13.自衛隊と難民Ⅱ

 ♢

 【中央大陸/東岸地域/東岸拠点/某宿舎裏/10月下旬・某日】


 トントントン―――。


 包丁の奏でる軽快なメロディーが辺りに響き渡る。包丁の刀身は身軽なステップで、まな板の上に用意された食材を細かく刻んでいく。まな板の上で踊る包丁はいわば主演であり、食材はそれを引き立てる助演。


「まぁ!この包丁、すごく切りやすいわ」


 狼人種の女性はそう声を上げた。


 ここは東岸拠点の外れにある一画。普段は使われていない自衛隊宿舎の裏であり、すぐ脇には最近植えられたばかりの苗木が並んでいる。その先にあるのは、隊員がジョギングなどに使う小道だけで、すぐにフェンスが行く手を阻む。


  有刺鉄線付きのフェンスが、この場所が拠点の外れであることを物語っていた。もっともフェンスの外も自衛隊が管理しており、その先にも幾重ものフェンスが張られているのであるが……。


「皆さん今の見ました!?シュってやってスパっよ!?」


 声を上げた狼人種の女性は、興奮した様子で右手に握りしめたその包丁をぶんぶんと振り回す。


「ちょ、ちょっと危ないですよ!」


 と、相馬小隊の矢吹やぶき大悟だいご陸士長が注意するが、他の女性陣がその女性に群がったために、彼の注意はかき消されてしまった。


 狼人種の主婦……と思しき女性たちはその包丁に興味津々のようだ。


「そんなに珍しいものかねぇ……普通の包丁なんだけど」


 矢吹はそう言って頭を掻く。矢吹は高校卒業と同時に自衛官候補生課程で自衛隊に入隊し、昨年、陸士長になった高身長の優男であり、現地語を解する一三名の隊員の一人であった。今年で二二歳になる矢吹は小さいころから大の料理好きで、宇都宮にいたときは、隊員の食事を用意する糧食班に自ら志願していたほどである。


「彼らが普段料理に使っていたのは包丁というより寧ろ、磨製石器に近いものらしいよ」


 矢吹は背後からかかった声に振り返る。そこにいたのは彼の上官にあたる相馬三等陸尉。相馬は任務時の真面目な態度や遂行能力の高さから上司の評価が良く、また、普段の砕けた態度や接しやすさから部下からの信頼に厚い。


 矢吹も相馬のことは一隊員としてだけでなく、一人の個人としても信頼していた。


「隊長!」


「おっす矢吹。問題なくやれてるか?」


 相馬は軽く手を挙げてそう問いかけた。


 矢吹は苦笑を浮かべ、視線を狼人種の避難民たちに向ける。数十人の狼人たちの喧騒が少し離れたこの場所にも届いていた。


「まぁ、ぼちぼちですね。文化の違いで少し戸惑いもありますが……」


 矢吹を含め、相馬小隊の隊員たちは、矢吹を中心に朝から狼人種の避難民と共に朝食作りを行っている。


 炊き出しなどによく用いられるのは、野外炊具1号(改)と呼ばれる野外炊飯専用トレーラ(フィールドキッチン)であるが、今回は派生型の野外炊具2号(改)を用いている。


 野外炊具2号(改)はそれひとつで約一〇〇名分の炊飯が可能なユニット(かまど)を持つ小規模部隊用の野外炊具である。


 ちなみに、野外炊具1号(改)には、断裁調理を容易にするカッターやエンジンからの動力により回転する皮むき器などが装備されている。だが、今回は出番はない。調理速度や容易さが求められる場面ではないからだ。


