26.交渉の裏でⅤ

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【日本国/3月上旬・某日】


 冬の寒さが後を引き、春の到来を予感させない三月上旬。日本政府は報道各社マスコミを介し、異世界の国であるウォーティア王国との交渉状況を公表した。


 第一報が流されて以来、実に数ヶ月ぶりの続報に、報道各社マスコミは沸いた。雑誌、新聞、テレビ。各種様々な媒体が等しく特集を組み、膨大な情報を発信した。


 文化、習俗、宗教……そして魔法。これまで秘匿されてきた多くの情報が、交渉状況の公開と同時に流れ出たのである。


 それはいまいち関心の薄かった国民の目を、異世界の国に向けさせるのには充分であった。


「中世程度の文明水準を持つ現生国家と交渉の席に着いた」という第一報。それがどれほど国民の関心を引かなかったことか。


 そしてそれ以来、続報は全く無かったのだから関心が薄くて当然。多くの国民は遠い異世界の前近代国家との友好より、寧ろ、目の前に山積する問題と東岸地域開発という降って湧いた唯一の希望に関心を向けていたのだ。


 しかしいざ、続報が流れるとその流れも変わる。


『国交が開かれれば両国間で人やモノの往来が活発化するでしょう』

『元の世界には存在しなかった魔法。その研究が進めば人類の未来に大いに資する』

『東岸地域と比べてウォーティア王国の環境は恵まれている。そこに現代の農業技術が持ち込まれれば、食糧問題は一気に終息に向かう』

『唯一の問題はスラ王国と言う帝国主義国の台頭だ。政府は難しい対応を迫られるだろう』


 連日のように放送されるウォーティア王国関連の情報番組。各方面の識者として呼ばれた論客たちが、独自の考察を交えて意見を交わす。連日のように放送されれば、当然、テレビの前の国民の関心もまた徐々に高まっていく。


 世論の期待値の高まりに、政府は満を持して新たな情報を投下した。


 藤原首相のウォーティア王国訪問である。






 ♢

【日本国/東京都/千代田区/永田町/首相官邸/総理執務室/同日】


「おい、藤原。何とか考えす直すつもりはねぇのか?」


 何度目か分からない岩橋いわばしの忠言に、藤原ふじわらは辟易とした思いで首を真横に振った。


「岩橋。何度も言ってるように、私は行くよ」

「……って言ってもよ。今はちと危険すぎるぞ」


 しかし岩橋も食い下がる。使節団からの報告では、王国内で「自衛隊が村や町を襲撃した」との噂が流布されているという。


「こっちとしちゃ当然、身に覚えのない話だ。だが、理不尽なことに我が国への反感が燻ってる」

「それに関してはあちらの国王が事実無根と切って捨てたろう?」


 そう言って藤原は重厚感のある椅子の背に身体を預けた。すると岩橋は机に両の掌を付き、さらに距離を詰めて来る。


「それは分かってる。だがな。国民全てが納得してる訳じゃないんだぞ?」

「当然だ。国王の一言で全国民の疑念は拭えんよ」

「それにまだ、こちらに罪を着せた者たちも拘束できていない。黒幕の予想は付いているがな」


 岩橋の言葉に藤原も首肯した。日本とウォーティアの接近を好まない国。それは今のところ一つしか思い浮かばない。


「度々、話題に上がるスラ王国だろう?」

「十中八九、そうだろうな。ウォーティアの国境はまるでザルだ」


 苦々しそうに吐き捨てる岩橋。しかし、だからと言って日本とスラ王国の間にはまだ、公式な接触が無い段階で、抗議をしようにもそのチャンネルが無いのだ。


 仮にそれがあったとしても、スラ王国が裏にいるというのは単なる予想に過ぎず、客観的な証拠なく一国に難癖を付けるのは難しい。


「そんな中、お前は行くって言ってるんだ。考え直せよ」


 諭すように再度、引き留める岩橋。対する藤原は溜息を吐いてから、岩橋の瞳を視線で射抜いた。


「そうだな。今は危険かもしれない」

「なら―――」


 期待に目を見開く岩橋に、しかし、藤原は首を真横に振って見せた。


「それでもだ。私はこの手で条約に署名を入れる」


 頑なな拒絶。岩橋は理解ができないと両手を挙げた。


「何故拘る?お前が行かなくても全権大使が署名すれば十分だろう」

「これはこの世界の国と我が国が初めて結ぶ条約。そして初めて開かれる国交だ。日本の再出発を記念する言わば門出。大々的にやることで国民にも希望が湧く」


 藤原はそう言って椅子から立ち上がった。当日は、外地法の特例措置として、日本の報道関係者の出国と取材も許可する予定でもある。それほど、藤原はこの訪問に力を入れていた。


