14.自衛隊と難民Ⅲ

 ♢


 ひと悶着の末、調理は再開された。相馬たち自衛隊が用意した調理器具は狼人種にとっては未知の道具。調味料は未知のスパイス。


 狼人種の主婦たちはこれまで彼女らが知らなかった調理方法や調理器具、調味料の使い方を学んでいた。


「それはなんというのですか?」


 と狼人の女性が松野に尋ねた。松野は彼女が指さした調味料を手を伸ばし、持ち上げる。


「これは味噌という調味料です」


「ミソ?」


「えーっと、大豆……豆類などを発酵させたもので、日本食には欠かせない調味料なんです」


 松野はうろ覚えの知識でそう答えた。


 だが松野の説明は大方正しい。大豆や米、麦等の穀物に、塩とこうじを加えて発酵させて作る発酵食品、それがミソである。


 ちなみにこの世界にも大豆に近い豆が存在しているが、広く一般には普及していない。


「……なんというか独特な匂いですね」


 狼人の女性はミソの入った袋に顔を近づけると、そう言って顔をしかめた。発酵食品特有の匂いが彼女の鼻腔を刺激したのだ。


「料理に使うとおいしくなるんですけどね」


 松野はそう言って笑った。


 一方、普段は調理を女性陣に任せきりの男たちだが、彼らも調理に参加している。


 男である矢吹ら自衛官が調理をするのを見て参加してきたのだ。


 女性陣が松野を中心に談笑している今、鍋を囲んでいるのは主に男たちである。


「ニホンでは男も料理をするものなのか?」


 と中年ほどの狼人が矢吹に尋ねた。


「最近は料理ができる男がもてはやされてますからね。イクメン……育児に参加する男性も増えてきていますよ。もっともまだまだ家事を女性の仕事だと思っている世の男性も多いのが実情ですけど」


 そう言って矢吹は大きなヘラで鍋の中をかき混ぜる。鍋には薄茶色のスープが入っており、そこにはゴボウの他、大小さまざまなじゃがいもや大根、人参、豚肉などが浮き沈みしている。


