24.交渉の裏でⅢ

【日本国/翌年1月1日】


『2018年、平成30年の幕開けです―――』


 時刻は午前〇時〇〇分。進行役のアナウンサーの声が、地上波に乗って全国に響き渡った。新しい年の訪れを、まさか異世界で迎えることになろうとは……。現実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。


 普段暗い話題ばかりを耳にする反動か、人々は例年にも増して浮足立っていた。全国の至る所で新年の到来が祝われ、渋谷のスクランブル交差点はおろか、地方都市でもお祭り騒ぎ。


 景気悪化や広告自粛の煽りを受けて、放送時間の大幅な縮小を余儀なくされていた地上波各局も、しかしこの日ばかりは24時間放送に打って出た。


 もっとも〝2018年の到来〟を祝ったのは、日本国をはじめとする旧地球圏の人々だけである。


 明治5年(1872年)、時の新政府はそれまで使われていた天保暦(旧暦)を改め、西洋式のグレゴリオ暦(西暦)を導入した。


 以降、現在の1月1日が元日となったが、それ以前は全く別の日が元日であった。所謂、旧正月と呼ばれるものだ。日本の暦とは若干の差異があるが中華圏の国々においては現在でも、旧正月を盛大に祝う文化が残っている。


 ……と、すれば。当然、この世界の国々が地球生まれのグレゴリオ暦(西暦)を使っているはずが無い。この世界では〝聖歴〟が広く使われている。


 その名の通り、西方では〝聖教〟と密接な関わりがある暦なのだが、〝悪魔を追放した年〟を元年としているため、歴史的な非聖教圏である東方でも聖教色の無い人類共通の暦として古くから使われてきた。ちなみに、今年に限って言えば、その暦で定められた正月はグレゴリオ暦(西暦)の2月1日に当たる。


 したがって、〝西暦2018年〟を迎えたのは日本列島(本国)と日本領東岸地域、それに開発の始まっている米領トウガンに限らられる。


 日本本国では、御来光を拝もうと多くの人が日の出前に起床した。初詣客は神社の境内に列を成し、公共交通機関や商業施設にも多くの利用客が訪れる。災害前は当たり前の光景だったが、最近に限れば稀にみる光景だ。


 未曾有の〝列島転移災害〟から早、五ヶ月。出口の見えない混迷は、依然、社会全体をどんよりと包み込んでいた。


 食糧事情は厳しいまま。経済状況も低水準。就活を控えた若者も、自宅待機が長期化している労働者も。多くの国民が悲観的な現状に鬱憤うっぷんを募らせている。


 定期的な続報が入る東岸地域の開発が唯一の希望……。その裏で、第一報以来、続報が流れないウォーティア王国との交渉への関心は既に国民の間からは失われていた。希望は唯一、「東岸地域の開発だ」と誰もが信じている。


「今年はいい一年になりますように」


 日本に住む全ての人が、それぞれの思いを胸に、新たな一年を迎えた。







【中央大陸/ウォーティア王国/東部/1月下旬・某日】


 この世界の暦〝聖歴〟における正月を前に、ウォーティア王国では多くの地方貴族が王都に出向いていた。


 年末年始を故郷で過ごそうと、都市部から地方へ人が移動する日本とは対照的な動きだが、もちろんそれには理由がある。領主として地方に封じられている貴族たちは、年に一度、新年を迎える際に王都に参勤する義務を負っているのだ。


 各地に駐屯している王国軍も毎年、王都へ向かう貴族を護衛するために、この参勤の列に加わっていた。


 スラ王国との緊張が高まる中、安全地帯である東部の駐屯軍からは、多くの兵員が南東部に送られており、慢性的な人員不足に陥っている。その上で貴族の護衛に人員を割くと、この地域に残る兵士は極僅かほどしかいない。


 そんな虚を狙ってか、王国東部のとある村に見慣れぬ武装集団が姿を現した。集団を構成する人影は、緑と黒の色彩に覆われた服装を身に纏い、白地に赤丸の描かれた旗を掲げている。


「おい、あいつら何者だ?!」

「野盗だ!俺たち身ぐるみ剥がされて殺されるんだ」

「お、女子供を隠すんだ!急げっ」


 武装した集団を前に、怯えを伴った村人たちのざわめきが村を覆った。村長を始めとする村会役員は、斧や鍬を手にした自警団の男衆と共に女子供を庇うように矢面に立つ。


「……村長。奴ら一体、何者でしょうね?」

「分からぬ。規律だった動き故に賊の類とも思えないが、王国軍とも様子が違う」

「あの緑の服……風の噂で聞いた異国の兵士では?」

「馬鹿な。こんな村に何の用があると言うのじゃ」


 木でできた貧相な村の囲を境に、両者が睨みあう。最初に声を発したのは村の外、小高い丘の上から見下ろす武装集団の側だった。


 一人の男が前面に出て、短剣の剣先を頭上に掲げた。魔法による支援がなくとも、訓練された兵士にとって、この程度の距離ならば声を響かせることもできる。


「我々は二ホン軍である。村長を出せ」


 男の高圧的な要求に、ガヤガヤとした騒めきが一時的に消え去る。村人の視線が村長に集まった。諦めたように足を踏み出す村長を、村会役員の一人が引き留める。


「お待ちください。危険すぎます」

「儂が行くしかあるまい。それに相手はこの国と友好を望んでいると聞く。案ずることはない……何か用があって立ち寄ったのだろう」

「しかし」


 尚も食い下がる村会役員の静止の声を、村長は首を横に振って振り切った。一歩、また一歩と集団に向かって足を進める。そして、村長と武装集団のリーダーが相対した。村長はできる限り丁寧な物腰で、その男に名乗りを上げた。


