈め、天井を仰ぎ見た。一国の王城の謁見の間に相応しい、背の高い天井がハイヤードの視界を占拠する。


「……二ホン国。シードの脚本シナリオ、唯一の変数イレギュラーか」


 しかしシードは面白い男だ。異界からやって来たなどという世迷い事に近い話すらも、想定しようなどと言うのだから。


 ハイヤードはそこで思考することを止め、立ち上がる。仕事はまだまだある。ハイヤードは司令官であり、また軍政下にあるこの国の為政者でもあるのだから。

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