「それに会談と調印式が行われる町は使節団に好意的らしいじゃないか」

「そりゃあ、そう聞いてるが……」


 藤原の指摘に岩橋は言い淀む。実際、港町ポーティアでは不思議と日本への好感度が高い。勿論、領内の村や町が襲われなかったこともあるが、それよりも大きいのは領主家と使節団の存在だろう。


 町を治める領主、ポーティア爵グランの統治は、一般に善政との評価を受けている。それに彼の娘、カーラは多少お転婆な一面もあるが、それ故に領民から愛されていた。領民の領主家に対する信頼と敬愛の念は、そこらの領主へ向けられるものよりも遥かに厚い。


 その領主グランが、日本人の使節と友人を標榜しているのだから、町に住まう市民が日本人の蛮行の噂に疑いの眼差しを向けても可笑しい話ではない。


 それに黒沢たち日本国使節団が、町巡りをしたことは市民の間では有名な話だ。その際、他の貴族のように威張り散らすこともなく、礼節を備え、平民とも気さくに話し、食事を共にしたこともまた、よく語られていた。


 故に、日本の悪評が町に流れたとき、多くの市民が「俄かには信じられん」と口々に語ったのだとか。これはすべて領主への敬愛と信頼があり、尚且つ、日本人と直に触れあったこの町の人だからこその意見だった。


「その点、会談場所であったポーティア爵領で好感度が維持されていたのは不幸中の幸い。これも黒沢くんたちのお陰だけどな」


 岩橋はその間、藤原の言葉を黙って聞いていた。そして諦めたように、乾いた笑みを零す。


「分かった。もう止めんよ。すまなかったな」

「いや、忠告は素直にありがたい。もっとも、聞く気はないがな」


 藤原の言葉に、二人は思わず顔を見合わせて、そして思わず吹き出した。







 ♢

【中央大陸/ウォーティア王国/港町ポーティア/3月中旬】


 ウォーティア王国への関心が高まりを見せる日本。一方、ウォーティア王国の港町ポーティアでは、日本国首脳の訪問を控え急ピッチで準備が進められていた。


 事前交渉の席で決められた通り、首脳会談と調印式がここ港町ポーティアで開かれるためだ。


 ところで、何故、東京や王都ウォレムではないのか。これには王国側の事情と日本側の事情が挙げられる。


 まず日本国の実質的な首都、東京。これには王国側が難色を示した。この世界では元首が国境を越えて移動することは未だ珍しい。大国と認めつつも未だ見ぬ日本国へ、国王が直接足を運ぶの時期尚早との意見が王城内から噴出したのである。


 次にウォーティア王国の王都、ウォレム。これに関しては当初、検討候補には挙げられていたものの、藤原首相側の道中の安全確保が課題となった。現に特別使節団の一行が襲撃されたばかりだ。


 結果、日本国に最も近いウォーティア王国の都市、ポーティアが調印式の舞台に選ばれたのである。港町ポーティアは日本が初めて接触したこの国の都市でもあり、その点、両国関係の象徴性も申し分無かった。


 そう言う訳で、着々と準備が進む港町ポーティア。しかし、その裏でスラ王国側の陰謀は、着々と進められていた。


 平民街地区の一画。二階建ての建物が犇めくこの場所に、ひっそりと佇む石造りの建物。その建物の二階、陽の光も入らぬその部屋に複数の人影があった。


 その内、二人はダラクとラーシャである。ダラクが大仰に咳払いをして見せると、室内の耳目がダラクに集中した。


「今更、紹介は不要だと思うけど、もう一度自己紹介をしておこうか。私の名前はダラク。とある高貴なお方の代理人を務めている」


 ダラクはそう言ってポーティア爵家の徽章のあしらわれた短剣を掲げた。勿論、単なる短剣に徽章を彫っただけで、その道の人が見れば紛い物だと見抜いただろう。しかし、ここにいるのは皆、貴族とは無縁の平民。それも村出身者が多い。実際、ここに集ったすべての人間がダラクの話を信じた。


 しかしそんなことはどうでもいいと言う態度で、体格の良い男が人垣を掻き分ける。無精髭の特徴的なその男は、一月ほど前、王都の安酒場で王侯貴族に悪態を吐いていた男であった。