「村長のリグレットと申します。どのようなご用向きで?」

「ほう。貴様が村長か」


 しかし対する男は不遜な笑みを浮かべると、抜剣済みの短剣を掲げ、無防備な村長の脇腹に叩き込んだ。日本刀ほどの切れ味は無くとも、無防備な肉体を痛めつけるのには十分事足りる。


 グシャリと肉が抉れる音が響き、村長の身体が一瞬だけ宙を舞った。村長は地面に叩きつけられるが、我が身に起こったことを直ぐには理解できなかった。


「な、何を……」


 しかし流血は止まらない。村長が自身の身に起きた不合理を理解できたとき、ちょうど彼の意識はこの世から消え去った。


「そ、村長!!」

「そんな……嘘だろ」


 先ほどまで生きていた村長の死を前に、村人たちは悲鳴を上げた。悲鳴、騒めき、怒号。しかし、人の命を奪った男は微塵も動揺する素振りを見せない。


 男は己の短剣を虚空で数度振り、こびり付いた真っ赤な鮮血を振り落とすと、再びその口を開いた。


「我々はこれより貴様らを奴隷として本国へ連行する。逆らう者は容赦なく殺す」


 男の一方的な宣言に、村人たちは動揺し、我先にと駆け出した。勿論、武装集団に向かってではなく、彼らと反対の方向に向かってである。


 しかし無情にも、武装集団はそれを許さない。


 ダダダダダダダ―――。


「ぐあっ?!」

「ま、魔法だ!!」


 虚空に形成された無数の鉄のつぶてが、逃げ惑う村人を背後から射抜いた。無鉄砲に穿たれた鉄の礫のほとんどは、標的に当たることなく地面に穴を開ける。


「全軍、突撃ぃぃぃい!」


 再び掛けられた男の声に、武装集団が動き出す。


 うぉぉぉぉおお―――。


 研ぎ澄まされた武器を手に持った彼らは、雄たけびを上げて一気に丘を駆け下りた。周囲に素早く散開した彼らは、村の囲を難なく突破すると、混乱で思うように逃げることのできない村人に襲い掛かる。


「く、来るな!嫌だ!助けっ―――あぁぁぁぁあ」


 村人の断末魔のごとき叫び声が響き渡る。抵抗する者はみるみるうちに殺された。捕まえられた村人は集会所の前に集められるが、その内の何人かも見せしめとして殺された。


「分かったか!静かにしてねぇと命はねぇからなぁ」

「ひぃぃ……どうか、どうかお許しを」


 一方、若い女は武装集団の恰好の獲物となった。性に飢えた男たちが、己の欲望の赴くままに女を貪る。彼らの中には祖国に妻や娘を残してきた者もいた。


 しかし、戦場の雰囲気が、血の高ぶりが、彼らの理性を吹き飛ばし、良からぬ行為に走らせた。そしてまた、これも作戦の一つである。命令による行為だという事実が、彼らに僅かに残る罪悪感に免罪符を与えた。

 

「や、嫌!やめっ……あぁあああ」

「うるせぇ!首切り落とすぞ」


 既に村から秩序は失われた。そこに広がるのは血に染まった狂乱の宴。その光景を目の当たりにした村人の多くが、既に抵抗することを諦めた。


 しかし、一人の青年はこの事実を多くの人に伝えようと、勇気を振り絞って駆け出した。


「あ!おい!男が逃げ出したぞっ」

「何?!待ちやがれ」


 青年の逃亡に怒れる男たちは、得物を手に彼の後を追おうとして、そして、リーダー格の男に止められた。


「止めろ。追うな」

「し、しかし……」

「これも上の命令だ」







 ♢

【同国/王都ウォレム/平民街・貴族街/1月下旬・某日】


 王都は三層の城壁がぐるりと街を取り囲む、所謂、城郭都市だ。現在の外郭と旧外郭の間には〝平民街〟と〝貧民街〟が。そして、王城を囲む内郭と旧外郭の間には〝貴族街〟が広がる。


 それらの区画を隔てる壁の敷居は、物理的な存在以上に大きく、険しい。


 平民は通行証を携帯していなければ貴族街に立ち入ることはできないし、また、登城の許可がなければ貴族であっても王城の敷地には立ち入れない。


 ギィィィィ―――。


 巨大な鉄製の格子扉が、音を立てて開かれた。ここは平民街と貴族街を隔てる城門。警備上の理由から夜間は閉ざされていた城門が、日の出と共に開かれる。


 城門の警備に立つのは近衛騎士。入念な検査が行われる。特に、平民向けの列では、しばし、近衛騎士が高圧的な態度を取ることがあった。貴族や騎士・聖職者といった特権階級の中には平民を平然と見下す者も多い。


