第1.5章:幕章ーIntermission
01.騎士と遠征軍
♢
【中央大陸/中央平原/東方遠征軍・東部(前線部隊)/某日】
青々とした草が一面に生える大草原。
この辺り一帯は地球で言うところのステップ気候に近いものがあり、雨季に集中的に雨が降る一方で、乾季である今の時期は秋晴れのようなカラッとした晴天が続く。地球に比べ低木もある程度の分布が見られるのが特徴といえば特徴であろうか。
そんな大草原に野太い声が響く。
「ここもですぜ隊長」
そう声を上げたのは背が低く野暮ったい印象の男。彼はスラ王国に雇われた傭兵で、名をカムスと言った。
対して、彼が隊長と呼んだ騎士服を身に纏った大柄な男は、スラ王国の騎士アドリ・ムーリア。日に焼けた肌に、短く切りそろえられた赤髪が映える彼は、幾多の戦歴を誇る騎士であった。
王国軍では支配階級の騎士と、平民から募った兵士で構成された一〇〇人規模の部隊を基本単位として運用している。
しかし、王国は現在20年以上に渡る戦争の真っ只中にある。中央平原に対する東方遠征から始まったこの長期に渡る戦争。
獣人居留地である中央平原への侵攻だけでなく、非聖教世界である北東諸国にも侵攻している現在、王国は東方に加え北方と南方、合わせて三個遠征軍を編成している。
その兵員不足を補うためにカムスのような傭兵も各隊に組み込んでいた。もっともそれは、西方諸国の一つ傭兵ギルド公国からの政治的な要請という側面もあったが。
ムーリアは馬をカムスの下へ進め、騎乗したままカムスに声を投げる。
「ここもか……」
「へい。どこもかしこももぬけの殻で、人っ子一人おりやせん」
ムーリアを見上げそう答えるカムス。ムーリアは黙ったまま辺りを見回した。
辺りには木と動物の皮で出来た家々が十分なゆとりを持って並んでいる。それらの家々はゲルに近いものを想像してもらえれば分かりやすいだろう。
王国騎士と兵士、それにカムス配下の傭兵らは、手当たり次第にそれらの家々に踏み込む。しかし、人はおろか、食糧までもがすでに持ち出された後。
それはこれまでの村も同様であった。
「こうも人がいないとなると……獣人たちの間で我らの噂がすでに回っているのであろうな。無理もないが」
そう分析し納得するムーリア。ムーリアは騎士としては王国に忠誠を誓っていたが、獣人狩りとも言えるこの遠征には乗り気でなかった。
故に心のどこかで彼らが逃げ出したことに安堵している自分がいることにムーリアは気づいていた。
「くそっ!獣人共が。金目の物一つ置いてねぇぜ」
「あぁ、せめて女だけでも置いて行ってくれりゃぁいいものを」
「違いない」
遠くから口々に聞こえてくる傭兵たちの不満の声に、ムーリアは眉を顰める。
「そんな顔しねぇでくだせぇ。あいつらは略奪と強姦を楽しみにこの戦いに参加してるんでさ」
カムスの言葉にムーリアは再び視線をカムスに戻した。
「それは知っている。……だが私は昔から兵の強姦はきつく禁止しているのだ」
「ですが隊長、王国の提示した報酬にはその強姦も含まれているんですぜ?」
「あぁ、だからお前ら傭兵にはうんざりしている。私の隊の風紀が乱れかねん」
「隊長は兎も角、下の者は不満が溜まっているんじゃないですかい?」
「従軍淫婦を連れているだろう。彼女たちで満足出来ないのか?」
ムーリアはそうカムスに聞き返す。ムーリアは隊の風紀を維持するために従軍淫婦を自費で雇っていた。彼のような指揮官はスラ王国でも珍しい。
カムスはムーリアの問いににやりと笑みを浮かべた。
「職業でヤってる女で満足しろと?俺はごめんでさ。強姦のよさはその背徳感と加虐感にあるんですぜ?」
カムスの堂々とした返答にムーリアは唖然とした。
「ふんっ。好きにすればいいさ」
去り際にそう言葉を残し、ムーリアは自身の直接の配下にある騎士と兵士の下に馬を進める。
「けっ。これだから貴族の坊っちゃんはいけすかねぇ……」
ムーリアの背が遠ざかると、カムスはそう悪態を吐き近くにあった桶を蹴飛ばした。
♢
【中央大陸/中央平原/南方遠征軍・南部(前線部隊)/某日】
