04.爵の誤解

 ♢

【中央大陸/ウォーティア王国/港町ポーティア/ポーティア城/領主執務室/11月末日(接触2日目)】


 王都ウォレムにて王前会議が開かれている頃。


 ポーティア爵グラン・ポーティアは、自身の執務室に備えられた執務机に肘を付き、バルコニーの先に広がる街に視線を向けていた。


 執務室に隣接するバルコニーからは、斜面上に建設された石造りの美しい建造物群が所狭しと建ち並ぶ街の情景と、弧を描くように作られた美しい港。そしてそれら美しい情景すらも霞んで見えるほどに、美しく、気高く、そして狂おしいほどに青く光る大洋が一望できる。


 この景色を独り占めできるのもこの街の領主であるポーティア爵の特権であり、彼はこの光景を独り占めできることに、ある種の喜びと優越感を感じていた。


 もっとも、それは彼が傲慢で身勝手な領主である……ということではなく、むしろ彼は領民思いの名君として領民から愛されている。


 そんなポーティア爵も、このときばかりは、バルコニーから一望できるこの特権とでもいうべき美しい光景を心から楽しむことができずにいた。


 どうしても港の沖合に停泊する巨大な島……もとい、巨大な軍船に目が行ってしまい、片付けねばならぬ仕事がある、という現実に引き戻されてしまう。


「……はぁ、なんでうちの街に来てしまったんだろうなぁ」


 爵の独り言は何度目だろうか。


 しかし幸か不幸かこの部屋には爵一人しかおらず、それを指摘する者はいなかった。


 港の方角から視線を反転させると、そこにはこれでもかと言わんばかりの資料の束が積み重なっているのが目に付く。


 領軍からの報告書に、各商会からの問い合わせ、使節の滞在許可状に警備計画書。特に使節団の警備には細心の注意を払う必要がある。


 そして日本の使節団から提出された停泊許可申請や日本に関する資料、使節団の目的が書かれた書類……等々は、特に机の場所をとっていた。


「……にしてもこんな真っ白で薄く上質な紙、どうやれば作れるというのだ」


 今にも崩れそうな書類の束を目の当たりにしたポーティア爵は再びため息をつく。そして、日本国の使節、黒沢晃の人のよさそうな笑い顔を思い出した。


「それもこれもアキラ殿のせいだ!彼とは良き友人になれそうで良かったが……私の仕事が増えてしまった」


 両者は昨日会ったばかりだというのに、すでにファーストネームで呼び合う仲になっていた。


 そこで爵はフッと独り噴き出した。というのも自身が最初に抱いていた黒沢晃という人物像と、今抱いている彼の人物像とがあまりにも対照的だったからだ。


「最初は彼のことも、日本国のこともだいぶ誤解していたな」


 ポーティア爵は昨日の会談を思い出す。ポーティア爵の、使節クロサワと日本国への第一印象は文字通り〝最悪〟であった。







 ♢

【同ポーティア城/応接の間/昨日(接触1日目)】


「あなた方の来訪の目的は、我が国との国交樹立であると。そういうことで相違ありませんね?」


 ポーティア爵は確認のために聞き返した。場所はポーティア城〝応接の間〟。普段はあまり使用されることのないその部屋に急遽セッティングされた会談の席。


 ポーティア爵は頭が痛むのを抑えながらの会談となった。


「ええ、相違ありません」


 そう言って微笑みを浮かべたのは、日本国から派遣された外交官、黒沢くろさわあきら。彼は特命全権大使として、この国に派遣された〝特別使節団〟の団長である。入庁以来30年近くに渡り外交の第一線で活躍してきた彼は、ベテランの外交官としてこれまでに数々の交渉を纏めてきた。


 黒沢は自身の左横に座る相馬三等陸尉に視線を送った。ちゃんと翻訳できているか心配なのだろう。相馬は大丈夫だと安心させるように、黙って首を縦に振って見せる。


 相馬がなぜこの場にいるのかと言えば、彼も使節団の一員であるからである。当然といえば当然だが、ウォーティア語を話せる人物などまだ外務省にはいない。


 そこで現地調整隊の出番というわけである。彼に与えられた仕事は通訳と翻訳であり、一般に、通訳官や翻訳官と呼ばれる立ち回りをこなす。


 彼の他に使節団に加わっている自衛官は同じく現地調整隊の瀬戸陸士長と、本土から派遣されている警護の自衛官2名くらいである。


 もっとも、正規のメンバーには含まれていないが、沖合に停泊している〝いせ〟を始めとする護衛艦群には数百人規模の自衛官が待機しており、万が一、黒沢や相馬の身に危険が起こればすぐにでも救出を行う手筈になっている。


 故に、黒沢たちは初めての場所であるにも関わらず、落ち着いて会談に集中することができていた。


 一方で、ポーティア爵は落ち着かなかった。


 日本などという聞いたこともない国の使節が、唐突に巨大な軍船を率いてやってきたのだから無理もない。


 それに〝応接の間〟も例にもれず港側に面しているため、隣接するバルコニーからは〝巨大な黒船〟の艦隊が我が物顔で街の沖合に居座る姿が嫌でも目に入った。……私を……いや、我が国を威圧する気があるのは明白だな。そう心の中で呟く。


 ポーティア爵は口にはしないものの、日本という見知らぬ国が、とても友好のために訪れたとは思えなかった。これが本物の砲艦外交というものだ。爵は日本に対していい印象など持ちようがなかった。


