04.異世界研究Ⅰ

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【日本国/福岡県福岡市西区/九国大学先導物質化学研究所/11月中旬】


 九州の最高学府たる九国大学。その付属研究機関の一つであるこの研究所では、物質の構造および機能に関する研究をおこなっている。


 その研究所の一室で、教授の松林まつばやし律子りつこは研究資料の山に埋もれ、うんうんと唸り声を上げていた。


 松林はまだ三四歳になったばかりであるが、生命有機化学の分野では少し名の知れた研究者である。


 若き英才である彼女は人生の全てを研究に捧げる心積もりであった。故に……かどうかは分からないが、彼女は研究以外にあまり興味を示さない。


 周りと比較しても整った容姿に反して、彼女のきれいな黒髪はぼさぼさと伸ばされている。化粧もまったくと言っていいほどしたことがない。


「……あー、ほんと何なんだろう」


 そう言って机に突っ伏す彼女の左手には、ビー玉大の宝石のような物体が一欠片ひとかけら。松林が電灯の明かりに照らすと、赤透明のそれは綺麗な光を放つ。


「……きれい」


 松林はその物体を眺め呟く。これは外地派遣部隊から届けられたもので、魔物と通称される生物が皆、等しく持っていると言われる物体の一部である。


 それは非常に硬度の高い物質で構成されているようで、ダイヤモンドカッターを用いてなんとか切断することに成功した。松林が持っている欠片かけらはそのときに出た破片だ。


 欠片の側面には不透明の線が数本引かれているのが肉眼でも観察できる。松林はその線をじっと凝視する。


「なんだろう……」


 なんだか回線のよう……な……。


 そのとき松林は「あぁぁぁ!?」と声を上げて椅子から立ち上がった。彼女が立ち上がった勢いに押され、山積みにされていた資料の束が大きな音を立てて雪崩落ちる。


「!?」


 松林の声と雪崩の騒音に、研究室の片隅でパソコンを弄っていた助手が顔を上げた。


「突然どうしたんですか?」


 彼の名前は窓辺まどべ賢吾けんご。一昨年、同大学の修士課程を修了し、この研究所で松林の助手を務めている男だ。来年二八歳になる彼は、来年中の講師昇進を目指していた。黒髪が白衣に映える容姿端麗な彼を慕う女子学生も多いと松林は聞く。


「あれ?窓辺くん?いつからそこに?」


「ずっと前からいましたよ。教授は一度夢中になると周りが見えなくなる癖がありますよね」


「ほんとに?……ごめんね」


「いいですよ。それより何か閃いたんですか?」


 窓辺が話を例の物体に戻すと、松林は「そう!そうなの!」と興奮気味に声を上げた。


「これを見ていて思ったんだけど」


 松林はグイッとその物体を窓辺に押し付ける。


「これなんだか回路みたいに見えない!?」


「回路?」


「そう回路!これは導線なのよきっと」


「導線……ですか」


 窓辺はそう呟き少し考えるそぶりを見せる。


「それが本当ならば、あの物体は言わば機械……いえ、器官でしょうか?」


 松林の言葉を瞬時に飲み込む窓辺もまた天才である。窓辺は、松林が言わんとしていることを瞬時に理解した。


「さすが窓辺くん!」


 松林は窓辺から再び欠片を受け取り、電灯の明かりに透かした。


「これは機械に類似した器官。魔法の発動源。言うなれば……〝魔法機関〟なのよ」


「それが真実だとすれば大きな発見ですよ教授!その線で研究を進めましょう!」


 このとき松林の立てた仮説は「松林仮説」と言われた。彼女の仮説によれば、魔物の持つそれらの物体(どんな魔物も一個以上持つ)は魔法を発動するための発動機、いうなれば〝魔法機関〟。そして、松林はこのとき、魔法機関から繋がれた魔法を発現させる器官を〝魔法器官〟と名付けた。


 この松林仮説の真偽が実際に証明されるまで、そう時間はかからなかった。しかしそれはもう少し先の話である。






 ♢

【日本国/埼玉県和光市/理化学研究所/脳科学総合研究センター/11月中旬】


 円筒状の巨大な装置から一人の女性がゆっくりとその姿を現した。彼女は緊張した面持ちでベッドの上に背を横たえている。


「お疲れ様でした」


 女性の声が研究室に響くと、一枚のガラスで隔たれた部屋に待機する被験者、大門だいもん陸士長が立ち上がった。大門は相馬を隊長とする現地調整隊の一員で、現地語を話すことができる。


 大門はその足でガラスの先、MRI(magnetite resonance imaging)装置が設置された部屋に踏み入った。MRIは日本語で言うと磁気共鳴画像のことで、磁石の力で脳や体の中の写真を撮る技術を指す。


「カーラさん、休憩みたいですよ」


「ありがとうございます。ダイモンサン」


 大門の呼びかけに、カーラと呼ばれた女性も休憩時間になったことを知り、ベッドから身体を起こした。


「い、いえ……」


 カーラは褐色に近い肌に艶やかな黒髪が映える、狼人種のうら若き女性である。彼女の笑顔に心を奪われた大門は、照れ隠しのためか自身の後頭部を右手で掻いた。


 1917年(大正6年)に創設された国内唯一の自然科学系総合研究所である理化学研究所。略称、理研。


 その研究拠点の一つである、ここ脳科学総合研究センター(略称、BSI)は脳科学研究において先導的役割を果たすことを目的として、1997年に創設された。


 その名前が示すように、このセンターは脳科学全般の学際的融合を目指しており、心理学から計算機神経科学まで幅広い研究者を抱える。


 では、なぜ大門たちがこの場所にいるのか。その答えはずばり〝相馬以下13名の隊員が現地語を解する事象〟の科学的解明にあった。


 この事象を共有しているのは政府上層部から極秘裏に情報を受けた一部の研究者だけである。当然、政府内部でもこの情報にアクセスできるものは限られている。


 そして、研究に協力するために、外地法に基づいて秘密裏に本土へと渡ったのは大門ら自衛官3名とカーラたち現地人5名の計8名。彼らの渡航はセキュリティ面の不安から前述の研究者と一部研究機関にしか伝えられていない。


