09.港町見聞録Ⅲ―町人と酒宴―
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【中央大陸/ウォーティア王国/港町ポーティア/平民街地区/庶民向け料理店〝猫の社〟/12月05日(接触7日目)_夕刻】
カーラたちの来店に給仕の娘が慌てて店の奥に消えると、代わりにこの店の主人と思しき中年の男が姿を見せた。店の主人はカーラを視界に入れるなり、小走りでカーラに近寄る。
「こ、これはカーラ様」
「久しいわね、コーク」
城下に来る際は、必ずこの店に立ち寄ると言うカーラ。この店の主人コークは最近カーラの素性を知ったばかりであった。そして先刻、ヘンリーが予約のために店を訪ねた際も、いつものように変装してくるのだろうとばかり思っていた。
「本日はお忍びではなかったのですか!?」
「ごめんなさい。どうしてもこの方たちにこの店の料理を食べていただきたかった……のだけど」
「この方たち……?」
カーラに言われて初めて、コークは黒沢たち使節団の姿に気が付く。コークに視線を向けられた黒沢たち一行が帽子を外して会釈するので、コークは慌てて頭を下げた。
見るからに異色の恰好をしているものの、その仕立てのよさそうな服を見るにどこか異国の貴族であるということはコークにも分かる。
「この方たちはお父様の大切なご賓客なの」
「りょ、領主様のご賓客の方々ですか!?」
コークはそう叫び、天を仰いだ。まさか領主の賓客が、こんな庶民向けの料理店に来ることなどだれが想像できよう。
まさか、「貴族様がお食事をなさるから出て行ってくれ」など、楽しく食事をとっている客に言えるはずがない。かと言って、貴族様、それも領主の賓客を追い返すわけにもいかない。小市民のジレンマを抱え、コークは声を振り絞る。
「そのような方々をお連れするのであれば何もうちなんかより―――」
「だって他の所よりここが美味しいんだもの」
「それは嬉しいのですが……」
コークは店内を振り返る。
「お忍びだと思っておりましたので、いつものようにお席だけ確保しておりまして……」
「うぅ……それはこちらの不手際だわ」
コークがカーラの素性を知ったときのこと。カーラは「お忍びなんだから」と庶民との同席を了承していた。故に、今回も席だけ確保しておいたのだが、こんなことならとコークは数刻前の考えを後悔する。
カーラとコークの押し問答を呆然と眺める使節団一行。黒沢たちは言葉こそわからないものの、自分たちがここにいては迷惑なのではないかと思い始めた。黒沢は相馬を手招きして尋ねる。
「相馬くん、彼らはなんと?……やはりこの人数で押し掛けるのは迷惑だったかな?」
「はぁ、違うと思いますが……黒沢さん、ちょっといいですか―――」
相馬は黒沢の問いに微妙な返事を返し、何事か相談する。黒沢は相馬の提案に頷いた。
「構わないと思うよ。吉田くん、大丈夫かな?」
「……なるほど。まぁ、問題にはならないかと」
「ありがとうございます」
相馬は黒沢たちに礼を述べ、カーラの下に戻った。そしてコークに向き直り、口を開く。
「お取込みのところ申し訳ありません」
相馬はそう断りを入れ、コークだけでなく店内の客全員に聞こえるように声を張り上げる。
「店内の皆様さえよければ我々は構いません。どうでしょう皆様?」
再びシンと静まる店内。しかしそれも相馬が次の言葉を発するまでのこと。
「今日は全て我々の奢りということで受け入れていただけませんか?」
相馬の提案に、店内のボルテージは上がる。
「おい、聞いたか!奢りだとよ!」
「ああ!聞いたとも兄弟」
相馬の奢りの一言だけでなく、相馬の控え目な姿勢が彼らの心を揺さぶった。貴族というのは傲慢で自己中心的な生き物だという、この国の常識を打ち破る相馬の姿勢が功を奏したと言える。
こうして、黒沢たち日本国使節団と町の人たちという、少し奇妙な組み合わせの宴が始まった。
♢
庶民向け料理店〝猫の社〟―――。この店の名物は毎朝、港で水揚げされる多種多様な魚介類をふんだんに使った魚料理。
港町と言うだけのことはあり、そのバリエーションは豊富だ。王都の高級店と言えどこの店には遠く及ばない。
鮮度と味に至ってはそもそも勝負にもならない。
「もっと呑めよ兄弟」
「も、もう呑めんっ……勘弁してくれ」
「お貴族様、ささ、どうぞ」
相馬の「今日は驕り」発言で騒がしさを増した店内。先ほどまでカーラを取り囲んでた町の人たちも、酒を片手に黒沢たち使節団メンバーとの談笑に花を咲かせていた。
町の人たちが歌を歌い始めると、返礼とばかりに使節団メンバーが日本の歌を歌う。演歌からアニソンまでその幅は広く、店内は大盛り上がり。
言葉は通じなくとも美味しい料理と酒、それに歌。
それらが言語と立場の壁を越えて両者を繋ぐ。異文化交流の理想が店内に広がっていた。
店の片隅に陣取る相馬とカーラはそんな店内の喧騒をBGMに、白身魚のフライを
「うん。これも美味しいですね」
「嬉しいですわ。私もこれが大好きですの」
人に自分の好きなものを称賛されれば誰しも顔が綻ぶ。カーラは満面の笑みで、白身魚のフライを口に運び、次いで喉を潤すべくレモン水を流し込んだ。
空になったグラスをテーブルに置くと同時に、背後に控えていた執事見習いヘンリーがレモン水を彼女のグラスに注ぐ。