「火を着けろっ!」
騎士、ドリアン・ガードリアの命令で、兵士たちが一斉に火を放った。
ある兵士は手にした燃え盛るかがり火で、ある兵士は火矢で。
火種から燃え移った火がパチパチと音をたてて家々を燃やす。家々はやがて火の渦に呑み込まれ、メラメラと炎の柱を作り出す。
中央平原の南部に広がるサバナ気候の乾燥した空気が、それらの炎をより強くする。燃え上がった炎からは黒い煙が上空に昇る。
「あぁぁぁぁぁあ」
「やめてぇぇぇえ」
その村の住人であったのだろう者たちの泣きわめく声が響く。ここは虎に近い獣人種、虎人種の集落であった。住人たちの眼には燃え盛る炎の揺らめきが映し出されている。
中には、それを憎しみの炎に変え、兵士に掴みかかる者も。
「よくも我が家をっ!思い出の詰まった我が家おぉぉおっ!」
「なにをっ!?」
虎人種の青年に掴みかかられた一人の兵士が胸から血を流して倒れ込む。
「ひあっ、ひっ、ひふ……」
虎人種の鋭利な爪が兵士の胸に突き刺さったのだ。
ポタポタと赤い血を垂らす兵士。
すぐに周りにいた兵士が駆け寄った。
「衛生兵っ!」
「おい!大丈夫か!」
「貴様っ!獣人の分際で!」
応援の兵士の槍が虎人の青年の胸を突き刺す。立て続けにもう一刺し。さらに一刺し。
「ぐあっっ!」
悲痛な声を上げる虎人の青年に、止めとばかりに火炎が放たれ、青年を包み込んだ。
「ぬぁぁぁぁぁあ」
兵士たちが振り向くとそこには騎士の一人、カーザス・ドリアンが馬にまたがり立っていた。彼は若き騎士で火炎魔法を得意とする。
ドリアンは騎上で無表情に自身の右手を広げていた。
「ド、ドリアン様っ」
「お前たち怪我はないか」
「はっ!我々はなんとも。……しかし奴が胸を負傷しております」
ドリアンは兵士の一人が指差した方を見る。そこには先程、虎人の青年から胸を突き刺された兵士が一人、衛生兵に抱き抱えられていた。
「回復魔法を使えるものは我が隊にはいない……」
ドリアンはそう呟くと、馬を降り、兵士の下に駆け寄った。
慌てて膝をつこうとする衛生兵を手で制すると、ドリアンは騎士服から小瓶を取り出し、衛生兵に手渡した。
「これを飲ませろ」
「し、しかしこれは……」
ドリアンが手渡したそれは回復薬。それも肉体の傷を治すことに特化した高級品であり、騎士でなければ買い揃えることのできない品であった。
「いい。私の父は回復薬の元締めの一人だ。いくらでも調達できる。それよりも早く飲ませてやれ」
獣人を輸送する隊が編成されている遠征軍では、この世界では珍しい補給がしっかりとしている。
しかしそうは言っても長期の遠征。それほどの回復薬を易々と手にいれることは難しい。また、次の補給もしばらく先であった。だが、ドリアンはそんなことは微塵も気にする様子を見せず、さらに言葉をかける。
「ほれ早く」
ドリアンに急かされた衛生兵は、恐る恐るその小瓶を受けとると、溢さないように注意して負傷した兵士の口に小瓶を押し付けた。
「……くはっ」
「飲ませたらしばらく安静にさせろ。効き目があらわれるのには時間がかかる。栄養のあるものも食わせてやれ」
ドリアンの心は騎士であった。この国では古くから騎士とは民衆を守る存在であれとされてきた。
ドリアンはそれだけ言うと、再び騎乗し、虎人たちをじろりと睨む。
「いいか獣人ども。今度嘗めた真似をしたら親族郎党皆殺しだ」
しかしドリアンの騎士としての心はヒト種に対してのみのものであった。彼もまた、他の者たちと同じように、獣人種をヒト種より一段劣ったものとして見なしていたのである。
この国でも獣人への差別感情はそれ以前にも、少なからず存在していた。しかしそれは現代社会での差別に近く、これほどの惨たらしいまでの差別感情ではなかった。
スラ王国に聖教が伝来しておよそ一世紀。この短い期間に、聖教という宗教はこの国の人々の心に大きな獣人蔑視の感情を植え付けてしまっていたのである。
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