 余談であるが、地球人類には異世界産ウイルス等への免疫系がなぜか備わっていることはすでに証明済みである。一方、カーラたち現地人には地球産ウイルスなどへの免疫はない。そのため東岸拠点にてワクチン接種を受けている。


「ダイモンサン、お昼にしませんか?」

「そ、そうしましょうか」


 大門とカーラが仲良さげに研究室を後にするのを見届けた後、研究員の松島まつしまさとるは声を上げた。


「主任」


 松島に主任と呼ばれた研究者が松島を振り返る。


 柔和な笑みに白髪、眼鏡といったいかにも博士と言った出で立ちの男で、名を百井ももい秀作しゅうさくと言った。彼は、理研において主任研究員の地位にある。


「松島くん。データを見せてください」


「こちらが今回の検査データです」


「ありがとう」


 百井は松島に手渡されたタブレットPCに視線を落とした。そこには、二人分のMRI検査の画像が加工された状態で提示されている。


 今回の実験では、MRIが脳の活動を画像化できることを利用した検査と実験が行われた。


「現地人であるカーラさんのデータはこっちですか」


「はい。彼女の脳構造が我々と同質のものであることはすでに分かっていましたが、言語理解のメカニズムまでも我々と同じでした」


 百井は「ほう」と控えめに声を上げ、次の資料に目を移す。


「そちらは大門さんのデータになります」


「大門さんの……これはまた興味深い」


 百井はそう言って大門のデータを凝視した。これまでの研究から、大門たちは現地語を解するだけでなく、世界中のすべての言語を解する可能性が指摘されていた。


 そこで、今回の実験では、大門が知らない言語を聞かせたときの言語理解のメカニズム解明も主目的に置かれている。


 松島はそのデータの一部を指さし、口を開く。


「これは彼が初めて耳にした言語……今回はバスク語という北スペインの言語を使用して、その時の脳の活動を観察した結果です」


 松島は続ける。


「初めに聴覚野が反応します。注目すべきはここからです。バスク語を聞かせた瞬間に、彼の海馬が異常な反応を見せました」


 海馬とは側頭葉に位置する記憶をつかさどる記憶の司令塔だ。その形状はタツノオトシゴのようにも見える。


「そしてその後、脳の各部が一斉に反応を始めます」


 色付けされた画像には脳内の各部が反応している様が克明に描かれている。


「これはまたすごいですねぇ。ウェルニッケ野に左角回かくかい、左縁上回えんじょうかい、小脳、視床、大脳基底核……どれも言語に関する部位だ」


「はい。本当にすごいデータです。彼はその後の検査で、バスク語を流暢に話して見せます。その際、ブローカー野の反応は通常のそれと同じでした」


 そこで百井は自身の眼鏡を外した。


「ではそこから何が考えられますか?」


 百井の問いに、松島は控えめに答える。


「……憶測にすぎませんが、見知らぬ言語を耳にした瞬間、彼の脳は瞬時にその言語情報を何かしらの方法で取得し、記憶……いえ、これは記憶というよりもむしろもっと別種の……」


「インストール、が的確でしょうか?そして、各部位に情報は共有される」


 松島の言葉を百井が引き継ぐ。大門たちの脳は、何らかの方法で圧縮された言語情報を、それも高速で吸収し、即座に使いこなせるよう各部位で共有する。


 大門らの脳はコンピュータがソフトウェアをインストールするように、否、それ以上のことをやってのけている。問題はどのような方法で取得したのかということだが。


「彼はもはやバイリンガルなどではありません……人智を超えた超人とでも言うべきです」


「そうですねぇ。やはり報告書にあった〝謎の少女〟の存在が関係しているのかもしれませんねぇ、松島くん」


 政府は研究を理研BSIに依頼する際、相馬が外地派遣部隊司令部を介して本省及び政府に提出した報告書、通称、「相馬レポート」の一部の閲覧を許可している。


 相馬レポートには、狼人種との交流や古代遺跡内部のことなど多くの情報が列記されている。そのレポートの中に、古代遺跡で出会った不思議な少女に関する報告もあった。


 ―――古代遺跡の内部で不思議な少女に出会う。彼女は人間離れした美しさと声を持ち合わせていた。彼女の正体は不明であるが(中略)彼女は〝プレゼント〟と言う意味深長な言葉を残して姿を消した。我々13名の隊員が現地語を解するようになったのはこの後である。ここに因果関係があるのではないかと推測される。


 以上は相馬レポートの一部を抜粋したものである。松島はその内容を思い出して、苦笑を浮かべた。


「そのレポートを否定できないのが痛いところです」


「そうですねぇ。正直、現代の脳科学では脳の動きを完全に解明することは不可能ですから……。その少女とやらに会って問いただしたいものですねぇ」


 百井はそう言って自嘲的に笑った。そんな百井に、松島も同意を示しつつたしなめる。


「そうですが、それを僕たちが言っちゃおしまいですよ」

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