「ありがとう、ヘンリー」
「いえ」
カーラは再びレモン水に口を付け、相馬に向き直る。今日会ったばかりの二人だが話題は尽きない。
日本のこと、地球のこと、そしてこの世界のこと。二人は途切れることなく話を交わした。
カーラは特に日本の人口と貴族が存在しないことに驚いたようで、相馬に対して興奮気味に質問を繰り返す。
「い、いちおくさんぜんまん!?そ、そんな途方もない人口を抱えておりますの!?」
「ええ」
「この国の総人口は100万か200万そこらと言われておりますのに……」
この国の総人口は約150万人。もっとも、正確な調査は行われておらず、概算で100万~200万人ほどだと言われている。日本はその100倍ほどの人口を抱えていると言われれば誰でも驚くだろう。
「それに貴族制度が存在しないなんて―――」
カーラは無意識に小声になる。
「貴族がいないのでしたら誰が政を致しますの?」
「政治は国民が行います」
「で、ですが……皆が皆、ソーマ様のように教育を受けられるわけではないのでしょう?そんな国民に政を任せては国が成り立ちませんわ」
カーラの疑問はこの国では至極当然の問であった。「識字率?なんですかそれは?」というこの国において、まともに読み書き計算ができるのは全人口の1割未満。
貴族の子弟や裕福な商人の子弟など、極限られた者しか教育を受けられないのだからそれも当然である。
余談だが、近世欧州の大都会、パリにおける識字率も1割程度であったという。当時世界有数の識字率を誇ったとされる江戸時代の日本でも、地域によっては識字率が2割程度の地域もあったそうだ。
「我国の識字率はほぼ100%なんですよ」
初等教育と中等教育前期課程合わせて9年間の義務教育の後、ほとんどの人が3年間の中等教育後期課程に進み、その半数近くが大学という高等教育機関に進む。中には大学院に進学し修士課程や博士課程に進む者もいる。相馬はそう言って話を止めた。
「自分も一応、大学までは行きましたね。それから自衛隊に入隊しました」
「……」
カーラは絶句した。日本の国民がこの国に来たら……皆、学者になるのではないかと。そして、この国に日本並みの教育がもたらされたならばこの国は大きく変わるだろうと。
一方、店の中央にあるテーブルでは、黒沢を中心に話の輪ができていた。町の人たちもいい具合に酒が回り、饒舌になる。話題は最近増えている野盗について。通訳は瀬戸だ。
「ほう。野党ですか」
「黒沢さん。野盗です。野党に突っ込まれますよ」
黒沢のボケに吉田は、突っ込みを入れて苦笑した……が、ウォーティア人である町の人たちには伝わらない。黒沢はわざとらしく咳をして、話を戻す。
「……それで、野盗が増えていると?」
「あ、あぁ。いや、はい」
「普段道理の言葉遣いで結構ですよ」
「かたじけねぇ……敬語はどうにもなれなくてな。助かるぜ」
黒沢の言葉に、土木仕事を
「いえいえ。そっちのほうが様になていますよ」
吉田はそう言って笑みを浮かべる。嫌味のようにも聞こえるが、実際、日に焼けた偉丈夫な彼の体躯にはその言葉遣いの方が似合っていた。
「そ、そうか?」
「えぇ。どうぞ続けてください」
吉田は微笑みを浮かべ先を促す。
「それでな。おやっさん……ああ、俺の師匠なんだが。おやっさんが最近、王都からの帰途で野盗に襲われてな」
「襲われたのですか?」
「あぁ。幸い雇っていた傭兵が追っ払ってくれて大事には至らなかったんだが、ドワーフ種ってことをだいぶけなされたそうだ」
黒沢はボンドの言葉に考え込む。ドワーフ種は確か、所謂、亜人のなかでもエルフと共に迫害の対象にはならない種族だったはずだと、護衛艦〝いせ〟の艦内で熟読した資料の記述を思い出す。
実際、聖教においても獣人のみが〝悪魔の先兵〟として差別されているし、ドワーフはその土木技術の高さからむしろ優遇されているはずだ。黒沢が吉田に意見を求めると、吉田はこともなげに答える。
「獣人に向ける差別だけではなく、異なる者に対する差別意識は当然あるのでしょう。地球にもあったように」
「そうだね……それも当然か」
ボンドの話を受け、他にも何人かが「俺も野盗の話は知ってるな」と名乗り出た。驚くべきことに、ここ数年で野盗が極端に増加したという。
そんなこんなで話込んでいく黒沢やボンドたち。
最初は遠慮がちだった町の人たちも徐々に打ち解けていき、話はそれぞれの嫁の話や私生活の話にまで広がっていく。
真っ赤な顔で揃って笑いあう男たちの真ん中で、終始、通訳に徹していた瀬戸はヘトヘトになってぼやいた。
「た、隊長ー!そろそろ役回り変わってくださいよぉ!もうおっさんたちの通訳は疲れましたぁ!カーラさんと話したぃい!」
「おやおや、瀬戸くん。だれがおっさんですか?」
「そうですね。黒沢さんはともかく、私はおっさんでは」
だれも彼らを止める者はいなかった。夜になり、さすがにまずいと思った相馬に見送られる形でカーラが帰城してもなお、この酒宴の席はお開きとはならなかった。
こうして夜は更けていく。
そうして朝を迎えた―――。
王都から竜車を走らせ迎えに来た騎士たちが、黒沢たち使節団の様子に驚いたのはまた別の話である。
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