「国交……ですか。しかし私は一介の領主。私にはそのような権限はございませんゆえ」


 ポーティア爵の言葉に、黒沢はにこやかに頷いた。


「はい、それは存じております。つきましては、ポーティア爵殿には仲介の労を労っていただきたく、こうして参った次第でございます」


 黒沢の純粋な笑みも、砲艦の前では威圧のように思えてしまって仕方がない。喉元に刃を突き付けられ、「お前の主人に宜しく伝えろ」と言われたように感じた。


「そうでしたか……私でよければいくらでも汗を流させていただきますよ」


「……」


 ポーティア爵の後ろに控える家令のミーツは主が本心から言っているわけではないと知っていた。グラン・ポーティアという男は仕事という言葉が嫌いだ。故に、暴君ともなりようがなく、自由な街の空気が形成されているのだが。


「ありがとうございます、ポーティ爵殿」


「いえいえ。それにしても使節様方のお乗りになった船はとても立派ですねぇ。このような小さな街に来るには不釣り合いなほどに立派な軍船だ」


「滅相もありません。この街は実に美しく、素晴らしいところですよ。このような景色を毎日眺められるあなた様がお羨ましい」


「ハハハ……ありがとうございます」


 ポーティア爵はその笑みとは裏腹に、チッと心の中で舌打ちした。


 日本という国の〝砲艦外交〟を皮肉ったのにも拘らず、動揺するどころか堂々としている。そればかりか、暗に「ここを手中に収める」と言ってきたではないか。


 もちろん、黒沢にそのような意図は全くなく、謙遜し褒めただけなのだが。少なくともポーティア爵はそのようには捉えず、言葉の意味を曲解して受け取った。


「ところで……失礼を承知でお聞きしますが」


 ポーティア爵は少しでも日本という拡張主義国家の情報を仕入れようと声を上げる。


 これだけの造船技術を持つ国だが、そのような国を聞いたことは一度もなかった。


「はい。なんでも聞いてください」


「私はあなた方の国を聞いたことがありません。申し訳ありませんがどこにある国なのかご教授いただけませんか?」


 ポーティア爵は軍船を率いて乗り付けてきた、野蛮な〝日本の使節団〟としか聞いていなかった。まだどこにある国なのか知らなかったのである。


 ポーティア爵の言葉に、黒沢はハッとし「これは申し訳ない」と頭を下げた。


 爵は黒沢の様子に、意外なものを見たと少しだけ驚いた。もっと小馬鹿にしたような、傲慢な態度で来ると思っていたからだ。爵は人知れず、日本という国についての評価を上方修正した。


「我が国はここより東に1000㎞ほど離れた場所にあります、島国です」


 しかし黒沢の言葉を受け、ポーティア爵は怪訝な表情を浮かべた。


「ここより1000キル東ですか?そこは東方洋のど真ん中のはずですが……」


 ポーティア爵はそんなところに国があるなど聞いたことがなかった。


 王国建国期に著名な探検家率いる調査隊が王命で調査に向かったという話は有名だ。


 しかし、そうでなくとも、それほど近距離にこれだけの技術力を持った国が存在していた……など到底信じられる話ではない。


 そんなポーティア爵の心情を察してか、黒沢は慌てて言葉を付け加えた。


「いえ、かつてはそうだったのでしょう」


 その言葉にポーティア爵の顔はますます困惑の色を深める。


「かつてですか?一体どういう……」


「信じられないでしょう。いえ、私もまだ信じられないくらいなのですが……」


 黒沢はそう前置きした上で、話始める。日本という国に起こった、天災。いや、〝天変地異〟とでも言うべき災害について。


 そして、日本という国が辿ってきた歴史、日本という国の概要について。ゆっくりと。







 ♢

【同ポーティア城/領主執務室/本日(接触2日目)】


「我が国は最近、この世界に転移してきたのです……か」


 ポーティア爵はそこまで思い出し、回想を止めた。首をぶんぶんと振って、思考を整える。相変わらず乱雑に積まれた資料の山に、爵はめまいを感じずにはいられない。


「昨日ほど驚いたことは、人生でもそうないな」


 爵はそう言って、ようやく椅子から腰を上げた。根でも張っているんじゃないかというほど、朝からこの椅子に座り続けている。


 それ故か、立ち上がると腰が悲鳴を上げ、ボキボキと関節が鳴る音が室内に響いた。


「日本か。最初はとんでもない野蛮な国がやってきたと思ったが……」


 ポーティア爵は執務机の端に置かれた、使節団からのお土産に手を触れる。


「私の思い違いで良かった……仕事が増えたことに変わりはないが」


 爵は本当に何度目か分からない独り言を呟き、黒沢にもらった和菓子〝マンジュー〟を口に頬張った。


「うん、うまい」


 ポーティア爵は昨日、日本について学んだ。日本という国が平和を愛する国であること、日本という国が豊かで、そしてこの国よりも遥かに発達していることを。


 もっとも、この光景だけ切り取れば貴族ともあろうものが〝異国の菓子〟ごとき惑わされたと、そう思われても仕方ない。


「私は菓子に釣られてなんぞいないからな!本当だぞ!」


 ポーティア爵は誰に言うでもなくそう叫びながら、次の和菓子を口に運んだ。今度は〝イチゴダイフク〟、そして次は……。


 そうそう、爵が大の甘党であるとの情報を仕入れたのは特戦だともっぱらの噂だ。本当かどうかはわからないが、兎にも角にも、日本はこうしてようやく異世界の国に接点を持つことに成功したである。

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