「ほう、いい匂いですな」


 野外炊具2号(改)からは真っ白な湯気が天に向かって立ち昇り、美味しそうな匂いがあたりを包み込む。その匂いは松野たちがいる場所にも届いた。


「もうそろそろいいかな?」


 矢吹がそう言って手を止めると、その声を耳にした松野が女性陣への講義を中断して駆け寄ってくる。


「できた?」


 矢吹は突然かけられた声に振り向き、松野を視認した。矢吹は、松野が大の料理好き(主に食べる方)であることを思い出す。


「はい。完成です。味見しますか?」


 矢吹の問いに、松野は矢吹の予想通り満面の笑みを浮かべ「はい!はい!はい!」と声を上げ首肯する。


 矢吹はできたばかりのそれを器によそい、松野に手渡した。松野は手渡された器を両手で受けとると、そのスープの味を見極めるようにゆっくりとすすった。


 松野に集まる視線。


 そして―――。


「……うん!美味しい!」


 と親指を立ててみせる。その言葉を聞いた狼人たちは次々に「俺も」「俺も」と騒ぎ出した。


 パン―――。


 と、そこに突然の音に、騒いでいた狼人たちの視線が、音の発生源である矢吹に集まる。


 矢吹は一呼吸置いて口を開く。


「では、朝食にしましょう」


 野外に並べられた机の上に、サラダと白米、そして先程まで作っていた料理―――豚汁が並べられた。


 豚汁は入れる具材の多さから各種の栄養素が含まれており、単に汁物ではなく立派な主菜ともなりうる。


 今回のような大人数の食事を用意するときに、助かる料理の一つだ。


 今回は狼人たちとの親睦を深めるために相馬たちも彼らと一緒に食事を取る事にした。


 相馬と同じ席に着いたのは矢吹の他二名の隊員と、モロ、ミラをはじめとする十数人の狼人たちである。相馬の対面にはモロが座り、モロの右隣にはミラが座った。


「いただきます」


 相馬らがそう言って手を合わせると、それを見た狼人たちは首を傾げた。相馬は「あぁ」と納得すると、これが日本で一般的な作法だと説明した。


 ―――食事を作ってくれた人への感謝、そして命をいただくことへの感謝。


 相馬の説明に、狼人たちは納得し、見よう見まねで「イタダキマス」と手を合わせる。


 日本人は自然への、命への感謝すら忘れないのか。と、モロは相馬たちの姿勢に感銘かんめいを受けた。


 モロは使いなれない箸に手を伸ばす。他にフォークも用意されていたのだが、モロはあえて箸を選んだ。


 ちなみにモロは普段、木でできた二又のフォークとヘラのようなスプーンを使って食事をとっている。


「おお、うまい!」


 モロの叫びにも似た賛辞に、他の狼人たちも次々に声を上げる。


「確かに!これは……なんと美味な」

「本当に。こんなに美味しい食べ物生れてはじめてよ」

「あぁ!かみさんの手料理よりも美味しいぜ!」

「ちょっとあんた!なんですって!?」


 賑やかな朝食。


 やはり、食事は大人数で食べるに限ると相馬は改めて思った。


 余談だが、モロたち狼人種の主食はトウモロコシに似た穀物を水で練ったもので、彼らが米を食べたのはもちろん見たのも昨晩の食事が初めてであった。


 だが、相馬が聞いたところによれば、狼人たちは非常に米を気に入ったらしく、今回も朝食に出すことになった。


 この世界に稲作という文化はあるのだろうか。と、相馬は白米を口に運びながら考える。


 ふと、相馬は自身から見て斜め左前に座るミラに視線を向けた。ミラは相変わらずの不機嫌そうな顔で、チビチビと豚汁を啜っていた。しかし、よく見るとその顔はこぼれそうな笑みを必死に抑えているように見える。


 美味しい料理は人を笑顔にするとは言ったものだ。


 相馬は料理人とは一種の魔法使いなのではないかと、脳内で勝手に矢吹を魔法使いにジョブチェンジする。


 と、そのとき、相馬の視線に気づいたミラが視線を上げた。


「……なに」


「いや、なんでもない。美味しいか?」


「まあまあ」


 ミラはそう言って再び豚汁に視線を戻した。


 相馬は少し彼女との距離が縮まった気がしてうれしくなって微笑んだ。







 ♢

 相馬たちと狼人種の避難民が共同で食事の後片付けをしていると、そこに一人の自衛官がやってきた。


 普段は人のあまりこない場所である。もし来るとすれば、それは大方が相馬たちに用がある者だ。


「相馬三尉」


 相馬は声のした方に視線を向ける。そこに立っていたのは、銀縁眼鏡をかけた一人の自衛官。彼は相馬たちと異なり、戦闘服ではなく礼服に身を包んでいる。


 胸の階級が指し示すところ、彼は一等陸尉。旧日本軍でいうところの大尉にあたる人物であった。


 相馬はすぐに姿勢を正すと、彼を敬礼で迎えた。


「これは宮内みやうち一尉」


 彼は外地派遣部隊の幕僚の一人である宮内みやうち大雅たいが一等陸尉である。


 幕僚とはこの外地派遣部隊の指揮官である新留陸将の補佐を行う者で、諸外国でいうところの参謀に相当する。


「そろそろ時間だ。陸将が待っている」


 相馬は時間を確認すると、モロと共に宮内の後を追った。


 相馬がふと空に視線を向けと、遠くの空から暗雲がこちらに向かってゆっくりと動いていることに気づく。


 午後には降り出すかもしれないな。と、相馬は暗雲を眺める。


 真っ黒な暗雲―――。


 それが何か不吉なことの予兆のように感じ、相馬は再びミラを振り返った。


 しかし相馬の思考は宮内の声に遮られる。


「相馬三尉!」


 宮内の声に、相馬は考える暇もなく、新留の下へと歩を進めた。

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