「……そんな御託に興味はない。俺は貴族が昔っから大嫌いなんだ」


 貴族の代理人を前に、そう言い放つ男に、集まった男たちも動揺する。そんなことをいけしゃあしゃあと公言すれば、処刑されても文句は言えない。


 しかし貴族の代理人でも何でもないダラクが、当然、怒りを露にする筈も無かった。男は「ふん」と鼻を鳴らすと、値踏みするようにダラクを見つめた。


「約束通り、二ホン人に復讐させて貰えるんだろうな?」


 男の言葉に、ダラクは「勿論」と首を縦に振った。


 ここに集められた男たちは皆、自称二ホン軍に親族や友人を殺されたり、奴隷として連行された者ばかりだ。彼らのほとんどは日本人への復讐を誓い、受けた仕打ちを王国内の各都市で喧伝していた。


 故に、彼らを見つけ出しそそのかすことなど、スラ王国の工作員にとっては朝飯前。彼らの中で見込みがあり、この町へ来れそうな者には路銀を与えた。すると、直ぐに必要人数が集まった。


「君たちはすぐにその機会を得るさ。知ってる者もいると思うが、この町に近く、二ホンの宰相が来るそうだ」


 ダラクはそう言って不敵な笑みを浮かべた。


 宰相とは〝特に君主に任ぜられて宮廷で国政を補佐する者〟のこと。古今東西、宰相に任じられる者のほとんどは君主の側近であった。それはこの世界でも同様だ。


 然らば、宰相が君主から絶大の信頼を向けられた、云わばお気に入りであろうことは想像だに難くない。


 一方、日本の内閣総理大臣は首相と呼ばれる。


 〝内閣を構成する閣僚のうち首席の者〟である首相。世界初の首相は英国、ジョージⅠ世の治世。内政外交の政策決定権を委任された、時の第一大蔵卿ロバート・ウォルポールである。当然、日本内閣総理大臣も首相であり、議院内閣制の下、議会に信任されている。


 つまり、議院内閣制下の首相は、君主の側近が任じられる前近代の宰相とは性格が明らかに異なっていた。だが、ダラクは勿論、スラ王国側はそんなことは知らない。知ったところで語義上の差でしかないと思っただろうが。


 すると、おずおずとした様子で、ひょろっとした背格好の青年が手を挙げた。彼は最初に襲撃された村、唯一の生還者だ。それを見たラーシャは露骨に顔を顰め、ダラクの服の裾を引っ張る。


「(彼は頼りになるのですか……?)」

「(優秀な仲間が見繕ったんだ。見込みはあるのだろうさ)」

「(それならばいいのですが……)」


 ダラクの耳打ちにラーシャは納得できない様子だったが、それ以上何か言うことは無かった。ダラクが青年に発言を許可すると、青年はつっかえながら疑問を口にする。


「あの、質問なんです、けど。近衛騎士がま、守ってますよね?どうやって二ホンの宰相を殺、せば……」

「その点は心配しなくてもいい」


 ダラクはそう言って口角を吊り上げる。


「今回の作戦には近衛騎士が協力する。警護計画に関しては相当、熟知していると言っていいと思うね」


 ダラクは今回の作戦に向け、近衛騎士ロゲール・オリヴァーを始めとする複数の近衛騎士に話を持ち掛けていた。


 1月の暮れに、王都にあるオリヴァー邸を訪れたのもこのためだ。ウォーティア王国が日本国と相反しなかった場合、日本国の要人を暗殺する。すべては計画の一部だった。


 勿論、南部辺境貴族の関係者が加担していると露呈することは避けねばならない。故にロゲールがこの場に顔を現すことはさせなかった。思いがけない協力者の存在に、先ほどの青年は気色の笑みを浮かべる。


「こ、近衛騎士……様?!こ、これは百人力……いえ、千人力ですね!」

「貴族連中はいけ好かねぇが、騎士が味方なら殺りやすいな」


 男たちは今回の計画の実行性に疑問を抱いていた。だが、警護する側の人間がこちら側に付けば話は別だ。俄然、やれる気がしてきた。そんな男たちに、ダラクは最後の確認をする。


「この計画では君たちの何人かは死ぬ。その覚悟はあるか?」


 ダラクの確認に、男たちは「何だそんなこと」と鼻で笑って見せた。


「俺は復讐できればそれで十分だ」

「ぼ、僕も。もう家族もいません。二ホン人に復讐して、家族の待つあの世に行ければそれほど嬉しいことは無い」

「そうだ!俺たちの手で二ホン人に復讐してやるんだ」

「おう。やってやろうぜ兄弟!」


 頼もしい叫びを挙げる男たちを前に、ダラクは満足げに頷いた。


「では作戦を説明しよう」


 こうして〝二ホン国宰相暗殺〟作戦が始まった。

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異世界列島 黒酢 @kurozu

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