 今回は避難民の自活支援であるために、一般的な包丁や皮むき器を使って調理が行われている。


 矢吹は「それより」と話を変えた。


「今朝の呼び出し、大丈夫でしたか?」


 今朝の呼び出し、とは新留陸将に呼び出されたことである。矢吹は命令を待たずに行動したことを追及されたのではないかと心配していた。


 心配そうに相馬を見る矢吹に相馬は笑いかける。


「なに、お前が考えてるようなことじゃないよ」


 相馬はそう言って辞令が書かれた紙を見せる。


「部隊を再編して新たな部隊を発足させるからそこの指揮官に、って話だ」


 矢吹は「ほう」とそれを眺めていたが、ふと我に返り叫ぶ。


「えぇ!?ってことは相馬小隊は誰が指揮するんですか!?」


 矢吹はそう言って相馬に詰め寄った。矢吹の圧に負けた相馬は身を反らし、声を絞り出すように答える。


「後任はもう決まってるらしい」


 矢吹はその言葉に衝撃を受けたようで、「相馬隊長の下で働くのもこれが最後ですね」とどこか寂しそうに呟いた。しかし相馬は彼の言葉を否定して言う。


「何言ってんだ。お前も俺と一緒にその部隊に移動だぞ?」


「……え?」


「今回の再編はそもそも現地語……もっとも東方諸国語の狼人種訛りの言葉らしいが、それを理解する俺らを本部直轄で運用する……っていうのが目的らしいからな。追って、矢吹にも辞令が下るだろう」


 当然、現地語を解する矢吹も新部隊の一員に含まれている。と相馬は説明した。


 目を輝かせ飛びつかんばかりの矢吹から相馬は視線を逸らす。ひょっとすると矢吹はそっちの気があるんじゃなかろうか……といらぬ心配を始める相馬。


 と、そのとき。少女の叫び声が相馬の耳に届く。


「馬鹿じゃないの!?」


 相馬が何事かと声のした方に視線を向けると、そこには綺麗な赤色、いや朱色の混じった黒髪ショートカットの少女がいた。ミラだ。


 ざわざわとしだす狼人たち。


 どうやらミラが他の狼人に突っかかっているらしい。


「おい、なんだよミラ」

「そうだよ。突然どうした」


 と、ミラより大人びた背格好の狼人の青年が次々に問いかける。彼らはミラに比べ狼の血が濃いのか、腕や顔に濃い毛が生えている者もいた。


 騒ぎを聞きつけ、相馬たち隊員が駆け寄る。駆け寄ったのは相馬の他、矢吹、松野三曹、瀬戸陸士長の四人である。


「どうした」


 相馬の声にミラが振り返る。相馬の顔を見たミラは「なんでもない」とその場を離れた。


「ちょっ」


 後を追おうとする瀬戸。相馬は瀬戸の肩に手を置いて、彼の行動を制止する。振り返る瀬戸に、相馬は首を振った。


「追ってもしかたない。他の者に話を聞いたほうが良い」


 相馬はそう言って周囲にいた他の狼人に事情を聴く。


「いや、それがですね。僕たちもよく分かんないんですよ」


 と狼人の青年。彼らはどうやらミラと同年代の幼馴染らしい。狼人種は一二を超えると大人と言われ、身体的な特徴も一〇歳ごろには大人に近くなる。が、人の血が濃いものはその限りではなく、ミラはその典型だ。


「昨日から様子がおかしいんですよ。なんか不機嫌っていうか」


 と別の青年。


「昨日……というと、俺たちがこちらに保護したときからか」


 相馬はそう呟く。


 と、そこに、他の狼人に案内される形で、騒ぎを聞きつけたモロが駆け足でやってきた。


 事情を聴いたモロは思い至る節がある様子で相馬に頭を下げる。


「ミラが失礼な態度をとって申し訳ありません」


 そう謝罪の言葉を口にしたモロは、そのまま続けた。


「もちろん、あなた方ジエイタイが我々によくしてくれているのは、わしも始め皆、理解しております。じゃが……どうか、ミラの気持ちも理解してほしいのです」


 スラ王国の軍勢に村を追われ、命からがら逃げ出したこと。ここに来るまでに辛苦を舐めさせられたこと。


「ミラは人種と仲良くする同胞の姿に少なからず不満を抱いていたのでしょう。または、あなた方ジエイタイの優しさとスラ王国の人種の行動……その間で葛藤に苛まれておるのかもしれません。……それにミラが人種に村を追われたのはこれが」


 そこでモロはハッとして周囲を見渡す。相馬はてっきり、まだ話が続くのだと思っていたが、モロはこれ以上話す気はないらしい。


「……とにかく今はそっとしておいてあげてください」


 そう言ってモロは話を切り上げた。

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