「ふん。とっとと行け、平民」


 近衛騎士が悪態を吐いて通行証を投げ返すと、検査を受けたばかりの男は文句を言うでも無く、いそいそとその場を後にした。近衛騎士はそんな男を一瞥することも無く、後ろで審査を待つダラクたちに視線を移す。


「……次、名前は?」

「……クラダ・・・。こっちは連れのシャーラ・・・

「っち。通行証を見せろ」


 近衛騎士は舌打ちをすると、面倒くさそうに手を動かした。ダラクが心の中で溜息を吐きつつ、懐に仕舞っている通行証を差し出と、ラーシャもまたそれを差し出した。


「オリヴァー家の紹介ねぇ……」


 職業や所在など幾つかの質問を義務的にこなすと、またしても舌打ちと共に通行証を押し返す。何はともあれ、無事に貴族街に立ち入る許可が下りたのだ。二人は絡まれる前にそそくさと城門から離れることにした。


「……この国の貴族は横柄な奴が多いね」


 ダラクの言葉にラーシャは背後を振り返る。見ると、先ほど高圧的な態度を取っていた近衛騎士が、今度は別の商人らしき人物をいびっていた。


 ラーシャの祖国〝傭兵ギルド公国〟は元々が傭兵たちの創った国であり、神聖帝国から公の称号を賜った公王以外に貴族という階級は存在しない。


 ラーシャ小首を傾げ、ダラクを見上げた。


「スラ王国では違うのですか?」

「少なくとも我が国の貴族は領民思いだったよ」


 ヒト種であればな。ダラクは心の中で付け加える。


「そう言えば、隊長は貴族でしたか」

「今は単なる平民だけどね」


 ダラクの言葉に何か棘があるのを感じ取ったラーシャは、余計なことを言ってしまったと口を閉ざす。しばしの沈黙。


 それを最初に破ったのはダラクだった。ラーシャの耳に聞こえるか、聞こえないかくらいの声量で呟くように声を出した。


「上も中々、下衆な作戦を思いつくものだね」


ダラクの言葉に、ラーシャは道端に落ちていた小石を蹴飛ばした。


「策としてはお見事。ですがあまり好きな策ではありません」

「無論、私もだ。だが上の命令に従わない訳にもいかないさ」


 二人がこの場所に居るのは他でもない。上からの命令が下ったからだ。


 伝令によると南部辺境の諸貴族がウォーティア王国に翻意を示し、スラ王国の側に付いたという。


 伝令はまた将軍からの密書を持参していた。内容は一見、意味の無い文字の羅列だが、ダラクの持つ知識を参照すれば、途端に意味が浮かび上がる。


 それによると、軍は魔法師を含む精鋭部隊を編成し、日本を陥れる工作活動を各地で行う予定とのこと。


 その噂を王都に広める役目は生き残った村人たちに託されるが、それを拡散する手助けをするのは潜入している工作員の仕事だ。


 結果、この国では庶民を中心に反日感情が高まるという算段のようだ。日本と王国が相反するならそれで良し。相反しないのであれば、いよいよ、ダラクたちの今の行動が日の目を見る。


 しばらく下級貴族の屋敷が建ち並ぶエリアを歩く。貴族街には中央貴族の他にも、地方貴族の王都滞在用の屋敷も立ち並んでおり、中々の広さがある。黙したまま足を進めていたダラクは、一軒の屋敷の門の前で立ち止った。


「ここだね」

「ここですか」


 門の警備に立つ使用人に要件を告げ、少しばかりその場で待っていると、すぐに屋敷の主人が顔を出した。男の名前はピエール・オリヴァー。南部辺境の諸貴族の纏め役であり、スラ王国・東方遠征軍将軍に使者を遣わした人物である。


「出迎えが遅れまして申し訳ありません」

「いえ。出迎えなど結構です。怪しまれたくはありませんので」


 オリヴァーの謝罪をダラクが軽く受け流すと、主人は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げて、屋敷の中に入るように勧めた。


「ささ、中へどうぞ」

「失礼します」


 門を超えると、貴族にしては慎ましい広さの庭園が二人を出迎えた。その奥には平屋建ての洋館が一棟、鎮座している。


 屋敷の中に足を踏み入れると、すぐに客間に通された。この屋敷で一番豪華なのであろうその部屋も、やはり一般的な貴族にしては貧相だった。


 オリヴァーは部屋のカーテンをすべて閉じ、素早く人祓いを済ませる。お抱えの使用人であろうと、聞かれて良い話と悪い話があるのだ。


「どうぞ。おかけください」

「では遠慮なく……」


 主人の言葉に、ダラクとラーシャは一言断りを入れてソファに腰を下ろした。


 使用人が淹れたのであろう紅茶のような飲み物が注がれた陶器製のカップが、ダラクとラーシャの目の前に差し出される。そこでようやくオリヴァーも向かいのソファに腰を沈めた。


「本日は一体どのようなご用件でしょうか?」

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